―――オーブを恨んでいるかと言われたら、恨んでると言うと思う。憎んでるかと言われれば憎んでいると。嫌いかと言われれば嫌いだと。
だけど、だけど。だけど、もし。
もしも、今でもオーブが好きか、愛しているかと言われたなら。自分はどう答えるのか。
―――それが未だに分からない。
「聞いているのかしら?」
自分の前を歩いている咲夜の声にとりとめのない思考から引き戻される。
どうにもあのヤタノカガミ、アルバ・チェリーブロッサム・八汰乃・加賀見・ゴールドシャイン・暁と会ってからオーブのことばかり考えてしまう。
嫁になる、という発言も気になる。なぜオーブに牙を剥いた自分に対し理念を守るために生み出された彼女は好意を持つことができるのか。
考えても答えが出てこない。憎むのなら分かるし拒絶するのも当然だろう。しかし―――
殺気。
「ッ!?」
発したのは咲夜だ、ナイフを持ち今にも投げつけようとしている。
「あら気付いたの、残念ね」
「返事しなかったのは悪いと思いますけどね、だからっていきなりナイフは無いでしょう?」
双方共に僅かにため息をつく。咲夜は呆れで、シンは安堵のために。
大きく首を振ってふわふわととりとめのないことばかり考える頭をいったん切り替える。
「ええと、すいません。聞いてなかったんでもう一度お願いします」
ぷう、と頬を膨らませている。……どうにも、この咲夜という女性のことが読めない。
大人っぽいのか子供っぽいのか、真面目なのか不真面目なのか、そもそもどこまで本気なのかがさっぱり分からない。
……自分が女心が分からないから、ではないと信じたい。
「もう、仕方ないわね。お嬢様の前で抜けたこと言わないで頂戴、って言ったのよ」
気をつけます、と頭を下げる。実際彼女の心配も無理からぬことではある。
少なくともシンはこの紅魔館に来てから抜けてる―――というレベルではすまない発言ばかりしているのだ、むしろ心配しない方がどうかしている。
(あとであの人たちにも謝っておかないとなー。特に美鈴さん。というか、しっかりしろよ俺………)
何故に意識が朦朧としていると訴えられたら負け確定のセクハラ発言ばかりするのか、10分ほど前の自分に問い詰めたい。問い詰めて張り倒したい。
「ど、土下座で勘弁しては……くれないよなぁ、やっぱり」
「気をつけますからどうやって土下座に飛ぶのか理解に苦しむんだけど?」
「あーいえ、何でもないんで聞き流してください」
「そう。……ちなみに美鈴は普段から貴方に受けた以上のセクハラを受けているからあまり気にすることはないわよ」
「心を読まんで下さいよ!?」
どこまで本気なんですか、というボヤキには、どこまで本気に見える? と瀟洒な笑みで返されてしまった。
それからは話題もなく、二人して仄暗く、赤いカーペットが敷き詰められた廊下を音もなく歩き続けた。
その沈黙を破ったのは、
「あの、アルバのことなんですけど」
シンだ。やはり、どうしてもオーブを思い出させる存在である彼女のことが気になってしまう。
「あら、アルバ・チェリーブロッサム・八汰乃・加賀見・ゴールドシャイン・暁のことがどうかしたの?」
「いえ………って、よく名前全部言えますね、俺まだ半分ぐらいしか覚えられないんですけど」
「まあちょっとした個人的な理由よ。ああ、私まともなの付けられてよかった、って」
パチュリー曰く、百年に一度クラスのまともなネーミングらしい。
「ま、それは置いておくとして。やっぱりいきなりお嫁にしなさいって言われると気になる?」
「それもあるっちゃあありますけどね、まあその辺は本人においおい聞きますよ。なんでまたそんなこと言ってからかうのかは、ね」
哀れね、と声に出さずに思う。というか、あそこまで言われて何でこの男はこうまでボケられる。
「ああと、で、咲夜さんは……ええと、その」
言葉を探す。が、結局大して気の利いた言葉は思いつかず思ったことをそのまま口にした。
「オーブの理念」
言ってから、やっぱり言うべきじゃないと考えてる自分がつくづく嫌になる。
そのまま何でもないと流したかったが、自分から切り出したのだ、できるだけ平静を装い続ける。
「ってどう思います?」
「ん………他国を侵略せず、他国の侵略を許さず、他国の争いに介入せずってやつ?」
頷く。
「そうね。あくまでも私の見解だけれど」
鼻を鳴らす。込められた感情が嫌悪なのか侮蔑なのか、シンには判別できなかった。
「無責任ね。耳触りはいいけど、それってつまり戦争をやってる他の国なんかどうなろうが知ったこっちゃない、でもこちらに火の粉は飛ばすなってことでしょ?」
そうなりますね、と小声で返す。他国の争いに介入しない、とはとどのつまり戦争を行っている国が例え同盟国であっても支援を行わないということになる。
結果、孤立し国を焼く破目に陥った。戦争に介入しないのはいい、国民のことを考えれば避けたいと思うのは当然だろう。
しかし、現実として行われたことはただ理念を掲げ無関心を決め込むことだけだ、仲裁も何も行うことなく批評だけを行う傍観者。そんなものが他者の感情を変えられるものか。
第一、ウズミ・ナラ・アスハは根本的な勘違いをしていた。
戦争など、やらずに済むのならどんな国でも回避したいのだ。しかし様々な事象―――例えば、ナチュラルに核を撃ち込まれたり、コーディネイターの所業で大飢饉に陥ったり―――が重なり合い、戦争へと繋がっていった。
「そんなことやってて国が成り立つとは思えないわね、周りから見れば不愉快極まりないわ。とても現実が見えてるとは思えない」
辛辣、と言うほどでもない。彼女以上に悪しざまに、いっそ見苦しいほどに罵る者だっていたのだ、彼らに比べれば個人的な感情は極力排除しているのだろう。
少なくとも。戦中は散々罵倒しておきながらいざオーブが勝者に回ったら手を返すように理念を褒めちぎるような連中とは比べるのも無礼だということだけは確かだ。
「……ま、おっしゃる通りで。そうですよねえ、そうとしか思えないですよね」
「あら、褒めちぎればよかったのかしら?」
そう言われ、シンは言葉を返すことなく笑う。楽しんでいるでも喜んでいるでもない、自分でもどうしたらいいのか分からない笑顔。
「不満そうにしてるわよ、貴方」
「どうなんでしょ? たぶん褒めてたらガキみたいに拗ねたと思いますよ。あんたに何が分かるんだ―、って」
どうにも。オーブに対しては複雑な感情しかない。どんなに単純化しても相反する二つの感情が存在している。
嫌っているのか好きなのか。憎んでいるのか愛しているのか。
もう家族を失ったあの日から大分経ったのに、未だにどちらなのかはっきりとしない。
はっきりとしないからはっきりさせようとする、簡単にそのときの状況次第でどちらかに―――嫌い、或いは憎しみに―――天秤を傾けようとする。実際にはもう片方には未練たらたらな癖に。
そんなのだから、メサイアの攻防戦で馬鹿野郎と言われたのだ。そんなのだから、オーブを討つと決めても心がぶれて凍りついたように痛むのだ。そんなのだから―――父に母に妹に、優しくしてくれたのに自らの手で殺めてしまったトダカに顔向けができないのだ。
自分の、そんな所が嫌いで仕方がない。愛しているのなら素直に愛していると言えない、憎んでいるのに真正面から憎みきることをしようとしない。
そんな自分が、嫌で嫌でどうしようもない。
「―――着いたわ。ここがお嬢様の部屋よ」
咲夜から声をかけられる。物思いにふけっている間に到着したらしい。
「ああ、すいません。自分のことばかり、勝手に喋ったり黙ったりで」
「まあそれはいいのだけれどね」
くすりと笑われた。何かとんちきなことでも言ったかと思わず身構えてしまう。
だが咲夜は手を鷹揚に振り、瀟洒な笑みを浮かべている。
「いえ、貴方って子供っぽかったり妙に大人びてるのね。一体幾つなのかしら?」
「あっはっは。――――永遠の10代後半です」
本物の10代後半はそんなこと言わない。
「ふうん………お嬢様から呼び出されてなきゃ問いただしてるところね。ま、何にしても入るわよ、粗相のないようにね」
「大丈夫ですよ、お偉いさんが正真正銘の子供って国もそう珍しい話でもないですし。こういうことには慣れてます」
「………本当に幾つなのよ貴方………?」
「それは秘密。その方がカッコイイでしょ」
そんな、益体もないことを言い広げながら。
永遠に紅い幼き月、レミリア・スカーレットの待つ部屋の中に招かれていった。
「なあ、大丈夫なのかこいつ」
咲夜がシンをレミリアの部屋に連れていってすぐ。
威勢が良かった八汰乃は腕を組んだままぴくりとも動かなくなってしまった。
不思議そうに魔理沙が突っついてみるが特に反応は無い。
と、思われたが。よくよく見てみると顔が百面相を起こしている。にやけたり打ちひしがれたり口を真一文字に結んだり打ちひしがれたり目を泳がせたり打ちひしがれたり打ちひしがれたり打ちひしがれたり。
まあ。おおむね落ち込んでいることはよくわかる。
「なあなあ加賀見、お前ってシンの嫁なのか?」
百面相をやめ、ギギギと音を立てそうな速度で八汰乃は魔理沙に振り向く。その目は完全に泳ぎきっている。
「ん、嫁、何のことだ? 私には記憶にないから勘違いじゃないか?」
「え、でもさっきシンに」
「何を言ってるんだそんなこと言っちゃいないぞはははははハハハハハhahahahaha」
乾ききった笑いを目をキョトキョトさせながら繰り広げる八汰乃は大層不気味であった。
そんな八汰乃を、デスティニーは呆れた目つきで眺めていたが。
「ま、君がどう無かったことにしようと。シンからしてみれば突然求婚してくる地雷女ってところだろうね」
「おふぅッ」
「あ、垂直に落ちた」
あたかも蚊取り線香を喰らった蚊の如く。おっかなびっくりに魔理沙はもう一度突っついてみるが、まともな反応は返ってこず。
ウネウネと床でのたうち回る様はとてもとてもかっこ悪いものだった。
「や、や、や、やっぱり、そうかな? あ、いや、私もそうじゃないかな―とは思ってたんだけどな?」
もごもごと聞き取れない音量で喋る八汰乃をデスティニーは。
ギタリ、と。とても良い笑顔を浮かべて眺めているのであった。
まあ無理もないだろう。ふおおおぉぉぉ、と言葉にならない呻きを発して全身全霊でやっちまったぜ感を醸し出している八汰乃はSっ気のない人物であっても思わず弄りたくなる何かがあるのだ。
況や、Sっ気のある、もとい。気まぐれだったり嫌なベクトルに優しさを発揮する、悪魔そのものな性格のデスティニーに至っては言わずもがな。
「な、なぁっ? わ、私はどうすればいいと思う?」
その言葉に。仕方がないなぁとでも言いたげに息をついて、微笑んで。
「知 ら ん が な」
輝かんばかりのパーフェクト笑顔、言動と前後のやり取りと心情さえ知らなければ誰もが恋に落ちそうなほどに優美な笑顔だった。
―――その笑顔の百分の一でもお前の主人に向けてやれよ、とは言わないのが華か。
「そんなこと言わないで―! なあ、どうしよう!?」
「ハハハハハ知らんがな」
性格ねじくれてるなぁ。そんなことを魔理沙は内心思う。
まあ。同時に武人然としていた八汰乃のヘタレっぷりとのギャップに驚いてもいたのだが。
「どうしようどうしようどうしようどうしようどーーしよーーーー!?」
「知ーらーんーがーなー」
デスティニーの両肩に手を置いてガクガクと揺さぶる八汰乃にデスティニーはますます笑みを深めていく。
その笑顔は蕩けている、ともいえるほどになっていた。
だが、そんな狂騒もデスティニーが八汰乃の胸元、正確に言えばゆっさゆっさゆっさゆっさと揺れる胸を見たと同時に終わりを告げる。
余談だが、デスティニーの胸は微塵も揺れていない。というより、揺れるようなものなどありはせず、そこにあるのはただひたすらに可哀想な何かだった。
「ふんッ!」
揺れる頭の勢いに任せた頭突き。避けようもなく八汰乃の額に吸い込まれ鈍い音を立てる。
「ぎゃんっ!? 何をするんだ唐突に!?」
「うるさいよバーカバーカ!」
「い、いや、何で唐突に怒ってるんだ?」
「黙れッ! 巨乳なんて滅びればいいんだ、世界には貧乳だけいればいい。巨乳がいるから温暖化が起こるんだ巨乳がいるからダムが決壊するんだ巨乳がいるから隕石が降ってくるんだ。巨乳なんて滅びればいい。巨乳なんて滅びればいい」
言いがかりでも何でもない。巨乳を呪うあまり明らかに無関係な災害を引き合いに出す姿はもはやシュールですらある。
「あ、あー、なんだ、胸大きくてもあんまりいいことは無いぞ? 肩こるしさ」
「それに男の視線を釘付けにしてしまう。罪深いったらありゃしないわね」
「ウボァー」
パチュリーの言葉でデスティニーはよくわからない断末魔らしき言葉を呻いて垂直に落ちる。
「ええとパチュリー様? それは確かにそうなのですが何故このタイミングで?」
「気にしないで、面白そうだったからつい」
じゃあその邪悪な笑いはなんだ。八汰乃は立場が立場でなければそう叫んでいただろう。
ふらふらと力なく浮かび上がったデスティニーは、虚ろな目でぶつぶつと何かを呟いている。
何事かと美鈴が耳をそばだて、聞こえた言葉は。
「―――ナンデ、キョニュウハ、ホロビナインダヨウ?―――」
自分も、胸がなかったらこんな姿をさらしていたのかなぁ。そんなことをあまりの不憫さに心ではらはらと涙を流しながら美鈴は思う。
もっともその答えは、持っている美鈴には、いや、八汰乃にもパチュリーにも分かりはしないだろうが。
「はぁ………地雷女か、本当にどうするかなぁ。うぐぐ、過去に戻ることができれば……うぅ」
がっくりと肩を落とす八汰乃に、答えが分かる組の魔理沙が首をかしげながら言葉をかける。
「ていうか。そんなに落ち込むぐらいなら初めっから言わなきゃよかったんじゃないか。何でわざわざ嫁とか言うかねお前も」
「う。し、仕方がないだろう、言わずにはいられなかったんだ」
「ふぅん……そんなにシンのことが好きってことか。なあ、あいつのどんなとこがよかったんだ?」
魔理沙からしてみれば何気ない言葉に、八汰乃は言葉に詰まり頭をかく。
やがて溜息をついて眉をしかめ出した八汰乃を見て魔理沙も慌てて両手を振る。
「あ、いやその。言いたくないんだったら別に言う必要ないぜ?」
「ああ。いや、すまない、別に言いたくないってわけじゃないんだ。ン、そうだな……」
自分の心を整理するためにゆっくりとうなずく。
できる限り、話す言葉に私情を込めないように。
「他国を侵略せず、他国の侵略を許さず、他国の争いに介入せず。オーブって国の理念だ」
相変わらず虚ろな目のままだったデスティニーが、ちらりと八汰乃を見る。対して感情を込めない硝子玉のような目。
当然だと八汰乃は思う。自分だってデスティニーがオーブの理念を口にしたらきっと同じような目をするだろう。
自分にとっても、ザフトのMSであるデスティニーにとっても。恐らくは、シンにとっても。
どうしたって明るい感情を抱けない言葉なのだから。
「それを、どう思う?」
魔理沙は考え込み、デスティニーは理解したと言いたげに肩をすくめ。パチュリーは一度聞かれたのか何も言わずに黙っている。
結局、一番最初に口を開いたのは美鈴だ。
「まあ……現実的じゃないかなー、とは」
「現実的でない、ですか」
「ええ、まあ。他者と関わるとどうしたって争い事は起きるしね。そういうことを一切なくすってのは正味な話無理だろうなー」
そこまで言い切って。
「……って、思うんですけどどうですかねパチュリー様、私変なこと言ってないですよね?」
「ええ、私に聞かなきゃ完璧だったかもね」
あう、と呻いて口をつぐむ。
実際のところ、八汰乃に以前聞かれた時もパチュリーも無責任且つ非現実的と答えたのだ、美鈴にしては完璧と言ってもいいだろう。
八汰乃はそれを知ってか知らずか、そうですかと小さくつぶやき。
「そうですね、現実的ではない。個人が掲げるのならばともかく国を絡めるべきじゃあない」
だが、絡めた。ウズミ・ナラ・アスハは個人の思想を国に反映させてしまった。そして、その理念を守るために自分が生み出された。
その理念の先に。シン・アスカがいるというのに。
「ですが、そんな理念を掲げていたって他国からしてみれば関係は無い。攻め込まれましたよ、当然」
国を守るためなら生み出されたことに何の疑問も抱かなかっただろう。むしろ誇りすら覚えたと思う。
だが、現実には罪もない国民の命が奪われるという悲劇を生みだしてしまった理念とやらを守るため、だ。
「その時に、シンも家族を失って。オーブに裏切られたと言ったほうが正しいんでしょうけど」
本当に悔しいことだった。もしもあのオノゴロの戦いで自分をM1アストレイの盾にでも蒸着させていたのなら。
守れたかもしれなかったのだ。シンの家族だけではない、討たれてはならない人達を少しでも守れたかもしれなかったのに。
その人達を守ることが、自分だけではなくMSの使命なのではなかったのか。
「嫌いになったってだれも責められるもんじゃないですよ、憎むのだって当然だと思います」
実際、自分だって嫌になった。オノゴロの戦いから二年後にようやくアカツキの装甲として戦場に立った時には絶望すら覚えた。
遅すぎた、本当に遅すぎた。どうしてせめてムラサメの装甲に使ってくれなかったのか。
装甲の全てを自分にするのはコストを考えれば無理だったのかもしれない、だが装甲の一部として組み入れてくれたって良かったはずだ。
理念以外はどうでもいいのか。声を発することができたのならきっとそう叫んだ。
自分だってそうだったのだ、憎んだって当然だと思っていた。
だが。
「でも、シンは。嫌ってはいるんですよ。嫌ってはいるんですけど、なんと言えばいいのか」
「ん、随分歯切れ悪いわね? 貴女らしくもない」
パチュリーの言葉にぺこりと頭を下げる。
「申し訳ありません、うまく言葉にできなくて………ン、そう。嫌っているんですけど、嫌ってはいないんですよ」
「どっちよ」
「ああぁ、すみませんすみません! こんなつもりでは……」
そんな二人のやり取りを見ていたデスティニーは軽く息をつき。
「つまり、心のどこかでオーブを慕う気持ちがあると言いたいのかね?」
「あ、ああそれだ。頭いいなぁお前」
呆れてるのか疲れているのか判別しづらい息をついているデスティニーを尻目に、八汰乃は照れ隠しなのかぽりぽりと頭をかく。
「嫌ったって、憎んだっていいのに。それでも嫌いきれなかったり憎みきれないことはとてもすごいことだって思うんです、強くて誇り高いことだって。だから」
「私はシンのそばにいたいんです。そうすれば自分も強く在ることができると思いますから」
「で、嫁と」
「それはなかったことにッッ」
「過去は変えられんよ? ………ま、それはともかくとして、だ」
何気ない調子でデスティニーは聞く。
「別に、償いだとかは無いわけだな? ただ好きだから、と」
「ん、まあそうだな。償いたいって気持ちも無くは無いが、好きになったのはそれとは関係ないぞ?」
その言葉に満足そうに頷く。その顔は彼女にしては珍しくただ普通の笑みを浮かべていた。
「なるほどなるほど。いやぁ残念だね、もし償いたいからって言ってたらグーで殴ったのに」
言ってることはともかく。
「理不尽だな、お前。んー、でも………意外と心配してるんだな、シンのこと」
「ハッ」
「鼻で笑うこと無いだろ!?」
「なんだって僕があの童貞の心配をしなければならんのだよ? これ以上君に地雷臭を撒き散らして欲しくなかっただけだ」
「………あ、私の心配だったのか?」
「ハン」
「どうしろというんだ」
八汰乃は呆れで、デスティニーは馬鹿にしたように。二人のMSは同時に肩をすくめる。
「僕はただ、アレな女に付きまとわれて平然とできるような度量はシンにはないと言いたいんだよ」
「ノーレッジ翻訳にかけてみるわね。ご、ご主人様に近づいていいのは私だけなんだからねっ」
「………………あの」
「気にしないで続けて頂戴」
何か言いたげにパチュリーを見ていたが、やがて諦めたように溜め息をつく。
「……シンは君が思うほど強いわけではないよ、妙な勘違いをするもんじゃあない」
「ふんだ、貴女なんかより私の方がご主人様のこと良くわかってるんだからっ」
「…………いや、まあいい。僕はシンが好きな訳じゃあない、と言うかあの青臭さは割と好かん」
「け、けど、勘違いしないでよね!? 別にご主人様のこと、好きってわけじゃないんだから!」
「えーとそのなんだあのええとあー。黙れムラサキ」
ギョッギョッギョッ、と不気味な笑いを返してパチュリーはひらひらと手を振っている。
「……ええと。ああそう、好かんがわざわざシンに無理をさせるのもどうかと思うんでね。釘を刺しておこうと思っただけだ」
「まあ分かったが……ふうん? 結局シンを心配してるんじゃないか」
「断じて違うっ、僕はあの童貞の心配をする気なんぞない! 分かったかゴールドシャイン」
「そこを呼ぶなっ。……まあ、そりゃあ私だってシンが言うほど強くないってことぐらい分かってるさ」
分かってるけど。そう呟き唇をとがらせる。
「別にかまわないだろ、勘違いでも強いって思えるんならどこかにちゃんと強さがあるってことだって思うけどな」
「ただの勘違いかもしれんよ?」
「いいよ、それでも。私自身が見たシンを信じる、それで構わないだろ?」
八汰乃の言葉と真っ直ぐな眼に、デスティニーは眉をしかめ唇を尖らせ額に右手を当て左手で後頭部をかき
「百面相も甚だしいわね」
「そんなことは分かってるよムラサキ。……まったく。勝手にすればいいだろう、このゴールドシャイン」
「だからそこを呼ぶなって。……ン、まあ勝手にするさ。シンに嫌がられない程度にな」
「嫁とかな」
「忘れてくれ!」
くつくつと喉の奥で笑うデスティニーに八汰乃は顔を赤くして肩をぶんぶんと揺する。
その姿に武人然としたものは微塵も感じられなかった。或いはこの姿が彼女にとっての素なのか。
そんな二人のやりとりを面白そうに笑いながら眺めていた魔理沙はふと思いついたことを聞いてみる。
「んー、でもさあ。そんなに困ってるんなら初めから嫁とか言うもんじゃないぜ?」
「うぅ……………それは、まあ、その通りなんだが。仕方がないじゃないか、言わずにはいられなかったんだから」
「言わずにはって……おいおい、そんな馬鹿なことあるわけないだろ? 普通我慢できるだろ、ふつーは」
「うぐぐ……い、言わせてもらうがな、恋をするってのはそういうことだぞ! 好きな人を前にして気持ちを簡単に抑えられるものじゃないんだ!」
必死な八汰乃の言葉に、魔理沙はひらひらと手を振る。
「無い無い、絶対無い。少なくとも私は絶対ガマンできるぜ」
根拠? そんなもの有るわけがない。怖いもの知らずな少女らしい言葉である。
「まだまだお子ちゃまねー」
パチュリーがぽつりと零した言葉に、デスティニーは肩をすくめた呆れ顔で嫌味をたっぷりと塗り込めた口調で言い返す。
「まあ今回に関しては君の言う通りだと思うがね、もうちょっと空気読んだらどうだムラサキ」
「あら、さっきのノーレッジ翻訳のこと? 最高に空気読んでたじゃない」
「どこがだっ。最高に空気読めてなかっただろう!」
明らかに機嫌の悪くなっているデスティニーの言葉は、人差し指を振りながらできの悪い教え子に言って聞かせるようなゆっくりとした口調で返される。
「何言ってるの。あのまま続けてたら貴女、相当悲しかったり怒ったりしたでしょう?」
それはそうだが、と返すがパチュリーの言葉の意図が掴めずに訝しげに眉を寄せる。
そんなデスティニーに対してマイペースにパチュリーは言葉を続ける。
「そういうのはつまらないわよ、人生笑顔で生きなきゃね」
薄く、ふ、と笑う。魔理沙の大輪の花のような笑顔とは違う、日陰にひっそりと咲く花のような静かな笑顔。
「だから、私はシリアスな空気を感じたらできるだけブチ壊しにするようにしてるの」
「嫌な性格だなあオイ」
ただし、食虫植物の花だが。
「大丈夫大丈夫、嫌がられる前には止めるようにしてるから。本気で眉しかめられるのは楽しくないわよ、うん」
「………どの道ロクなもんじゃないな。でもまあ、一応は立派な心がけ……なのか?」
「趣味も兼ねてるから私超満足☆」
「ほんっっっとうにロクでもないな!?」
まあ、悲しかったり怒ったりはしないのだから立派は立派かもしれない。
色んな意味で台無しになるが。
そんな二人のやり取りを呆れたような目で見つつ、魔理沙は八汰乃の肩をちょいちょいと叩く。
「なあなあ、さっき言ってたオーブって国の理念? だっけ。色々考えたんだけどさー」
「ふむ?」
「私は、そんなに悪いものじゃないと思うぜ。戦争とかに関わらないで済むってのはなんか安心できるじゃんか」
ぱちり、と。相当意外だったらしく、魔理沙の言葉に八汰乃は大きく瞬きをする。
「うぇ!? な、なんだよ、私変なこといったか?」
「変って言うか馬鹿なことでしょ、白黒は頭が悪いのねー」
「うわぁんよりによって中国に馬鹿にされた―!?」
ぎゃふん、という言葉がやたら似合う、そんな今の魔理沙に八汰乃は慌てて手を振る。
「あ、いや済まなかった、そういう意味じゃないんだ。ただなんというか………まっすぐなんだな、お前」
当たり前のことを当たり前に言う、まるで子供。だが、そんな子供のように思ったことだけを口には出せない。どうしたって常識が邪魔をして言いたいことの十分の一も伝えることができない。
彼女のようにまっすぐでいられたら。きっと八汰乃もシンも、オーブのことでこんなに苦しい思いをすることもなかったろうに。
「なーんか馬鹿にされたような気がする……なんだよ、まっすぐって。単純馬鹿ってことかっての」
「そういうわけじゃないぞ。ン、まあなんだ。私はお前、結構好きだぞ」
「え、そりゃどうも? ……なんか誤魔化されたような」
「そんなことはないって。それよりもさ、お前のことを話してくれないか? 色々聞かせてほしいな、この幻想郷のことを」
「また誤魔化されたような気が………まあいっか。よーし、それじゃあまずは神社にいる貧乏腋巫女からだぜ」
あーだこーだどーだそーだ。女が5人も集まっているのだ、修学旅行もかくやの勢いで非常に姦しく話を繰り広げていたが、時間は当然過ぎていく。
ボーン、と柱時計が時間を告げる。鳴る回数を数えると、
「………うお、もう12時? 早いなー。今夜は泊ってくぜ」
「うーん……あの、いいんでしょうかパチュリー様? お嬢様に言った方がいいんじゃ」
「んー、それもそうね……というか、なんか廊下が騒がしくない?」
話に夢中になって気付かなかったが、確かに何か走り回る音や何か割れる音が先ほどから聞こえてくる。
「賊、なのでしょうか? だとしたら美鈴様、私たちが出張る必要がありますね」
八汰乃はちょうど魔理沙たちの前に姿を現した時と同じ、張りつめた凛とした表情に戻り美鈴に伺いを立てる。
「まあ賊かどうかはともかく、ちょっと見てきますね」
「あ、じゃあ私も行くぜ、なんか面白そうだ」
「じゃあ僕も行くかな、シンのことも気になるし」
野次馬根性丸出しな二人にパチュリーは溜め息をつき、ふと思い出したように呟く。
「―――妹様って可能性もあるわね? まあそれにしては静かすぎるけど」
時間は少し巻き戻り。
「咲夜、行っていいぞ」
「分かりました、それでは失礼いたします」
シンは従者に対して横柄に手を振って退室を促す目の前の少女―――蝙蝠の翼、病的なまでに白い肌、銀とも青とも見える怪しげな髪、白い帽子に一点だけ存在する深紅のリボン、そして口からのぞく牙―――に対して、まず目の前で跪き頭を下げる。
興味深げに視線を投げられたのを肌で感じるがそのまま口を開く。
「まずは非礼をお詫びします。貴女の館に勝手に入り込み、挨拶が遅れたことを深くお詫びさせて頂きます」
部屋を出ようとしている咲夜が意外そうな目でこちらを見ているのに気づくが、構わずに続ける。
「ですが、なにぶん私は脆弱な人間の身。よろしければ今夜だけでも泊めていただけると助かるのですが……よろしいでしょうか?」
魔理沙や霊夢辺りなら確実に額に手を当てそうなシンの言葉に、永遠に紅い幼き月――レミリア・スカーレットは面白くもなさそうに鼻を鳴らす。
ぱちぱちと小馬鹿にするように手を叩きながら詰まらなそうな口調で話しだした。
「はン。随分と躾がなってるなあ、大した犬っぷりだよ」
いきなりの罵倒に流石に面食らう。まあ別に腹は立たないが。
C・Eにいるころには散々クラインの犬と呼ばれていたのだ、別段どうってこともない。
むしろ犬らしく鳴いて見せろと言われないだけマシな気もしている。
「いや、残念残念。もっと舐めた口でも利いてくれると思ったんだがね」
きゅう、と唇が吊り上がる。その表情はまさしく吸血鬼と呼ぶに相応しい、畏れに満ちたモノ。
「そうすりゃあ――――お前を殺してやれたんだがなあ」
本当に残念そうにレミリアは嗤う。
自分の機嫌を害するものを当然のように排除しようとする姿は、傲慢と残酷と、そしてなによりも他者を魅了してやまない資質に満ち溢れていた。
「なるほど、それならば私は正しい選択をしたのですね」
「まあそうだな、そうだが……その喋り方は止めな。正直気持ち悪いんだよ」
「うぐ。………い、いやでも、色んな人にはそう言われてますけどね、一応ほら、顔を立てたりとか色々…………はい、すいません。不評みたいなんで止めときます」
はあ、と落胆の息をつく。なぜにどいつもこいつも自分が丁寧な言葉使いをすると嫌がるのだろう。
ルナマリアには似合わないと真顔で言われヨウランには無言で泣かれヴィーノには爆笑されアーサー艦長には目を逸らされキラには動揺されラクスには額に手をあてられetcetcetc。
そういえばお偉いさんの前でこんな言葉使いしたら「うわ、似合わねぇ」とでも言いたげな顔をされてたなぁ、というか普通に反応してくれたのあの凸ッパぐらいじゃね?
………なんだか思い出すと鬱になってきた。特にまともな反応がよりにもよってあの変態・THE・変態、アスラン・ザラだと言うところが何よりも鬱だ。
だが、いくらまともに反応してくれるのがあの変態一人だとしてもやらないわけにはいかない、少なくとも国家元首にタメ口利いたり暴言吐いたりした過去が黒歴史になるまでは続けないと。
「ふん、まあいいがな。にしたって、もっと命知らずな奴かと思ったんだが……何よ、意外と玉無しじゃないか、なあ?」
「挑発せんで下さいよ……別にいいでしょ、俺はまだ死にたくなんかないですよ」
「随分と臆病じゃないか、もっとカッコいいところでも見せたらどうなんだ?」
「だから挑発はよしてくださいって。俺は……俺は、どんな命でも生きられるんなら生きたいんだって思いますけどね」
言い終えて、少し照れ臭くなって鼻をこする。どうにもまだまだ自分は当たり前で普通のことを照れずに言えるほど未熟さが抜けていないらしい。
この言葉を言ってくれた親友なら、もっと当たり前に普通に言えるのだろうけど。
「……まあ、友達の受け売りですけどね。けど、カッコつけるとかつけないとか、そういうことじゃなしに一般論だって思います」
何も言わずに、レミリアはシンをじっと見ていた。
が、すぐに鼻を鳴らし大仰に芝居がかった仕草で手を大きく広げる。
「立派だねぇ、ああ立派立派、とんでもなく立派だよ。立派すぎて笑えてくるね、いやいや、立派だよホント」
ケタケタとおかしそうに笑い、ひとしきり笑い終えて息を一つ吐き。
がつん、と音が聞こえそうな勢いでシンの頭を足蹴にした。
「なに、を」
痛みで顔を歪める。童女のように見えてもレミリアは吸血鬼だ、その気になれば岩も蹴り砕ける。
「ん? 何って。いや、お前が立派だからね。私はそういう奴のプライドをへし折るのが割と好きなのよ」
「そいつは、いいご趣味でっ。満足したんなら、どけてもらえると、うれしいん、です、け、ど、ね」
途切れ途切れになってしまう言葉に、レミリアはますます笑みを深めていく。
こんな状況でなければ、見惚れるのが当然な愛くるしい笑顔。
「あはは、馬鹿言うなよ、まあだまだ満足しちゃいないさ。しちゃあいないが」
頭にかかっていた痛みと重みが急に無くなる。足をどかしたことに理解が及び何のつもりかとレミリアを見上げる。
と、シンの顎に何気なくも優雅にレミリアのほっそりとした―――いつのまに靴を脱いだのか、素足になっていた―――足が添えられる。
「――――――舐めな」
「っ」
顔が引き攣る。そんなシンの反応に気を良くしたのか、飼い犬を褒めるように足で顎をさする。
「ああ、別に嫌ならやらなくてもいいぞ。やらないんなら殺すだけだしな、どう転んだって私は楽しいからお前は気にしなくていいわ」
理不尽。軍にいたのだ、それなりに理不尽な人物とも関わりはした。だがその中でも最も大理不尽。
どうする、と自分に問いかける。自分だって男だ、こんな少女の足を舐めるのは流石にプライドに障る。何より言われるがままというのが一番苛ついてくる。
霊夢から聞いた吸血鬼の能力を総合して考えれば逆らったとしても、まあ勝てないまでも「切り札」を切れば逃げ切ることも不可能ではないとは思う。
本気で逃げに徹すればたとえフリーダムが群れをなしていても逃げ切れるだけの自負はある。ある、が。
(巻き込むよなぁ、やっぱり)
魔理沙。自分一人なら確実でも、彼女がいるとなると途端に無理が出てきてしまう。
別に魔理沙の逃げ足を信用していないわけではないが、完全な意思疎通、或いは掌握ができないというのはやはりつらい。
次の行動を予見しきれないのでは下手を打つと自分の行動で魔理沙が窮地に陥る―――もしくはその逆も―――ことだって有り得るのだ。
例え九割九分九厘問題無いとしても。絶対でないのなら。
自分のつまらないプライドと命。選ぶべきはどちらか。
―――最初から決まっている、考えるまでもない。
すう、と息を吸い。はあ、と吐く。それで腹は括れた。
表情の消えた顔で、ゆっくりと白魚のような足に舌を伸ばし――――
ぴちゃり。
ぴちゃ、ぴちゃと犬がミルクを舐めるような音にレミリアは嗜虐心に満ちた蕩けるような笑顔を浮かべる。
まるで恋をしているかのようなその顔。本当に愉しくてたまらないのか、本人も気づかないうちに声が漏れている。
「ふふっ、はは」
ぞくり。ぞくり。
背筋が粟立っていくのが感じる。こうまで昂るのは咲夜が跪いた時か、それとも霊夢を下した時か。
まあどちらでも構わない、こうまで昂っているのにごちゃごちゃと理性的な考えを巡らすのはつまらないことだ。
だから、今は愉しみに至高を集中させるのが一番利口なことだろう。
「ははっ」
ぴちゃり。
「はははっ」
ぴちゃり。
「はは、あはは」
ぴちゃり。
「あははははははは――――」
ぴちゃり。ぴちゃり。ぴちゃり。ぴちゃり――――――
少女の嗤い声とぴちゃ、ぴちゃという音は、紅い館の暗闇に呑まれ――――そのまま、消えた。
最終更新:2010年01月18日 17:53