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PHASE 3「嵐の前に」

 表の月に、地上の大軍勢が見たこともない規模で集結しつつある。その報せに、月の裏側はかつてない混乱に包まれていた。
 様々な噂や憶測が飛び交い、玉兎のテレパス・ネットワークはパンク寸前。無責任に騒ぎ立てる同胞達に、レイセンが頭痛を堪えながら重い溜息を吐く。

「……アスカ様、流石にたった一人でこの数相手は無謀です。というか、これもう付近の宙域丸ごと空間そのものを浄化した方がぶっちゃけ早くないですか?」

 広範囲を一瞬で素粒子レベルで浄化する大量破壊兵器など月にはごまんとある。それをありったけ投入すれば、敵の殲滅自体は難しいことではだろう。
 月人の存在の秘匿を第一目的としているために現在のような迎撃システムを採用しているが、それを度外視してしまえば、そもそも“彼”が出撃する必要などないのだ。
 レイセンの提案に、“彼”は傍らの豊姫を見た。帽子を普段より目深に被り、まるで顔を隠すかのように俯く豊姫からは、その表情を窺うことはできない。

「……豊姫様、あんた今回ついてくるな」
「おーい? 無視かよシカトですかこの野郎?」

 意を決し、“彼”は口を開いた。レイセンが横から不平をぶつけてくるが、“彼”は気にせず言葉を続ける。

「状況はレイセンが言った通りだ。正直言って、足手纏いを連れて戦う余裕なんてない」

 辛辣極まりない“彼”の物言いに、豊姫の肩が大きく揺れる。豊姫は彼の前へ歩み寄り、その手を取った。そしてそのまま歩き出す。

「……行くわよ」

 “彼”の手を引き、豊姫は有無を言わさぬ調子でそう口にした。“彼”が「豊姫様!」と声を荒げる。

「行くわよ、シン」

 再び同じ科白を口にする豊姫に、“彼”は諦めたように溜息を吐く。まぁいい。彼女は個人レベルでもワープ可能なのだ。説得の機会などまた何度でもある。
 この時、“彼”は豊姫の説得よりも自らの出撃を優先した。それが痛恨の判断ミスになるなど、その時の“彼”は思いもしていなかった。

「あー、行っちゃった……」

 遠ざかる二人の背中を見送り、レイセンは呆れたように溜息を吐いた。アホか、と正直思う。どうしてわざわざ非効率的な手段を選ぶのか、彼女には理解できなかった。

「――行ったみたいね、あの二人」

 一人残されたレイセンの耳を、聞き覚えのある声が背後から突如打つ。レイセンは弾かれたように振り返った。
 いつの間にか背後に立っていたその人物を見て、レイセンは驚愕に目を見開く。

「貴女は――!」



 一方、豊姫に手を引かれて愛機の元へ歩を進めながら、“彼”は不意に呟いた。

「オペレーション・マーナガルム……か」

 口にしたのは今も月の表側で着々と準備が進められているであろう、地球連合とザフトの一大作戦。
 諜報担当の玉兎達ですら知らないその名をどうして“彼”が知っているのか、答えを知る者はいない。他でもない“彼”自身を除いて。

 運命の分岐点が遂にやってきた。
 オペレーション・マーナガルム。全ての始まりであり、そして全てを終わらせるための戦い。一つの思惑を胸に、“彼”は死地へ赴く。




 機動戦士ガンダムSEED Destiny~Beast in the Moon~
     PHASE 3「嵐の前に」




 マーナガルム――「月の犬」を意味する名を冠し、別名「ハティ」とも呼ばれる、北欧神話に登場する伝説上の狼である。
 人間の国ミズガルズの東にある森イアールンヴィズに一人の女巨人が住んでおり、たくさんの巨人を産んだが、それはみな狼の姿であった。
 この一族中で最強の狼がマーナガルムである。全ての死者の肉を腹に満たし、月を捕獲して、天と空に血を塗る。そのために太陽が光を失い、日食が起こるのだという。

 破壊と殺戮の限りを尽くし、月面を血で染める幽霊モビルスーツの所業は、まさに伝説の獣マーナガルムそのものと言えるだろう。
 オペレーション・マーナガルム。月に潜む血に飢えた魔獣を狩る、地球連合・ザフトによる史上初の協同作戦が今、始まろうとしていた。

「いやぁ、壮観ですなぁ!」

 月軌道上に続々と集結するザフトや地球連合の艦隊をブリッジから眺めながら、戦艦ミネルバ副長アーサー・トラインが感嘆の声を漏らす。
 今回の作戦は、投入される戦力の規模だけを見ても歴史に名を残すだろう。だがそれ以上に、「連合とザフトが協同する」というところに大きな意味があるのだ。

 ブレイク・ザ・ワールドを皮切りに、世界は動乱の時代に逆戻りした。再び始まったこの戦争は、未だ終息の気配すら見せない。
 しかし今、絶対的な「悪」を前に敵対している両軍が手を組み、人類は確実に一つになりつつある。混迷に包まれたこの世界で、それは大きな光明だった。

 一つだけ残念なのは、今回の作戦にオーブの理解と協力を得られなかったことである。絶対中立を掲げるオーブ軍は、結局最後までデュランダルの要請に応じなかった。
 だが歴史的瞬間であることに変わりはない、アーサーは胸を躍らせた。しかし無責任に浮かれる彼を傍目に、艦長タリア・グラディスの表情は硬い。

「……浮かない顔だね、タリア。何か不満でもあるのかな?」

 タリアの表情に気づき、艦長席からデュランダルが声をかけた。ザフトが総力を挙げて取り組む一大作戦をその目で見守るために、彼自らミネルバに乗り込んできたのだ。
 デュランダルの問いに、タリアは「いえ」と口を濁す。現状に特に不満があるわけではない。寧ろこれ以上ないほどに順調だ。
 そしてこの作戦がデュランダルの立案であるならば、一寸の狂いすらない完璧な策であることは疑うべくもない。
 しかしその完璧さが、逆に彼女の不安を掻き立てる。何か裏があるのではないか? 根拠はないが、彼女の歴戦の将としての勘が、タリアの胸の中で警鐘を鳴らしていた。






 その頃、シン・アスカは愛機“デスティニー”のコクピットに乗り、ミネルバの格納庫で発進の瞬間を待っていた。
 正直なところ、シンは今回の作戦にあまり乗り気ではなかった。
 地球連合との協同というのも気に食わないが、何よりたった一人を相手にこれだけの軍勢を差し向けるやり方が気に入らない。
 まるで自分達の実力を信じていないかのようなデュランダルの態度に、シンは苛立ちを隠せなかった。

『――不満そうだな? シン』

 不意にデスティニーのコクピットに通信が入る。レイからだ。彼もまた愛機“レジェンド”に乗り、現れるかも分からない敵を警戒しながら格納庫で待機しているのだ。

『シン、お前の言いたいことは俺も分かる。だが納得しろ。軍人とは元来そういうものだ』

 淡々とした口調で諭すレイに、シンは「うぐっ」と言葉に詰まる。
 レイの言っていることは確かに正論だ。しかしだからと言って、「ハイそうですか」と簡単に納得できるものでもない。

『割り切れ。でないと死ぬぞ?』

 シンの心情を見透かしたようにレイが言葉を続ける。シンは「でも」と咄嗟に言い返そうとした。
 だがその時、二人の会話に割り込むようにデスティニーの個別回線に通信要請が入った。見覚えのないコードだ。シンは不審に思いながらも回線を開く。

『――久しぶりだな、シン・アスカ。コートニー・ヒエロニムスだ』
「コートニー? ――アンタ、あのコートニーか!? 兵器設計局の!」

 コクピットに響く懐かしい声に、シンは声を弾ませた。コートニー・ヒエロニムス。ザフト兵器開発局所属のテストパイロットである。
 ミネルバに配属される前、シンのテストパイロット時代の同僚であり、当時はセカンドステージシリーズの空戦用可変型MS“カオス”のテストパイロットを務めていた。
 思わぬ再会に喜ぶシンに新たな通信が入る。シンは間髪入れずに回線を繋いだ。

『やっほー、シン! リーカ・シェダーよ。貴方の活躍は聞いているわ』

 通信機から聞こえてきた女の声は、またもやシンに懐かしい再会をもたらした。
 リーカ・シェダー。シンやコートニーと同じくセカンドシリーズの元テストパイロットであり、当時は陸戦用可変型MS“ガイア”の担当だった。
 コーディネイターとしては珍しく生まれつき盲目だが、専用の電子デバイスによって視力を補い、赤服とパーソナルマークを許された女傑でもある。

『懐かしいわね。まさかまたこの四人で轡を並べて戦う日が来るだなんて』
「四人? まさか……?」

 思わせぶりなリーカの科白に、シンの脳裏をある予感がよぎる。その直後、新たな声がデスティニーのコクピットに響いた。

『――ふん。まるで同窓会だな』
「……マーレ。やっぱりアンタも来てたのか」

 通信機から聞こえてきた棘のある声に、シンは思わずうんざりしたような顔で呻く。
 マーレ・ストロード。セカンドシリーズの水中戦用可変型MS“アビス”のテストパイロットだったこの男は、何故かシンを目の敵にし、そのためシンも彼が苦手だった。

「いやでもホント懐かしいな。この面子がまた揃うなんて一体どんな奇跡だよ」

 なるべくマーレには触れないようにしようとこっそり心に決めながら、シンが口を開いた。

「そう言えばコートニー、アンタまだプロトカオスに乗ってんのか?」
『いや、今はインパルスだ』

 冗談混じりで尋ねるシンに、コートニーが生真面目な調子で答える。

「インパルス?」
『統合兵装システム試験運用機“デスティニーインパルス”。お前のデスティニーのプロトタイプのようなものだ』

 もっともこれは最早インパルスではないがな、と苦々しげに呟くコートニーに、シンは「へぇ」と相槌を打つ。きっと自分には分からないこだわりがあるのだろう。

 デスティニーインパルス。従来のインパルスのように各シルエットモジュールを換装する必要なく、単一で全状況に対応できる開発された万能MSである。
 しかしインパルス元来の開発コンセプトである「パーツの換装による多局面の戦闘への対応」という意義が希薄なものとなり、またエネルギー効率の劣悪さから開発は中止。
 開発の過程で試験的に四機が製造されたが、その内三機はコートニー、リーカ、そしてマーレに受領され、本作戦にも参加しているらしい。

「へぇ、じゃあルナの機体も合わせてインパルスが四機か。ははっ! 豪華なことだな」

 コートニーの話を聞き、シンはそう言って無邪気に笑った。



「……何よ、シンの奴! 出撃前なのにへらへらしちゃってさ」

 通信機から聞こえてくる楽しそうなシンの声に、コアスプレンダーのコクピットでルナマリアが拗ねたように呟く。私達の前ではあんな風に笑わない癖に。
 軍アカデミー時代からシンを見てきて、彼の姉貴分を自認するルナマリアにとって、自分達を差し置いて見知らぬ連中と談笑するシンの姿はとても複雑だった。

「ねぇ! レイもそう思わない?」
『…………』

 ルナマリアの問いに、レイは無言。しかし通信モニターに映る彼の顔は、ヘルメット越しでも明らかに不機嫌そうである。
 何だあいつ、もしかして焼き餅を焼いているのか? 鉄面皮で有名な同僚の意外に微笑ましい一面に、ルナマリアは思わず微笑する。

 その時、和気藹々とした空気をぶち壊しにするかのように、艦全体に警報が響き渡った。コンディション・レッドの発令、第一種戦闘態勢である。
 レーダーが熱源反応を感知。空間が揺らぎ、黒光りする重装甲に覆われた一機のモビルスーツが、まるで幽霊のように艦隊の前に突如その姿を現わす。

 オペレーション・マーナグラムの発動。様々な思惑が複雑に絡み合い、長い夜が幕を開けようとしていた。



 ――To be continued...

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最終更新:2011年03月11日 00:47
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