<聖なる夜に>

<聖なる夜に>

「お疲れ様でした。お先に失礼します」

 撤収作業中のスタッフにそう声をかけ、シンは会場の外へ出た。暖房の効いていた屋内に長くいたせいか、
いつもよりもさらに寒く感じてしまう。コートのありがたみを今日ほど実感したことはなかった。
 辺りを見渡すと、寒空の下で誰もが身を縮ませながらも笑顔を浮かべている。
 それもそうだろう、今日は特別な日なのだから。

「……ひょっとしたら、降るかもしれないな」

 曇天の空を見つめながら、シンは小さく眉を寄せる。
 ――12月25日。
 ホワイトクリスマスという天からの粋な演出に期待をする者は少なくないだろう。

「雪、か……」

 シンの脳裏にある光景が蘇る。
 穏やかに舞い降りる雪の降る中、守ると誓ったはずの少女をこの手で湖に沈めたあの日のことを。
 そして、『英雄』を倒すと決意したあの日のことを。

「――ん?」

 古傷の痛みに耐えかねて視線を下に戻すと、街灯の下に佇む少女の姿があった。
 まるで誰かとの待ち合わせをしているように、ボンヤリと空を見上げている。寒いのか時折大きな手袋に包ま
れた両手をこすり合わせ、白いストッキングを穿いた両足もモジモジとさせていた。
 ……コートを羽織り顔の半分がマフラーで隠れているとはいえ、見間違えるはずもない。先ほどまでその衣装
でステージの上で踊っていた、自分が担当するアイドルなのだから。

「――雪歩」
「あ、シンさん!」

 何故? と疑問に思いながらもともあれ声をかける。どこか物憂げだった雪歩の表情がパァっと明るくなり、
トテトテと歩み寄ってきた。

「何してるんだ? 先に事務所に戻ってると思ったのに」
「シンさんを待ってたんです。このあとケーキとか買いに行くんですよね? 一緒に行ってもいいですか?」
「そうだけど……いいのか? 結構寒いぞ」

 はい! と答える雪歩はどこか嬉しそうだった。今日は朝から働きづめだったこともあり、ようやく自分の
時間を得られたはずなのだが、パッと見では疲れを感じさせなかった。むしろ先ほど別れたときよりも生き生き
としているようにも見える。

「それじゃ、まずはケーキを買いに行くか」
「はい、わかりました!」

 笑顔を見せて雪歩が横に並ぶ。

(……楽しみにしてたんだな)

 そんなことを考えながら、シンは雪歩の歩調に合わせながら雑踏の中へと進んでいった。
 

「そういえば、春香ちゃんはケーキを作らないのかなぁ」
「いや、作るって言ってたぞ。でもそれ食べる気になるか?」
「う……ちょ、ちょっと私には無理です」

 だろ? とシンは嘆息する。
 春香のことだ、少なくとも半ホール、下手をすれば1ホール丸ごとプロデューサーの腹に詰め込みかねない。
 美希あたりは空気を読まず手をつけるかもしれないが、誰だって鬼が出てくると分かっている藪を刺激したい
はずがない。大人しく市販のクリスマスケーキで妥協するのが賢明というものだ。

「何が悔しいかってかなり美味いんだよなぁ春香のケーキ……」
「え? 食べたことあるんですか?」
「あぁ……」

 思い出すだけで未だに口の中に地獄のような甘さが広がっていく。

 ――味の感想、ちゃ~んとお願いしますね♪

 満面の笑みを浮かべるリボン付きの悪魔、そして会議室のデスクいっぱいに広がったケーキの大群。何度も
死にそうな目に遭ったことのあるシンだったが、その中でもとびきり異質な体験だった。
 その成果が今日、プロデューサーに発揮されることになるのだろうが。

「念のため言っとくけど、全然いいことはなかったぞ。味が良いのが余計に辛かった」
「そ、そうだったんですか……よかった」
「?」

 眉を寄せながら、しかしほっと雪歩は安堵の息をついていた。
 それを怪訝に思いながらも、ふと思い出したことにシンは話題を変える。

「そうだ、ライブの前に言ってたお願いしたいことってなんだ?」

 その瞬間、雪歩の足は止まり、ボンッと顔が真っ赤に染まった。

「ゆ、雪歩?」
「あ、う……あの、その」

 雪歩の顔がどんどん俯いていき、声も小さくなる。それでも何かを言おうとしているようなので、シンは
刺激しないようにゆっくりと雪歩に近づいた。

「――大丈夫、言える。きっと言える。絶対言える。ミスミスミスター、ドリドリラー! 雪歩はできる子!
ゆきぽは強い子! 元気の子!」

 ……なかなかに難解な呪文が聞こえてきた。
 それを何度か繰り返して、不意に雪歩の顔が跳ね上がった。

「シンさん!」
「は、はい!」

 あまりの剣幕に気圧されて思わず敬語になる。しかしシンがそれを自覚する前に、雪歩は次の言葉を叫んでいた。

「ほんの少しでいいんです、シンさんの今日の時間を私にください!」

 ……後にシンは語る。「有無を言わさぬ迫力」というのはああいうものを言うのか、と。
 

 とりあえず、予定よりも幾許か時間の余裕もあったため、雪歩の願いを断る理由はなかった。
 ケーキの方も保冷剤が効いている内は大丈夫だろうし、別の用事もすでに済ませていた。
 問題は、何をするのかも聞かされないまま連れて来られたことなのだが。

「ここは……」

 シン自身は来るのは初めてだったのだが、テレビなどで紹介されていたのを見た覚えがあった。つい最近でき
たばかりの大型ショッピングモールだ。
 見上げるとそこには巨大な天窓、天気が天気ならば満天の星空を眺められるのだろうが、今は曇天の空が切り
取られたように見えている。
 視線を水平に戻せばそこに広がるのは造木と電飾で彩られた総てが人工の並木道、吹き抜けもあるためか閉塞
感をほとんど感じない。いわゆるアトリウムというものだろう。

「私、ずっとここに来たかったんです。最近は忙しくて、今年中に来るのはもう無理かなって思ったんですけど……」
「なるほどな。でもそんなに時間はないぞ? ここかなり広いみたいだし」
「いいんです、ここを歩いてみたかっただけですから」

 正直に言えば、シンは拍子抜けしていた。
 今日はクリスマスと同時に雪歩の誕生日である。だから可能な限りはどんなことも聞こうというつもりでいた
のだが、当の本人はここを歩くだけでいいと言う。
 それでいいんだろうか、そう考えながらシンは知らずポケットに仕舞い込んだものを掴んでいた。

「あの、シンさん? どうかしたんですか……?」
「え? あ、いや、なんでもない」

 慌ててポケットから手を出す。元々事務所に戻った時に渡すつもりのものをここで渡すべきかと考えている
うちに、タイミングを見誤ってしまった。

「そ、それじゃあ……エスコート、お願いできますか?」
「エスコート、って言われたって」
「あ! へ、変な意味じゃないです! ただ一緒に歩いてくれたらなっていうだけで……」

 むう、と唸るシンだったが、とりあえず歩くだけでもいいのならと断って引き受けることにした。
 ――ライトアップされた並木の間を歩きながら、シンは隣を歩く雪歩をちらりと見やる。
 少しだけ上気した頬をほころばせながら。クリスマス一色に染まった並木を眺めていた。

「……なんか、初めて会ったときからは考えられなかったな」
「え……?」
「こんな風に、こんな場所を歩くことなんて」

 それは雪歩が男性恐怖症であることだけでなく、これほど長くこの世界にいることになるとは思わなかったと
いうことも含めての言葉だった。
 こちらに飛ばされたばかりの頃は、異世界という実感がなかったこともあるがいずれは元の世界に戻れるだろ
うと楽観視していたこともあった。
 今となってはすっかりこちらに馴染んでしまった。窮屈だったネクタイも気にならなくなるほどに。

「ふふっ、私もです。これもみんな、シンさんや真ちゃん……みんなのおかげです」
「そっか」

 改めて、雪歩は強くなったとシンは思っていた。
 確かにまだまだ臆病なところも多いのだが、元々あったのであろう芯の強さが表に出てくることが多くなった。
 そんな変化を分かるようになった自分に気付かないのだったが。
 

「……そろそろ、帰らないとな」

 腕時計を見ると、意外なほど早く時間が経っていた。穏やかな時間ほど過ぎるのは早い、それを痛感する
ほど久しい時間だった。

「今日は、本当にありがとうございました。ひとつ夢が叶ってよかったです」
「あ、いや……」

 こんなことならいつでも、と言おうとしてシンは口をつぐむ。目の前の雪歩が心の底から嬉しそうな顔を
見せていることを、「こんなこと」と言ってしまうことはできなかった。
 何か自分に妙な感覚を覚えながらショッピングモールの外に出ると、視界の中にふわりと舞い落ちるもの
があった。

「うわぁ……!」

 雪歩が感嘆の声を上げる。それをどこか遠くで聴いているような気分になりながら、シンは空を見上げていた。
 ――雪。
 どうやら天の気まぐれは最高のタイミングでやってきたらしい。周りの気配も静かに盛り上がったように感じた。
 そんな中で、シンだけは胸の内にゆっくりと針が刺さるような痛みを覚えていた。
 それは戒めのような鈍痛。決して逃れられず、決して忘れることのできない罪の一端。
 言葉無き言葉が警告する。何を浮かれている、たとえどのように振舞おうとお前は他所者でしかない、と。
 ――だが、

「雪……雪ですよ、シンさん!」
「ゆき、ほ……?」

 いつの間にかシンの傍らから駈け出した雪歩は、雪の舞う中心で踊っていた。
 ステージの上で見せるような洗練されたものではなく、まるで子供がはしゃいでいるような無邪気さで。

「――――」

 胸の痛みが、少しだけ和らいだ。
 それは逃げなのかもしれない。自分の過去から目を逸らしているだけなのかもしれない。
 ……だが、それでも、

「雪歩」
「えっ……?」

 不意に名前を呼ばれて驚く少女に、シンはポケットの中から優しく取り出したものを差し出す。

「――誕生日、おめでとう」

 ……それでも、この雪のように真っ白な少女を祝福したい気持ちは、偽りのない気持ちだから。
 シンは心の中で謝った。出会いの大切さを教えてくれた彼女に、少しの間でも忘れることを。
 手の内には星の髪飾り。この汚れない輝きに影が差さないように、シンはこの瞬間だけ自分の過去を忘れた。
 呆然とシンと星を見ていた雪歩だったが、やがてすっと目を閉じた。
 そして、

「――ありがとう、ございます……!」

 ほんの少しだけ目尻に涙を浮かべながら、いとおしむようにそっと両手でその輝きを包み込んだ。

                                            ~続く~
 

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最終更新:2011年10月24日 04:19
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