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近すぎて触れられない

「ミッドにも梅雨ってあるんかなぁ」

窓をパタパタと音を立てて叩く雨を眺めながら、山ほど重なった案件から少しだけ気を逸す様に、八神はやては呟いた。
事務仕事をする時、掛けているとはかどる気がするからという理由でしている伊達眼鏡をはずして眉間を少し揉みながら
故郷の日本を瞼に写した。
ここ数日間、休みを忘れたかの様に降り続く雨は今も止む気配は無い。
六課解散後、皆がそれぞれの道を力強く歩き出してからどれほど経っただろうか?
相も変わらず自分は忙しく走り回っている。

「偉くなるってのも考えモンやな」

彼女の小さな体に纏わり付くしがらみは、登れば登るほどに増えていった。
気の赴くままに何処かへと行ってしまいたくなる事がある。
実際にそんなことなど出来るはずも無い。
いや、やってしまう事は出来るが、はやてはそんな事が出来る様な人間では無いと言うべきか。
集まった元部下達は皆優秀であり、その活躍は誰と無く耳に入れてくれる。
それを聞くたびにはやては嬉しくなり、そして自分もやらねばいけないといった気持ちになるのだ。

副官を務めたグリフィスは本局次元航行部隊に転属し、バリバリの事務屋として鳴らしている。
そしてもう一人。 六課解散後、正直な所あまり行く場所の無かった彼は今もなお、部下として付いている。
魔法の魔の字も出ない彼は六課在任時、完全な生身の格闘教官を務めながら副官補佐として勉強を重ねていた。

元々が努力家なのだろう。
真綿が水を吸うように知識を吸収し、その豊富すぎる戦場の経験もあってか、メキメキと
指揮官としての才を見せ始めた。
少ない情報から確実に現場の状況を理解し、組み立てる様は正直な所憧れすら持って眺めていた。

あれは一つの才能だろう。
豪胆な心臓と繊細な感情は奇跡のように両立し、自らの経験も相まって戦場の指揮官としては理想的な人物だった。
本当は自分も戦場の最中へと飛び出していく性格なのだ。
それを必死で押さえ込み、血が滲んで震える拳はCICの中に居る

人間の心を捕らえて離さない。
事実として、J・S事件の中盤以降は彼の立案した作戦に私が判を押すという形態が常で有り、私を含めたすべての人間がそれを受け入れていた事実がそれを物語る。

しかし彼は戦場のに生きる軍人としては最高ではあったが、政治家ではまったくと言っていいほどに無かった。
事務仕事はそこそこに出来るが、如何せん彼は世渡りが下手だったのも災いした。
真っ直ぐ過ぎる心は美徳以外の何物でもないが、気高い精神だけでは上へと昇ってはいけない。
寝技や政治的な搦め手はその心が許さず、過去に積み上げた実績も無ければ強力な後ろ盾も持たない。

早い話、ポッと出の風来坊なのだ。
そして蛇蝎の如く忌み嫌われる質量兵器の使い手であったという過去。
それだけならばまだマシだったが、元エースという称号はミッドにおいては栄光のそれで無く、大量殺戮者のレッテルでしかない。

聖王協会やハラオウン家の威光は私の時で大分目減りしている。
これ以上の干渉は管理局での彼らの立場が危うくなる。
借りを作りすぎるのは毒でしかない。
何よりも彼自身がそれを望まなかった。
本心を言えば、はやては部下として彼の下に付きたかった。
彼が出来ない政治家を自分がやればそれでいい。
機動六課を強引に作り上げた自分の政治力には自信がある。
官僚としてグリフィスを迎え入れ、直属の部隊としてヴォルケンリッターの騎士を組み込み、エースオブエースと金の雷光を両腕に従えて彼は現場で思う存分に戦い、指揮し、輝かしい道を歩む。

本気そう思っていた。 あの時の六課に関わったほぼ総ての人間がそれを夢想した。 
そんな夢を描かせるほどに彼は真摯で、有能で、志高く、気高かった。

「ホンマに嫌な雨やなぁ…… 纏わり付くようや」
「そうですねぇ」

傍らのリィンにぼやいてみても、何も変わりはしない。
元部下や親友達について考えていたはずなのに、気が付けば頭は彼の事だけを考えていた。
解散後、それぞれが自分の希望の部署へとすんなりと行けたのは六課在籍という手柄があったからだ。
はやての指揮官としての功績など無いに等しかったが、それでも名目上の指揮官は彼女だった。
真偽のはっきりとしない情報、矢継ぎ早に起きる不測の事態、錯綜する戦場。
後手後手に回る状況で自分が思いついたのは下策だけだった。

事件後、彼の功績は目に見える形では残っておらず、加えて私を含む隊長陣のネームバリューが仇となった。
幼少時より管理局で名を上げた私達と、ポッと出の元殺戮者。
管理局と大衆が望むのは前者だった。
苦悩する私達を見て彼は自分から手柄など要らない、守れたという事実があればそれでいいと答え、少し悲しそうな顔をした後退席した。
今考えてもあの悲しみがなんだったのか、はやては理解出来ないでいる。
他の部隊からの招聘を断り、捜査官とし戻る際に貰った土産が彼だった。
このまま埋もれさせてしまうには惜し過ぎる才だったし、はやて自身の感情もあった。
それは彼の持つ気高い精神と苛烈な生き様に対する憧れと、年下でありながら自身が想像した兄の様な優しさに対する思慕。
時折見せるどこか破れた様な悲しい笑顔と澄んだ紅い瞳。
かと思えば幼さの残る弾ける様な笑顔。

憧憬とやすらぎと保護欲はやがて混ざり合い、初恋は形を変えて愛へ成長した。
自分の下で実績を積ませ、いつか自分を追い越して高みへと登らせたいと思いながらもこのまま自分の下から出て行って欲しくないとも思う。
結局自分がどちらを望んでいるのか分からなくなり、口に出たのは

「たぶん…… どっちもなんやろなぁ、はぁ…… わからんモンやな」
「なにがですか? はやてちゃん?」
「ん~、なんでも無いわ。 仕事しよか」
「はいです!」

分からないという結論と仕事の再開を告げる宣言だけだった。
コンソールと流れるように滑らせ、先に解決した事件の報告書を手早く打ち込み始め、やがて作業に没頭していた1時間ほど経つと無遠慮にドアがプシュッっと小気味よく開いた。
ほとんど終わった文書の作成画面から目を離すと、見えたのは昔の様なボサボサ頭ではなく、少しオールバック気味に後ろへと流す様にしたヘアスタイルと親友と似て非なる血の様に紅い瞳。

「はやて一人か? まだ終わってないのかよ」
「一人じゃ無いです! リィンもいるです!」
「はは、悪い。 見えなかったよ、小さくて」
「きぃぃぃぃっ! リィンは小さくなんてないです!! あえて小さいだけです!!!」
「結局小さいじゃん」

ドアと同じ様に無遠慮な挨拶をした愛しい人は、軽い漫才をした後むきぃぃぃとむくれるリィンを軽くなだめると、何時の頃からか彼女の指定席となった頭頂部に座らせて、手に持った二本の缶コーヒーの内一本を差し出しながら口を開いた。

「飲むか?」
「ん…… 貰うわ、もうほとんど終わりや」
「了解、んじゃ待つよ」
「十分で終わらすわ」

再度了解と告げ、申し訳程度に置いてある来客用ソファーに腰掛けるシン・アスカを見て、はやてはじんわり幸せになった。

「なんで笑ってるんだ?」

知らんわ、と答えを返すとはやては少し温くなった缶コーヒーを啜って、聞こえないように呟く。

「ホンマにもう…… 知らんわ…… 人の気も知らんと好き勝手言うんやから」

デスクに立てかけてある写真立てには、駐車場でバイクと一緒に笑う彼と、明らかの通りがかりのはやてがわずかに写っている。
そっと気づかれない様に、自然な仕草で写真立てを見えないように倒したとき、写りこんだ自身の頬は嬉しそうに笑っていた。

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最終更新:2010年08月08日 16:56
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