「あ、あの…言葉。僕、もう立ってもいいかな?」
「…はい。いいですよ。」
「じゃ、じゃあ俺も…」
「でも、シンくんはダメです。」
がくん。隣の奴に連れて立ち上がろうとした俺の膝が、思いもよらぬ言葉に肩透かしを食らい、前のめりに倒れこむ。いってえ…あご打った。そのままの姿勢で、言葉をじ~っ、と睨むように視線を送る。な・ん・で・お・れ・だ・け。
「まあ、よくよく考えれば誠くんは何もしていませんでしたし。西園寺さんにでれでれしてたシンくんが原因ですからね。」
「…う。で、でもあれは西園寺を助けようとして!」
「そうそう。助けた振りして胸触って、しかも隙あらば揉みしだこうとした事なんか気にしないから☆」
「『気にしないから☆』じゃねーっ!!!お前の一挙一動一言に俺の命が掛かってるんだよ!!それと断じてそんな事はしていない!」
いくら俺でも、彼氏のいる奴に…いや、彼氏がいる奴も、だが…文字通り意図的に手を出すほど擦れちゃいない。……え?言葉との擦れ違いの時期?……横恋慕みたいで良くは無いかもしれないけど…いいんだよ、あれはあれで。どっかの優柔不断野郎が迷ってたおかげで、一応フリーだったんだから。
「別に構いませんよ…シンくんもお年頃ですし、物の弾みもあるでしょうしね。ABCの内、AもCも却下ですけど、スキンシップ程度の軽いBだけなら構いません。」
「えっ。」
「……何でそんなに嬉しそうな顔をするんですか。」
ぶんぶんぶん。勢い良く首を振り、二心無い事を必死に強調する。……物騒な光が再びその眼窩に宿ろうとしているのが直感で解るから、こっちも必死だ。
だが、女神の裁断の声に、内心ほっ、としていたのも確かだ。意図的にやったものではないとはいえ、その定義でいくと、自覚しているだけでもかなりの前科がある。
一体何回命を懸けた折檻を受ければ良いのやら…と密かに恐怖していたところに、この恩赦である。最近どうも運が悪いとは思っていたけど、どうも今日この時だけは運が良いらし――
「…ただし。」
い?心中安堵で羽が生えたような気持ちだったのが、その言葉に少々重くなる。が、言葉はそれを解ってやっているように、ただ一言。
「……先週、甘露寺さんたちと一緒にいたことの釈明は…してもらいますね?」
びくぅっ!!な、な、な、何でそれを。た、確かにあいつらと偶々帰り道で遭遇してなし崩しにゲーセンへと連行されたけど…でも、それ以上の事は全く以て、何も無かったわけで…いや、ちょっと待て。落ち着け、落ち着くんだシン・アスカ。何で言葉が知っているかどうかは関係が無い。ここはより建設的な方向で…
「コトノハサン、ソレハイッタイダレカラノジョウホウテイキョウデアリマショウカ。タシカアノヒ、コトノハサンハマッスグニイエニカエッテイタヨウナキガスルノデスガ。」
…何とか情報提供者を聞き出して、苦情を言ってやる。え、この上無いほど情けない?……しかも全く建設的でないのは放っておいてほしい。
「ええ。当人から聞きました。……シンくんは知らないかもしれませんけど、甘露寺さんと私って、最近少し仲が良いんですよ?」
「へーそうなんだ。そういえば最近、一緒にいるところ見かけるようになったなあ、とは思っていたけど。」
「はい。過去の遺恨は血に…もとい水に流して、お互いの事を理解しよう、との事で。悪い噂も、あれ以来全く聞こえなくなりましたし。それもこれも、「レッド・アイ」さんのおかげです。」
「…あのさ、こないだから聞こう聞こうと思っていたんだけど…誰、その人?」
「ひ・み・つです。」
…ふん、さすがに懲りたみたいだな。言葉と西園寺の華やかな(と、いうには内容が少し殺伐としているが)会話を耳にして、その後の友人関係が良好な事に、ほっとする。ま、不確定要素は出来るだけ排除した(例えば澤永とか澤永とか澤永とか)から、後は相手の気持ちと言葉の頑張り次第だったんだけどな。
もしかしたらまた何か企んでるんじゃないか、と思って一応それとなく学校でも気にはかけていたが…当人の口から聞けて安心した…のは置いといて。
「そ、そっか。そりゃ良かったな。か、甘露寺は何て言ってた?」
「いえ、別に。ただ…」
「た、ただ…?」
「『楽しい夜を、ありがとう。感謝してるって伝えておいて。』…と。」
「マテ。」
あ、あの女…俺を殺す気か、俺を!あの時の仕返しか、くそっ。脳裏に、してやったり、としたり顔で勝気な笑みを浮かべている甘露寺の顔が思い起こされる。
ああ、そうだよなあ!お前はあんな事でむざむざと退くような奴じゃ無かったよなあ!!入学式で四方八方を敵視していた俺に喧嘩吹っかけてきて負けてから、あの手この手、何らかの手段で仕返ししようと考える、そんな奴だったよなあ!!!
「まさか、そんな事は無いと思いますが…信じて、良いんですよね?」
ごめん、言葉。頚動脈筋すれすれににピタリと刃物を突きつけられたら、喋るどころか首を縦に振ることも出来ないんだけど。それと、それは信じている側の行動じゃないと思うんだ。
「こ、言葉。そろそろ許してあげたら?さすがにこれ以上は…」
「…そうですね。ま、今のは釘を据えたと言うことで。」
くすっ、さっきまで刃物を持っていたとは思えないほどの慈母心溢れる笑みで、シンを正面から見つめる言葉。あ…その、純真そのものと思える笑みに、不覚にも一瞬見惚れてしまう。…が、その一瞬が命取りと……
「釘を打つのは、これからですよ?…んっ。」
「……っ、~~~~~っ!」
初めてでは無い。が、不意打ちされると、その余裕すらも何処かに吹き飛んでしまうのだから、仕方が無い。思わず目を見開きながら、言葉のその閉じられたまぶたが、文字通り目の前で微動だにしないのを我を忘れて見遣る。
……何だ、これ。キス?あれ、キスってこんなもんだっけ?ぼんやりとしたまとまりの無い思考の中で、言葉の口だけが微かにもごもごと動いている。…いや、俺の口も動いてるよな、これって。しかも絡みつくように、連動して。と、なると…ま、まさか…
「うわぁ…大胆だなあ、桂さん。あれ、絶対舌入れてるよ。」
「そ、そうだね。………」
「…………」
こらそこの外野二人、知らないわけでもあるまいし、居るなら居るでダンマリになるなあ!顔紅くなってるところが、何かすっごく微笑ましい…じゃなくって。何か、その…中途半端な知識を持った子どもの前でイケナイ事してる気分になってくるんだよ!!
そう思っている間にも、言葉は俺を蹂躙していく。…ヤバイ、ほんっきで顔が熱くなってきた。何時もと逆のシチュエーションだが、それが逆に新鮮さを…ってあれ?
「っ、プハッ…はぁ、はぁ…」
いきなり戒めを解き、少し苦しそうにしながらもゆっくりと俺を解放する。ツ…と細い細い銀の糸が掛かっていたが、それも間も無く消えて…ようやく、意識が覚醒した。
「こ、言葉……」
「はぁ、はぁ…いつもシンくんが私を気遣ってくれていますけど、やっぱり加減がわからないと苦しいものですね。」
苦しく息をして頬を紅く染めながら、にこりと笑い掛けてくる。以前のような病的なまでの白さよりは少しだけマシになったとはいえ、それでも西園寺や甘露寺などの世間一般で言う「元気一杯な」女の子と比べると、十分に色白の肌が、控えめに言ってもほんのりと紅く染まっているのは、かなり扇情的で…目に、毒だ。
「……シンくん?」
「あっ、いや、その…だ、大胆すぎないか?言葉。」
「……誰の所為だと思っているんですか。」
ぽふっ。不満そうに、顔を俺の肩へと押し付けながらも、拗ねた口調で俺への文句を言う。その度に、肩口に感じる吐息が何だかこそばゆい。
「シンくんは他の女の子たちと偶に一緒に居て寂しくなかったかもしれませんけど…私は、正直に言って寂しかったです。早く補修が終わって、シンくんに戻って来て欲しい。本当に、そう思っていました。」
「う…ご、ごめん。でも、俺も――」
「いーえ、私の淋しかったは、シンくんとは比べ物になりません。だから…」
相変わらず拗ねた声でそう言うと、今度は背伸びして首に顔を近づけてきた。しかも、頚動脈の辺り…やばい。ある種の予感がして、さっきとはまた違う意味で、ぞくぞくする。心なしか、首筋がさっきよりも格段に紅くなっている気もするし。
「だから…お仕置きに、痕付けちゃいます。」
ペロッ。消毒するようにペロリと首筋を舐め、唇を押し付ける様にして強く吸い付く。僅かにチリッ、とした痛みが走り、次の瞬間にはその箇所がまるで、熱を発しているかのように熱く感じられる…さっきから全体が熱くなっているけど、それ以上に熱い。
「こ、こと――」
「もちろん、まだ終わりじゃないですよ?」
名前を呼ぶという、僅かな水差しさえも許さない。そう決意したように、俺の戸惑いを遮った言葉が、少しだけ頭を下げる。次の狙いはそう…視線だけで解ってしまった。学園指定のブレザー・タイプが何か落ち着かなくて、校則違反を承知で学ランを着ている、俺の…弱点と言ってもいい。いや、この場合の弱点とは身体的なものではない。精神的なものだ。
「た、頼む。そこだけは――」
「ダメです。……もう。これは、お仕置きなんてすよ?」
言うが早いか、言葉の唇が俺の弱点――胸元に押し当てられた。意識しているためか、さっきの首筋に加えてその箇所が、一瞬だけ熱くなる。だけど、その熱さは次の瞬間に、更なる熱さを以て刻印としてシンへと襲い掛かった。
「……えへ。お仕置き、完了です。」
「あ、ああああああああ…これで暫く、あのうっとおしい襟のボタンを止めなきゃいけなくなるのか…」
言葉の顔が胸元の、ちょうど鎖骨と鎖骨の間から離れた直後に、がっくりと肩を落とす。何かすっきりとしたー、という表情をしている言葉とは対照的ではあるが、そもそも彼氏をこのような方法で陥れるとは、真に恐ろしい。
「ええ。これにこりて、迂闊な…誤解されるような事は、出来るだけ避けて下さいね?」
「うう…解ったよ。解った。けど……」
「けど?……きゃっ!」
ぐいっ。首を傾げながら、俺の僅かな躊躇に反応した言葉の肩を掴んで、優しくもないけど乱暴でもない程度に引き寄せた。落ち込んでいてからいきなりのその行動に、短く悲鳴を上げる。だけど俺は、最初に胸がぶつかってきたその身体を抱き締めて…耳元で、囁いた。やられっぱなしは、あんまり好きじゃない…と。
―――――――――――――――
「……そう言えば、さ。」
「はい?」
……起きてたのか。カーテンの隙間から洩れる月明かりが、部屋の中を照らす中。アパート備え付けの、簡単なパイプのベッドで疲れ果ててシーツに包まりながら横向きに寝ている言葉に、話しかける。ちなみに俺は、ベッドを言葉に預けて上半身裸のまま、床から身体を起こしていた。
「何で、あいつらがここにいるって解ったんだ?言葉、最初から解っていたみたいだけど。」
「気が付いていなかったんですか?ほら、あれ……」
そう言ってくるまったシーツの隙間からしなやかな手を伸ばし、細い指で指差す。そこには、チカ、チカと一定間隔で時を刻むかのように点滅を続ける、備え付けの電話があって。
「ある事を相談しようと思って――補習だって事も忘れていて――、電話したんです。そしたら……」
あ~、そう言えば。最初のインパクトで気付かなかったけど、帰ってきたときから電話がちかちかっ、て点滅していた様な……でも、俺は毎朝家を出る時にはいっつも留守番電話に切り替えるから、留守電に切り替わるはず――
「そうしたら、留守番電話から西園寺さんの声が聞こえて……」
なんだ……と。思いもよらない言葉に、件の電話を勢い良く見上げる。……良く見ると、何時もセットしている留守番電話1ではなく、その下の、2が点滅している……あいつ、勝手に声吹き込んで、しかも留守録の場所変えやがったな。
「さ、西園寺さんと何してるんだろう、もしかして……なんて思い始めたら、頭の中、ぐちゃぐちゃになっちゃって。悪い想像しか、出て来なくて……その、色々と止まらなくなっちゃって。」
「…………」
「その……すみません。」
「別に謝る事は無いけど……」
むしろ、嬉しい。言葉が、そんな風に思ってくれてるなんて。そりゃ、確かに刃傷沙汰寸前なのは勘弁だけど、それでも嬉しい。いや、愛しい。
その思いを身体全体で伝えようと、床から立ち上がってベッドへと上って。ギュウッ、とシーツに包まったままの言葉を、言葉の基準で痛く無い程度に抱き締める。と、あっちもまるで、同じ思いであるかのように、そっともう片方の手も出して、抱き締め返してきた。
「……あ、そう言えば。西園寺さんと誠くん――慌てて帰って言っちゃいましたね。」
「種撒くだけ撒いて帰りやがったなあ、あいつら。ったく、やってられない。」
「でも、可愛かったじゃないですか。真赤になって。」
そうか?とは思ったが、確かに真赤になった西園寺は何時もの快活さとは違う魅力があったし……それに、慌てて退去する西園寺に腕を引っ掴まれたまま帰っていった伊藤の事を思うと……
「「………ふふっ。」」
そんな状態に、好き合った男女が一緒のベッドで寝ているという状態に、思わず何時までも初心な友人(仮、どちらにとっても)への訳もわからない笑いがこみ上げて来て、二人同時に笑いあう。全く、あの事件以来、俺に対して学校で大人ぶっているのは西園寺の方だというのに。
「明日、からかってやるか。な。」
「ええ。そうですね。明日………で、す…ね……」
ことん。身体が弱い割には寝つきが良い言葉がぱったりと、そしてすうっ、と静かな寝息を立てながら、眠り込む。大分、無理させちゃったかな。いやいや、無理をさせないように手加減はしたつもりだけど……全く。若い性の暴走とは恐ろしいものだ。
(じゃ、俺も寝るか。お休み、言葉。)
小声で耳元にそっと囁いて、カチリ、と一昔前のデザイン(一昔前に一線を退いたアナログだ。ハイテク機器ばかり扱っていたからか、意外とこういったレトロな代物が好きだったりする)目覚ましのアラームをセットする。これがあるのとないのでは軍人としての規則正しい生活が習慣レベルで身に付いているとはいえ、朝起きるのが苦手であったシンにとっては雲泥の差だ。
もっとも、いつもならば偶に言葉が泊まりに着ている時には言葉が優しく(傍目から見ればバカップル一歩手前的な意味で)起こしてくれるのだが。色々な意味で身体を酷使してしまったため、正直言って明日の朝に病弱な言葉が起きてこられるのかが心配なのだ。
(遅刻でもしたら、ま~たあの生活指導担当五月蝿いからな。ったく、どこの世界でも、あんた…は……)
不本意ながらも、長い付き合いになってしまった以前の『敵』(ある意味では現在も尤も強大な敵だが)に対して、愚痴を零しながら眠りに落ちる。
……この時、その事に気付かなかったのは恋人の横であり、且つまたゴニョゴニョした後でそれなりに疲れていたとは言え、彼の不手際と言ってもいいだろう。そう――一つの指針が動くのに60秒も掛る長針では無く、短針すらもピクリと動かない事に、全くといって気付かなかったのは。
次の日、太陽が見事に天高く昇って学校前の人波も絶えた頃に、今更、という感じで爆走している『片方』と、息も絶え絶えながら手を引かれているその『片割れ』、二組の姿があった事は、言うまでも無い。