<東方邂逅録:藤原妹紅の章~不死の鳥と普通の少年~後編>
――蓬莱の薬、人間は決して口にしてはならぬ禁忌の薬。
一度手をだしゃ、大人になれぬ。
二度手をだしゃ、病苦も忘れる。
三度手をだしゃ……
先の襲撃の後、とりあえず外は危険だということで家まで案内することにした。家といってもただの小屋だが、
ここ何十年かはまともな形を残している程度には頑丈ではある。妖怪払いの呪いもかけているので外よりも遥か
に安全だ、と説明をしてもいまいち少年は要領を得ないようではあったが。
ともあれ、特に襲撃もなく無事に辿り着けた。「勝手にどーぞ」とは言ったが履物も脱がずにそのまま上がろ
うとしたので思わず蹴り倒してしまった。いろいろ口論を交わしたが、結局素足になるには衣服も脱がなければ
ならないとのことでこちらが折れた。外の世界の習慣ならば仕方がないが、何も今朝床を綺麗にしたばかりの時
でなくても、と少年のつけた足跡を睨みつけながら胸中で毒づいた。
「さて、そういえば自己紹介もまだだったわね。私は藤原妹紅。貴方は?」
「……シン・アスカ」
「ふうん、飛鳥って名前なんだ」
「いや、名前はシンだ。名字がアスカ」
「むー……? まぁいいか、じゃあシンって呼ばせてもらうわね」
十分な広さを持つ居間の中央にどっかと腰を下ろし胡坐をかく。立ち尽くしたままの少年――シンもそれに
倣うように座り込んだ。
「茶も出せないですまないね。で、いろいろ聞きたそうな顔をしてるけど何から聞きたい?」
「何って……さっきのことに決まってるだろ」
「さっき? あぁ、あの妖怪ね。わりと最近現れた奴で……」
「じゃなくて! さっきの傷が治ったことだよ!」
「あぁ、あれ」
ふむ、としばし考え込んで、やめた。考えるまでもないことだ。
「そういう体質、ってことにしておいて」
「どんな体質だよ!? というかアンタはいったいなんなんだ?」
「だから人間だよ。健康マニアで焼き鳥屋の」
「……本当か?」
「さぁ、どうだろうね」
割合で言えば六割方真実ではある。なのでまったくの嘘は言っていない。
いちいち説明するのも面倒だし、自分で言いふらすようなことでもなかった。
というか以前自分のことを話したらその体質を実力を持ってたっぷりと試させられたこともあり若干トラウ
マになっていた。
「まぁ、私のことはそれくらいにしておくとして、他に聞きたいことは?」
「……じゃあ、ここはいったいなんなんだ? 地上だってのは分かるけど」
「ここは幻想郷。妖怪、妖精、吸血鬼、その他諸々の人外たちの楽園さ」
「楽園……?」
「といっても、私も詳しく知っているわけじゃないけどね」
幻想郷――それは人とそうでないものたちがときに対立しながらも共に暮らす土地。
博麗大結界という強固な結界によって外部を実体、内部を幻として分けたことにより、忘れられ幻想のものと
された生き物や道具が流れ込んでくる世界。
精神・魔法を中心とした文化が主流の閉鎖空間。
「それが幻想郷。分かった?」
「……悪い。いまいちよく分からない」
「さすがにざっくりとまとめすぎたかな」
苦笑しながらこれ以上どうまとめていいか考える。
慧音ならもっと分かりやすく説明ができるのだろうが――その代わりたっぷりと丸一日は費やしそうでは
あるが――、生憎と自分はそういう才は持ち合わせていなかった。
数秒ほど悩んで、ようやく頭に浮かんできた言葉を告げる。
「まぁ、そういうことで」
「それで済ますのか!?」
「あぁそれともうひとつ」
「そして続けるのか!?」
詰め寄るシンの目の前に人差し指と中指だけを立てた右手を突き出す。
直後、指の間から炎が噴き出し一枚のカードが現れた。
「なっ……!? なんだよ今の!?」
「手品みたいなものだよ。それより重要なのはこっち」
ひらひらと指に挟んだカードを揺らす。怪訝な目つきでそれを見たシンが「なんだこれ?」という視線を向け
てきた。
「ここでは争いの大体はこれで決めるのさ。スペルカードルールっていってね、これでお互いの技を出し合って
競う決闘法なんだよ」
「決闘?」
「あぁ。いろいろあって妖怪たちとこの地を治める性悪巫女が考えたものでね、殺し合いを遊びに変えたここ
での白黒の着け方なのよ」
殺し合い、という言葉にシンは眉をひそめたが、構わず話を続けた。
詳しい発祥の流れについては省いたが、これによって妖怪は博麗の巫女を、人間は妖怪に対しての単純な力の
差というギャップを埋めることが可能となった。
基本的な条件は対決の前にカードの使用回数を提示し、技を使う際に宣言をすること。そして体力が尽きるか
すべての技を攻略されれば敗北というものだ。
生き死にではなく勝ったときの報酬を賭けての戦いであり、気力が続く限り再戦は可能。ただし並大抵の人間
では妖怪の放つ弾幕で死ぬ危険もある。
とはいえ、肉体的よりも精神的な勝負であるためこのルールを用いた戦いで死者が出ることは少ない。
放たれる弾幕の美しさも重視されているため、スポーツ感覚に近い決闘である。
「……なんというか、聞いてる限りはずいぶん穏便な決着の着け方なんだな」
「ルール自体はね。その代わり妖怪たちも人間も無茶し放題さ。ま、私にはあまり関係のない話だけど」
さて、と一息ついてじっとシンを見る。
「? なんだよ?」
「人にばっかり喋らせるつもり? ここで最低限知っておくべきことはそれくらいのもんさ。あ、あと外から
来た人間は妖怪に襲われて食べられやすいってのもあったか。忘れてた」
「忘れるなよそんな重要なこと!」
「今言ったからいいじゃない。で、今度はそっちの番」
「俺の?」
「人里にいる知り合いのところに連れて行く前に身元の確認くらいはしておきたいってことだよ」
そう言われて、シンは俯いた。
やはり話しにくいのか、と案の上の反応に胸中で嘆息する。これまで外来人を一人や二人どころではなく見て
きたが、その中でもシンは異質だった。おそらく、というか明らかにただの人間とは違っていた。
「――戦争、してたんだ……」
長い間を置いて、呟くようにシンは語り出した。
ぽつりぽつりと漏れる言葉をただ黙って聞く。時折理解できない単語が出てきたが、なんとか分かった部分を
まとめると「月での戦争に敗北し、気付けばここにいた」とのことだった。
(これはまた、なんて言っていいか分からないわね……)
とにかくタイミングが悪いとしか言いようがない。不幸の星の元にあってももう少しマシではなかろうかと
思えるほどに。
「何も、何も守れなかった……ルナも、レイも、ミネルバも」
手袋をしていなければ爪が手に喰い込みかねないだろうと傍から見ても思えるほど拳を握り締めている。
だが、何も言わない。
下手に同情する気はないし、シンもされたくはないだろうと思ったからだ。
半端な救いは、害悪でしかない。それが純粋な善意であっても――否、純粋な善意であるほど最悪だ。
「あいつだってまだ生きていたかったはずなんだ……なのに、なのに俺だけこんなっ!」
だから、何も言わない。吐き出すだけ吐き出せば少しは落ち着くだろう。
自分の中で決めたルールのようなものだ。自分にとっても相手にとっても、傷付かないことが一番良い。
誰にだって触れられたくないものがある。傷を負った心は特にだ。
「こんなことになるなら俺が、代わりに俺の方が死んでいればよかった……!」
だから、
自分の心に深く残った傷に触れるその言葉は、
どうしても聞き逃すことができなかった。
「へぇ、そうなんだ。それじゃ――ちょっと歯を食い縛れ」
「え……?」
返事を待たず、握った拳を呆けた顔に叩きつけた。不意のことでろくに受け身も取れなかったのか、シンは
こっちが少し驚くほど派手に床を転がった。
「っ、いきなり何を……!?」
「怒った? 当たり前か。だけどねシン、あんたは今絶対に言っちゃいけないことを言ったんだ」
右手が痛い。加減することばかりを気にして変な殴り方をしたせいか。忠告したのはこちらだというのに何と
も締まらない様だった。
「はっきり言って他人がどこで何をしようが勝手さ。限りある命だ、好きに生きて好きに死ねば良い」
シンの襟首を掴んでぐっと引き上げる。鼻先が触れそうなほどの距離で、私は誰よりも自分を深く刺し貫く
言葉を突き出した。
「だけど、「死んだら良い」なんて言うことは許さない。命の限りを尽くさず自分で生を放棄することは絶対に
許さない。それは私への侮辱に等しい」
睨みつける先にあるシンの表情は怒りも恐怖もなく、ただただ困惑に満ちていた。
当然だろう、何故ここまで私が激昂しているのかを知る由もないのだから。
「だから――精一杯生きて、それから死ね」
掴んでいた襟首を離す。解放されたというのにシンはまだ戸惑った顔をこちらに向けていた。
「……もう遅い。布団ならそこに仕舞ってあるから好きに使っていい」
それだけ言って、私は玄関へと向かう。
「妹紅?」
「頭冷やしに行ってくるだけさ」
振り返りもせずそう言って、私は小屋を後にした。
しばらく当て所なく竹林を彷徨う。もう長い間住んでいる場所だ。時折惑わせにやってくる妖精や妖怪の影響
も受けない。故に、警戒心もなくぶらぶらと歩くことにした。
「生を放棄することは絶対に許さない、か」
自分の言った言葉に嘲りの笑みを浮かべる。果たして、最も生を侮辱しているのは誰なのか。
「――蓬莱の薬、人間は決して口にしてはならぬ禁忌の薬。一度手をだしゃ、大人になれぬ。二度手をだしゃ、
病苦も忘れる。三度手をだしゃ……」
呟きながら夜空を見上げる。竹林の間に浮かぶ満月の灯りに目が軽く眩んだ。
「……永遠の苦輪に悩む」
もう千年以上は見上げてきた光を眺めながら、最後の句を告げていた。
翌朝、シンを人里まで送り届けた。
道中では大して会話をすることもなかった。昨晩起こったことを考えれば話したくないという気持ちになる
のは理解できた。
私自身も積極的に自分から話すようなことはしない。いつものことだ。せいぜい「離れるな」だの「他所見す
るな」だのと忠告する程度だ。
らしくないことをした、と反省する。
頭に血が上っていたとはいえ、人を殴ってまで説教するような性分でもない癖に。
おかげで、この『いつものこと』である無言の時間すら息苦しさを覚えていた。
普段より何倍か長く感じる距離を歩き、ようやく人里へ辿り着く。
慧音にシンのことを紹介すると、ほとんど何も聞かず「後は任せろ」と言ってきた。話が早くて助かる。
じゃあね、一言別れの挨拶を告げて去ることにした。どうせもう何度も会うことはないだろう。自分が人里に
来ることは稀だし、シンも余程のことでもない限りすぐ外の世界へと帰るはずだ。
最後に、一度だけ後ろを振り向く。
何か言いたそうにこちらを見ているシンの姿があったが、すぐに前を向いた。
これでいい、と自分に言い聞かせながら帰路を辿った。
それからしばらく、あの夜のことを思い出しては後悔の繰り返しだった。
永く同じ生活を続けていると、それが乱れたときに感覚がおかしくなることはよくあった。
しかし今回のようなことは珍しい。ひょっとすると初めてではないのかと思えるほどに。
そんなことを考える自分が滑稽に思えた。何千年と生きてきてこの様とは何とも情けないと自覚し、さらに
泥沼へと嵌り込む。
そんな負の螺旋から抜け出すことができたのは、忘却よりも先に訪れた出来事からだった。
また竹林に迷った人間の気配を感じ急ぎ来てみると、シンの姿があった。
――後ろに、飢えた妖怪を何匹も引き連れて。
「なぁにやってんだお前はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
怒声と共に炎弾を放つ。うっかり加減を忘れてたので妖怪どもを吹っ飛ばした余波にシンが巻き込まれた。
「~~~~~ッあっついだろ何するんだよ妹紅!?」
「煩い! たった二週間かそこらで同じようなパターンを経験させられる私の身にもなってみろ! しかも
たった一人で来るなんて! 馬鹿なの!? 死ぬの!?」
「誰が死ぬか!」
「じゃあただの馬鹿だな! ばーかばーか!」
「馬鹿はどっちだ!」
「そっちだろ!」
「いいやそっちだ!」
もうほとんど会うこともないと思っていたというのに、早くも再会した挙句口論までしていた。
お互いに言いたいことを言い尽くすと、息を切らしながらシンが包みを差し出してきた。
「何これ?」
「人里で取れた野菜とか。慧音の代わりに持ってきた」
「あ、ありがと……ってまさかそれだけのために?」
「いや、それと……」
そこまで言いかけて、シンは黙り込んだ。
正確に言えば喉元まで出かかっている言葉をどう切り出すか迷っているようだった。
あまりにも長い間にいい加減イライラが募り、文句の一つでも言おうとしたところで、
シンが、頭を下げた。
「ごめん」
「え?」
「それと、ありがとう」
短く告げられた言葉に呆気に取られる。
だが、「ごめん」と「ありがとう」が何に対してのものなのかを察して、堪える間もなく笑いが込み上げてきた。
「ぷっ、くっ……あはははははははははははは!!」
「な、なんだよ突然笑い出して」
「いや、だって、あはっ! あっははははははははは!!」
可笑しい。本当に可笑しい
こちらが毎日悩むほどのことだったというのに、謝罪と礼を返されのだ。
これが可笑しくないわけがない。
――胸のつかえが、嘘のようになくなるほどに。
途方に暮れるシンを他所に、私は満足するまで笑い続けた。
本当に、本当に久しぶりによく笑った日だった。
「……まったく、光陰矢のごとしとは言うけど、いつの間にかすっかりこっちに慣れたみたいだねえ」
「ん? あぁ、そりゃまぁいろいろあったし」
「懲りずに一人でここに来てるけどね」
「俺の勝手だろ。これのおかげで妖怪に襲われることもほとんどなくなったし」
そう言いながらシンは懐から鈴を取り出す。
あまりにも竹林を訪れることが多いので、入口まで来たら鳴らすようにと言って私が渡したものだった。
これが鳴れば対になっているもうひとつの鈴が鳴り、シンが来たことを教えてくれるというわけだ。
最近になって気付いたが、この鈴が鳴れば私が来ると学んだのか妖怪たちは鈴の音を聞くと大人しくするよう
になったようだった。
今度から迷った人間に鈴でも渡すか、などと考えているとシンがぽつりと呟いた。
「……でも、ここに来て最初に妹紅と会えてよかったよ」
「蹴られたり殴られたりしたってのに?」
「あぁ」
迷わずそう言い切られるとは思ってなかったので、誤魔化すように茶を飲み干す。顔が熱い気がするのは気の
せいだろう。
こういう明け透けな物言いが時に面倒で、そして時に救われる。
まだ私が人間でいられるのだと安堵できるほどに。
「さて、用は済んだろ。陽も落ちてきたしさっさと帰った帰った」
「は? なんでそんな突然……」
「逢魔ヶ刻は厄介な妖怪も出歩くからね。竹林の内外関わらずさ」
ほらほらと引っ張り上げて背中を押す。
「お、おいおい! 強引すぎるだろ!?」
「いいからいいから。気をつけてな」
ぺいっと放るように玄関から突き出す。戸惑った顔をするシンだったが、「また来るからな!」と言って大人
しく帰っていった。
「何かあったらちゃんと鈴鳴らせよー!」
振り向かず手だけを振って、シンの姿は竹林の中に消えていった。
「さて、と」
気配が遠ざかったのを確認して、振り返り天を仰ぐ。
夜と夕刻の狭間に染まった空に浮かぶ月。
それを背に浮かぶ、着物を着た人影があった。
「さすがに……これをシンに見られたくないからねぇ」
口の端で笑いながら、背に炎の翼を顕現させる。
眼前には、千年以上もの間戦い続けた仇敵。
自分がこんな身体になった切欠の相手。
自分と同じ、不老不死の化物。
「さぁ――往くか!」
火の粉を引き連れて、今宵もまた不死者同士の殺し合いが始まった。
最終更新:2011年01月22日 08:11