C.E.74年某日、月軌道上に地球連合軍の大艦隊が集結しつつあった。その目的はただ一つ。月を中心に出没するテロリスト、通称「幽霊モビルスーツ」の撃破である。
幽霊MS討伐については、つい先日、プラントのデュランダル議長からザフトと協同作戦の打診があったばかりである。が、地球連合軍はこれを拒否した。
一時期よりは衰えたとはいえ、地球連合内部には反コーディネイター勢力「ブルーコスモス」の影響が未だ根強く残っている。
プラントは言うなればコーディネイターの巣窟だ。ましてやザフトは地球連合軍に歯向かう違法武装勢力。好きこのんで手を取り合おうとは思えない。
件の幽霊モビルスーツにはプラントも手を焼いているらしい。ならばザフトより先にこれを排除すれば、いけ好かないコーディネイターどもの鼻を明かすことができる。
典型的な抜け駆けの発想。見栄や自尊心を満たすためだけの独断専行。だが、それを成功させるだけの自信が地球連合軍にはあった。
どれだけ強力なモビルスーツでも敵はたったの一機、物量で攻め立てれば制圧は容易い。絶対者の余裕、自分達が世界で唯一最強の軍であるという自負である。
そのためにも万全を期して、地球連合軍屈指の最強艦隊を投入した。モビルスーツ一機を破壊するには過剰とも言えるほどの戦力である。
誰もが自分達の勝利を欠片も疑っていなかった。“奴”が現れるその時までは……。
まるで陽炎のように空間が揺らぎ、レーダーが熱源反応を感知。艦隊の前方に一機のモビルスーツが突如姿を現わす。
幽霊MS。噂通り、まるで幽霊のように唐突な出現だった。幽霊MSから艦隊に通信が入る。艦隊司令官が頷き、通信士がチャンネルを開いた。
『――警告する。お前達は月の主権領域を侵犯している。速やかに退去しなければ、実力でお前達を排除する』
ノイズ混じりに聞こえてきたのは男の声。意外と若い。敵パイロットの陳腐な脅しに、連合艦隊の誰もが失笑した。
主権領域の侵犯? 笑わせる。寧ろ地球連合の所有物たる月を侵犯しているのは貴様の方ではないか。敵パイロットの要求を一蹴し、連合艦隊は攻撃を開始した。
次々と発進する無数のモビルスーツやモビルアーマー。漆黒の宇宙を、凍てついた鋼鉄の輝きが瞬く間に埋め尽くす。
『……警告はしたぞ?』
再び通信機から聞こえる敵パイロットの声。負け惜しみ、つまらない遺言だ。その場の誰もがそう思った。
艦隊司令官の号令が伝播に乗って宇宙に轟き、そして――虐殺が始まった。
『うわあああっ!? 何なんだこいつはぁ!!』
『第五・第八艦隊壊滅……? 敵はたった一機なんだぞ!? どうなってんだよ一体!!』
『化け物め……! 核だっ、核を撃つんだ!!』
通信チャンネルから絶え間なく響く悲鳴と怒号、断末魔の絶叫。だがやがてそれもブツリと途切れ、何も聞こえなくなった。耳障りなノイズだけが通信機から吐き出される。
その日、月軌道上で行われた戦闘で、地球連合はその全保有戦力の7パーセントを失うという大敗北を喫した。
この悪夢とも言うべき最悪の結果に対し、連合首脳は政治的判断によって真実を隠蔽。戦力の損失は演習上の事故として処理された。
だが、この敗北は地球連合に敵の脅威を正しく認識させ、結果としてプラントの提案を受け入れることに繋がった。
皮肉なことに、軍ですらも制御できない「最強最悪の敵」の存在によって、バラバラだった世界は一つに纏まろうとしていたのである。
機動戦士ガンダムSEED Destiny~Beast in the Moon~
PHASE 2「穢れた獣」
青く澄んだ空、緑に覆われた大地と豊かな都、そして穢れのない清浄な海。地球圏の憂患などまるで関係ないと言わんばかりに、のどかで平和な世界が広がっていた。
月面。ここはその中でも「月の裏側」と呼ばれる、月全体を覆う結界の内側だ。表側の月、つまり結界の外側は生命のない荒涼とした星だが、裏側はまさに別世界なのである。
結界――地上人からしてみれば非科学的極まりない言葉である。だがその科学に頼り続ける限り、地上人が月の裏側の存在に気づくことは永遠にあり得ないだろう。
月の都の郊外に一つの真新しい豪邸が建っている。月防衛を任される武装組織「月の使者」のリーダー、綿月家の別邸だ。
空間が揺らぎ、綿月邸の中庭に巨大な質量が突如出現。地響きを立てて着地する。全身をハリネズミのように武装した、見上げるほど巨大な機巧仕掛けの人形だった。
機体の腹部の装甲が開き、中から人影が現れる。兎のように真っ赤な瞳の若い男だった。腰に銃剣をぶら下げ、右手にだけ黒い手袋を嵌めている。
男が背中を振り返り、まるで誰かに手を貸すように右手を差し伸べた。その手を取り、奥からもう一人誰かが顔を出す。今度は女だ。
ハッチの淵に足を蹴り、二人は勢いよく空中へ飛び出した。そして重力を無視したようにふわりと浮遊、ゆっくりとした速度で地面へ降りる。
機体の足元にはいつの間にか女がもう一人佇んでおり、まるで待ち構えるように腕組みして空中の男女を見上げていた。そして二人とも無事な姿を見て、ホッと安堵の息を零す。
二人の両足が地面を踏みしめる。直後、女の方がふらついた。慌てて傍らの男が手を差し伸べて彼女を支える。
「大丈夫ですか? お姉様」
「ええ。ちょっと眩暈がしただけ」
心配そうな顔で尋ねる妹に、彼女はそう言って安心させるように微笑した。
「やっぱり駄目ねぇ。シンがぐるぐる飛び回るからすっかり目が回っちゃった。何度乗ってもこれは慣れそうにないわ」
「それはお姉様の鍛え方が足りないせいですわ。その証拠に、隣に立っているシンはけろりとした顔をしているじゃないですか」
血の気の引いた顔でおどけたように笑う姉に、妹は呆れたようにそう言って肩を竦める。
「元々お姉様が言い出したことでしょう? それとも、私が代わってあげましょうか? 私ならばあの程度の機動など平然と耐えてみせますわ」
「あら、それは困るわね。あそこは私のお気に入りの特等席なのだから。幾ら貴女でも易々と譲る訳にはいかないわ」
やんややんやと言い合いを始める姉と妹を、“彼”は「またか」と呆れたような視線で眺める。だが特に止めるようなことはしない。飽きるまで放っておくつもりだった。
この二人とは、もうかれこれ千数百年ものつき合いになるのだ。これも彼女達なりのコミュニケーションの一つだということを、“彼”はよく知っていた。
“彼”がのんびりと姉妹喧嘩を見物する傍で、機体の周りにはいつの間にか多くの人手が集まっていた。専属の整備スタッフである。
宮都の郊外に新たに建てられたこの別邸は、邸そのものがこの機体専用の整備工場で補給施設なのだ。
“彼”は背中の愛機を振り返った。千数百年前、ともに月の都へ墜ちてきた鋼鉄の巨人は、月の技術者の手によってその姿を大きく様変わりさせていた。
全身を覆う重厚な増加装甲と、機体各部、特に背中と下半身に集中して取りつけられた高機動追加ブースターによって、機動性と重装甲の両立を実現。
フレームは一部にヒヒイロカネを使って再構築され、一人乗り用だったコクピットは複座型に改修されている。それは「改造」というより、最早「新造」に近い。
主な武装は大型霊子ジェネレーターを搭載した左右の武器腕と各種実弾兵器。月にはもっと強力な兵器も存在するが、地球の兵器に偽装するためにこの程度に留めている。
更にフレームにヒヒイロカネを使うことによって、依姫や豊姫など高い神通力を持つ者がサブシートに同乗することで、その力を何倍にも増幅することができる。
例えば豊姫を乗せれば、彼女の能力を応用して敵の拠点をピンポイントで強襲したり、ショートワープを連発して敵を撹乱するという運用が可能になるのだ――理論上は。
もっとも、その豊姫自身がこの機体の加速についていけないので、それもただの机上の空論。実際は月の表裏を行き帰りする転送装置扱いでしかない。
それでも彼女が無理をしてでも“彼”と一緒に乗り続けるのは、万が一にでも敵に撃墜寸前まで追い詰められた時、彼女の能力で瞬時に戦線を離脱できるからに他ならない。
この機体は月が有する、地球のモビルスーツやモビルアーマー等の兵器に表立って対抗できる唯一の戦力だ。これが失われることでの月の損失は計り知れない。
“彼”もそのことを理解しているからこそ、非効率さを承知の上で彼女の我侭を受け入れているのだ。
「――お帰りなさいませ。アスカ様、豊姫様」
感傷に浸る“彼”の耳を凛とした声が打つ。振り向くと、紺色のブレザーの上に赤い上着を羽織った一人の玉兎が“彼”の前に立っていた。
「レイセンか。ああ、たった今戻った。豊姫に用事か?」
親しげな調子で声をかける“彼”に、レイセンと呼ばれた玉兎は頷く。彼女は今、かつて「獣」と呼ばれて恐れられた“彼”の跡を継ぎ、月の使者の暗部を務めているのだ。
“彼”はちらりとレイセンを見た。思えば彼女も変わってしまった。初めて会った頃の面影は既になく、今の彼女は玉兎とは思えないほど大人びている。「穢れ」のせいだ。
月の住人はほぼ無限と言える長い寿命を持っている。それは何故か? 月の世界には地上とは違い、物質や生命から永遠を奪い変化をもたらす「穢れ」が全くないからである。
穢れとは即ち生きることと死ぬこと。生存競争によって発生する穢れによって、生物は寿命を持ち、その心境に早い変化がもたらされる。
逆説的に言えば、穢れが一切ない月面で暮らす月人や玉兎は、寿命から解放され、精神的な変化や成長も緩やかであるということになる。
しかしレイセンは暗部として多くの汚れ仕事をこなしている。その中には殺し、つまり死の穢れに触れる機会も当然存在する。
日常的に穢れに触れる環境。それがレイセンに、玉兎らしからぬ心の成熟を促しているのである。これは彼女を後継者に選んだ“彼”の罪でもある。
そもそも、何故“彼”が暗部を務めていたのか? それは“彼”が元々月の人間でないことに起因する。
元々月の住人ではない穢れた命、ならばこれ以上穢れたところで問題はない。そういっあ打算から“彼”は暗部に抜擢されたのである。
しかし地上の科学の進歩とともに、その対応に追われて“彼”の「表側」での仕事が激増。出撃の機会も多くなり、「裏」で動き回る余裕が次第になくなっていった。
そこで“彼”が自らの後継者として白羽の矢を立てたのが、月の使者の玉兎兵の中で特に優秀であり、また“彼”に最もよく懐いていたレイセンだったのである。
思い返してみればその時点で既に、レイセンは“彼”を通して穢れを負っていたのかもしれない。だが当時の“彼”にそこまで気を回す余裕はなかった。
「……アスカ様?」
じっと見つめられて照れたのか、レイセンが赤い顔で“彼”に声をかける。その声に、“彼”はハッと我に返った。取り繕うように「何でもない」と咄嗟に口にする。
「じゃあ俺は月夜見様のところに行ってくるから、お前はこっちをよろしく頼む」
そう言って身を翻した“彼”の背中に、レイセンが「了解」とうやうやしく頭を下げる。不意に“彼”が立ち止まり、何かを思い出したようにレイセンを振り返った。
「――そうだ。その内また昔みたいに玉兎の訓練にお邪魔していいか? 最近はこいつの運転ばかりでちょっと運動不足気味なんだよ」
「ふざけんな二度とくんなこのバトルジャンキー」
優等生の仮面をあっさりかなぐり捨てて暴言を吐くレイセンに、“彼”は苦笑。こういうところは昔と変わっていない。少しだけ安心した。
月夜見。月の都の最高権力者であり、月人という種族そのものの始祖。その御前に、彼は通されていた。
宮都の有力者でもおいそれと会うことのできない「月の王」に、御簾越しとはいえ謁見を許される。それだけで月における“彼”の重要性、その地位と権力の高さが窺えた。
いつの間にこんなに偉くなってしまったのだろう。謁見を終え、綿月邸への帰途に就きながら“彼”は自嘲する。初めはただのお茶汲みでしかなかった筈なのに。
この世界に流れ着いてからの千数百年間、本当に色々なことがあった。
月面戦争、“デスティニー”の神格化、初代レイセンの月脱走、幻想郷の吸血鬼一派による月侵入事件、銃剣まで憑喪神化、地上への派遣任務、愛機の復活、世代交代……。
色々なことがあった千数百年間。そして遂に、ここまで辿り着いてしまった。コズミック・イラ――かつて自分が生まれたこの時代に。
千数百年、何かが変わるには充分すぎる時間だろう。自分も、豊姫や依姫も、レイセンも、皆いつの間にか随分と変わってしまった。
だがそれも仕方がない。この世に変わらないものなど何一つとして存在しないのだから。時の流れの残酷さに思いを馳せ――“彼”は不意に気づいた。待て、これはおかしい。
そもそも、変化を促す「穢れ」が存在しない月面世界において、これほどの急進的な変化はあり得ない。“彼”はゾッとした。穢れている? 月が穢れに汚染されているのか?
原因など一つしか考えられない。自分だ。千数百年もの月日の中で、まるで獣がその数を増やすように“彼”の穢れが周囲に伝染していたのだ。
急に“彼”は恐ろしくなった。清浄な月に唯一存在する、死をもたらす穢れた獣。もっと早く気づくべきだった。もしかしたら俺は、本当は消えるべき存在なのかもしれない。
「――あ、シン」
聞き慣れた声が不意に耳朶を打ち、“彼”はハッと我に返る。気がつくと、依姫が片手を上げて近づいてきていた。いつの間にか綿月邸まで戻ってきていたのだ。
何か用でもあるのだろうか、依姫が再び口を開こうとする。が、“彼”は気づかない振りをして彼女の横を通り過ぎた。
「ちょっと、シン!」
歩き去る“彼”の背中に依姫が慌てて声をかける。思わず伸ばした依姫の手は、しかし何も掴めず虚しく空を切った。
――To be continued...
最終更新:2011年03月11日 00:46