「――そこのお兄さん、そんなに慌ててどこへ行く? ちょっとあたしとも遊んで行かないかい?」
飄々とした声とともに現れたのは、一匹の兎の少女だった。玉兎ではない。恐らく地上の妖怪だろう。片手に槌のようなものを握っている。餅搗きに使う杵だ。
シンは銃剣を握り直した。あの兎、一見にこにこと無邪気な笑顔だが、その実、眼は全く笑っていない。歓迎している訳ではないだろう。それは先刻の弾幕からも明らかだ。
「て、てゐ……?」
シンの後ろで鈴仙が満身創痍の身体を起こし、呆然とした顔で妖怪兎の名を呼ぶ。鈴仙の声に、妖怪兎――因幡てゐは人の悪そうな笑みを浮かべて声をかける。
「やぁやぁ、鈴仙じゃないか。そんなにズタボロになってどうしたの?」
てゐの言葉に、鈴仙は「う」と言葉を詰まらせる。失敗を責められているように感じたのだ。
自己嫌悪に沈む鈴仙に、てゐは小さく溜息を零した。シンの横を素通りして鈴仙へ歩み寄り、膝をついて目線を合わせる。
「……派手にやられたねぇ。ったく、そんな無理しちゃってさ」
愚痴にも似たてゐの科白に、鈴仙はますます落ち込む。意気消沈する鈴仙の背中に、てゐは腕を回し、ぎゅっと優しく抱きしめた。
「――よく頑張った」
思いがけないてゐの言葉に、鈴仙は思わず「え」と間の抜けた声を上げた。しかし言葉の意味を理解するにつれ、鈴仙の目端に涙が浮かぶ。
怖かった。痛かった。死ぬかと思った。でも、そんな思いをして頑張った意味はあったのだと、認めて貰えた気がした。堪えきれず、遂に鈴仙は声を上げて泣き出した。
泣きじゃくる鈴仙をあやすようにポンポンと背中を叩き、てゐは不意に表情を引き締めた。顔を覗き込むように鈴仙と向かい合い、おもむろに口を開く。
「動けるかい? だったら鈴仙、あんたは永遠亭までひとっ走りして、師匠にこのコトを伝えてきてくれ」
突然のてゐの言葉に、鈴仙は思わず息を呑んだ。そんなことをすれば、もしかしなくともシンを永琳の元へ案内することになりかねない。
鈴仙の懸念も承知の上なのか、てゐはにやりと不敵に笑った。後方のシンをちらりと一瞥し、声を落として鈴仙に囁く。
「なぁに、あいつのことならあたし達に任せな。あんたんトコへは一歩も通しゃしないよ」
「でも……!」
「いいから行けっ! 鈴仙!!」
躊躇う鈴仙をぴしゃりと一喝し、てゐは杵を手に立ち上がった。シンを振り返り、背中の鈴仙を庇うように仁王立ちする。
鈴仙は困惑したようにてゐの背中を見つめていたが、意を決して立ち上がり、最後の力を振り絞って走り出した。鈴仙を追おうとするシンの前に、てゐが立ち塞がる。
「おっと! ここから先は通行禁止だよ」
身の丈ほどもある杵を片手で軽々と取り回し、てゐは挑発するように不遜に笑う。
「さて……遊ぼうじゃないか、お兄さん。あたしのかわいい妹分をいじめた落とし前、きっちりつけて貰うよ?」
東方儚月抄異伝 第二部~月の獣と地上の月兎~
第四話「燃える竹林(中編)」
「そこをどけ、地上の兎。余計な殺生はしたくない」
「おやおや? 随分とつれないねぇ。鈴仙はあんなに痛めつけた癖に」
銃剣を突きつけて威圧するシンに、てゐは愉快そうに顔を歪める。
「というかさぁ、ぶっちゃけあんたに拒否権なんてないんだよね。一緒に連れてた月兎の娘、彼女がどうなってもいいなら話は別だけどね?」
「――っ! レイセンに何をしやがった?」
顔色を変えたシンの科白に、てゐは思わず「む」と唸る。あの月兎、鈴仙と同じ名前だったのか。何とも紛らわしい。
「別に何もしちゃいないさ、今はね。でもあんたが妙な真似をしたら――ってうおっ!?」
てゐの科白を無視するように、シンが問答無用で銃剣を振り下ろす。間一髪、てゐは銃剣を杵で受け止め、「ふぅ」と呆れたように吐息を零す。
「やれやれ、言ってる傍からこれかい。まったく、近頃のガキはキレやすいから困る」
「――ったく、どいつもこいつも」
銃剣を引き、シンが呆れたような顔で呟く。
「何でそんな簡単に命を捨てようとするかねぇ。もっと利口な生き方があるだろうに」
「生憎と馬鹿正直さが取り柄なんでね」
シンの揶揄を聞き取り、てゐは皮肉げに口元を歪めた。
「安心しなよ。あたしだって死んでやるつもりは――毛頭ないっ!」
言いながら、てゐは杵を水平に振るった。バックステップを踏んで躱すシンに、てゐは振り抜いた手首を素早く返し、今度は垂直に杵を振り下ろす。
打ち下ろされた杵が地面を叩き、轟音とともに衝撃波が発生。空中のシンを吹き飛ばした。てゐはすかさず弾幕を放ち、体勢を崩したシンに追撃をかける。
襲いくる光弾の嵐を銃剣で弾き、シンは辛くも着地。瞬間、足元の地面が突如崩落した。落とし穴か! 咄嗟に跳躍して落下を逃れるシンに、てゐの杵が迫る。
風切り音を立てながら横薙ぎに振るわれるてゐの杵を、シンは銃剣を盾代わりに受け止めた。だが衝撃は殺しきれず、シンの身体が大きくのけ反り――何かを踏んだ。
耳朶を打つカチリという小さな音。直後、シンの足首に激痛が走った。ノコギリ状の刃のついた半円形の金具が左右から足首を挟み込んでいる。トラバサミだ。
罠にかかって動けないシンの頭上へ、次の瞬間、大量の竹槍が雨のように降り注いだ。シンは銃剣を振るって竹槍を全て叩き落とすが、そこへてゐの弾幕が再び襲う。
容赦なく襲いくるてゐの弾幕をレーザー光線の連射で相殺し、シンはてゐに銃剣を向けた。放たれるレーザー光線をてゐはひらりと躱し、身を翻して竹林の奥へ逃げる。
シンは足首のトラバサミを銃剣で砕き、極々低出力のレーザーで傷口を焼いて止血。片足を引きずりながら逃げるてゐを追った。そこへ襲いかかる罠、罠、罠……。
「……ここはどこの忍者屋敷だよ」
道中に待ち構えていた数々の罠を力技で突破し、シンはうんざりしたような顔でぼやく。
「ここはあたし達の遊び場であり縄張りだ。そりゃあ罠の一つや二つや百や二百ぐらいあって当然さ。よもや卑怯とは言うまい?」
シンを振り返り、てゐがそう言って意地悪く笑う。てゐの問いに、シンは「まさか」と首を振った。
「策を練り、罠を張り、地の利を活かし、自らに少しでも有利な環境で敵と戦うのは戦場では基本中の基本だ。寧ろ今すぐお前を部下にスカウトしたいぐらいさ」
「そうかい? それは嬉しいねぇ。でもあたしにはもう師匠がいるから、悪いけどあんたの誘いには乗れないけどね」
軽口を叩くシンに、てゐはそう言って肩を竦める。そんなことを言う奴はこいつが初めてだった。鈴仙を傷つけたのは赦せないが、嫌いではない。潰すのが惜しいぐらいだ。
「さて……あたしが闇雲に逃げ回ってた訳じゃないことは、あんたならもう気づいてんだろ? 見たところとんでもないやり手みたいだしさ」
てゐの問いに、シンは沈黙で答える。姿は見えないが確かに感じる複数の気配。竹藪の奥から突き刺さる視線。囲まれている。
「――知ってるかい?」
杵を構え、てゐがおもむろに口を開いた。
「圧倒的に力の差のある敵を相手にする時、その実力差を覆すには数に頼るのが一番だ。
呼吸を合わせ、心体ともに気を練り、最も充実した瞬間に一斉に襲いかかる時、その力は何倍にもなるのさ」
竹藪の奥で殺気が膨れ上がる。来る! シンは銃剣を構え直した。地面を蹴り、てゐが杵を構えて襲いかかる。同時に竹藪から飛び出す複数の影。そして――、
はっ、はっ、はっ、はっ……! 息を切らせ、鈴仙は傷だらけの身体を引きずりながら竹林を駆ける。
身体が鉛のように重い。手足の感覚がない。眼が霞み、今にも意識が飛びそうだ。だが鈴仙は倒れない、立ち止まらない。
竹林では今もてゐが戦っているのだ。聡い彼女だ、あの化け物を相手に正面からやり合う愚は犯さないだろう。だが時間はかけられない。
永琳でもいい、輝夜でもいい。とにかく一刻も早く誰かにこの危機を伝えなければならない。今の鈴仙を動かしているのは、その使命感だけだった。
何かに躓き、鈴仙は大きくつんのめった。口から「あ」という悲鳴が小さく漏れる。駄目だ、今倒れたら二度と起き上がれない!
歯噛みしながら倒れ込む鈴仙の身体を、不意に誰かが抱きとめた。誰……? 身体を支える温かい体温を感じながら、鈴仙は遂に意識を手放した。
「――80点ってところかな?」
足元に転がる兎達を見下ろし、シンは銃剣を振って返り血を飛ばしながらひとりごちた。その身体には傷らしい傷は見当たらない。
化け物め! 兎達の中で唯一、辛うじて意識を保っていたてゐは、柄の半ばから切断された杵で身体を支えながら憤怒と屈辱に顔を歪める。
陣形、タイミング、そして迷いのなさ。その全てが完璧だった。てゐにとって理想的な、まさに百点満点の総攻撃だった筈だ。
だがこの化け物は、多勢に無勢という圧倒的に不利な状況の中、満足に動けない足で自分達の全てを銃剣一本で斬り伏せたのだ。人間業ではない。
「陣形、タイミング、そして迷いのなさは完璧だった。だが運が悪かったな。俺は多勢に無勢の戦いの方が圧倒的に得意なんだよ」
「……ハッ! まいったねぇ、どうにも勝てる気がしないよ」
淡々と紡がれるシンの科白にてゐは諦めたように空笑いし、杵を手放して背後の竹に身体を預ける。そして――、
「――なんて言うとでも思ったか? 馬鹿め!」
勝ち誇るようなてゐの哄笑とともに竹藪から新たな兎が突如飛び出し、竹槍を構えてシンへ突進する。伏兵! シンの双眸が愕然と見開かれる。
てゐはあらかじめ手下の兎達を二班に分け、片方を不測の事態に備えて待機させていたのだ。
たとえてゐ達第一陣が敗れても、残りの第二陣が不意を突いて確実に仕留める。それがてゐの策だった。言わば自分自身を囮にしたのである。
「前言を撤回しよう、地上の兎――百点満点だ」
怒号を上げて迫る兎達を振り返りもせず、シンはてゐを見下ろしたままそう口にした。陣形、タイミング、迷いのなさ、そして詰めの一手。文句のつけようがない。
竹槍の先端がシンの背中に迫る。シンは動かない、ただ酷薄に微笑する。そして竹槍がシンを貫くまさにその刹那――蛇のようにうねった銃剣が兎達を撫で斬りにした。
「……あれ?」
予想外の事態にてゐの頭がフリーズを起こす。よく見てみれば、シンの右手には蛇腹剣のような形状に変形した銃剣が。何それ、変形? ……詐欺だろそんなの。
無数の断節に分離した刃。その一つ一つにある不気味な眼、眼、眼……。何だこれ。てゐは吐き気を堪えるように口元を手で押さえた。
呆然とするてゐを見下ろし、シンは無言で銃剣を一閃させる。刀身が再び一つに合体し、銃口が肥大化。今度はガトリング砲のような形態へ“変化”した。
器物が年月を経て魂を得た憑喪神は、存在としては神というよりも妖怪変化の類に近い。特に数多の血を吸ってきた銃剣の憑喪神は、その性質も凶悪だ。
より速く、より効率よく敵を殺すことに特化し、状況に応じて最適な形態に“変化”する。それが憑喪神となったシンの銃剣の「能力」だった。
シンはてゐの鼻先に銃口を突きつけた。てゐを見下ろす真紅の双眸に、今や油断や慢心はない。それどころか感情そのものがごっそり抜け落ちていた。まるで機械である。
つい先刻、シンはてゐを「百点満点」と評価した。それは単なる採点ではない。敵対する相手を殺すべき脅威か否かを見定める分水嶺でもあったのだ。
鈴仙、てゐ、そして兎達と、シンはこれまでの戦闘で手加減をしてきた。致命傷を避け、相手を殺さないように最大限の注意を払いながら戦ってきたのである。
だがここからは違う。シンはてゐを敵と認識した。千数百年もの時を経て完成された「殺戮機械」としてのスイッチが入ってしまったのだ。最早手加減も容赦もしない。
銃剣にエネルギーがチャージされ、銃口の奥に光が灯る。これは拙い。てゐは初めて本気で焦った。
いつだったか、ワニの奴を騙して殺されかけた時も死ぬかと思ったが、これはその時の比ではない。絶対的な“死の予感”がてゐを襲う。
その時、上空からシンの背中めがけて突如火の玉が襲いかかった。反射的に銃剣を撃って火の玉を迎撃し、シンは警戒した表情で顔を上げる。
竹林の上空を真っ赤な火の鳥が飛んでいる。否、あれは人間だ。燃え上がる紅蓮の炎を纏った銀髪の少女である。
「――よォ。月からのお客さんってのはアンタのことかい?」
炎の翼を羽ばたかせ、少女がシンを見下ろして声をかけた。
「はじめまして。そして死ね」
物騒な挨拶とともに炎の弾幕がシンに振り注ぎ、第三ラウンドが幕を開けた。
――続劇
最終更新:2011年02月25日 22:43