<とある雨の日に>

<とある雨の日に>

 しとしとと降る雨を眺めながら、最近今のように物思いにふける自分がいることに気付く。
 いつからだろうか……と考えて、すぐに思い当たった。『アイツ』が月を眺めているのを見た頃からだった。
 いつも何かと毒づきながらもしっかり仕事はやって、たまに大きな仕事が決まったり、それが上手くいったり
した時には子供のような笑顔を浮かべているだけに、あの夜見た『アイツ』は不思議なほど印象的だった。
 ここではないどこか遠くを見ながら、今にも泣き出しそうだと錯覚してしまうほど悲しげな表情を浮かべてい
る姿……仕事帰りで疲労が溜まっていたとはいえ、見間違いではないことは確かだった。

 ――そういえば、アイツのことってあまり知らないのよね……

 ある日突然現れていつの間にかマネージャーになっていたのだが、その前に何かしていたかは聞いたことがな
い。プロデューサーですら知らないのだからアイドルの中で知っているのは誰もいないだろう。
 自分とそう年も変わらないというのになぜマネージャーになったのか? 友人はいるのだろうか? 学校
は? 一人で暮らしているらしいが家族は? 考え始めるとキリがない。
 唯一何かを知っていそうな社長に何度か聞いてみたが、その度にはぐらかされて話題をすり替えられた。
 本人に聞いてみるのもいいのかもしれないが、自分から意識していると白状するようなものだ。

「はぁ……ホント、なんなのかしらねアイツって」

 腕に抱くウサギのぬいぐるみにそう語りかける。ここ最近はいつも同じ相談を繰り返しているような気もする。
 いつだったか、自分がアイドルになろうと決めた理由を話したことがあった。
 他の誰にも話したことのない理由、水瀬家の令嬢であるというのに才能もあり実績もある二人の兄に比べて
何も成したことのない自分。それが嫌で家を飛び出し、父親のコネで765プロに入りはしたがそれからは親の
威光に頼らずにアイドルとして自分だけのものを手に入れようとしていること。
 何故そんなことを話したのか、きっかけは忘れてしまったが、それを聞いて『アイツ』が返した言葉は今でも
覚えている。

 ――へぇ……伊織ってさ、頑固でワガママだけど、そういうとこはプライド高いっていうか……行動力あるよ
な。そこは凄いと思う。そこだけはな。

 いつものように余計な一言を付け加えて、しかし確かに自分のことを認めてくれた。
 そのときの、少しだけ恥ずかしそうにしていた顔を思い出して、何故だか自分の頬が熱くなるのを感じた。

「――おい、伊織」

 突然名前を呼ばれて飛び上がりそうになりながら、視線を落とす。
 少し不機嫌そうに安物のビニール傘を差した、紅い瞳の少年。片手にはもうひとつ、派手めなピンクの傘が
握られていた。

「ふ、フン! 遅いわよ。何やってたわけ?」
「あのな、こっちだって呼ばれてすぐ出られるわけないだろ? 俺だって忙しいんだよ」
「そういえば今日は真と雪歩に付いてたのよね、さぞ楽しかったでしょうね」
「……今日もまた真の追っかけや雪歩のファンからあっちこっちへ逃げ回ってようやく帰れたんだけどな」

 頬を強張らせながら苦笑いを浮かべるシンを見れば、それがどれだけ大変だったのかは聞かずとも分かる。
 そんな状態で、この雨の中迎えに来たことに、ほんの少しだけ嬉しさを感じている自分がいた。

「まぁ、なんでもいいわ。早く帰りましょ」
「そっちが言い出したんだろ、ったく。ほら傘……って、おい」

 差し出された傘を無視して、ビニール傘の下に入る。さすがに窮屈ではあったが、そんなことはどうでもよかった。

「待ち疲れちゃったから傘も持てないわ。このまま帰りましょ」
「……お前って本っ当にワガママだよな」

 仕方ないとでも言いたげに溜息をついて、シンは片手の傘を邪魔にならない位置に持ち直してゆっくりと
歩き出す。
 言われたわけでもないのに、自然と歩調を合わせながら。

「……なんだよ?」
「別になんでもないわよ? にひひっ♪」

 変な奴、と呆れられたが、いつもより気にならなかった。
 ――傍らを歩く少年がどこの誰であっても、今確かに自分の隣を歩いているのだから。
 今はそれだけで十分だった。

「お、なんかもう少しで晴れそうだな」
「傘閉じるんじゃないわよ、うさちゃんが濡れちゃったら後が酷いわよ?」
「はいはい」

 雲の切れ目から陽光が差す幻想的な光景を眺めながら、二人並んで事務所へ続く道を歩いていった。
 ゆっくりと、その一歩を踏みしめながら。

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最終更新:2010年11月09日 16:53
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