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最終話「負け犬達の宴」

 地上の住人が月の裏側へ侵入したあの事件から、早くも二週間が経とうとしていた。
 豊かの海で起きたあの戦いの後、捕らえた地上人の殆どは、豊姫によってすぐに地上へ送り返された。
 例外は依姫に命じられて月に留まった地上の巫女・霊夢ただ一人。

「――それで、その依姫様は地上の巫女を連れて何をしているの?」
「ああ、何でも依姫様の潔白を証明するために使うんだってさ」

 桃をかじりながら尋ねる女性に、玉兎は銃剣の稽古を続けながら答える。
 事件から二週間近くが経ち、月の使者の兎達も平常運転に戻っていた。即ち、適度に稽古し、適度にサボる――だ。
 綿月邸の裏庭にある練兵場には、兎達のやる気があるのかないのか分からないかけ声が断続的に響いている。

「潔白?」

 なおも首を傾げるその女性に、兎は銃剣の切っ先を下げ、得意げな顔で語り始める。
 そもそも、綿月姉妹に謀反の疑いがかけられた理由は、依姫にしかできない筈の神霊の使役が地上の巫女によって行われていたためである。
 そこで依姫は、己の潔白を証明するために地上の巫女を都のあちこちへ連れ歩き、月の民の目の前で実際に神霊の召喚を行わせたのだ。

 いつの間にか、彼女達の周りには他の兎達が集まり、訓練そっちのけで雑談の花を咲かせていた。
 つい二週間前、月に侵入した地上の妖怪を相手に逃げ隠れることしかできなかったことなど、既に忘却の彼方だ。

「……随分と楽しそうだなぁ? オイ」

 芝生を踏む音とともに背後から聞こえた低い声に、兎達の表情が凍りつく。ギギギッ、とぎこちない動作で振り返ると、案の定見知った人影が一つ。
 シンだ。紺色の制服の上にいつもの赤い上着を羽織り、腰に銃剣を帯びたその立ち姿からは、二週間前の激闘の痕跡は感じられない。

 ただ一つ、今までと変わった点を上げるとすれば、右手に黒い手袋を着けていることだろうか。
 それ以外は全くの普段通り。とても二週間前、両腕をぶった切られた人間とは思えない。

「ど、どうもぉ……。アスカ様」

 誤魔化し笑いを浮かべて手を振る兎達に、シンは憮然と鼻を鳴らす。とても不機嫌そうだ。兎達の顔から血の気が引いた。

「そんなに暇なら、俺のリハビリにつき合ってくれないか? 何、軽いもんだろう? 怪我人とちょっと模擬戦するだけなんだからな」

 口元をにやりと吊り上げるシンに、兎達の中から悲鳴が上がる。

「あ、あんた最初にいきなさいよ」
「嫌よ! あんたこそお先にどうぞ」

 不毛な押しつけ合いを始める兎達にデジャヴを感じながら、シンは先日修理が完了したばかりの銃剣を腰の鞘から引き抜く。怯える兎達を見回し、死刑宣言。

「……面倒だ。お前ら全員まとめてかかってこい」

 兎狩りが始まった。

「――それじゃあ私達はもう行くわ。お稽古頑張ってね」

 銃剣を片手に兎達を追い回すシンの背中に、桜色の着物の女性が声をかけた。その傍にはおかっぱ頭の少女がつき従い、シンへ無言で会釈する。
 シンは「ん?」と首を傾げた。見慣れない顔だ。あんな連中、月にいただろうか……?




 東方儚月抄異伝~ツキノケモノ~
     最終話「負け犬達の宴」




「――へぇっくしょん!!」

 紅魔館地下・大図書館の真ん中で、霊夢は大きくくしゃみをした。それもその筈。真冬だというのに彼女の格好は水着一枚、しかも全身がずぶ濡れなのだ。
 月での見世物生活からやっと解放され、約一ヶ月ぶりに幻想郷へ帰ってきた霊夢は、帰還早々にレミリアに攫われ、問答無用でこの巨大屋内プールへ連れ込まれたのである。
 レミリアが「海」と呼ぶその巨大な水溜りは、月面で本物の海を見たレミリアが、幻想郷にはないそれへの憧れから、パチュリーにねだって地下図書館に造らせたものだ。
 しかし繰り返すが今は真冬。そんな中で温水でもないプールで水遊びでもしようものなら凍えてしまうのは必至である。事実、霊夢も魔理沙もガタガタと震えている。

「あんた馬鹿じゃないの!?」

 霊夢がそう怒鳴るのも、まぁ無理からぬ話だった。

 その時、空間がかぱっと口を開け、見知った顔がひょいとスキマから顔を出した。魔理沙が「あ」と声を上げる。
 八雲紫。今回の騒動の元凶で、どこに雲隠れしていたのかここ最近は姿を見せなかった、胡散臭いスキマ妖怪だ。

「――ごきげんよう、皆さん。何だか面白いことをしているそうね?」

 酒でも飲んだのだろうか。赤い顔でにこやかに挨拶する紫に続いて、藍、幽々子、妖夢とお馴染の面子がスキマから現れる。

「何よ、あんた達。茶化しにきたの?」
「まぁまぁ。勿論手ぶらできた訳じゃないのよ?」

 しっしと追い払うように片手を振る霊夢に、紫は両手で抱えた酒瓶を見せる。途端に霊夢は上機嫌になった。

「やっぱり冬の水遊びより身体が温まるお酒よね!」

 掌を返したような霊夢の態度に、紫は苦笑。ビーチパラソルの下で寝そべるレミリアに無言で伺いを立てる。レミリアは頷き、傍らの咲夜に宴会の用意を申しつけた。

「あ……美味しい。これ何のお酒?」

 コップに注がれた酒を一口口に含み、霊夢は驚いたような顔で紫を見た。これほどの美酒は今まで飲んだことがない。紫は一体どこでこれを手に入れたのだろう?
 霊夢の問いに、紫は「ふふん」と誇らしげに胸を張って答える。

「地上では味わえない、千年物の超々古酒。月の都から盗んできたの」

 実際にかっぱらってきたのは幽々子だけどね、と紫は傍らの親友に一瞥を向ける。

 実はあの時、月に侵入したのはレミリア一行と紫達の二組ではなかったのだ。紫が湖につくった入口を通り、幽々子と妖夢も月に忍び込んでいたのである。
 月の使者のリーダーは二人いる。一人は神霊をその身に降ろして戦う実力派、もう一人は地上と月を結ぶ援護要員。彼女達を騙すために、紫は二種類の囮を用意した。
 まず依姫を引っ張り出すためにレミリア一行を目立つ月ロケットで先行させ、次に紫自身が囮となって豊姫の目と能力を引きつける。

 最悪の可能性として、豊姫の護衛として“月の獣”が出てくることも覚悟したが、幸いにも奴は依姫の側に回ってくれた。そのせいで藍が離脱したのは流石に想定外だったが。

 そして二種類の囮が月の使者を引きつけている隙に、紫が残した手がかりを辿り、幽々子ががら空きの綿月邸に侵入し、めぼしいお宝を物色。
 その後一ヶ月間月で身を潜め、紫が再び月と地上を結ぶことのできる次の満月にスキマを通って幻想郷へ帰還したのである。

 計画の要とも言える盗みの実行犯として紫が幽々子を選んだ理由は、彼女が亡霊であることが大きい。生死がない亡霊ならば、穢れを嫌う月の都に忍び込んでも目立ちはしない。
 紫の目的は最初から綿月姉妹が所有するお宝にあった。だが、お宝を盗み出すのは必ずしも紫である必要はないのだ。

 幽々子が選んだお宝が酒だったことも、紫としては百点満点だった。酒ならば飲んでしまえば取り返すことはできない。月の使者の悔しがる顔が目に浮かぶようだ。

「――ったく、あんたもよくやるわよ」

 ひと通りの計画の概要を紫から聞かされ、霊夢は呆れたようにそう口にした。

「そう言えば藍、あんた結局紫の式神に戻ったのね?」

 紫の傍らで甲斐甲斐しくお酌する藍に、霊夢は意外そうに尋ねた。あの時、シンに式を壊された藍は、その瞬間に紫の式神ではなくなった。つまり自由の身となったのだ。
 しかし藍はわざわざ紫の元へ舞い戻り、新しく式を打たれて紫の式神に戻った。自由を捨て、再び首輪に繋がれることを選んだのである。

「私は紫様に無理矢理従わされている訳ではありません。私の意思で、この方に仕えているのです。紫様は私の、誇るべき唯一の主ですから」
「――その誇るべき唯一の主を放ったらかして男に走ったのは、一体どこの式神様だったかしら?」

 迷いのない笑顔で答える藍に、紫が赤く酔っ払った顔で横から茶々を入れる。

「そう言えば藍? あんたあそこまで派手に啖呵切ったんですもの。当然、それ相応の成果はあったんでしょうね?」
「成果ですか?」

 紫の問いに、藍は「うーん」と困ったような顔で唸る。結局、藍は“月の獣”を倒すことも手に入れることもできなかった。
 あの戦いで藍が得たものと言えば、精々“月の獣”の本当の名と、新しく増えた胸の傷。そして――、

「――腕一本分くらいですかね?」

 答えにならない藍の答えに、紫は「は?」と首を傾げた。






 その頃、月の都の綿月邸では、秘蔵の酒を持ち去られたことに気づいた依姫が荒れに荒れていた。

「おのれ、あの狸-っ!!」

 癇癪を起こした子供のように宝物庫の財宝を手当たり次第に投げて当たり散らし、依姫は絶叫する。
 小賢しい地上の妖怪も許し難いが、それ以上に下賤な地上の民にまんまと出し抜かれた自分が腹立たしい。

「……その辺にしとけ、依姫。もう気は紛れただろう?」

 怒り狂う依姫の耳を、背後から低い静かな声が打つ。振り返ると、腕組みをしたシンが宝物庫の壁に寄りかかり、依姫を睨んでいた。

「本音を言えば、被害が酒瓶一本だったことに俺は安堵してるよ。連中に空き巣を働く程度の度胸しかなかったことにな。これで都の住人に被害が出てたら――」
「解ってる! 解ってるわよ、そんなこと!! あんたに言われるまでもなくね!!」

 シンの諫言を遮るように、依姫が叫んだ。

「私達は月の使者なの! ここは地上と月を繋ぐ最前線! 私達は何があっても、どんな形でも、地上の者に負ける訳にはいかないのよ!!」

 ヒステリーでも起こしたように喚き散らす依姫にシンは閉口する。彼女のこんな姿を見るのは初めてだ。
 妥協を許さない生真面目さは依姫の美点の一つであるが、ここまでくると病的ですらある。

 しかしその一方で、依姫の気持ちも理解できないでもないのだ。彼女は月の使者としての使命に誇りを持っている。
 兎達への苛烈な態度も、異常とも言える地上の民への敵愾心も、月を守りたいという強い気持ちの裏返しなのだ。

「そうでなければ、八意様に――師匠に顔向けできないのよ……!」

 依姫の眼から涙が零れた。押し殺したような嗚咽が宝物庫に小さく響く。普段の気丈な姿がまるで嘘のように、今の依姫は小さく弱々しく見えた。

 依姫がここまで取り乱すのは理由がある。奪われたのが玉や剣であればまだ笑って済ませることができた。
 だが敵が盗んでいったのは、今は裏切り者として月に追われる彼女達の師、八意永琳から賜った超々古酒。言わば形見の品のようなものなのだ。

 泣きじゃくる依姫に、シンは何も言わない。男として胸の一つでも貸してやるべきなのかもしれないが、生憎とシンにそんな度胸はなかった。

「――シン。そう言えばあんた、また兎達をいじめたんですってね?」

 ひと通り泣いて立ち直ったのか、依姫は涙を拭ってシンを見た。赤く泣き腫らした両眼には、今までとは違う、何かを決意したような強い光を湛えている。

「今度から私の鍛錬にもつき合いなさい! 玉兎だけじゃない、私も平和ボケしてたって気づかされたわ。もう二度と、地上の民なんかに負けないためにっ!」

 有無を言わさぬ調子でそうまくし立てるや、依姫はシンの返事も聞かずに宝物庫を飛び出した。きっと兎をしごきにでも行ったのだろう。
 一人宝物庫に取り残され、シンは「やれやれ」を肩を竦める。強引なものだ。だが何も問題はない、どうせ自分に拒否権などないのだから。

「――全く。本当に慌ただしい娘ね」

 開けっ放しのまま放置された入口の陰から、豊姫がぼやきながら唐突に顔を出した。いつからそこにいたのだろう? 神出鬼没な主に戦慄するシンを一瞥し、豊姫は一言。

「このいくじなし」

 訳が分からなかった。

「ところでシン、あれから調子はどうかしら?」

 唐突に投げかけられた豊姫の問いに、シンは反射的に右腕を見た。

「まずまずってところですね。――義手の調子も悪くない」

 手袋に覆われた右手を握ったり開いたりしながらシンは答える。

 流石は月の科学力と言うべきか、二週間前の戦いで負った傷は、既に日常生活を送る程度ならば支障がないレベルまで回復していた。ただ一箇所、右腕を除いて。
 あの戦いの後、依姫が回収した左腕は何も問題なく継ぎ直した。だが右腕がどれだけ捜しても見つからない。どうやらあの藍とかいう妖狐が持ち去ってしまったらしいのだ。

 今、シンの右腕には月の最新技術で造られた義手が取りつけてある。失くしてしまった生身の腕に未練がないと言えば嘘になるが、当面はこれで問題ない。

「……ねぇシン、貴方は私達を恨んでる?」

 何の脈絡もなく放たれた豊姫の問いを、シンは一瞬意味が理解できなかった。思わず「は?」と訊き返してしまう。

「腕のことなら俺の自業自得ですよ。あんたが気に病むことじゃない」

 シンの返答に豊姫は「そうじゃなくて」と首を振り――、

「――あの時、地上の巫女と一緒に貴方を地上へ還さなかったことよ」

 重ねて告げられた豊姫の科白に、シンは沈黙。無言を貫くシンに、豊姫は言葉を続けた。

「穢れた地上で生きて死ぬことは、私達月の民から見れば確かに罪なことよ」

 でもね、シン。豊姫は言い聞かせるようにシンを見上げた。

「自分が生まれた世界で精一杯生き抜き、限りある命を全うすることは――地上の生命である貴方にとっては、とても当たり前で、幸せなことではないのかしら?」

 その当たり前の幸せを、私達は貴方から奪っているのではないの? そう続く筈の言葉を、豊姫は無意識に呑み込んだ。面と向かって尋ねて、そして肯定されるのが怖かった。
 シンを見ていると、時々どうしようもなく怖くなる時がある。
 この千年も生きていない、自分達より遥かに年若い男の子は、時に平然と自らの命を投げ打とうとする。それが戦場であれば尚更だ。まるで死に場所を求めるかのように。

 今回の事件でもそうだ。敵の首魁を懲らしめて月へ凱旋した豊姫は、瀕死の重傷を負ったシンを見て絶句した。何が彼をそこまで駆り立てるのか、豊姫には理解できなかった。
 シンは本当は死にたいのではないか? いつの頃からか、豊姫の中でそんな疑念が生まれ、それは日を追うごとに肥大化していった。
 その仮説が正しければ、シンはきっと自分を恨んでいる。そんな確信が豊姫にはあった。寿命をもたらす穢れを祓い、彼を死から遠ざけているのは、他ならぬ豊姫なのだから。

 その一方で、都合のいい道具としてシンをこき使い、時に死地へ送り込むのもまた豊姫。何という矛盾。豊姫は自嘲に顔を歪めた。

「……話が分かりませんね。特に用がないのなら俺はもう行きますよ」

 無理矢理会話を打ち切って立ち去ろうとするシンの背中に、豊姫は追いすがるように声をかけた。

「じゃあこれだけは答えて、シン。――貴方は、地上へ帰りたい?」

 その言葉にシンはぴたりと足を止め、豊姫を振り向いた。

「……今更ですよ。豊姫様」

 沈黙の後、シンはゆっくりと口を開いた。

「月だろうと地上だろうと、俺にとってはどこでも同じだ。あんたの言う俺が生きるべき世界なんてどこにもありはしないし、どこにいようと俺がやるべきことは変わらない」

 だから、とシンは笑った。

「――どうせなら、好きな人達の居場所を守るために戦いたいじゃないですか」

 その言葉に豊姫も自然と笑みを零す。胸の重しが取れたような気分だった。

「そうだわ、シン。貴方に用があるんだった。ちょっと仕事を頼まれてくれないかしら?」

 何か名案を思いついたように両手を打ち鳴らし、豊姫は朗らかな笑顔で口を開いた。

「裏庭の桃がいい感じに熟れてきたの。宴会を開きたいから準備を手伝ってくれない?」

 弾んだ声で告げられた豊姫の科白に、緊張に硬く強張っていたシンの表情が緩む。どうせ拒否権などありはしないのだ。ならば答えは一つだろう。

「仰せのままに。女王様」

 そう答えるシンの顔は、笑っていた。

「あ! でもその前に……」

 豊姫は思い出したように周囲を見回した。そう――依姫の八つ当たりで散らかり放題な宝物庫を。

「――まずはここの片づけからね」

 シンは「ぎゃふん」と呻いた。



 ――終幕

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最終更新:2011年02月25日 22:30
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