突然だが、普通の魔法使い・霧雨魔理沙は今、深刻な生命の危機に瀕していた。
喉元に突きつけられた鋭い刃。否、喉だけではない。地面から無数の剣が生え、檻のように魔理沙達を取り囲んでいるのだ。
頼みの綱の博麗の巫女・霊夢はやる気があるのかないのか、地面に座り込んだまま微動だにしない。
一方、時を操るメイド・十六夜咲夜も隙を窺っているが、どうやら動けそうにないようだ。
そして単純な腕っ節では最強のレミリアは、今はどこをほっつき歩いているのか分からない。まさに絶体絶命だ。
「どうしたの。別に動いても構わないわよ?」
祇園様の怒りに触れるけど、と意地悪く笑うのは、綿月依姫と名乗る月人だ。悠然と腕組みし、余裕の態度でこちらを挑発してくる。
だが下手に挑発に乗る訳にはいかない。一見自然体だが、依姫には全く隙がないのだ。実力差は歴然としている。
それに依姫が口にした「祇園様」という名、あれは須佐之男命の別名だ。彼女はその身に降ろした須佐之男命の力を借り受け、剣の檻を創り出しているのである。
どうする? 魔理沙は必死に頭を働かせた。まともに闘っても勝ち目はない。しかし逃げるにしてもロケットは大破している。この絶望的な状況をどうやって切り抜ける?
「……自力で月にくるなんてどんな奴かと思ってたけど、期待外れね」
依姫が落胆したように吐息を漏らす。
その時、上空から突如爆音が轟いた。見上げると、色とりどりの光が空を鮮やかに染め上げ、時折ぶつかり合っては派手に爆発している。
何だ、誰かが弾幕ごっこでもしているのか? そんな魔理沙の推測を裏づけるかのように、見慣れたシルエットが二つ、空を横切る。
片方はレミリア、そしてもう片方は八雲紫の式神・藍だ。レミリアはともかく、どうして藍が月にいるのかは知らないが、こちらの一大事も知らずに暢気なものだ。
魔理沙は呆れ顔で空を眺めるが、やがて異常に気づいた。おかしい。弾幕ごっこにしては、アレはあまりに殺伐としている。
膨らむ違和感はやがて疑念となり、そして第三の人影が空に現れた瞬間、それは確信に変わった。
放たれる殺人スペルの応酬。抉れる肉、飛び散る血……。理解してしまった。アレは自分達の「ごっこ遊び」ではない――本物の「殺し合い」だ。
「何だよ、あれ……!?」
魔理沙は呆然と呟いた。初めて見る本物の殺し合いに、完全に呑まれてしまっていた。
その時、空から何かが落ちてきた。地面から無数に生える剣の一本に突き刺さったそれは、どう見ても人の腕だ。
魔理沙は声に絶叫を上げた。霊夢と咲夜も息を呑む。依姫がまるで痛みを堪えるように顔を歪め、剣に突き刺さる腕を引き抜いた。
「あの馬鹿……!」
血まみれの腕を胸に抱き、依姫は素早く身を翻す。先刻とはまるで別人のように悲愴な顔だ。既に魔理沙達のことは眼中にない。
「――待ってくれ! 提案があるんだ!!」
今にも走り去ろうとする依姫の背中に、魔理沙は咄嗟に声をかけた。剣の檻から身を乗り出しながら叫ぶ魔理沙に、依姫が足を止め、振り返った。
東方儚月抄異伝~ツキノケモノ~
第六話「決着」
それは突然の出来事だった。
シンが口に咥えた刃が藍の喉を引き裂こうとしたまさにその時、どこからともなく飛来した紐がシンに絡みつき、地上へ容赦なく引きずり降ろしたのである。
「な……何だぁ?」
レミリアが素っ頓狂な声を上げる。だがシンに驚いたのではない。
見知った紅白と黒白の少女達が、まるで敵対するかのようにレミリアの前に立ち塞がってきたのである。霊夢と魔理沙だ。
同じように、藍の背後にもいつの間にか咲夜が忍び寄り、首筋にナイフを突きつけていた。
「……どういうつもりかしら? あんた達」
立ち塞がる霊夢と魔理沙を睨みつけ、レミリアが低い声で尋ねた。レミリアの問いに、霊夢が退魔針を突きつけながら鼻を鳴らす。
「どうもこうもないわよ。もう十分楽しんだでしょう? 物騒な殺し合いごっこはもうおしまい。これ以上ダダこねると退治するわよ?」
有無を言わさぬ霊夢の剣幕に、レミリアは「うー」と助けを求めるように咲夜を見る。レミリアの視線に咲夜はにっこりと笑い――諦めろと無言で首を横に振った。
グダグダだな。どうにも締まらない主従のやり取りを横目で見遣り、藍が溜息混じりに呟く。
「……興醒めだ」
何もかもが馬鹿馬鹿しくなってしまった。
一方、地上へ引きずり落とされたシンは、そのまま桃の木に背中から勢いよく叩きつけられた。
「がっ……!?」
衝撃で肺が圧迫され、シンの口から苦悶の声が漏れる。口に咥えていた刃が、ぽろりと地面に落ちた。
直後、待ち構えていたかのように叢から兎達が出現。おっかなびっくりしながら桃の幹にシンをきつく縛りつける。
「あっ!? こら、お前ら何しやがる!!」
シンが喚き声を上げながら暴れるが、自身を拘束するフェムトファイバーの組紐から抜け出すことはできない。
フェムト――つまり須臾とは、生き物が認識できない僅かな時のことである。
時間とは認識できない時が無数に積み重なってできている。だが時間の最小単位である須臾が認識できないため、時間は連続しているように見えるのだ。
同じように、フェムトファイバーも一見連続した物質のようだが、実は認識できないほど微細な繊維が無数に組み合わさってできた組紐だ。その強度は計り知れない。
「何のつもりだ――依姫!!」
シンの怒号に応えるように、桃の木の陰から見知った顔が姿を見せる。腰に長剣を帯び、血まみれの腕を小脇に抱えた長身の女性――月の使者のリーダー、綿月依姫だ。
「――黙れ負け犬」
開口一番、依姫はぴしゃりと言い放った。あまりに痛烈! 絶句するシンを冷ややかに見下ろし、依姫は続ける。
「何のつもり? それは私の科白よ、シン。よくも好き勝手に暴れてくれたわね。挙句そのような無様を晒して……精々お姉様への言い訳でも考えておくことね」
依姫の叱責にシンはぐうの音も出ない。兎達がくすくすと笑う。が、シンに睨まれ散り散りになって逃げ出す。
「この場は私が預かります。あんたは手出し無用。そこで黙って見てなさい」
シンを見下ろし、有無を言わさぬ調子でそう口にする依姫の傍に、霊夢と魔理沙、レミリアと咲夜、そして藍が降り立つ。
「……お前、一体何するつもりだ?」
「ちょっと遊んであげるだけよ。地上の民と同じ次元でね」
訝しそうな顔で問うシンに、依姫はそう言って笑う。
「――この世で最も無駄な遊戯、スペルカード戦とやらでね」
スペルカードルール。それは人妖が共存する幻想郷だからこそ生まれた、強者も弱者も誰もが平等に楽しめる、知的で美しい決闘法である。
基本的に一騎打ちで戦い、その際自分の持っている大技の全てを相手に躱されるか潰されたら負け。
技と体力が残っている側はそのまま続けても構わないが、勝負がついたら大人しく引き下がる。それがスペルカード戦の概要だ。
このルールが普通の決闘法と決定的に違う点は、これが精神的な勝負だというところにある。要するに、美しい方が勝ちなのだ。
魔理沙の提案とは、今回の月と地上との諍いをスペルカード戦によって決着をつけるというものだった。
そして依姫は、幻想郷側が全敗した場合は大人しく地上へ帰ることを条件に、その提案を承諾したのである。
こうして始まったスペルカード戦は――結論から言えば、依姫の圧勝だった。
そもそも、相手が時を止めようがレーザーを撃とうが、吸血鬼だろうが巫女だろうが、八百万の神を従える依姫にとっては大した脅威にはなり得ない。
時を止められれば物量で逃げ場を塞ぎ、レーザーを撃たれればぶった切り、日光に弱い吸血鬼には太陽の光をぶつけ、巫女が穢れをばら撒けば片っ端からそれを祓う。
「すげぇ……ストレート勝ちかよ」
一方的に敵を蹴散らす依姫の姿に、シンが感嘆とも呆れともつかぬ声を漏らす。まさに依姫無双。二対一で苦戦していた自分が馬鹿みたいだ。
ちなみに、その二対一でシンを苦しめた片割れである藍は、シンとの死合いを邪魔されてこの戦いそのものに興味を失くしたのか、勝負自体を棄権していた。
「さて……これで満足したかしら?」
右手の長剣を腰の鞘に納め、依姫は悠然と敗者を見下した。兎達がわあっと歓声を上げる。完全勝利だ。
シンは安堵の息を漏らした。無駄な血を流さずに見事この場を収めてみせた依姫の手腕には頭が下がる。戦うだけが取り柄の自分にはできない芸当だ。
何にせよ、後は豊姫がこの侵入者達を地上へ送り返しさえすれば、今回の騒動は一件落着となりそうだった。
一方その頃、月の賢者の住処への侵入を試みた八雲紫は、いつの間にか地上へ逆戻りし、先回りして罠を張っていた豊姫と対峙していた。
豊姫は自身の「海と山を繋ぐ程度の能力」によって紫のスキマに干渉し、スキマの出口を幻想郷の竹林へ変えたのである。
「――最初から気づいていたわ。あの大時代なロケットはただの囮、本命は別に現れるとね。数百年前はしてやられたけど、同じ轍を踏むつもりはない」
右手に握る扇子――扇げば森を一瞬で素粒子レベルで浄化する月の最新兵器を突きつけながら、豊姫は冷然と微笑する。
数百年前の月面戦争において、紫が率いる妖怪軍団は依姫と豊姫の圧倒的な力を前に大敗を喫した。
しかし豊姫達にとって誤算だったのは、大妖怪の精鋭によって構成された紫の軍勢はただの囮で、その裏で藍率いる別働隊が別ルートから月に侵入していたことだ。
吸血鬼ほど飛び抜けて強力な妖怪はいないものの、少数の大妖怪と多くの中小妖怪から成る妖怪軍団の奇襲により、玉兎の守備隊は壊滅。
悠久とも言える平和な時代に慣れきり、圧倒的に実戦経験に欠ける兎達が、地上の乱世を生き抜いた百戦錬磨の妖怪達に太刀打ちできる道理はなかった。
当時(建前上は)食客として綿月邸に半ば幽閉されていたシンが、禁を破り、月の武器を持ち出して孤軍奮闘しなければ、妖怪達の月の都への侵入もあり得たかもしれない。
あの戦いは、月と地上との戦争という点で言えば確かに紫達の敗北だ。だが同時に、月の防衛を任される月の使者としては、豊姫達の負けだった。
その時の苦い教訓を活かし、豊姫と依姫は最初から二手に分かれ、地上から侵入した敵を別々に迎え撃ったのである。
道は爾きに在り、而るにこれを遠きに求む。綿月姉妹の師である八意永琳の口癖だ。紫は回りくどいことを正しいと勘違いした。
真正面から勝ち目のない戦いを挑んだ愚かな妖怪と、策を弄して天網を掻い潜ろうとした浅はかな妖怪。果たしてどちらが道であったのか?
「――成る程ね。こりゃどうしようもないわ」
紫は乾いた笑みを漏らし、おもむろに両手を持ち上げた。
「降参よ、降参! 最初からまともに戦って勝ち目なんかないんだから」
「……いやに聞き分けがいいわね?」
警戒するように眉をひそめる豊姫に、紫は無言で肩を竦める。囮作戦がばれた時点で負けは確定しているのだ。これ以上の抵抗に意味はない。
「敗れた側がこんなことを言うのもおこがましいかもしれないが――」
紫は地面に座り込み、両手をついて深々と頭を下げた。
「全ては愚かな一妖怪の所業、地上に住む全ての生き物には罪はない。どうかその扇子で無に還すのは勘弁願えないだろうか」
そう言って土下座する紫を、豊姫が瞳に冷徹な光をたたえて無言で見下ろす。
地上の生き物に罪はない? そんな筈がない。数多の死で満たされ、無限の生で穢れた地上に生まれ、生き、そして死ぬ。それだけで赦されざる罪なのだから。
沈黙の後、豊姫はおもむろに口を開いた。
「お前への罰は月へ持ち帰って考えるとして、地上の生き物への罰は――」
言葉を切り、豊姫は不意に顔を上げた。夜空に浮かぶ、少し欠けた満月。赤く輝くそれは、誰かの瞳とよく似ている。
「――地上の生き物への罰は、一生地上に這いつくばって生き、死ぬこと」
豊姫はそう言って扇子を閉じた。
――続劇
最終更新:2011年02月15日 17:37