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<時空を越えて.1~帰還~>

<時空を越えて.1~帰還~>

「……少し、風が涼しくなってきたな」

 暦の上ではすでに夏、蒸すような暑さも過ぎ去った後の風に心地よさを感じながらシンは事務所へと戻る道を
辿っていた。

「えーっと、会場の下見は終わった。先方との打ち合わせも万事OK。予算関係は小鳥さんと律子さんが
やってるから……俺のやることはとりあえず済んだのか」

 しかしそれで気を抜けないのが765プロが765プロたる所以である。当日プロデューサーのうっかりで何
かしら厄介ごとが起こるのは当然のものとして、アイドルたち自身のトラブルも毎度のように起こってしまう。
 あまりに大きな舞台で緊張のあまり雪歩が逃げ出しかけたこともあれば、真や千早は気合の入りすぎで
空回りしかねないこともあった。やよいに至っては人手不足のスタッフの手伝いを自主的に行ったこともある。
 どれもプロデューサーやシンがなんとかフォローできたのだが、今度もそれができるとは限らない。
 今回のような大きな規模の野外ライブとなれば開場前から一切の気を抜けないのが常となるのだ。

「ま、なんだかんだで今回もどうにかなりそうだけどな」

 口からは気楽な言葉が漏れているが、その実それは強がりの表れでもある。何度かライブを裏方で経験してき
たシンにとってはそんなことでも言っていなければやっていられないというのが本音なのだろう。

「ん……?」

 不意に訪れた違和感にシンは立ち止まって辺りを見渡す。
 ……開発の進んでいる都市区の一角。近くのビルもそうだがちらほらと工事が進んでいるところもある。

(――なんだ?)

 歯の奥に小骨が挟まったかのような引っかかり。もっと具体的に言えばどこかでこの風景を見たようなという、
既視感。

 ――キンッ!

「ッ!?」

 すぐ後ろから発せられた音にシンは振り向く。
 何もない。素早く右へ左へと目を向けるが、怪しい物や人物はいない。
 ……いや、すぐ下にあった。

(ボルト……?)

 摘んで拾い上げる。何の変哲もない、少々大きめなサイズのただのボルトだ。
 なんでこんなものが、そう考えたシンだったが、直後の絶叫に思考が引っ張られた。

「――逃げろ!」

 どこからか聞こえた声にシンの視線が天へと向く。
 そこには、
 もう目の前まで巨大な鉄骨が迫ってきて、
 何も反応することができず、
 ……何かが砕ける音が、シンの頭の奥に響き渡った。



「――えっ?」
「? どうしたの千早ちゃん」

 突然弾かれたように身を強張らせた千早を不思議に思い、春香がその顔を覗き込んだ。

「今、何か……?」

 辺りを見渡すが特に変わった様子はない。いつものレッスン場だ。

「ちょっと千早、今回の曲はアンタのリードが欠けたら台無しなんだから気を抜かないでよね」
「え、えぇ」

 伊織からの叱責も半分耳に入っていない様子で、千早の視線が地に落ちた。

(……なんなの? この嫌な感じは)

 まるで何か大切なものがどこかへ行ってしまったかのような錯覚。8年前、嫌というほど味わったものと
よく似た予感に千早の心にさざ波が立った。

「千早ちゃん、大丈夫? ちょっと顔色悪いみたいだけど」
「春香……なんでもないわ、少し緊張してるみたい」
「あらあら、千早ちゃんがそんなに硬くなってるなんて珍しいわね~」
「それはもう、我らがプロデューサーはもちろん、マネージャー殿までいたく期待してる曲ですから」
「り、律子! 別にそんなわけじゃ……」

 そう言いかけて、千早は身体を震わせた。
 シンのことが頭をよぎった瞬間、先ほどの予感が膨れ上がったのだ。

「……千早? ちょっと、本当に大丈夫なの? 顔が真っ青よ?」

 異常な反応を見せた千早に律子の顔色が変わった。からかい気味だった三人もその様子を見て何事かと千早に
目を向けた。
 ……千早は黙り込み、再び目を伏せた。
 訳の分からない不安に押し潰されそうになる。心臓が痛いほどに早鐘を打ち、全身から嫌な汗が滲み出てくる。

 怖い。失ってしまうのが怖い。
 ――何を?
 あのときみたいに、気付かない内に遠いどこかへ行ってしまう。
 ――何が?
 わからない、何も……

 予感と思考がシェイクされ、決壊しそうなほどに溢れ出した濁った感情が身体を震わせる。
 もはや歌うことなどできるはずもないコンディションなのは誰の目からも明らかだった。
 しかし、

 ――これからどんなことがあっても、俺が守るから。みんな守ってみせるから。

 いつか聞いた彼の言葉が脳裏に浮かび、震えが止まった。
 脈拍と呼吸も落ち着きを取り戻し、いつの間にか汗も引いていた。
 何が起こったのかと自分の掌を見つめる千早だったが、やがてそっと拳を握り、決意を宿した瞳を開いた。
「――大丈夫、私は歌えるわ」

 そのまっすぐな瞳は、春香たちの不安を払拭させるに十分な光があった。
 律子は一度小さく頷くと、パンッと胸の前で手を鳴らした。

「よしっ! それじゃまた一から通すわよ。最近は961プロや東豪寺プロも活発に動いてるからね、今度の
新曲はウチにとって良いスタートダッシュを切れるかどうかかかってるわ。気合い入れていくわよ!」
「おー!」
「うふふ、私も頑張らないといけないわね~」
「ま、この私がいればどうってことないわよ。みんなまとめて虜にしちゃうんだから!」

 律子の一声にメンバーのボルテージが一気に上がっていく。
 千早も力強く頷くのだが、その胸の内では完全に消し切れていない不安がくすぶっていた。
 ライブに対するものではない、今はその下準備のために何処を駆け回っているであろうマネージャーに対する
不安が。

「それじゃ、とりあえずは私たちだけで一回通して歌ってみましょうか。まだ来てないメンバーもすぐに合わせ
に参加できるように言ってあるから」
「はーい! それじゃ千早ちゃん、歌お!」
「えぇ」

 春香に引っ張られるまま千早はブースの中に入る。一瞬律子と目が合ったが、軽く肩を叩かれるだけだった。
 ――穏やかな滑り出しを響かせる曲。その旋律に身を委ねながら、千早はその歌に自身を重ねることだけに
集中する。

 ――大丈夫、きっと大丈夫だから。

 そう自分に言い聞かせながら、千早はみんなと一緒に歌い始めた。

 ――始まってゆく
 ――果てなく続くひとつの道を……



 ――不思議な感覚だった。
 ――落ちるというにはゆっくり過ぎて、沈むというには早すぎる。
 ――分かるのは、ただどこかへと向かっているということだけ。
 ――周りを過ぎ去っていく不思議な光景の意味も分からないまま、
 ――シン・アスカは、緩やかなスピードで何処とも知れない場所を漂っていた。
 ――やがて、向かう先に眩い光が見え、
 ――それに溶け込んでいくように、シンは光に飲み込まれた……



「――――う?」

 異様なほどのだるさに抗いながら目を開ける。
 まず視界に飛び込んできたのは無機質な天井。周りを見渡せば、特に見るべきところも飾り気のない内装の
部屋であることがわかった。

 ――ここは、

 どこだ? と考えたところで、すぐにシンは気付いた。
 見覚えのある場所、そして自分が寝ているベッドと少し離れた場所にある無人のベッド。
 その意味を把握した瞬間、部屋の扉が唐突に開かれた。

「――起きていたか」
「レ、イ……?」

 もう二度と会えないと思っていた。
 だというのに目の前の友人は何事もなかったかのようにしれっとした顔をしていて、
 勝手に、涙が出てきた。

「……どうした?」
「い、いや。何でもないけど……」
「なら早く起きろ。遅れるぞ」

 あぁ、と答えてから身支度を整えようとして、ピタリと動きを止める。

 ――まてよ、じゃあ今まで俺が過ごしてきた時間って……

 すべて夢だったとでもいうのだろうか?
 戦場では兵士が精神に強くダメージを追うと、様々な逃避を見せることも珍しくないという。夢というのも
そのひとつだったはずだ。
 ならば、今まで自分が体験してきたことのすべてが、

「夢、だったのか?」
「まだ寝ぼけているのか? あまり時間に余裕がないぞ」
「わ、悪い。けどなんでそんなに急いでるんだ? 艦長から呼び出しでもあったのか?」

 状況を完全に把握していないことから飛び出した言葉だったが、それを受けたレイの顔が怪訝そうに歪む。

「……お前は何を言っているんだ?」
「え?」

 思わぬ言葉に呆然とするシンの傍を横切り、レイは締め切られていたカーテンを開く。
 そこに広がる景色に、シンは言葉を失った。

「ここは……」

 再び記憶の底に沈んでいた風景と合致する。
 アカデミーの宿舎の一室。プラントに来てから戦争が始まるまでの二年間を過ごした場所。
 より正確に言えば、二年目を過ごした部屋からの光景。

「俺は先に行っているぞ。遅れたくなければ急ぐんだな」

 それきり振り返ることなくレイは部屋を出ていく。しかしシンは、窓に映し出された懐かしさすら感じるプラ
ントの光景から目を離せないでいた。

 ――ってことは、いったいどこから夢だったんだ?

 インパルスのパイロットに選ばれたことも、
 その後すぐに三機のセカンドステージの機体が盗まれ、さらにユニウスセブンが地球に落下したことも、
 ステラとの出会いと別れも、
 ヤキンのフリーダムを撃墜したことも、
 オーブに自らの意思で攻め込んだことも、
 月でアスランたちと戦い、そして負けたこともすべて、
 …………夢?

「――ははっ、なんだよこれ」

 訳が分からない。
 だがレイが言うのだから授業に行かなければならないのだろう。
 頭は混乱したまま、しかしやるべきことがあるというだけで勝手に身体は動きだす。
 もはや着心地なども忘れていた制服に身を通し、テキストデータが入っているはずのモバイルを手に取る。
 そして妹の形見である携帯電話を……

「ッ!?」

 それは、マユの持っていたものではなかった。
 色はくすんだ黒、さらに相当使い込んだためか所々に傷が走っている。
 そしてその裏には、『765』とマジックで書かれたビニールテープが無造作に貼られていた。

 ――どういう、ことだよ……?

 すでに頭は混乱の極みに達していたが、それでも分かったことがあった。
 ――あの世界で体験したことは、夢でも幻でもない。
 ただ、そこからまた飛ばされてここに来たのだ、と



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最終更新:2010年11月09日 17:20
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