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第三話「燃える竹林(前編)」

 竹藪に隠れ、鈴仙はじっと息を潜めてシンとレイセンの様子を窺っていた。
 月の使者。それも豊姫と依姫が擁する最高戦力である“月の獣”――シン・アスカ。彼が地上へやってくるなど尋常ではない。

 いよいよ月も本気で師匠達を連れ戻しにきたのか? 鈴仙の顔に緊張が走る。永琳と輝夜は月の都では指名手配犯だ。今の月の使者はその捕獲を第一の任務としている。
 実のところ、月の使者は既に永琳達の居場所を掴んでいるのだ。それでも捕獲に乗り出さないのは、リーダーである綿月姉妹が永琳の意を汲んで見逃しているだけに過ぎない。
 それが今になって、月の使者の切り札とも言えるシン・アスカの投入。鈴仙には月が本気で二人の捕獲、或いは抹殺に動き出したとしか思えなかった。

 更にシンと月兎の不穏な会話も、鈴仙の疑念を助長させていた。目的は分からないが、彼らは永琳に会おうとしている。そしてシンの顔には、明らかな殺意が垣間見えた。

 どうする? 鈴仙は自問した。最善の選択は、このまま奴らに気づかれずに離脱して、一刻も早く永琳達にこの危機を伝えることだろう。だが、その後はどうする?
 閉鎖された幻想郷に逃げ場などない。たとえ逃げたとしても、いずれ発見されるのは時間の問題だろう。
 ならば戦う? それこそ論外だ。相手は第一次月面戦争の生き残りであり、月人殺しとしても有名なシン・アスカだ。まともに戦えば如何に永琳と言えども分が悪い。

 どうする。どうする? 鈴仙の葛藤は続く。いっそこのまま逃げ出してしまおうか? いや、駄目だ! 脳裏をよぎる甘美な誘惑を、鈴仙は頭を振って打ち消した。
 永遠亭は私の居場所だ。永琳と輝夜は大切な家族だ。失いたくない、月なんかに連れて行かれたくない。それに何より――私自身が、もう逃げたくない!

 鈴仙は震える右手を持ち上げ、シンの背中に指鉄砲を向けた。馬鹿なことをしようとしていることは鈴仙にも分かっている。だが、自分の選択に後悔はなかった。
 指先に光が集まり――撃つ。奇襲、狙撃。だが背後からの不意打ちにシンは即座に反応。振り向きざまに銃剣を抜き放ち、鈴仙が放った弾丸を弾き飛ばす。
 ミスった! 奇襲の失敗に鈴仙は思わず舌打ち。だが元々この程度で倒せるとは思っていなかった。続けて弾幕をばら撒いてシンを牽制し、竹林の奥へと走る。
 走る、走る、走る、走る……。藪を掻き分けながら鈴仙は竹林を疾走する。追ってくることは想定済みだ。今の内に少しでも奴を永遠亭から遠ざける。

「さて……」

 不意に鈴仙は立ち止まり、口を開いた。もう充分竹林の奥まで誘い込んだ。最早奴は帰り道すら分からないだろう。
 目印のない単調な風景。深い霧。異常成長した竹や強い磁場。それらによって方向感覚を著しく狂わされる、言わば自然の迷宮。それが迷いの竹林なのだから。

「――開戦(はじ)めましょうか?」

 鈴仙の呟きとともに、竹藪の一部がまるで爆破されたように粉微塵に吹き飛ぶ。パラパラと降り注ぐ破片を浴びながら、“そいつ”は悠然と姿を現わした。

「――よォ。久しぶりだなぁ、レイセン?」

 気安い調子で声をかけるシンに、鈴仙は無言で指鉄砲を向ける。闘いのゴングは鳴った。かつて戦いを恐れて月から逃げた一匹の兎は、今、守りたいもののために獣に挑む。




 東方儚月抄異伝 第二部~月の獣と地上の月兎~
     第三話「燃える竹林(前編)」




「俺に復讐でもしに来たか? レイセン」

 銃剣を肩に担ぎ、シンは襲いかかるでもなく鈴仙に尋ねた。

「復讐?」

 シンの問いの意味が理解できず、鈴仙は思わず訊き返す。確かに、恨みがないと言えば嘘になる。特に月を逃げ出す時に襲われた記憶など今でもトラウマだ。
 だが、そんな“些細なこと”など今はどうでもいい。鈴仙にとって重要なのはシンの目的、彼が何の理由があって永琳に接触しようとしているか。その一点だけである。

「……師匠を殺しにきたの?」
「師匠?」

 鈴仙の問いに、今度はシンが首を傾げた。

「とぼけないで。私の師匠、「月の頭脳」と謳われる賢者……八意永琳様よ」

 厳しい調子で詰問する鈴仙に、シンは「ああ」と納得した。同時にうんざりする。豊姫や依姫どころか兎まで、八意とやらは一体何人誑かせば気が済むのだろう。

「……だとしたら、どうする?」

 苛立たしげな表情で尋ねるシンに、鈴仙は右手の指鉄砲を突きつけた。指先に光が集束し、いつでも撃てる体勢である。その時は、と鈴仙が口を開く。

「その時は――貴方にはここで果てて頂きます。師匠には「月からの追っ手など来なかった」と伝えておきましょう」
「やってみろよ」

 鈴仙の返答に、シンはそう言って嗤った。銃剣を肩から下ろし、自然体で構える。二人の間に緊張が走り、互いにタイミングを窺う。最初に動いたのは――鈴仙だった。


 ――波符「赤眼催眠(マインドシェーカー)」


 両手の指鉄砲をシンに向け、鈴仙がスペルを発動。怒涛の勢いで弾幕を撃ち放つ。奴の恐ろしさは自分が一番よく知っている。出し惜しみは無用。このまま一気に押しきる!
 雨あられと降り注ぐ弾幕の嵐を、シンは銃剣で無造作に斬り払う。が、手応えがない。あれ、と首を傾げるシンの身体を、鈴仙の弾幕が撃ち抜いた。

「くそっ、一体どうなってやがる!?」

 悪態を吐きながらシンは作戦を変更、弾幕の回避に専念する。隙を見て鈴仙に接近し、銃剣を一閃。だが振り抜いた銃剣は空を切り、鈴仙は霞みのように消え去った。
 幻覚か、とシンは舌打ちする。迂闊だった。そう言えば、あいつはそんな能力を持っていたのだった。

 物事には必ず「波長」が存在し、その長短を操ることで様々な現象を起こすことができる。例えば感覚の波長を長くすれば暢気になり、逆に短くしてやれば短気になる。
 波長を自在に操り幻覚を魅せる鈴仙の異能、「波長を操る程度の能力」。また、敵を狂気に陥れることから次のようにも呼ばれる――「狂気を操る程度の能力」と。

 鈴仙がシンの背中に弾丸を撃った。飛来する弾丸をシンは銃剣で叩き落とす。だが肝心の鈴仙の姿が見当たらない。再び放たれる銃弾。今度は全く別方向から飛んできた。
 見えない敵、予想外の方向から散発的に放たれる弾丸がシンを翻弄する。だが段々とカラクリが分かってきた。成る程、とシンは鼻を鳴らす。

 鈴仙は自分自身の波長を操り、自らの存在を限りなく希薄にしているのだ。今の鈴仙は、たとえ目の前に立っていたとしても認識することはできない。まさに完璧な隠形だ。
 だが、その完璧すぎる隠形が逆に仇となる。シンは改めて周囲を見渡した。気流、風の音や葉音、自身を取り巻く周囲の気配。神経を研ぎ澄まし、その全てを知覚する。
 その中に――見つけた。景色の中にぽっかりと一箇所だけ存在する、まるでそこだけ消しゴムでもかけたかのような不自然な“空白”。違和感が哀れなほど浮き彫りになる。

「――そこか!」

 シンは躊躇なくレーザー光線を撃ち込んだ。直後、悲鳴とともに何もない空間から鈴仙が突如現れた。直撃は避けた様子だが、光線が掠めたのか右腕から血を流している。

「レイセン、お前は二つのミスを犯した!」

 シンは怒号を上げながら銃剣を振り上げ、追い討ちをかけるように鈴仙に接近した。

「最初に能力を使った時、お前は俺を惑わせずに狂わせるべきだった。気配を消して不意打ちした時、遠くから狙い撃ちなんてせずに直接俺の首を獲りにくるべきだった!」

 怒声とともに次々と放たれるシンの斬撃を、鈴仙は辛うじて躱す。だが徐々に追い詰められる。鈴仙の背中が竹にぶつかった。逃げ場を失った鈴仙に、シンの銃剣が迫る。

「その甘さが、お前を殺す!!」

 振り下ろされるシンの銃剣。だが次の瞬間、火花が散り、甲高い金属音が竹林に響き渡る。鈴仙の左手に握られた一本のナイフが、シンの銃剣を受け止めていた。
 ただのナイフではない。月の使者が武装する小銃の先端についていた高周波ブレードだ。切れ味ならばシンの銃剣にも負けはしない。

「……勝手なこと言ってんじゃないわよ」

 ナイフを握る左手に右手を添え、鈴仙は銃剣を押し返しながら口を開いた。

「私は絶対に生き残る! あんたを倒して、生きて師匠達のところへ帰るんだから!!」

 渾身の力でシンを突き飛ばし、鈴仙はブレザーのポケットから一本の小瓶を取り出した。栓を抜き、小瓶の中身を一気に飲み干す。鈴仙の身体中に力が充実した。
 国士無双の薬。永琳が調合し、万が一の時のために鈴仙に持たせておいたドーピング剤だ。飲めば一時的にだが身体能力と反応速度が飛躍的に上昇する効果がある。
 無論副作用もあるし、薬の効果が切れた後の反動も凄まじい。永琳からも余程のことがない限り服用は控えるように厳命されていた。
 その禁を破り、鈴仙は薬を飲んだ。そうでもしなければこの化け物には勝てない、鈴仙はそう確信していた。だから使ったのだ。勝つために、生きるために。

 ナイフを右手に握り直し、鈴仙は地面を蹴った。稲妻のような勢いでシンに肉薄し、ナイフを一閃。
 振り抜かれた鈴仙のナイフを、シンが寸でのところで銃剣で受け止める。鈴仙は即座に刃を引き、今度は刺突を繰り出す。再び受け止められる斬撃。だが鈴仙は止まらない。

 斬撃、斬撃、斬撃、斬撃、斬撃斬撃斬撃斬撃斬撃斬撃斬撃斬撃斬撃斬撃斬撃斬撃斬撃斬撃斬撃斬撃斬撃斬撃斬撃斬撃斬撃斬撃斬撃斬撃……!

 怒涛の勢いで放たれる鈴仙の超高速の斬撃を、シンは銃剣で次々と弾き、逸らし、いなし、受け止める。それは最早人智を超えた攻防と言っても過言ではない。
 鈴仙は内心舌を巻いた。ナイフは間合いでは銃剣に劣るが、懐にさえ飛び込んでしまえば小回りの利くこちらの方が圧倒的に有利だ。
 加えて国士無双の薬で強化された今の自分の斬撃はまさに神速。その筈なのに、この男はついて来ている。この猛攻に、不利な筈のインファイトで。

 能力を使って狂気に堕としてやろうとも考えたが、今の鈴仙にはその余裕すらもなかった。
 鈴仙の「狂気を操る程度の能力」は、対象と眼を合わせることで成立する。
 この至近距離ならば眼を合わせること自体は造作もない。だが眼を合わせてから波長を弄るまで百万分の一秒ほどだがタイムラグが発生するのだ。
 その百万分の一秒の隙すら命取りになる。今の攻防はそれほど伯仲していた。それこそ、少しでも気を抜けば逆にこちらが斬り殺されてしまいそうなほどに。

 鈴仙の顔に焦りが浮かぶ。何故、どうして? 困惑する鈴仙の疑問に答えるかのように、シンが不意に口を開いた。

「――読めるんだよ。お前の太刀筋が」

 まるで心を読んだかのようなシンの科白に、鈴仙は思わず息を呑んだ。戦慄する鈴仙に追い討ちをかけるように、シンは言葉を続ける。

「どれだけ速くなろうが、お前の攻撃パターン自体は月にいた頃と変わっていない。先読みするのは簡単だ。……誰がお前にナイフを教えたと思ってんだよ? レイセン」
「――っ!!」

 見下すようなシンの物言いに、鈴仙の頭に瞬時に血が昇る。

「そうやって! いつもあんたは見下して! 私達のことなんか何とも思ってない癖に! 邪魔になったら簡単に殺す癖に! 偉そうに説教なんかしてんじゃないわよ!!」

 憎悪の瞳でシンを睨みつけ、鈴仙が吼えた。ナイフを握る右手に力が籠り、斬撃が更に苛烈さを増す。
 加速する攻撃に鈴仙の身体が耐えられず、筋肉が断裂。皮膚が裂け、全身から血が噴き出した。だが、鈴仙は止まらない。激痛に顔を歪めながらナイフを振り続ける。

 その執念が神に届いたのか、鈴仙の攻撃が徐々にシンの防御を上回り始めた。捌き損ねた斬撃がシンの顔や身体に裂傷を刻む。勝てる! 鈴仙の心に希望が湧いた。

「もう一つ! あんたに言いたいことがある!!」

 調子に乗ったように鈴仙は叫んだ。

「私をレイセンって呼ぶな! 今の私の名前は優曇華! 鈴仙・優曇華院・イナバだ!!」

 怒号とともに繰り出された鈴仙のナイフが、シンの手から銃剣を弾き飛ばす。勝った! 武器を失ったシンの心臓を狙い、鈴仙はナイフを突き出した。

 瞬間、飛び散る火花が鈴仙の網膜を焼き、耳障りな金属音が鼓膜をつんざく。鈴仙は絶句した。突き出された鈴仙のナイフを、シンは右手で受け止めていたのだ。
 裂けた手袋の下から覗く金属の光沢。義手だ。何だそれ、そんなの聞いてない。愕然とする鈴仙の背中を、次の瞬間、まるで追い討ちをかけるようにシンの銃剣が貫いた。

「……えっ?」

 鈴仙は信じられないものを見るような顔で背中に突き刺さる銃剣を振り返った。何だこれ。今し方私が弾き飛ばした筈の銃剣だ。それがどうして背中に刺さっている?

「――お前が出てってから百年くらい経った頃かな? 化けた」

 何でもないことのように告げるシンの声が、今の鈴仙にはどこか遠いところから聞こえてくるように感じられた。

 銃剣がひとりでに鈴仙の背中から引き抜かれ、まるで自らの意思を持っているかのように空中を浮遊する。
 血まみれの刀身には不気味な眼があり、呆然とする鈴仙をぎょろりと見下ろしている。憑喪神だ。

「そん……な……」

 あまりにも無慈悲な現実に鈴仙は絶望し、力尽きたように地面に崩れ落ちた。身体に力が入らない。眼が霞む。限界だった。

「急所は外しておいた。暫く寝てろ」

 倒れ伏す鈴仙を見下ろし、冷然とそう口にした。赤い上着を脱いで鈴仙の背中にかけ、浮遊する銃剣を掴まえて踵を返す。

「待…て……っ!」

 歩き去るシンの背中に、鈴仙が掠れた声で叫ぶ。シンの足は止まらない。鈴仙の声は届かない――少なくとも、シンには。




 それでも、彼女の叫びは確かに届いていた。




 ――兎符「因幡の素兎」




 突然だった。竹藪の中から鋭い弾幕が放たれ、シンの行く手を阻むように襲いかかる。

「――そこのお兄さん、そんなに慌ててどこへ行く?」

 場違いなほど暢気な声を響かせながら竹藪の中から現れたのは、首に人参を模ったネックレスを架けた兎の少女だった。

「ちょっとあたしとも遊んで行かないかい?」

 人当たりのいい無邪気な笑みを浮かべ、しかし全く笑っていない眼でシンを睨みながら、因幡てゐはそう口にした。第二ラウンドの始まりである。



 ――続劇

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最終更新:2011年02月25日 22:40
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