「うう……いつまで経ってもあずささんは来ないし、いったいどうすればいいのかしら?」
よよよと泣きながら小鳥――身体はシンだが――は膝をがっくりと着いてうなだれる。
このままただの妄想として、彼女の奇跡は終わってしまうのか?
「――否、断じて否! 終わってないどころかまだ始まってもいない! 起こらないから奇跡と人は言うけれ
ど! だからこそ奇跡は人の手で成るものなのよ!」
と何やらガッツポーズを取りつついろんな意味で立ち上がる。凹む暇があるならまだ見ぬアイドルたちを探し
アタックするのだ、と自分に言い聞かせて。
そんなこんなで何とか立ち直った小鳥だったが、人の気配を感じてそっと部屋を覗きこんだ。
「あれは、律子さん? うう、私たちがいないから事務仕事をやってる……後がちょっと怖いかも」
端から見ても不機嫌なオーラを醸し出す背中を見てそそくさと立ち去ろうとする。口説き落とすことが目的で
あるとはいえ、あまりにも難易度の高すぎる相手である。撤退もやむなしなのは当然と言えた。
が、ふと蘇ったとある記憶がその足を止めた。
「……そういえば、そんなこともあったわね。ふ、ふふふふふ……ラスト5秒のなんとやら。これぞ天啓、女も
度胸! なんでもためしてみることね!」
小さくピヨピヨと笑いながら、小鳥は堂々と部屋に踏み込んだ。
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「まったく……二人とも仕事を放り出して何をやってるのやら」
凛々しい眉をいつもよりさらにキリリと吊り上げながら、律子は慣れた手つきで積まれた書類を捌いていく。
つい先ほど雑誌の取材を終えて戻ってみれば、無人のオフィスと手つかずの書類、そして鳴り響き続ける電話
が待っていたのだ。不機嫌どころか怒り出してもおかしくない状況である。
「ウチらが忙しくなったからこそ裏方も死ぬ気で頑張らなきゃいけないってのに……あの二人はそれが分かっ
ているのかしらねまったく」
そう愚痴りながら次の書類を取ろうとして、手が空を切った。
ふと顔を上げると、先ほどまでデスクの上にあった書類を持ったシンが目の前にいた。
「シン!?」
「すいません、律子さん。ちょっといろいろあって席外してました」
「そ、そうなの」
「はい。というわけで仕事に戻ります」
「ってちょっと待ちなさい! ちゃんと説明してから戻るのが筋でしょう!?」
極々自然デスクに座ろうとするシンの肩を掴んで律子は詰め寄る。その剣幕に圧されてたじろいだものの、
シンはぎこちなく笑った。
「いやだから、いろいろあって」
「その『いろいろ』のところを詳しく話しなさい今すぐに!」
「えっと、その、小鳥さんが……」
その名前を聞いた律子の鋭い目が諦めのそれに変わり、シンの肩から手を離した。
「またあの人は……ここ最近は特に奇行が目立つようになったわね。シンも大変ね、いつも巻き込まれて」
「そ、そんなに気にしてはないんですけど……」
「本人の前じゃ言いにくいかもしれないけど、今度変なこと言い出したらガツンと言ってやりなさいガツンと」
あはは、と複雑そうな笑顔を浮かべるシン――中身はその小鳥本人だが――に同情するように肩を優しく叩い
たが、次の瞬間にはスイッチを切り替えたようにドンと眼前に書類の山を積み上げた。
「ま、それでも仕事をサボっていたことに変わりはないんだからさっさとやりなさい」
「こ、これ全部を!?」
「当然よ。まだまだあるんだから覚悟なさい」
そんなぁ、と大袈裟に嘆きながら落ち込む――フリをする小鳥。
内心では今にも口に出して笑いだしたいほどにピヨピヨと笑っていた。
(ここまでは思い通り! 嗚呼一度でいいから言ってみたかったのよこのセリフ!)
これぞ天の意志と根拠もなく確信した小鳥は迷わず攻勢に進み出る。
「いつもながらキツイなぁ律子さんは……やっぱりあの話ってただの噂だったのかなぁ」
「? 何よその噂って」
「いえ、なんでもないです。えーと次の書類は~」
「ちょ、ちょっと! 気になるから言いなさいよ」
「でもただの噂だと思うんで……」
「いいから言いなさい!」
「――『つま先立ちでキス☆』」
その単語を聞いた瞬間、律子の顔は真っ青になった。
「え……え?」
「まさかあの真面目一辺倒の律子さんが、そんなバリバリの少女ノベルを読んでるとかそんなわけ……あれ?」
「な、ななな、なんで……?」
「え、嘘!? まさか本当に!?」
などと驚く演技をしながら小鳥は青くなった顔を赤くする律子を見てほくそ笑む。
既に相手は飛車と角行を失い、王将は丸裸。だが小鳥は焦らない。重ねてきた失敗を生かし、数少なくなった
チャンスを逃さないために、慎重すぎるほど慎重に駒を進める。
「あ、その、すいません! ちょっと意外だなって思っただけで」
「い、いいわよ。私だってらしくないかなって思うし……というかいったい誰から聞いたのよそれ」
「それはその……い、いいじゃないですかそんなこと」
誰からも何も自力で掴んだ情報なのだから仕方ない。実は本当の狙いは真が少女コミックを買う瞬間だったこ
とは内緒だ。
「あ~~~もう! わ、笑いたければ笑えばいいでしょ!?」
「そんな気はないですけど……逆になんか安心しました」
え? と頭を抱えた律子は視線を上げる時にはすでにその傍らに。
兵は神速を尊ぶ――焦らず得たフラグは最速で回収するのが確実なのだ。
「し、シン?」
「面と向かっては言い辛いんですけど……律子さんも女の子だったんだなぁって」
「な、何言ってるのよ!? 失礼ね!」
「ははは、すいません。でもなんかそんな律子さんもカワイイと思いますよ」
「かわ……!?」
両手で自分を庇うようにクロスさせる律子の顔が朱に染まる。
やはりこういうストレートな言葉にはあまり耐性がないらしいということを目の当たりにして、慎重に事を
運んでいた小鳥の我慢が限界に達した。
「律子さん……」
「ちょ、ちょっと!?」
交差された手をゆっくりと解き、律子の身体を抱き寄せる。互いの吐息が触れ合うほどの距離まで顔が近づき、
律子の頬はさらに真っ赤になっていた。
「いい……ですか?」
何を、とは言わない。ここまで押せば答えは自ずと分かることである。
しばらくは戸惑うように視線を左右に揺らす律子だったが、やがて覚悟を決めたようにぎゅっと目を瞑った。
いつもの律子らしからぬその仕草にふと微笑を浮かべ、シンはそっと髪を撫でながら唇を近付け……
『っ!?』
突然鳴り響く着メロ。二人揃って弾かれるように机の上に目を向けると、律子の携帯電話がメール着信を告げ
るランプを光らせていた。
「ご、ゴメン!」
「いえ……俺はいいですから、早く出ないと」
慌てて携帯を開く律子に微笑みかけるシン=小鳥だったが、内心ではギリギリと歯を軋ませていた。
(惜しいっ! あと一歩というところで……いえ、落ち着きなさい小鳥。まだフラグは折れてはいないわ。焦っ
て回収を急いでしまえばかえってボロが出てしまうかもしれない。今は『待ち』、刃で己の心を殺すのよ!)
そんな胸の内をおくびにも出さず、あくまで平静を装って背を向ける律子が振り返るのを待つ。
もちろん脳内では今後の流れを数十通りほど妄想という名のシミュレーションにかけていた。
「……ふぅ、悪かったわね突然」
「気にしてないですよ。急ぎの用ですか?」
「ちょっとね。今度やるライブの会場の資料をまとめたものが必要なんだけど…」
「会場の資料? えっと……これのことですか?」
記憶から資料をしまった場所を掘り起こして引出しをあけ、丁寧に積まれた中から目当ての束を引っ張り出す。
「そうそう、これが必要だったのよ。助かったわ」
「いやぁ、そんな大した事でもないですし」
「ありがとう、小鳥さん」
「いえいえ、どういたしまし……」
ピタリ、と笑顔のままシンの動きが止まる。
対する律子は俯いて眼鏡の位置を直す。窓から差し込む光のせいでその表情は影に隠されていた。
「あ、あの……律子さん?」
「さっき『小鳥さん』からメールが来たんですよ。「事務所にいるシンは中身が小鳥さんだから注意してくれ」
って。まぁそれだけじゃ信用できなかったんで自分で確認取ったんですけど」
そこまで聞いてようやく小鳥は自身の迂闊な行動に気付く。
先ほど律子に差し出した資料、あれは律子と自分がまとめたものであってシンは一度も目にしたことのないも
のであったことに。
「あ、あ……」
「さぁて、一体全体どうしてそんなことになってるのか見当もつかないですけど、とりあえずそれは置いときます」
にっこりと微笑む律子。しかし心なしか、その笑顔に小鳥は修羅の顔を幻視していた。
何を怒っているか、考えるまでもない。
伝家の宝刀はいつの間にか諸刃の剣となって自身に振り下ろされようとしていた。
「えっと、その、あの……」
「何か言いたい事でも?」
聞いてあげるわ聞くだけなら、と無言の圧力を持って告げる律子を目にして、小鳥は覚悟を決めなければなら
ないと悟った。
(――ここまでね)
それは諦めの言葉なのか?
……否、違う。
絶体絶命の危機に発現する不退転の誓い、肉を持っていかれても自身の命を繋ぐ決意の証。
この極地にて、小鳥の精神はさらに一段階上に昇華した。
すっ、と視線を上げる。眼前にはスマイル全開の鬼神、だが恐れるものなど何もない。
なぜならば、
(最後に笑うのは……この私!)
心の中で笑いながら、小鳥はシンの声で語りかける。
「――わかりました。それじゃ最後に言わせてください」
そして小鳥は満面の笑みを浮かべる。かつてシン本人が見せたこともない表情に律子がわずかに動揺した。
そして、
「律子さん、恥ずかしがらずに『俺』にさっきみたいなことも全部話せばいいと思いますy」
次の瞬間、眼鏡でおさげの鬼が小鳥に襲いかかった。
・
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「……ん? なんか今悪寒が」
突然背筋に走った寒気に身体を震わせながら、シンは言い知れない不安を感じていた。
しかし躊躇している暇はない。すでに手は打ってしまったのだから。
――人手が足りないのなら増やせばいい。たとえどんな手を使ってでも。
「上手くいってればいいけど」
確認が取れるはずもない。だが少しでもあの妄想魔人を止めるためなら自分の身体の心配をしている場合では
ないのだ。
……事務所が見えてきた。よほど想定外のことが起こらない限りはこれで大詰めだろう。
「――覚悟しといてくださいよ、小鳥さん」
そう呟き、小鳥――シンは地面を蹴ってさらにスピードを上げた。
・
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「はぁっ、はぁっ、なんとか振り切ったわね……」
イチかバチかの賭けだった。
普段は頭脳明晰かつ冷静沈着が売りの律子ではあるが、そういう人間ほど予想外の行動には弱いものだ。
あどけない笑顔でわずかながら怒りを鎮め、しかし次いで告げた本人も分かっている痛いところを突いて再び
沸点を超えさせる……これによって完全に冷静さを失った律子は容易に避けられた挙句棚に突っ込み、落ちてき
た本や書類に埋もれてしまったのだった。
(南無南無)
やむを得ない状況だったとはいえ、散っていった仕事仲間に0.5秒ほど黙祷を捧げて小鳥はなんとか稼げたこ
の時間で何ができるかを考えていた。
(……これで事務所の人にはほとんどバレてるか怪しまれたことになるわね。そろそろシン君が帰ってきても
おかしくないし、ここはやっぱり外に逃げるしかないか)
しかし、現状では誰にもバレることなく事務所から抜け出すのは難しい。ほとんどの面子が戻ってきてしまっ
ているのだ。誰とも接触せず逃げ出すなど蛇のコードネームを持つ男でもない限りは不可能だろう。
(でもどうにかして出ないといけないし……あら?)
そんなことを考えていると、不意に人の気配を察したので物陰に隠れる。息をひそめてそっと顔を覗かせると、
廊下の角から瓜二つの容姿の少女が二人現れた。
(亜美ちゃんに真美ちゃん……こあみちゃんにこまみちゃんもいるのね)
二人の頭に乗っているぷちどるも確認し、静かに安堵の息をつく。あの二人にはまだバレてはいないだろうし、
仮にシンからメールが来ていたとしても好奇心の塊のようなあの二人ならどうにか誤魔化すことはできるはず
である。
(それに、あの二人なら誰にも気付かれずに事務所を出る方法を知ってるかもしれないわね……よし!)
死中に活路あり、意を決して小鳥は二人の前にさりげなくその身を晒した。
「やあ二人とも、お疲れさん」
「あっ! シン兄(c)だ!」
「シン兄(c)もおっつかれ→!」
「にーちゃ!」
「にーちゃにーちゃ!」
(はう、やっぱりみんな可愛い……)
と軽くトリップしかける小鳥だったが、ギリギリのところで本来の目的を思い出し、シンを演じ切ることにする。
「ところでいきなりなんだけど、実はみんなに内緒に事務所を出たいんだ。抜け道みたいなのがあったら……」
「よ→し! いっくよ→みんな!」
「お→!」
「とかー!」
「ちー!」
え? と唖然とする小鳥を中心に二人と二匹は円状に囲い込み、その場で跳躍。何もない空間を蹴りつけて前
方向へと前転をして、絶妙のタイミングで4つのキックを同時に叩き込んだ。
「「ダブルとかちーキ――――――→ック×2!!」」
――メキャッ!!
「うわらばっ!?」
時間差なしに全方位から蹴りを入れられた小鳥は倒れてダメージを軽減させることもできず、その場に膝を
着いた。対して四人はバク宙をして華麗に着地し、互いのパートナーとハイタッチをしていた。
「やったね→! ほとんど練習もしなかったのにバッチリっしょ→!」
「まさにぱ→へくつ! そんじゃ次はどうしよっか→?」
「ふ、ふたり、とも……? これはいったいどういう……」
そんな感じで盛り上がる二人に弱弱しく手を伸ばしながら、小鳥は問いかける。まるで警戒をしていなかった
ので精神的なショックも大きかった。
「ん→? なんかピヨちゃんからメールが来てね、「二人とも今日はがんばったから思いっきりシン君と遊んで
いい」って」
「だからだから! 思いっきり手加減ムヨ→で遊ぶことにしたんだよ→!」
もちろん小鳥はそんなメールを出した覚えはない。おそらくは確実に事務所に釘付けにするためにシンが送っ
たのだろう。
(なんて狡猾な……!)
この二人が相手ではいくら若さを手に入れた老練の……もとい経験豊富な中身であってもすぐに限界が来て
しまう。
それを自覚した小鳥は、転げるようにその場から逃げ出していた。
・
・
・
「こ、ここまで追い詰められるなんて……」
最早どこをどう逃げてきたかも分からなくなった小鳥は、事務所内の倉庫に息を潜ませていた。
すでに退路はない。包囲網は完成し、もう直シンや千早も戻ってくるだろう。
だがしかし、それでもまだ小鳥は諦めてはいなかった。
「この試練を乗り越えたときにこそ至福が待っているのよ! 何が何でもこの修羅場を越えてみせるわ!」
ここまで来るとポジティブシンキングではなく完全に病気である。
――と、そこに、
「……? 何かしら……声?」
どこからか響いてくる声にあたりを見渡す。
外からも中からも聞こえているような不思議な声。だがその正体は見えない。そもそも人間の声なのかすらも
怪しい。得体の知れない恐怖を感じて、小鳥はその場を動けなくなっていた。
そして、その何かが倉庫のドアを破ってきた。
「!?」
「かっかー!」
「アハハハハハハハハハ!」
「ヴぁーい!」
それは、はるかさんの軍勢。
地面を覆い尽くすほどのリボン、中には真昼だというのに暗黒化したものまでいる。
「な、何が……?」
呻く小鳥の目の前で、はるかさんの海が真っ二つに割れた。
さながら海を割って歩く聖人のように現れたその人物を見て、小鳥は目を疑った。
「はるか、ちゃん?」
歩いてきたのはまごうことなく天海春香、しかしその気配はあまりにも異様だった。
全身を包み込む衣装は暗黒。薄暗い倉庫の中でさえもさらに深い漆黒。
しかしリボンをはじめとしてところどころに存在する赤い色は血のように濃い赤。
そして……その右手には一振りの刀。
「――はるかさんが跋扈する765プロ、天海春香はここにある」
いつもの明るい声とは打って変わった凛とした声、だがそこから感じる響きはまるで地の底から這い上がって
くるような恨みの声音。
「覇王、爆現」
ドス黒い感情を瞳に湛えて、春香は高らかに宣言すると同時に鯉口を斬った。