――昔話をしよう。
今から数百年前、千年近くも昔の話。“ソレ”は突然、結界を越えて月の裏側へ降ってきた。
鈍く輝く鋼鉄の巨体――鋼の巨人、見上げるほど巨大な機械人形である。
どこから来たのかは分からない。だが少なくとも地上の物とは思えなかった。地上にはこれほどの兵器を造る技術はないのだから。
しかし一方で、月で造られた物であるとも考え難い。確かに高度なテクノロジーの産物であるとは認めるが、月の兵器にしては“ソレ”はあまりにも稚拙だった。
正体不明な謎の兵器、その処遇は月の賢者達を大いに悩ませた。
過去にも地上の民が月面に迷い込んだことはある。その前例に倣えば兵器は解体、同時に保護した兵器の搭乗者は処刑または追放するのが適当だろう。
だが賢者達を躊躇わせたのは、兵器の一部に月の技術力を以てしても解析不能なテクノロジーが使われており、また扱いを誤れば深刻な汚染の危険性があったことである。
また搭乗者の方も、月人とも地上人とも異なる特徴が少なからず見受けられた。これは本当に宇宙人なのでは? そんな荒唐無稽な仮説が大真面目に議論された。
結局、兵器は月の都の最深部に厳重に封印、搭乗者の身柄は月の使者代表である綿月姉妹に一任することで、月の上層部を騒がせた一連の騒動は一応の決着となった。
シン・アスカ――綿月姉妹の片割れ、豊姫が飼う凄腕の兵士にして殺し屋。その男がかつて鋼の巨人に乗り月へ墜ちてきた異邦人であることを知る者は少ない。
だが、彼のことはひとまず置いておく。今問題となるのは封印された彼の愛機、彼が“デスティニー”と呼ぶ例の兵器である。
古来より、人形には魂が宿りやすいと言われている。「人」の「形」をした身体。それは人間の肉体と性質は異なるものの、精神が宿る器としては両者に大きな差はない。
さて――ここに一つの人形がある。数百年にも渡って神殿の奥に安置し、穢れを祓い、大切に祀ってきた人形だ。
鋼鉄の巨体は千年近くもの年月で朽ち果て、最早人形が再び動き出すことはない。しかし、炉心の火が消えて久しい機械仕掛けの人形の体内に――魂は確かに宿っていた。
器物百年経れば魂を持つと言われる。神に最も近い化生、憑喪神である。
ここでシン・アスカに話を戻そう。彼が主と仰ぐ綿月豊姫の妹・依姫は「神霊の依り代となる程度の能力」を持っている。
月におわす神々の数は八百万。その全てを依姫は自在に呼び出し、宿し、力を借り受けることができるのだ。
神霊の使役という、他に類を見ない強力な能力。当然、依姫の他にそんなことができる月人は皆無である。だが唯一、シンと“デスティニー”だけはその例外だった。
彼らはかつて、幾つもの戦場を文字通り一心同体となって戦い抜いてきた、その絆は今も変わらない。肉体は朽ちても、デスティニーの“魂”は常にシンとともにあるのた。
東方儚月抄異伝~ツキノケモノ~
第五話「ゲキトウ(後編)」
ゴッ――! 地上で突如発生した尋常でない何かの気配に、藍とレミリアは弾幕を撃つ手を止めた。
「何? この嫌な気配……」
「これは、神気……?」
膨れ上がる圧倒的な気配にレミリアは不愉快そうに顔を歪め、藍は怪訝そうに眉をひそめる。
瞬間、二人の間を紅い閃光が突如駆け抜けた。思わず目を瞬かせる藍とレミリアの前に、ソレはゆっくりと上空から降り立つ。
両手を覆う蒼い手甲。背中に生える真紅の翼。頬に走る血涙の跡のような赤い筋。オーラのような光が全身を包み込み、銃剣は身の丈超える大剣へ姿を変えている。
まるで別人のように変貌した“月の獣”――シン・アスカがそこにいた。
「成る程、神を降ろしたのか。まさかそんな隠し玉を持っていたとはな」
藍は愉悦に顔を歪めた。神霊との憑依合体、数百年前には無かった力だ。
事ここに至り、この戦いはがらりとその意味合いを変えた。憑喪神と一心同体となった今のシンは、存在としては言わば現人神だ。つまり今のこの戦いは――神殺し。
藍は笑った。獣狩りの筈がいつの間にか神殺しに化けていた。だが、そうでなくては面白くない。数百年も待ったのだ。つまらない決着など興醒めだ。
「さぁ……貴様の進化を私に魅せてみろ」
藍はそう言って右手を持ち上げ――不意に気づいた。シンを挟んだ反対側で、レミリアもまた、同じようにスペルを発動しようとしていることに。
「あんたの思い通りにはさせないわよ? クソ狐」
――呪詛「ブラド・ツェペシュの呪い」
意地の悪い笑みを浮かべ、レミリアがスペルを発動。虚空に光の大玉が幾つも発生し、爆発。無数の光弾が全方位へ飛び散る。
更にレミリア自身は空中を飛び回り、魔力で創り出した刃を投擲。光弾と魔力刃、二種類の弾幕がシンへ殺到した。
「あんのっ、クソ吸血鬼……!」
――行符「八千万枚護摩」
藍は憤怒に顔を歪め、負けじと自身もスペルを発動。妖気を帯びた呪符を袖の中から次々と投擲し、更に尻尾の先端に灯した鬼火を弾丸のように撃ち放つ。
前後から放たれた二人の弾幕が、滅茶苦茶に入り乱れながらシンを挟撃する。過剰弾幕に埋め尽くされた空間に、逃げ場などほぼ皆無に等しい――だがゼロではない。
弾幕の僅かな隙間に活路を見出し、シンは縦横無尽に空を翔ける。昔は亜光速ビームが飛び交う戦場を自在に飛び回っていたのだ。弾道を見切るなど容易い。
そして“相棒”と憑依合体した今ならば、拡大した知覚に追随するだけの機動性もある。空間を埋め尽くす無数の弾幕も、今のシンには止まって見えた。
――憑神「フルウェポン・コンビネーション」
弾幕の嵐を潜り抜け、シンはまず藍へ接近。左手の大剣が変形し、大型の長銃へ姿を変える。虚空を踏みしめて長銃を構え、シンはトリガーを引いた。
瞬間、大出力のレーザー光線が銃口から撃ち放たれる。一発、二発。砲撃なみの大火力を、射撃のような気軽さで連射する。それは立派な脅威だった。
咄嗟に結界を張り、襲いくる砲撃を辛うじて防ぐ藍に、シンが再び変形させた大剣を振り上げながら肉薄。大剣を振り下ろし、藍の結界を叩き割る。
丸裸となった藍の懐へ更に踏み込み、シンは右掌に霊力を集束。折れた右腕を無理矢理動かし、渾身の掌打を叩き込む。打撃と同時に霊力が解放、霊撃が藍を撃ち抜いた。
「お前らの遊びにつき合うつもりはない。さっさと終わらせてやる」
崩れ落ちる藍に背を向け、シンは冷然と言い捨てる。が、その直後――、
「――つれないことを言うじゃないか。私はこんなにも貴様に焦がれているのに」
甘えるような囁き声が、吐息とともにシンの耳を打つ。振り返ると、血まみれの妖狐がぞっとするような笑みを浮かべてシンを見つめていた。
「お前、まだ息があったのか」
「生憎としぶとさだけが取り柄なんでね」
うんざりしたように嘆息するシンに、藍はそう言って不敵に笑う。だが実際のところは、ただのやせ我慢だった。
直撃だけは免れたものの、身体には大穴が開き、何より「式」が壊された。
式神とは、素体となる妖獣等に式神の術式を被せることで成立する。それが壊されたのだ。今の藍は八雲紫の式神ではない、ただの一匹の妖狐だった。
だが、逆に言えば「それだけ」だ。まだ手も足も動く。弾幕だって撃てる。私はまだ――戦える!
――幻神「飯綱権現降臨」
藍は吐血しながらスペルを発動した。呪符が、刃が、大小様々な光弾が、至近距離からシンを撃ち抜く。
ざまあみろ。笑いながら崩れ落ちる藍に、シンが血を吐きながら大剣を振り上げる。狩られるのは私だったか。藍は死を覚悟した。悔いはないが、少しだけ寂しかった。
シンが大剣を振り下ろす。だがその時、横合いから飛び出した真紅の槍がシンの斬撃を受け止めた。レミリアだった。
「だから、私を無視するんじゃないっての」
魔槍を片手に不機嫌そうに鼻を鳴らし、レミリアはもう片方の手をシンへかざした。
――運命「ミゼラブルフェイト」
レミリアの掌から魔力の鎖が飛び出し、シンの身体を雁字搦めに縛り上げる。完全にシンを拘束したことを見届け、レミリアは翼を広げて飛翔した。
「さぁーて……いい加減飽きてきたし、そろそろ終わらせようかしら?」
言いながら、レミリアは魔槍を無造作に振るった。魔槍の表面がリボンのようにほどけ、くるくると渦を巻きながらレミリアの身体を包み込む。まるで巨大なドリルだ。
ドリルと化したレミリアが上空からシンめがけて急降下する。シンは鎖を力ずくで引き千切り、大剣をかざしてレミリアを受け止めた。
ガリガリと音を立てながらドリルの先端が大剣を削る。そして次の瞬間、大剣は無惨に砕け散り、元の銃剣の姿へ戻った。半ばから折れた“相棒”をシンは愕然と見下ろす。
霊子ジェネレーターを搭載しただけの旧型の銃剣。数百年前に型落ちしたそれは、性能だけを見れば月の最新兵器はおろか、兎達の基本装備にすら劣る。
だがシンは、寿命などとうに超えた旧型の銃剣を、改造に改造を重ねながら数百年間使い続けてきた。その愛着はデスティニーにも匹敵する、言わば“もう一つの相棒”だ。
「勝負あったわね。それとも、丸腰でまだ続けるかしら」
沈黙するシンに、レミリアが勝ち誇ったような顔で声をかける。シンは悔しさに歯噛みした。これで終わりなのか? また何も守れないまま終わってしまうのか?
いや、まだだ! シンは折れた銃剣を握り直した。まだ飛べる。デスティニーも傍にいる。俺はまだ――戦える!
その時、シンの手の中で銃剣がドクンと脈動した。停止した筈の霊子ジェネレーターが再び稼働を始め、淡い光が刀身に走る。だが霊力ではない。これは、神気……?
それはある意味、当然の帰結だった。器物百年経れば魂を持つ。それは武器もまた然り。数百年もの時を経たシン“もう一つの相棒”が、魂を持ち、憑喪神となるのは。
銃剣が一段と強く脈動し、溢れ出す神気が折れた刀身を補うように半透明の刃を形成する。復活した銃剣を構え、シンは笑った。負ける気がしなかった。
――神機「アロンダイト」
背中の翼を大きく広げ、シン、デスティニー、そして名もなき銃剣の憑喪神、三位一体となって空を翔ける。
レミリアが手の中に魔槍を生み出し、真紅の閃光となってシンへ突進。二つの影が空中で交差し――瞬間、レミリアの片翼が斬り飛ばされた。レミリアの顔に鬼相が走る。
シンは虚空を踏みしめて方向転換し、銃剣を再び振り上げる。そしてレミリアめがけて銃剣を振り下ろした刹那、金色の影が二人の間に割り込んだ。藍だ。
「……悪いな。こんなわがままお嬢様だが、殺させる訳にはいかないんだよ」
レミリアを庇い、肩に銃剣を深々と食い込ませながら、藍はそう言って凄絶に笑う。
藍が片手を無造作に振るった。瞬間、刃物のように鋭い爪が、シンの両腕を斬り飛ばす。両腕を失ったシンを、藍は肩に銃剣を食い込ませたまま地上へ蹴り落とした。
ショック死しそうなほどの激痛の中、シンは視界の端でキラリと光る何かを見た。刃だった。あの時、レミリアに折られた銃剣の切っ先だ。シンの瞳に光が灯る。
墜落寸前で体勢を立て直し、地面に転がる切っ先を口に咥える。そして背中の翼を広げ、再び飛翔した。危険度も傷の深さも狐の方が上。狙いを藍の方へ定める。
シンの接近に気づき、藍とレミリアが弾幕を放った。無数の光弾が頭上から降り注ぐが、シンは避けようとも防ごうともしない。ただ一直線に藍を目指す。
敵を倒す、月を守る。そこに妥協する余地はない。この数百年間、それだけのためにシンは生きてきた。否、何もかもを失ったシンにとって、今やそれだけが全てだった。
だから全てを懸けられる、月を守るため、敵を倒すためならば己の命すら簡単に捨てられる。
たとえ自分が倒れても、依姫がいる。彼女が月を守ってくれる。だが、その前に彼女の負担を少しでも減らす。それが俺の――シン・アスカの最期の役目だ!
弾幕が皮膚を焼き、肉を抉る。翼は折れ、片目は潰れ、それでもシンは止まらない。口に咥えた刃だけは離さず、残ったもう片方の眼を輝かせながら、シンは加速する。
そして――、
「――だから言ったでしょう、シン? そんな風に張り詰めてばかりだといつか切れてしまう、って」
聞き慣れた、しかしどこか懐かしい声が、シンの耳を打った。
――続劇
最終更新:2011年02月15日 17:28