<脆く儚い者たち>
――最近は奇妙な夢を見ることが多い。
といってもほとんど内容は覚えていないのだが。目覚めた後に残る感覚がそういう夢であったと教えてくれる
だけで、さっぱり記憶から抜け落ちてしまっている。
夢なんてそんなものだろう、そう考えていた。
だが、その夜の夢は焼き付けられたフィルムのように鮮明に思い出せた……
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ふと気が付けば、奇妙な場所に立っていた。
7月だというのに辺りの木々からは紅葉がハラハラと舞い落ち、秋の只中を思わせる空気に包まれている。
ここはどこなのか、と考えたところで何か引っかかりを覚え、すぐにその原因に思い当たった。
――ここは……オーブ?
確心はなかった。どことも知れない山の中なのかもしれない。ただなんとなく、そう感じてしまっただけなのだ。
だが、そんな曖昧な感覚はすぐに払拭された。
「……あはははははは!」
「こら! まてよマユ!」
その声のした方へと弾かれるように目を向ける。
紅葉の舞う中を駆け回る兄妹がいた。二人は付かず離れずの距離を保ちながら追いかけっこを続けている。
兄はその気になればすぐにでも捕まえられるというのにそうしようとせず、妹もそのことを分かっているかの
ように時折振り返りながら笑っていた。
遠くでは、父と母がその様子を微笑ましく見守っている。
懐かしい光景。涙線が熱くなるのを感じながら、自然と手を伸ばしていた。
――そして、視界が暗転する。
次の瞬間、耳をつんざく爆音に思わず目を瞑る。再び目を開けると、そこは戦場だった。
……忘れもしない。地球連合軍がオーブへ侵攻してきた日。
そして、
――ッ!?
視界の中に飛び込んできたのは、今よりも少し前の自分の姿。斜面を滑り降りながら、妹が落としたパステル
ピンクの携帯電話に手を伸ばそうとしていた。
記憶の傷口が開く。反射的に家族がいるはずの山道を見上げようとした瞬間、爆音と閃光、そして衝撃によっ
て一瞬五感が死んだ。
……ピントがズレたように不確かになった視界が徐々にその機能を取り戻していく。
自分の身体はなんともないはずなのにここまで影響があるのは、過去の記憶のせいか。
大きくえぐられた山肌。そこらに散らばる砕けた岩や木々。
その中に紛れた、三つの躯。
ほんの数秒前まで自身の家族であったもの。
声の主は過去か現在か、どちらのものかも分からない絶叫が耳の奥底まで響き、再びゆっくりと視界が暗転
していった。
――朦朧とした意識が鮮明になってくると、また別の場所に立っていた。
どこかの公園。辺りを見渡せば子供たちが遊具や砂場で遊んでいる。顔立ちから察するにここが日本であるこ
とは分かった。
――今度はなんだ……?
今度は見覚えもまるでないことに困惑していると、またしてもある姉弟の会話が耳に届き、振り向かずには
いられなかった。
「ちはやおねーちゃん、またおうたうたって!」
「……また?」
「うん!」
ベンチに座っていた10歳にも満たないであろう少女が、弱気な瞳で駆け寄ってきた少年を見つめていた。
友達と遊んでいたのだろう、ところどころに汚れをつけた少年が少女の傍らに座る。
「……やだ。このあいだともだちにへただっていわれたもん」
「そんなことないよ、ぼくはすきだもん。だからまたうたって!」
無垢な笑顔でせがむ弟に、しかたないなという顔で――しかし小さく笑いながら――少女は歌い出した。
……今とは比べられるわけもない、つたない歌。
だがそこには優しさがあった。慈しみがあった。愛情があった。
その歌声を聴いて、少年は心地良さそうな顔をしていた。気持ちはよく分かる。それだけの想いが込められて
いるのは、その歌を直接向けられているわけではない自分にも感じるほどだったのだから。
心の内があたたくなるのを感じた。だが次の瞬間、その温もりはあっけなく粉砕された。
――再び視界が真っ暗になり、何かが砕ける音が耳朶に響いた。
それはガラス、それは鉄、それは……
視界が切り替わる。一面の黒、闇ではなく黒を纏った人間が集まっていたからだった。
大人たちの中に埋もれるように少女はいた。先ほど見た笑顔は影もなく、瞳には一切の光がなかった。
……仮に声が届いたとしても、かけられる言葉などなかった。
大切なものを失った人間に対してどんな慰めができるというのか。
何の救いにもなりはしない。少なくともこの状況では、どんな言葉も届くはずもない。
そのことは、嫌になるほどよく分かっていた。
再び場面が転換する。目まぐるしい速さで通る過ぎる彼女の日常、両親の争いから逃げ、部屋に閉じこもり、
歌に没頭する少女の日々。
そして――彼女にとって最後の望みが断たれた最悪の結末。
不快感が込み上げ、吐き出しそうになる。自身の過去だけならまだしも他の、それも決して見られたくはない
だろう記憶に頭がおかしくなりそうだった。
耳を塞ぎ、目を固く閉じる。
夢なら早く覚めてくれと、そう願いながら。
……しばらくして、おそるおそる目を開ける。
そして飛び込んできた光景を、呆然と見つめるしかなかった。
――彼は軍人になっていた。何も守れなかった自分を変えるためにひたすらに力を追い求めた。
――彼女はアイドルからより一層歌手への道を目指すようになった。ただ一つ残されたものにしがみつくように。
――彼は力を手に入れた。周りから称賛されるほどに。しかしそれでもすべてを守ることはできなかった。
――彼女の歌は日本だけでなく世界からも認められるほどになった。しかしそれでも彼女の心は満たされなかった。
――彼は守ると誓った少女を守れなかった。その憎しみはより力を与え、最強と謳われた存在を打ち倒すほど
になった。だが彼の胸の奥底に空いた穴は塞がることはなかった。
――彼女と苦楽を共にしたアイドルたちが巣立っていった。歌手を目指す彼女と道を違えることは当然だった
が、彼女の心はさらに冷たくなっていった。
――やがて彼はすべての敵を打ち倒し、彼の親友とその恩師が目指す平和の実現のために世界中の戦場を駆け
回ることになった。人間の醜い面を見続けた彼の心は修羅のようになっていた。
――やがて彼女は歌以外のすべての活動をすることはなくなっていた。歌うときを除いてメディアに一切姿を
晒すことのなくなった彼女にファンは増えても人の温もりを感じることは少なくなっていった。
――彼にすべてを託した親友が死んだ。老衰だった。ほどなくして親友の恩師も謀殺された。混迷を極めた
世界と変わることなく争い続ける人間に彼は半ば考えることを放棄した。ただひたすらに戦場に飛び込んでは
敵を打ち倒すだけの機械と成り果てた。
――彼女を支えてきたプロデューサーが去っていった。意志の疎通すら満足にできなくなった彼女についてい
けなくなったからだった。再び彼女に残されたものは歌だけしかなくなったが、彼女は何も感じることはなかっ
た。ただただ歌い続けるだけだった。
――気付けば、彼は敵からも味方からも恐れられる存在となっていた。傍らに立つ者は誰もなく、進む道は
決して終わることのない戦場だった。
――気付けば、彼女の歌は生きた芸術とまでされていた。だがその生き様はあまりにも寂しすぎて、彼女は
近寄りがたい存在となっていた。
――彼/彼女は、孤独だった。
何故こうなってしまったのかと、そう考えずにはいられなくなるほどに。
本当は何が欲しかったのか、そのことを忘れてしまったかのように彼/彼女はこれからもそう生き続ける。
恐らくは、その身体が朽ち果てるまで。
……それは一つの可能性。
その心が救われることなく、そう生きることしかできなくなった、
――自分と、彼女の未来。
――夢というものは実に勝手だ、と思う。
あれだけ目覚めようとしても起きなかったというのに、いざ目覚めるときは実にあっけないところなど特に。
「…………」
ぼんやりと瞳だけを開く。頬の固い感触から、どうやらデスクで眠ってしまったらしいことだけは分かった。
ふと、仕事をどこまで進めたかということが頭をよぎったが、すぐについ先ほどまで見ていた夢のことを思い
出した。
――あれは、なんだったんだろうな……
ただの夢というにはあまりにも生々しく、しかしならば何だったのかと考えても答えは出ない。
今よりも未来の自分や千早と思われる人物の半生、というのがしっくりは来るのだがそんなことを認めるほど
現実味はなかった。
だが、と頭ごなしに否定する自分を押し止める。
もし本当にあれが、自分が歩んでいたかもしれない未来だとしたら、
もし本当にあれが、千早の歩んでいたかもしれない未来だとしたら、
そう考えるだけでゾッとする自分がいた。
おかしな話だ、軍人だった頃の自分はむしろそうなることを望んでいたというのに。
この胸の奥にある温かさを失いたくないと、今ではそう思うようになっていた。
――俺は、弱くなったのか?
わからない。だがそれは悪いことではないのかもしれないと、そう感じた。
――……いい加減起きるか。
いつまでもこの余韻を引きずるわけにはいかないと身を起こそうとする。
「きゃっ……!?」
「?」
すぐ傍で上がった声に顔を横に向けると、驚いた顔をした千早がいた。なぜか隠すように右手を抑えて。
「千早?」
「えっと、か、風邪を引くといけないから」
そう言われてようやく自分にタオルケットがかけられていたことに気付く。たしか仮眠室に置いてあったもの
だ。夏場とはいえ空調の利いた部屋で眠ると確かに風邪を引きかねない。この時期にそれは非常に困る。
「悪い、助かったよ」
「別に礼を言われるようなことでも……」
まだ顔を赤くして視線を逸らしている千早に奇妙な違和感を覚える。
いったいなんだというのだろうか? まだ右手を隠しているのと何か関係があるのだろうか?
――そういえば、起きる前に……
何かが頭の上にあったような、そこまで思い出してシンは思考を中断する。
気のせいだろう、というかありえないよもや眠ってしまっていたとはいえ頭を撫でられているのに気付かないなんて……!
「――嫌な夢でも見たの?」
「え?」
「その……泣いてたから」
目下に手を当てると、確かに涙の跡があった。
――まったく、本当に今日はどうかしている。自分の身すら満足に把握できてないとは。
「……なんでもない。コーヒー、飲むか?」
「えぇ」
わずかにふらつく足取りで給湯室へ向かう。だが傍らに千早が並んだことに気付いて足を止めた。
「手伝うわ」
「あー……頼む」
断ったところで同じことだろう。仮に千早が代わりに淹れるから自分は休むよう提案されても、また同じく。
かすかに温もりが残った自分の頭をそっと撫でる。
今はそれに身を委ねるのもいいだろうと思った。あの夢がきっかけというわけでもないが、今までに余裕が
なさすぎたのだ。あのときは気付くことすらできなかったが。
たぶん、それはきっと千早も同じで、
「なぁ」
「なに?」
「……いや、砂糖は一杯でいいんだっけ?」
「えぇ」
……夢のことは忘れることにした。
なんにせよ、今の自分とはかけ離れたところの話だ。こうして寝ぼけ眼でコーヒーを淹れる自分と何の関係が
あるのだろうかと。
――ただ、少しだけでも願うことが許されるのなら、
夢で見たあの二人にもいつかこの温かさを感じられる日が来るようにと、
そう、祈っていた。