<東方良宵談~人、酒を飲み、酒、人を飲み、妖、涙を飲む~>
――夕陽が山の向こう側に消え夜の帳が落ちた頃、提灯に明かりをともす。
薄ぼんやりと屋台の周りを照らし出すそのわずかな灯は、しかし他の光源が一切ないため十分にその存在を
闇中に浮き上がらせていた。
炭に火を着け、タレに浸けた開きを均等に網の上に並べる。
炙られた身とタレが香ばしい匂いを漂わせ始める。客を呼び寄せるという重要な役目を果たすために夜風に
乗って屋台の周りに静かに広がってゆく。
良い具合に焼き目の付いた身をひっくり返したとき、いつの間にか現れた気配にはっと顔を上げた。
「お、やってるね」
声と共に、暖簾をくぐって人影が現れた。
提灯の頼りない灯りでもはっきりと分かる白髪と紅い瞳。白磁の如き白い肌の上に重ねるように白い服を纏い、
ここいらでは滅多に見ることはない紅に染まったもんぺを履いている。頭上に大きな紅白リボンを乗せ、同じ柄
の小さなリボンが長い髪に等間隔で結われている。
――迷いの竹林の案内人、藤原妹紅だった。
「おーい、もうやってるみたいだぞー!」
こちらへの確認も取らずに片手で暖簾を広げて背後にいる何者かに声をかける。
彼女がここに一人でやってくることは珍しいことではないが、連れがいるのならば一人しか考えられなかった。
「まったく……一人で勝手に行くんじゃない」
呆れた声で呟きながら入ってきたのは、青みがかった銀髪の上に特徴的な青い帽子を乗せた女性だった。
上下一体となった青い服、胸元には紅いリボン、白いレースが幾重にも重なったスカートは一度見れば中々
忘れることはないだろう。
――人間の里の教師、上白沢慧音。
想像に違わずいつもの姿をした彼女がいた。
だが、予想外なことがひとつだけあった。
「気にしない気にしない。ほら、シンも入ってきなって」
「わかったって……えっと、お邪魔します」
今宵はもう一人、連れがいた。
黒髪と、妹紅のそれと似ている紅い瞳。借り物なのだろうか、ややサイズが大きめなジャケットにはいろいろ
な道具が入っているらしいが、傍目から見てそれが何の道具なのかは分からなかった。
初めて見る人間の少年だったが、その容姿からつい先日聞いたとある名前を思い出した。
――謎の外来人、シン・アスカ。
噂によると一度博麗の巫女の元へ行ったというのに未だこの幻想郷に留まっているという。
時折現れるという外の世界よりも幻想郷での暮らしを選んだ外来人なのだろうか、と我ながら珍しくそんな
ことを考えてしまった。
「さて、それじゃとりあえず注文しようかね」
まだ準備してる最中という言い訳を聞く気はないらしく、妹紅は品書きに手を伸ばした。
「……美味い」
「でしょ? ここのは他じゃなかなか味わえないからね」
「私も初めてここに来たときはなかなか味を忘れられなかったものだ。もっと人気のある場所でやったらどうだ?」
慧音の言葉に苦笑で返す。妹紅が隣で「よしとけよしとけ」と言わんばかりに手を振るのを見て、彼女は諦め
たように小さく息をついた。
「さて、シンも飲む?」
「飲むって……あ、これ酒か」
「待て妹紅、シンは……」
「固いこと言わない。ここじゃ外の常識なんてないんだから」
すでに何杯目かの酒を飲み干した妹紅はほんのりと顔を赤らめながらシンの持つ杯に酒を注ぐ。
妹紅ほどではないが、同じく酒を飲んでいる慧音も先の妹紅の言葉に返すことができずシンの反応を見守る。
そして、当のシンは酒の注がれた杯をじっと見つめたまましばらく固まっていた。
「? どした?」
「……いや、米の酒はあんまり飲み慣れてなくてさ」
その返事に、「ははーん?」と妹紅の目が怪しく光った。
「何? あんまりお酒飲んだことがないの?」
挑発的な響きを持った妹紅の言葉に、シンの瞼がピクリと震えた。
「おい妹紅、何を……」
「まぁしょうがないだろうけどねー。15か16だっけ? それくらいのお子様じゃなかなか飲んでないだろうしねー」
すでに少し酔っているのだろう。普段の彼女を知っていれば目を疑うような行為に出ている。こういう言葉を
使う相手はせいぜい一人くらいだと思っていたのだが。
それともあの少年が特別なのだろうか?
そうこう考えているうちに、件の少年が動いた。
「……勘違いするなよ、妹紅」
「お?」
「シン?」
「俺がいたところでは、15で成人だ……!」
そう言い切って、酒を煽った。
「……米の酒って、こんなに回りやすいのか」
「無茶をするからだ」
ぐったりとうつ伏せのまま呻く少年の背中をさすりながら、慧音は「まったく……」と溜息をついた。
その隣では妹紅が腹を抱えて笑っていた。
「あっはっはっは……そればっかりは経験積むしかないね、シン」
「飲ませたのは、そっちだろ……」
「生憎と、あそこまで一気に飲み尽くそうとしたのは私の予想外だったよ」
ぐっ、とシンが呻く。
熱くなりやすい性格なのだろうか、なるほどこれは弄り甲斐のある少年なのだろう。
「さてと、みんな適度に酔ってきたところでだ……シン?」
「あぁ?」
顔を横に向けたシンの目の前に、すっと妹紅は右手の小指を立てた。
「こっちの経験はどうだった?」
「こっ!?」
「妹紅!?」
まさかの話題にシンと慧音は示し合わせたかのように慌て始めた。
「酒の席とくればこういう話題だろ?」
「だからってこんな状況に追い込んでまでするか!?」
「そ、そうだぞ妹紅! こういう話をするなら、その、私にも心の準備をだな!」
「……なんで慧音もそんなに慌てるのさ」
まったく同じことを考えていただけに思わず笑みを漏らしてしまった。
「慧音だって気になるだろ?」
「う……そ、それは」
呻くようにもごもごと何かを言おうとしていた慧音だったが、やがて黙ったままシンの顔を見つめた。
「お、おい慧音!? なんでそこで黙る!? なんでそこで俺を見る!?」
「はいはい、もうまな板の上に乗ってるんだから観念するんだね鯉さん」
「誰が鯉だ!? 慧音! 頼むから妹紅を止めて……」
「む、もう空か」
「ってさらに酔って見なかったフリする気かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
席を立ち逃げようとするシンと、その肩に手を回してがっちりと抑えつける妹紅、そしてあくまで落ち付いた
体裁を保つよう咳払いをしつつ二人を止める素振りを見せない慧音。
――なんと賑やかな連中だろう。見ていて飽きない。
それはいい、それはいいんだけど……
「……今日はこの人たち以外お客さん来ないのかなぁ」
「おい夜雀! みすちー! これからいいとこだからもっとお酒! あと歌!」
「あ、私もおかわりを」
「誰でもいいから救いの手を! 誰か! 誰かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!!」
少年の断末魔の影に隠れて、人間嫌いの夜雀――ミスティア・ローレライはほんの少しだけ切なさを感じて泣いた。
最終更新:2011年01月22日 09:04