「相変わらず殺風景な部屋だね」
「開口一番がそれか。寧ろ男の一人暮らしにしては綺麗だって褒めてほしいところなんだけど」
「何もないだけじゃん」
「そう言うなよ、あんまり物を飾るのは趣味じゃないんだ」
ソファーに無遠慮に座ったまま、パタパタと足をぶらつかせるヴィヴィオはそのままに、シンはキッチンに向かう。さっさと手の中の袋を片付けたかった。
ジャーキーをテーブルに投げ捨てるように置くと、酒瓶を無造作に冷蔵庫に突っ込んでしまう。
小さな冷蔵庫はそれだけで既に手狭な感が否めない。
ミネラルウォーターのペットボトルとミルク。
野菜は昨日丁度食い尽くしたばかりだと、酒瓶を二本入れてもまだ余裕がある冷蔵庫の中を見てシンはようやく気付いた。
ヴィヴィオが帰った後で買い物に出かけよう。
食材を見繕って調理する気力も無いから出来合いのものでよいだろうか。
水のペットボトルと牛乳のパックを手に取ると、足で扉を閉める。
「あ、行儀悪いんだ」
視線を巡らせてみれば、ソファーで寝転んだヴィヴィオはリモコンを片手に、得意げな視線をシンに向ける。
つんと上向いた形の良い鼻梁が生意気な仕草を愛らしく見せている。
物音が無いのが寂しい故か単なる手持ち無沙汰故かヴィヴィオはチャンネルを適当に回していくだけで、視線はシンの方を向いていた。
「ママってば私がそれやると怒るんだから。『はしたない!それに冷蔵庫が汚れるでしょ!』って」
「相変わらず生真面目な人だな」
「飲食店の娘だもんね、一応。そういうのには細かいんだよ」
真新しいキャップをひねると、ケトルに注いでやる。
機能的で、赤一色というシンプルなデザインをシンは随分と気に入っている。
フィルターを用意して、コーヒー豆の入った缶を開ける。
嗅ぎ慣れた香ばしい、何処か焦げ臭いような独特の匂いが鼻に控えめに絡みつくようで心地良い。
沸騰した湯で、フィルターを一度湿らせ、温めると、豆を一掬いフィルターに入れ、ゆっくりと注いでやる。
ドリッパーからゆったりとしたコーヒーが抽出される音が小さく響く。
ぼんやりとドリッパーに視線を向けているシンの視界に赤と黄色の鮮やかな色が入り込む。
「ハイ、カップ」
いつだったかヴィヴィオが買ってきた揃いになったマグカップ。
友達と買い物に行った際に、ヴィヴィオは偶然このマグカップを目にした。
手に持ってみると手に馴染む上に、自己主張も強すぎない。
他にも橙、青、白、黒、桃とあって、ヴィヴィオは即座に手持ちの資金全てをはたいて買った。
思い切りの良いのはどちらの母親に似たのか。
多分どちらもか、とシンは一人納得する。
それぞれ色違いのカップはヴィヴィオが懇意にしている人に配られたそうだが、自分の分をシンのと一緒に手土産にしてくるあたり、いつでも遊びに来るという意思表示を何よりも顕著に表している。
ちゃっかりしたものだと呆れるべきなのか、要領の良さに感心するべきか、ストレートに感情を露にしても少しもいやらしさの無い彼女の快活さを尊ぶべきか。
「ん。つーか、いつの間に把握してるんだよ、ウチの食器の配置」
「何を今更。あ、ミルク入れる気?」
「ああ、お前の分だけな」
黄色のカップの中ほどまでにミルクを入れると、レンジに軽くかける。
折角いれたカフェオレがミルクの冷たさで冷めてしまわないようにするためだ。
温まったミルクに熱々のコーヒーを注ぐと、ゆっくりと砂糖を入れて掻き混ぜてからヴィヴィオに火傷に気をつけるように手渡す。
スティックシュガー一本と半分。
こんなものだろうかとシンが思っているとアヒルのように尖らせた唇が目に付く。
恨めしそうなオッドアイが上目遣いに見つめてくる。
「私もブラックが良い!!」
ヴィヴィオはシンの手元の赤いマグカップに目をやる。
思わずシンの口から溜息が洩れる。
「そういう台詞は鬼瓦みたいな顔してブラックを飲まなくなったら言え」
「誰が鬼瓦よ」
頬を膨らませるヴィヴィオにシンは犬歯を見せて笑うと、一丁前に皴の寄せられた眉間を指でつつく。
「お前だよ。それ以外に誰がいる?ホラ、運んでくれよ自分の分くらい。いらないのか?」
「いるわよ。誰がいらないなんて言ったの。どうしてそう意地の悪い言い方するかなぁ」
「お、そうそう。子供は素直が一番」
「子供じゃないわよ、私。もう働けるもの。それにすぐにそうやって子供扱いして煙に巻く大人って嫌いだな」
黄色のマグカップを両手に包み込むように持ちながら膨れ面をするさまはどう見ても歳相応の子供の姿にしか見えない。
苦笑をかろうじて噛み殺しながら、シンは自分の分のカップを手に、リビングのカーペットに腰を下ろす。
ヴィヴィオも勝手知ったるとばかりにソファに腰掛ける。
ソファをヴィヴィオが使う為、彼女とテーブルをはさんで向かい合うのに都合が良いのだ。
「子供って呼ばれて不貞腐れているウチは本当に子供だぞ」
「一般論?」
「経験論だ」
それ以上言う事はないとばかりにコーヒーを澄ました顔で啜るシンを横目に、ヴィヴィオも息を吹きかけながら慎重に小麦色の液体を口にする。
舌を微かに焼くような熱さと共に覚悟していた苦味は香ばしさへと姿を変えて、口の中に広がると一瞬だけ遅れて柔らかい甘みが舌の上に染み込んで行く。
自然と綻ぶ頬の緩みを押しとどめようとするものの、ミルクの優しい味わいと共にコーヒーの風味がヴィヴィオの鼻腔をくすぐる。
「旨いだろ?脂肪分のちょっと多めの牛乳入れると違うんだ」
「女の子に嬉々として脂肪分とか言わないでよ。デリカシー無いなぁ」
「じゃあ、飲むのやめるか?」
「飲む。飲みます」
マグカップを奪い去ろうと伸ばされたシンの手から庇うようにカップを胸の前に抱え込むと、ヴィヴィオは警戒するような視線を向ける。
当然、それはシンにとっては些細な意地悪に過ぎなかったのだが、あまりにも本気でカップを死守する様に噴出す。
ようやくからかわれた事に気付いたヴィヴィオが眉間に皴を寄せる。
昔からシンはこういう意地の悪さがあったと、何かを思い出すようにカフェオレを噛み締めるように飲む。
「で、今日は何しに来た?またお母さんと喧嘩したか」
シンは一口コーヒーの味を確かめるように舌に馴染ませるようにゆっくりと飲むとジーンズのポケットからクシャリと不恰好に歪んでしまった煙草の箱を取り出す。
トンとテーブルを軽く叩くと、フィルターが覗く。
煙草を吸おうと、抜き出しかけた一本をシンは一拍間を置いてから指の腹で叩いて戻す。
それが自分に気を遣っての事だと知って、ヴィヴィオは知って、小さな優越感に浸る。
こうして、このぶっきらぼうな大人が数少ない心遣いをしてくれているという事への優越感。
しかし、同時にその優越感が誰に向けられたものなのか、そこはだけ考えないようにする。
「いつも喧嘩しているみたいな…まぁ、そうですけど。でも、のっけから呆れたような顔って無いと思う」
「悪かったな。疲れてるからってことにしておいてくれ。それで?何かあったか」
「帰りが遅いとか、進路の事とか…切欠は進路のことだったんだけど、あくまでも切欠で、そっからは日頃の不平不満がぼろぼろって」
「随分とアバウトで根の深い問題だな。進路って言ったって、高町さんってそんなに押し付けがましい母親でもないだろ?」
「そりゃあ、ママは他所みたいにああしなさい、こうしなさいって言わないけど……でも何て言うんだろ。当然の事みたいに言ところが」
「出来て当然みたいな、そういう意味か」
「出来てというかして当然…みたいな」
苦虫を噛み潰したように顔をゆがめているのはきっと何かを思い出したからだろう。
ヴィヴィオは、残り少ないカフェオレとシンの顔を交互に見つめる。
シンは、手の中にあるマッチをもてあそびながらなのはの顔を思い浮かべていた。
そういえば、彼女とはどれくらい会っていないのだろうか。
ヴィヴィオの小学校の卒業式で会った時以来であると、暫しの間を置いて思い出す。
「何かね、あの人の中にダラ~って時間を過ごすとか、ウダウダするっていう概念が無いのよ」
あの人と、なのはを言い表すヴィヴィオに、彼女が本格的に苛立ちを覚えていると、シンは鈍感ながらも感じ取った。
ヴィヴィオはカップの残りを飲み干すと、深く息を吐く。
苛立ちを堪える仕草が、シンには何処と無くシグナムやティアナといった気性の女性を思い出させた。
どうして彼女の親であるなのはではないのかと。
疑問に思うものの、よくよく考えれば覚えている限りなのはやフェイトが苛立ちを堪えている場面に出くわした事がない。
記憶の引用先も当然その他になってくるのだ。
『私から口を挟む事なんてないよ。そんな、何処の学校に行けだとか、これを習いなさいなんて言いたくないし。私もそんなにお父さんやお母さんにあれこれ決められた事なんてなくて、そのおかげで子供心に凄く自由に、伸び伸びと自分の道を歩けたって思ってるからね。だからヴィヴィオにも同じようにしてあげたいの。それに将来の夢は決まってるんでしょ。じゃあ迷う事なんて無いよね。後は、その目標に向かってずっと頑張り続けるだけだもんね。だから、今度ママにも聞かせてね、ヴィヴィオの夢』
「って、こうなんだから」
シンには一言一句間違わずに言い切ったヴィヴィオを賞賛すべきか、それとも自分の知っているなのはとは全然違う、母親をやっているなのはに驚くべきか、俄かには判断がつかなかった。
ただ、今の言葉がヴィヴィオの誇張や、補填、解釈、改訂を一切交えていない言葉だとすれば、なるほど、確かにヴィヴィオが耐え切れないわけもわかる。
それは、シンだからこそわかった事なのかもしれない。
フェイトでもはやてでも、ティアナでもスバルでもわからないかもしれない。
だからこそ、この少女はフェイトでもはやてでもなく自分のところに来たのだ。
「それは何ともまぁ…… ――― 重いな」
「シンさんもそう思うでしょ?やっぱりそうだよね」
同意を得られた喜びに、ヴィヴィオの柔らかい頬が薄紅色に染まる。
「だからね、私は言ったの。『今はまだ、はっきり決まってないの。決めようって焦ってもいないの。色々試してみたい事があるから』て、だから話せる夢なんてまだ無いよって」
それはきっとヴィヴィオの率直な本心だったのだろう。
『夢もやりたいこともないのに、どうやって進路を決めるの?』
それに対してなのはが言い放った言葉がこれだった。
これはきっと酷く穏やかな物言いだったのだろう。
本当に、心からわからない疑問を口にするように。
けれども、それはヴィヴィオにとっては呆れと嘲笑交じりに感じられたのだ。
勿論、なのはがそのような母ではないとわかっている、自分の娘を馬鹿にするような母ではないと。
それでも、その時のヴィヴィオの勘には障ったのだろう。
幼い頃から夢を持ち、その夢に向かって邁進してきたなのは。
才能に恵まれ、努力を止めず、ひたすらに、ひたむきに、がむしゃらに進んできたのは昔から噂に聞こえていた。
努力に応じて才能は開花し、開花に応じて視界に広がる頂は濃い輪郭を帯びてきたであろう。それはなんとやりがいに満ち満ちていただろうか。
結果が問題ではないという言葉を聞くが、それでも結果が伴うに越したことは無い。
自分の想いと努力に応えるように、積み重ねてきた道のりが結果として残る。
報われる努力、歓迎すべき才能。
それらはきっと、なのはの夢をゆるぎなくし、同時に迷いを削ぎ落としていっただろう。
迷いを削ぎ落とすと言えば聞こえは良いが、それはつまりは目移りの機会を摘み取るということ。
わき道に逸れるリスクを捨てる代わりに、新しい可能性との出会いというメリットを放棄することでもある。
「何か無性にカチンって来て。そっから門限よく破るっていう話になって……」
『大体最近のヴィヴィオは何してるの。門限破ってばかりで、夢も無いなら一体何をしてるの?』
『そんなのママにいちいち言う事じゃないでしょ!大体門限7時って何よ。門限っていうのがそもそも古いのよ!!』
『年頃の女の子が何言ってるの。もっと自覚を持ちなさい』
『自分が仕事一筋だったから遊んでなかっただけでしょ!8時とかまで遊んでるなんてみんなやってることだもん!!』
「売り言葉に買い言葉の応酬っていうわけよ」
心の底からと言わんばかりの溜息。
「もっとヴィヴィオは色々手にとって矯す眇めつ眺めていたいのにな」
「うん」
「見比べたりし、まだまだ迷ってたいのに、なのはさんは理解出来ないんだろうな」
ヴィヴィオは黙って頷く。
両側で小さく結ばれた髪が小型犬の尻尾のように揺れる。
何故迷うのか。自分の夢を見つければ、あとは進むだけじゃないのか。
なのはには、きっとあれこれ目移りしてしまうという気持ちが理解出来ないのだろう。
頭ごなしに否定するのではなく、純粋な疑問として。
彼女の持つ一途さ、走り続けられる一途さと不屈な精神は美徳だ。
けれどもそれは一歩間違えれば強者の傲慢な理屈に摩り替わる。
彼女の持つ人的魅力、華やかさ――― カリスマにあてられた高町なのはのファンにとってその強さは彼女という英雄を際立たせるフレグランスの効果となっている。
けれども、一歩間違えてしまうだけで、走り続ける事を当然と思えない人間にとっては残酷な刃ともなるのだ。
一歩間違えてしまったシンだから、高町信者になった覚えの無い彼にはそれがやけにはっきりとわかる。
「それにしてもお前さぁ、そういう相談…つか愚痴みたいなの言う相手っていないのか。この前みたいなオヤジと付き合ってるくせに」
溜息交じりにシンがちらりとヴィヴィオを半目で見やるのに、ヴィヴィオの頬が引きつる。
「援交するなとは言わないけどさ、もう少し相手は選べ」
この前みたいに助けてやれるとは限らないんだからな、とシンはヴィヴィオから視線をはずすとカップに口付ける。
「お前の容姿だったら選び放題だろう? 俺よりも万倍相談好きの説教上手なヤツなんているだろ」
「キンパチ先生みたいな」というシンの言葉に「誰よそれ」とヴィヴィオ。
「付き合ってるって、別にあのおじさんはただの知り合いだもん。たまに映画みたりカラオケ行ったりして、ご飯に連れてってもらって…援交ってすぐにそういう言葉にしたがるなんてオヤジの証拠だわ」
「へいへい、そうかい」
「何かムカつくなぁその言い方…」
「友達とかには聞かないのか。もしかしていないのか」
「いるもん。アドレス帳いっぱいだもん。男友達だっていっぱいいるもん」
「お前程ほどにしとけよ。ボーイフレンドが多いのは結構だけど………まぁ、刺されないようにな」
「何想像してるのよ!いやらしい」
シンが本心で言ってるわけではないのは、半笑いの口元でわかる。
これは半ばスキンシップと化したやりとりだった。
シンは昔から、こういう遠慮の無い意地悪をしてくる。
ヴィヴィオの中に、シンに対して子供の頃より抱いていた違和感が浮上する。
彼女を子供扱いする者はそれこそ後を絶たないものの、それは同時に大切な『姫君』としてのニュアンスを含んでいた。
彼女の出生からすれば、彼女を蝶よ花よと、壊れ物の如く丁重に恭しく扱うのも無理は無い。それがわからぬほどにヴィヴィオは既に子供ではなかった。
そして、なのはやフェイト、ティアナやスバルといった親しい人間にとっては目に入れても痛くないくらいに可愛い存在として、やはりヴィヴィオは姫君であった。
そんな中にあって、当時から多少趣が異なっていたのがシンという目の前の男である。
幼い頃のヴィヴィオには、構ってくれる年上のお兄さんの一人でしかなかったが、年を経るにつれ、それまで見過ごしていた微かな違和感に気付き始めた。
彼は、ヴィヴィオを聖王ではなく、単なる知り合いの娘、普通の女の子として接しているからであった。
だからこそ、子供扱い一つとってみても、どこかこそばゆいものを覚えるのだ。
このこそばゆさ、居心地の悪い居心地の良さとでも言うべき感覚を味わうために自分は此処にきているのかもしれない。
それを素直に認めるのは正直、些か ―――― 否、些かならず遺憾であるが。
「さってと…」
ヴィヴィオは立ち上がると、ソファーに置いていたリュックと一緒に置いていたビニル袋を手に取る。
怪訝そうなシンを気にすることなく、空になった二人分のマグカップを手にキッチンへと向かう。
「お夕飯まだでしょ?高町家秘伝のナポリタン作ってあげる」
「ハァ?何だそりゃ。っていうかお前晩メシ食ってくつもりか」
「大丈夫大丈夫。今日調理実習があったから、余り物がいっぱい出たんだ」
「そこじゃねぇって………ああ、もう好きにしろ」
自分の言葉に耳を傾けることなくキッチンに立って制服の上からエプロンまで着付け始めたヴィヴィオに、遂にシンは折れる事にした。
人の話を聞いてるようで聞かずに、自分の主張だけはきっちり通す辺りは、やっぱりなんだかんだで親子していると、今のヴィヴィオに言ってしまえば意固地になって泊まると言いかねない。
せめてもの抵抗に、シンはテーブルに投げ出していた煙草を手に取ると、口に咥えた。
最終更新:2010年08月08日 18:11