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藤原妹紅の章~不死の鳥と普通の少年~前編

 ――なんということだろう。
 迷いの竹林のとある小屋の中、貯蔵庫を覗き込んだまま妹紅は一人立ち尽くしていた。
 ない。見事なまでに何もない。
 暑い日が続くからとこの間一気に中身を片付けたのはいいが、それからしばらくは慧音のところでいろいろと世話になっていたこともありすっかり忘れていた。
 くぅ、と腹の音が鳴る。誰に聞かれたわけでもないのに気恥ずかしくなり真っ白な肌に朱が差した。

「どうするかな……」

 案其の壱、また慧音のところで厄介になる――却下、いくらなんでも情けなさすぎる。
 案其の弐、そこいらにいる兎を狩って食う――駄目だ、余計な騒動を呼び込む可能性が高すぎる。
 案其の参、現状維持――正直、餓死は辛い。

「むぅ」

 ――困った、いい案が浮かばない。
 しばらくうんうんと唸っていたが、しばらくして諦めの息を吐く。
 仕方ない、頭突きと説教を覚悟して人里に行こうと考えたところで。

「お?」

 玄関に下げられた鈴が風も吹いてないというのに凛とした音を奏でる。
 それを聞いた妹紅はさらに重い溜息をついた。

「こんなときに……まぁこっちの都合なんて知らないんだから仕方ないけど」

 愚痴っていてもしょうがない。呼ばれたからには早く行かなければならない。
 そう考えているうちに、二度目の腹の音が響いた。

「うぅ……ひもじいよぉ」

 少しだけ泣き言を吐く。そうしなければ『あいつ』の前で漏らしてしまいそうだった。

「――往くか」

 数秒ほど項垂れて、顔を上げる。
 すでにその表情からは空腹による辛さなど微塵も感じさせなかった。
 足取りも普段と変わりなく、しっかりとした歩みを見せる。
 どこからどう見てもいつもの藤原妹紅だ。

 ――人それを、「やせ我慢」と呼ぶ。

 ということはあえて考えないようにした。

 ……迷いの竹林の入り口から少し進んだところで、シンは抱えていた風呂敷を一端地面に下ろした。

「さて、と」

 懐にしまっておいた鈴を取り出し、数度鳴らす。
 音色が竹林の奥深くまで響き渡り、残響すら聞こえなくなったところで、眉をひそめる。

「……来ないな」

 いつもならすぐにやって来るのだが、今日はかなり遅い。
 一抹の不安を覚えて振り向くと、すでに自分が歩いてきたはずの道すら判別できなかった。
 いくらなんでもそれは、と思ったがすぐその原因に気付く。
 ……霧だ。
 白い靄は辺り一面を浸食していくように広がっていく。
 何度かこの場所を訪れたシンではあったが、さすがにこの自体は初めてだった。

「おーい! 妹紅ー!」

 焦りを孕んだ声でその名を呼ぶ。だが返事はない。
 じわじわと追い詰めるように迫ってくる白い闇がさらにシンの精神を不安定にさせていた。

「妹紅! 聞こえないのか!? 妹紅!」

 やはり返事はない。また鈴を鳴らしてみるかと考えたところで、上から「ギシッ」と枝が軋む音が聞こえて顔を上げる。
 そして、

「――人の名前をそんなに連呼するなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「ぐはっ!?」

 声と同時に頭上から降ってきた足にシンの顔面を蹴りつけた。
 派手に地面を転がったが、すぐさま身体を起こして怒声を上げる。

「何すんだよいきなり!?」
「煩い! こっちはこっちで事情があるのよ!」
「人の顔を蹴るような事情かよ!?」
「だって恥ずかしいじゃない!」
「他に誰がいるっていうんだよここに!」

 「むきー!」と怒る妹紅と突っ込みを入れるシンの言葉の応酬が続く。
 やがてぜぇはぁと互いに息を吐きながら、なんとか落ち着きを取り戻した。

「……で? 何の用よ。大したことじゃなかったら燃やすわよ」
「理不尽に物騒だなおい……いやさ、慧音から食料だの何だのを届けてほしいって頼まれてさ。ほらそこに」
「よし行こうすぐ行こうさぁ行こう」
「は? ってうおおおあああああああああああ……!?」

 問答無用でシンの襟首と風呂敷を掴み、妹紅は竹林の間を縫うように飛翔する。
 霧の中に残されたのは、響き渡るシンの悲鳴だけだった……

「ったく、腹が減ってたならそう言えよ」
「面目ない……」

 縮こまる妹紅に呆れながら、シンは米粒一つ残っていない腕を片付ける。
 強引に小屋まで連れてこられたシンが最初にやったことは、その暴挙に文句をぶつけるのではなくぱたりこと倒れてしまった妹紅を介抱することだった。
 すぐに空腹で気を失ったと分かり、溜息をつきながらも適当に食事を用意した。
 目を覚ました妹紅の見ていて気持ちの良いほどの食べっぷりを半目で眺めつつ、ようやく最初に言いたかったことを言えたというわけだった。

「いやしかし、助かったよ。危うく死ぬとこだった」
「慧音に感謝しとけよ」
「はいはい。っていうか慧音は?」
「どうしても外せない用があるとか」
「なるほどね。そしてシンはあんなに慌てる羽目になったわけね」
「言うな……」

 思い出すとかなり情けなかった自身の姿に肩を落としつつ、二つの湯呑と急須を運ぶ。

「ん、ありがと」
「どういたしまして。命の恩人にはこれくらい当然ですしー」
「拗ねるな拗ねるな」

 笑いながら妹紅は茶を注がれた湯呑を受け取る。
 熱くはなく微温湯程度の温かさ、それは人の体温に似ていると妹紅は思った。

「……そういえば、こうしてここで二人でいるのも久しぶりね」
「ん? あぁ……そういえばそうだっけ」
「最近は人里で会うことの方が多いし」
「そりゃ、俺はあっちで暮らしてるからな」
「懐かしいねぇ」
「そうだな」

 お互いに口数が少なくなっていき、茶を啜る音だけが小屋の中に響く。

 ――あのときのことを思い出してるのか。

 手に持つ湯呑を見つめるシンの顔を見ながら、妹紅はある日のことを思い出していた。
 この少年と出逢った日。
 よりによってこの竹林に迷い込んだ外の世界の住人。
 そして、この小屋で過ごした一夜のことを。

 ――昔のことを思い出すのは好きじゃないんだけど……

 そんな自身の変化に苦笑を浮かべつつ茶をもう一口啜り、

 ――まぁ、たまにはいいか。

 目の前の少年と同じ日のことを想った。

 ――藤原妹紅にとって、草木も眠る丑三つ時とは不思議な縁があるものだった。
 肝試しと称して送り込んできた人間と妖怪の二人組と派手に戦い敗れたのもその時分だ。
 その元凶と巡り巡ってこの場所で相対したのもその頃だったと記憶している。
 夜天に満月が浮かんでいれば文句なしと言っていい、無論悪い意味で。
 だから、その妙な気配に気付いたときは嫌な予感がしたのだった。

 ――……人間?

 当て所なく迷いの竹林をぶらぶらと歩いていると、不意に現れた気配に眉根が寄った。
 迷いの竹林に人間が惑うのはそう珍しいことでもない。ここには他では見られないような薬効のある草も自生している。
 身の程知らずにもそれを取りにこの場を訪れる人間は少なくない。
 また好奇心は旺盛だが危機感の足りない子供が興味本位でやってくることもある。どちらにせよ気付いてしまえば助ける羽目になる妹紅にとっては迷惑な話だった。
 だが、今宵は少々様子が異なる。
 大体の場合は竹林の入り口――厳密に言えば人里側ということになる――にほど近い位置で現れるのだが、この気配は竹林の中央あたりで突然現れたのだ。

 とにかく、急いだ方がよさそうだと思案を打ち切って気配の方へと急ぎ向かう。
 ただの人間がこんな場所にいれば最悪数刻も経たずに餌になってしまう。
 縁も所縁もない人間ではあるが、気付いていながら放っておくのは寝覚めが悪いし、何より人間好きな友人が悲しむのは御免被りたかった。
 急いだ甲斐があったのか、思っていたよりもずっと早く件の人間は見つかった。それも五体満足な姿でだ。
 やたらと運はあるらしい。この場にいる時点で運が悪いと言えるから運は運でも悪運の方だろうが。
 そっと死角に下りて様子を窺う。幸い近くに妖怪の気配はない。よって警戒はひとまず眼前の人間に注ぐことにした。

 ――見たこともない服だな……外来人か? それにしても奇妙な格好だし。

 首から下の全身を覆うような服。所々に見たこともない物が取り付けられている。さらに手には黒い何かを持っているようだ。これも初めて見る道具だった。
 周囲を警戒しながらじりじりと歩を進めているが、やはり迷っているのか人里と真逆の方へ向かっている。
疲労のせいか息も荒いようだった。これ以上は危ないだろうと判断し、刺激しないように声をかけることにした。

「そこの人間」
「っ!? 誰だ!」

 振り向き黒い道具を向けてくる相手に両手を挙げてゆっくりと歩み寄る。
 まだあどけなさの残る顔立ちの少年だった。不思議なことにその両目は深紅の色を湛えていた。
 一瞬、『月人』という名前が頭に浮かぶ。だが今はそれを考えている暇はない。

「落ちつきなさい。別に取って食うつもりはないから」
「そこで止まれ!」

 言われて足を止める。どうやら長く緊張状態が続いたことで気が昂ぶっているらしい。

 厄介な、表には出さずそう毒づく。説得は苦手だ。力づくにしても極力傷つけないようにというのはなかなか難しい。

「だから、落ち着きなさいって……」

 なだめようと一歩踏み出すと破裂音が鳴るのとほぼ同時につま先の数寸先の地面が弾けた。
 ぎょっと少年の方を見ると、両手に持った道具の穴から白い煙が立ち上っていた。

「次は当てる……! それ以上近づくな!」
「なるほど、そういう道具ね」

 ようやく得心がいった。そして先ほどの疑念も杞憂だったと分かる。
 月人ならば、こんな火薬を用いた原始的な武器など使いはしないだろう。
 なんにせよ、妹紅にはさしたる影響もないものだが。

「とにかく、ここは危険よ。ただの人間が居ていい場所じゃない。人里に……といっても今日はもう遅いし、一晩くらいなら泊めてあげるからそれを下してほしいんだけど?」
「そんなこと信じられるかよ!」

 それはそうか、と自分の言葉の説得力のなさに少なからず呆れる。
 ここからどうするか、と考えていると少年の手が震えていることに気が付いた。

「――そうさ、もう俺には信じられるものなんて……」
「っ、伏せろ!」

 はっと顔をあげて武器を構え直す少年に数歩で近づくと、その手を取り引き倒す。
 その後ろには、獲物を見つけた歓喜の色を双眸に宿した妖怪の姿があった。

 ――なんて迂闊な……!

 少年にばかり気を取られこんなにも近くにいたことに気付かなかったこと、そして考えもなしに少年を庇いその後のことを何も考えていなかった自分にそう胸中で怒鳴りつける。
 構える暇もなく、白い閃光が胸を貫いた。

「あ……」

 ぐらりと身体が揺れ、仰向けに倒れ込む。胸を中心焼けつくような痛みが広がり、どんどん身体から力が抜けていく。
 遠くなった耳に、少年の叫び声と先ほどの破裂音が続けざまに届いた。
 初めて見る道具に驚いたのか、妖怪はあっという間に竹林の奥へと消えていった。

「おい……おい! しっかりしろ!」

 がくがくと身体を揺さぶられる。
 そんなに揺らすと気分が悪くなるからやめてくれ、と言おうとしたが言葉の代わりに血が吐き出された。

「くそっ! くそっ! なんなんだよここは!? どうしてこんなことになる!? また……また俺は!」

 ぼろぼろと少年は泣き始める。
 怒鳴ったり泣いたり忙しい奴だ、とそんなことを考えていると口が勝手に動き始める。

「――リザレクション」

 そして始まる。胸に穿たれた穴が塞がり、服までもが何事もなかったかのように修復される。
 脱力した身体に力が戻ったのを確認すると、そのまま身体を起こした。
 呆然とした顔をする少年に、自嘲気味な笑みを返して口元から垂れた血を拭う。

「……ご覧の通り、あんな妖怪がいて、こういう化物がいる場所だよ。ようこそ幻想郷へ」

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最終更新:2010年09月15日 22:03
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