<とある休日に:伊織編~べ、別に寂しかったわけじゃないんだからねっ!~>

<とある休日に:伊織編~べ、別に寂しかったわけじゃないんだからねっ!~>
 

「う~……」

 紙面に並んだ無機質な文字を睨みつける。
 そうしたところで仕事が進むはずもないのだが、そうでもしなければやっていけないときも人にはあるのだ。

「あ~……」

 がしがしと頭をかく。プロデューサーから引き継いだはいいが、どうにも対処に困る箇所が多すぎる。しかし
先ほどから何度も電話をかけてみるも連絡がつかず、届いたのは一通のメールのみ。

 ――ごめん、ちょっと今立て込んでるんで後でこっちからかけ直す。春香がうしr

 ……まぁ、大体どういう状況なのかは察することができたが。
それならば自分が手をつけられるところを済ませようと思い立ってはみたものの、膨大な書類の中から自分が
手をつけられるものとそうでないものを分ける作業からしてかなりの時間がかかることが分かり、今は半ば投げ
出す寸前になっていた。

「――呻いてても何も進まないか、さっさと終わらせよう」

 パン! と顔を叩いて気合いを入れ、シンは眺めていただけだった書類に目を通す。

「……『ピンクの小悪魔アイドル、水瀬伊織の新作CDサイン会』ねぇ。もっと良い名前なかったわけ?」
「俺に言うなよそんなこと。文句ならプロデューサーに……って伊織!?」

 慌てて振り向くと、私服姿の伊織がさも当然と言わんばかりに堂々と立っていた。その腕には、いつも持ち
歩いているウサギのぬいぐるみも一緒だ。

「やっほー! どうしたのよ、いきなり驚いて」
「やっほーじゃない! お前今日はオフのはずだろ?」

 念のためとボードを確認するが、やはり今日伊織の仕事は入っていない。特別事務所で何かするようなことも
ないはずである。

「なによ、私が用もなくここに来ちゃいけないわけ?」
「いや、悪いっていうか……まぁいいけどさ」

 確かに、休日に何をするかなど本人の勝手ではある。問題はその理由がどうにも分からないというところだが。

「とにかく私今日はここにいるから。それにしても誰もいないのね、プロデューサーと小鳥は?」
「プロデューサーは外で仕事、小鳥さんは社長の付き添いだ」
「ふぅん、だから今日はこんなに事務所が広く見えるのね」

 そこまで広くなったようにも感じないけど、と言おうとしたところで伊織がにっこりと笑った。

「まぁいいわ。それじゃ、紅茶いれてきなさい。いつものね」
「……お前は俺が何をしてるかわかってて言ってるのか? 却下だ却下」

 背を向けて再度書類と対峙する。細々とした調整はプロデューサーの仕事として、ショップへ日時の連絡
くらいは今日中に済ますことができそうだった。
 

「……そんなに忙しいの?」
「あぁ」

 せめてプロデューサーと連絡が取れればな、と思いながらも書類の整理を進めていく。ようやく半分終わった
というところで、ソファーに腰をかけていた伊織から声がかかった。


「それにしてもサイン会なんて地味よねぇ、いっそライブにすればよかったのに」
「そうだな」

 生返事を返しながら次の書類を引っ張り出す。サイン会のタイムスケジュールを確認し、店側に伝える事項を
メモに走り書きして次の書類へと移る。

「それともタイアップとかの方がいいかしら。最近じゃやよいもテイルズ……なんとかってゲームにも出るらし
いし、私だってもっといろいろやってみてもいいって思わない?」
「そうだな」

 クリップにひとまとめされた書類だったが、一枚目に『会計関係:律子に頼むように』という付箋が貼られて
いるのを確認して脇へと押しやる。

「……春香とか千早、あと真とあずさも何か出るらしいわね。あ~あ、ホントうらやましい限りだわ~」
「そうだな」

 何やら引っかかるセリフが聞こえてこないでもなかったが、それを頭の隅に追いやって次の書類に手を伸ばす。

「…………」
「……? どうかしたのか伊織?」

 何やら不穏な気配を察して振り返ると、眉間に皺をよせた伊織がいつの間にか傍に立っていた。

「っ、別になんでもないわよ! 会議室で自主トレしてくるわね!」
「あ、あぁ」

 不機嫌そうに事務所から出ていった伊織を見届け――閉まる前に思いっきり睨み付けられたが――、再び
デスクの上の書類を見つめる。

「……さすがに、適当に返事しすぎたか」

 参ったな、と頭をかくが過ぎてしまったことはもう取り返しがつかない。

――自主トレが終わるまでに機嫌が直っていることを祈るしかないか。

 溜息をついて、改めて作業を再開する。
 ……そこで初めて、伊織が来てから調子がよくなっていたことに気が付いた。
 

 ――30分後。
 そろそろ昼食の時間だが目処が立ってきたところなのでキリのいいところまで進めるか、とシンが考えていた
ところで突然事務所の扉が開け放たれた。

「伊織……?」
「なんでアンタは見に来ないのよ!?」
「は? だって自主トレって言うから……」
「一人で歌ったり踊ったりしてる私が馬鹿みたいじゃない!」

 不機嫌な顔のまま再びソファーに腰を掛ける伊織にさすがにムッときた。

「なんだよそれ、千早たちは一人でもちゃんと自主トレやってるぞ」
「……アンタはよっぽど私を怒らせたいみたいねぇ」

 伊織の声がさらに低くなった。予想以上の反応があったことに少しだけ驚くが、別段おかしなことは言って
ないはずだと思いなおしてさらに言葉を続ける。

「やることないならもう家に帰ったらどうだ?」

 そのとき、伊織の瞳がかすかに揺れた。

「……そうね、家に戻れば新堂もいるし。アンタと話してるよりはマシかもしれないわね」

 その言葉に、ふと違和感を覚える。記憶が確かなら、新堂というのは伊織の執事だったはずだ。

「なぁ、伊織の両親ってどうしてるんだ?」
「パパは今頃ベルリンよ。ママは……今日は美術館だったかしらね」
「家にいないのか?」
「別におかしいことなんてないでしょ? いつものことよ」

 思わず息を呑んだ。伊織の目には、諦めにも似た感情が浮かんでいた。

「寂しく、ないのか?」
「べ、別にそんなことなんかないわよ! もう慣れたしね」

 「子供の頃からそうだったし」とつぶやく伊織は、言葉とは裏腹に沈んで見えた。
 

「――そうか」
「アンタの言う通りかもね、今日はもう……」

 そう言いかけたところで、正午を告げる鐘の音が聞こえてきた。

「あ、お昼……」
「よし、それじゃ昼飯でも食べに行くか」

 イスから立ち上がって凝り固まった腰をグルグルと回していたが、ポカンとした伊織の顔に動きを止める。

「どうした?」
「だ、だって仕事が忙しいんじゃ……」
「腹が減っては、ってさ。伊織ひとりだけ残しておくとせっかくまとまってきた仕事台無しにされかねないし。
だったら一緒に行った方がいいだろ?」

 ストレートに言えば9割方拒否されるだろうと踏んで言葉を選んだつもりだったが、逆に自分が気恥ずかしく
なって顔を逸らす。

「……アンタ、どうかしたの? 仕事のしすぎでどうかしちゃったとか?」
「なっ!? なんだよそれ! 俺はただ誘った方がいいかと思っただけだ! 別に伊織が寂しそうに見えたか
らとかそんなわけじゃないからな!」
「ちょっ、なによそれ!? 別に私は寂しかったわけじゃないわよ!」

 ……二人して盛大にぶっちゃけ合い、どちらからともなく視線を外す。
 頬が熱くなっているのは暖房を効かせすぎているからだと己に言い聞かせていたシンだったが、チラリと伊織
を見てみると何やら怪しげな笑みを浮かべていた。

「……それで? どこに食べに行くわけ?」
「何?」
「まさかそこいらの安いレストランとかで済ますわけはないわよね」

 ざぁっとシンの頭から血の気が引いていく。赤くなったり青くなったりと忙しい限りだ。

「い、伊織……?」
「そうねぇ、せめてアンタの給料の半分くらいのとこじゃないと満足できないわね~」
「ってふざけるな! 大体なんで俺が奢ることになってる!? この前給料出たはずだろお前!」
「伊織ちゃん聞こえな~い。さ、早く行くわよ。にひひっ!」
「『にひひっ!』じゃない! こら、待てよ伊織――――!!」

 一目散に駈け出した伊織の背中に叫びながら、シンは思う。

 ――なんだかんだ言って、いつもの伊織の方が俺も調子がいいな。

 早くも軽くなってきたように感じる懐はさておき、とりあえずはこれでよしとしようと思いながらシンは苦笑
しつつその背中を追いかけ始めた……


 余談だが、日が暮れた後に戻ってきたプロデューサーは何故かボロボロになっていたので結局シンがすべての
仕事をする羽目になった。

「……何があったんですかいったい」
「春香に蜂蜜がどうとか言われ……いや、やっぱりなんでもない」
 

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最終更新:2011年10月24日 04:16
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