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魔法少女まどか☆マギカ"DEPTH!"第2番目

第2番目"「夢の中で見た、ような…気がする?」



「で、あんたさ…どう言うつもりだい」
「どうも…こうも、俺だって何がなんだから分からないん…です」

 いつもは明るい空気が流れるリビングもこの時ばかりは、重苦しい雰囲気の中、火の着いた
導火線を目の前にロシアンルーレットを強硬しているような空気が充満していた。

「私的には、あんたを警察に突き出してもこの件はこれでお終いってのが理想なんだけど。警
察に付き出す前に弁解の一つや二つ聞くのが筋ってもんだと思ってるんだけど、坊やはどう思
う?」
「それは…その。そうだと思います」

 詢子の言い様は、口調こそ柔らかいが言葉の節々に大きな棘と牙が見え隠れしている。
 愛娘の布団の中に見ず知らずの男が入り込み、間違いが無かったとは言え一夜を共にしてい
る。
 男女七歳にして同衾せずと言う言葉もある。
 天地神明に誓って、シン・アスカは、目の前の気の弱そうな少女、鹿目まどかに手を出して
いない。
 恋人だった彼女に手一つ出さなかった、気弱な男が明らかに年下であろう女の子に手が出せ
るわけが無い。
 そこで、ふと、シンは妙な事に気が付いた。
 自分に恋人が居た漠然と覚えている。
 想い、想い合い、守りたいと誓った相手が居"た"事は覚えていても顔が全く思い出せない。
 山深い森の奥に居るような濃霧が彼女の顔に降りて輪郭すら判断出来ない。
 それだけでは無い。
 今まで自分がどんな生活をしていたのか。
 どんな職業に就いていたのか。
 恋人の顔は勿論の事、友人の顔、両親の顔、妹の顔、失くしてしまった彼女と親友の顔。
 自分を取り巻く人々が確かに"居た"と断言出来るのに、情景が全く思い浮かばない。
 嘘や妄想では無く確かに居たとシンは断言出来る。
 しかし、居たと言う根拠にまるで客観性が得られず現実味が無いのだ。

(なんだよ…これ)

 背中に嫌な汗が伝って流れ、重苦しい息が肺を循環する。
 何に対して怒りを抱き、何に対して悲しみを覚え、自分と言う人間性は思い出せた。 
 だが、それに付随するであろう経験も記憶がまるで最初から"無かった"かのように思い出せ
ない。
 あるのは、ただ、漠然とした無味乾燥な記憶の残滓と後ろ暗い苦さだけが後頭部を万力のよ
うに締め上げていた。

「で、どうすんの。弁解はあるのかい?
「分からない…知らない。覚えて無いんです」

 詢子の問い掛けにそう答えるのが精一杯のシンだった。

(それで学校に通ってれば世話無いよな…)

 端末にどうでも良い事を書き込みながら、シンは深い溜息を吐いた。
 周囲を見渡せば、学生服に身を包んだ同年代と思わしき子供の群れ。
 皆一様に教師の声に耳を傾け、端末にリアルタイムで転送されてくる授業内容に真剣な面持
ちで見つめている。
 カビの生えた古臭い言い方だが、記憶喪失のシンには、数学の教育を受けた記憶が無かった。
 少し正確に言えば数学の教育を受けた記憶はある。
 だが、いつ、どこで、誰に、誰と、何の為に受けた記憶が全く無いのだ。
 授業内容を理解出来る程度には、教育を受けた事はあるようだが、実感無き経験は無為と同
義だ。
 ただ、ここが学校と言う教育機関でシン位の年齢の少年少女が通う場所だと言う事は当たり
前のように理解出来た。
 要はシン・アスカの記憶は、自分自身に関する事だけすっぽりと抜け落ち、社会通念や常識
の範囲に収まる記憶は無事と言うわけだ。

(便利な記憶喪失だよな、それって)

 記憶が無い原因や事故や病気などによる海馬の物理的損傷ならば良い。
 記憶を失う前の自分が人に言えないような職業に就いていて、人に言えないような荒事の末、
鹿目まどかの布団に逃げ伸びた。
 地球の反対側まで見えそうな穴だからけな推測だが、シン・アスカが凡そ"常識"から外れた
生活をしていたと結論付ければ、記憶や失う事故に遭遇する可能性もあるかも知れない。
 普通に生活していて、見ず知らずの女の子の布団で記憶を失って目が覚める
 これなら乱暴目的で、まどかの部屋に侵入して返り討ちに会って記憶喪失になる。
 鹿目まどかはショッキングな出来事で過去の記憶を封印した。
 常識的に考えれば、こちらの方が腑に落ちる見解だったが、それだけはやってないと記憶喪
失ながら心底断言出来てしまうから不思議だった。

「ですから波動関数Ψが物理量Aに作用しまして、結果が実数倍なるとしますと、実数aに対
してましてAΨa = AΨaと仮定いたします」

 設問を説明する教師の声が何処か遠くに聞こえる。
 確証は無かったが、どうやら、シン・アスカは勉強に積極的に構えるタイプの人間では無い
らしい。
 シンは、妙な実感を得ながら端末のアプリを閉じ、静かに瞳を閉じ思考に埋没した。

「朱美さんって何処の学校だったの?」
「東京のミッション系の学校よ」
「前は部活とかやってた?運動系?文化系?」
「やってなかったわ」
「凄い綺麗な髪だよね。シャンプーは何使ってるの?」

 授業が終わり休み時間ともなれば、転校生にやってくるのは恒例の質問タイムである。
 朱美ほむらも、例に漏れる事も無くクラスメイトの質問責めにあっているが、妙に落ち着い
た物で、クラスメイトの質問に一つ一つ丁寧に答えている。
 今まで転校が多かったのだろうか。
 まるで、予め質問される内容を知っているかのように迷いも淀みの無い質問の答え方だった。

「不思議な雰囲気の人ですよね、朱美さん」
「ねぇまどかあの子知り合い?何かさっき思いっきりガン飛ばされてなかった?」
「いやあ、えっと」

 シンの主観だが、まどかは明らかにガンを飛ばされていた。
 隣に居て直接感じる位に敵意や好意が入り混じった何とも言えぬ、強烈なガンを朱美ほむら
は鹿目まどかに飛ばしていた。

「そう言えば、あんたもガン飛ばされてたわね、親戚君」
「そうでしたわね。訳ありのクラスメイトは、まどかさんだけではありませんでしたね」

 男子は女子よりもドライなのか、休み時間の終了と同時に囲まれる事は無かったが、それで
も慣れない質問攻めに会えば、それなりに疲れる。
 気を利かせてくれたまどかが、自分のグループに避難させてくれたのは実に有難かった。

「その言い方はやめてくれ。俺はシン・アスカって名前があるんだ」
「ごめん、ごめん、アスカ。まどかの親戚だからついね」
「アスカさんは、何処から来たのですの」

 紹介されて数分でさやかのシンに対する遠慮は吹き飛んでいる。
 まどかの親戚だと言う事も手伝っているのだろう。
 気を使われるのは苦手だったが、年頃の女の子に気さくに接せられる程、シンは異性に慣れ
ておらず、知らずに無愛想な受け答えになってしまう。

「えっと、それは」
「アメリカ。親が向こうで面倒起こしたから、まどかの実家で厄介になってる」

 思わず言い淀んだまどかとは違い、シンは、限り無く棒読みに近かったが予め作って置いた
設定を答える。
 驚いた事にシンには、現在生活している日本についての知識が全く無かった。
 数学や科学と言った記録に関係無くても解ける分野の知識は持ち合わせていたが、こと記録
や歴史の積み重ねに関連分野は小学生以下の出来なのだ。
 日本の首都を知らず、日本がどういった国であるかも知らなかった。
 にも拘らず日本語を話す事が出来たり、何故かアメリカの知識、それも首都や地名等の最低
限の知識だけだったが持ち合わせていた。
 全てが曖昧でチグハグな記憶に詢子も思わず閉口する始末だった。
 恐らく生活して行く上でいつかボロが出るだろう。
 しかし、一度アメリカと宣言しておけば、深くは突っ込んで聞いて来ないだろし、仮にもし
記憶喪失がバレてシンの身に不都合が起こっても、治療の為に来日したと言い訳出来るし、記
憶喪失の悩みを親身になって心配する友達が出来るくらいの時間は稼げるかも知れない。
 小賢しいと言われれば、それまでだが、一応はシンの身元引受人となった詢子が考えた精一
杯の配慮だった。

「じゃあ、アスカは英語話せるんだ」

 とは言っても、出身が外国と答えれば異性特有のミーハー根性が出ないわけが無い。
 特別な物に憧れるのは、思春期の特権だが、この場合は完璧に裏目に出る、むしろ、出ない
わけが無い

(あぅぅ…だから言ったのに…)

 出身がアメリカと聞けば「英語は話せる」と理解するのが当たり前の流れだ。
 フォローを入れようにも、勿論まどかは英語など話せない。
 教科書の問題は解けるがネイティブな英語を話せと言われれば全力で頭を左右に振るだろう。
 ここでシンが英語を話せないと"シン・アスカのドキドキ学園生活作戦"は完全に詰んでしま
う。
 こんな穴だらけの作戦の何処か完璧なのか、御空に浮かぶバリキャリの母を涙目で見つめる
まどかだった。

「…Here's looking at you, kid…とか」
「私の帰国子女のイメージが一気に胡散臭くなったからやめて…」
「君の瞳に乾杯ですわね」

 上品に笑う仁美とは対照的にゲンナリとするさやかを見て、何だか分からないけど、危機を
脱したと感じたまどかだった。



 新学期が始まってすぐの行事と言えば体力測定が上がってくるだろう。
 運動が苦手で憂鬱な者も、これ幸いと張り切る者も、一喜一憂する瞬間だ。
 そんな中で運動が苦手な者に分類される鹿目まどかは、ほむらの高跳びに感嘆の声を上げて
いた。
 教師の「良し」の合図と共に走りだしたほむらは、三秒で最終加速に入り、そのまま、曲線
を描きながら踏切位置に走り込み、バーに対して側面を向きながら優雅な動作で飛び上がる。
 スローモーションのようにほむらの体が浮かび上がると、バーを超える瞬間、体が大きくそ
り上がり腰がバーの直上を通過すると、前屈しながら、カモシカのような長い脚が持ち上がる。
 まるで、夢の中の出来事のように、ほむらの体がバーを超え、ボスンと言う音と共に背中か
ら安全マットに着地した。

「うわぁ凄い」

 教科書に載るような理想的な背面跳びにまどかは溜息を着き、自分の記録カードとほむらが
叩き出した県内記録と見比べ憂鬱な気分になる 
 まどかの運動神経は、お世辞にも褒められた物ではなく、有体に言えば運動音痴だ。
 記録会の成績は下から数えた方が早かったし、持久走など下から数えて三本の指に入る腕前
だ。
 運動と比べるとマシと思える成績も中の上。
 悪くは無いが格別良い方でも無い。
 平凡で特徴の無い雑多な街中で埋没してしまう個性の持ち主、それが、鹿目まどかと言う少
女のアイデンティティーなのだ。

(いいなぁ、私も運動が上手になりたい)

 今よりももっと頭が良くなりたい、運動が得意になりたい。
 空想の中の自分は強く格好良いが現実の自分は惨めで弱い存在だ。
 理想と現実の壁に不安と絶望を抱き、努力と才能を天秤にかけ、いつも自分が傷つかない方
向に流れてしまう。
 これでは駄目と思う反面、理想の自分に近づく為に必要であろう努力を計算すると尻込みし、
どうしても一歩を踏み出せずに居る。
 渇望よりも諦念が勝ってしまうのが、まどかの特徴だったが、自分では無い別の誰かになり
たい変身願望は誰にだって有る。
 責める事や憧れる事を辞めろと言えるわけも無い。

「何、何、どうしたのまどか。溜息なんか着いちゃってさ」
「さやかちゃん」

 自分の測定結果が良かったのか、上機嫌なさやかがまどかの肩を叩いた。
 まどかは、無言のままほむらを羨ましそうに見つめた後、上目使いでさやかに呟く。
 その様子は、まるで、玩具を強請る子供のようで、さやかは忍び笑いを漏らした。

「まどかぁ、転校生が一芸持ちって言うのは、昔からの決まり事なんだから仕方ないんじゃな
い?妬かない妬かない」
「そんなんじゃないけど。でも、神様は不公平だよ。朱美さん、勉強も出来るみたいだし」
「まぁねぇ。文武両道で才色兼備か。転校生のお約束って言えばその通りなんだけどさ。しっ
かし、普通転校初日に県内記録叩き出すかね。それはあれでしょ」
「あれって?」
「普段は目立たないように生活してて、いざと言う時に本当の力を解放するとか超強くなって。
本当の力を抑える為に魔法の眼鏡とかかけてて、眼鏡を取ると属性が闇とか炎に変化したりす
るとか、とにかくそんな感じ」
「さやかちゃん…それって」

 邪気眼と言いかける寸前で口腔まで伸し上がって来た禁句を胃の中に押し込む。
 花も恥じらう乙女が"邪気眼"などと"お下品"な言葉を使ってはいけないのだ。
 使えばまどかの妄想ノートもお仲間になってしまいそうな気がして気が気では無い。
 傍から見れば邪気眼も妄想ノートも同じ物だが、乙女心は純粋で複雑な為にどうしても相容
れない代物のようだ。

「まぁ転校生が凄いのは認めるけど、まどかの親戚君も中々凄いみたいよ、ほら」
「えっ」

 さかやに促されるままに、指差す方向を見つめればグランドの向こう側で男子の野太い歓声
が上がっている。

「シン君?」
「そうみたいよ。さっき見たけど、百メートルを九秒台後半で走ってんだもん。オリンピック
選手かって話よね」
「嘘ぉ」

 まどかの言葉と同時にシンが、地面を踏み切り中空を舞う。
 フォームは見れた物では無かったが、異様に長い滞空の末に砂場に着地する。
 計測する体育教師が呆れたような表情で県内記録に匹敵する記録を告げ、満面の笑みでシン
の肩を叩いていた。

「また記録塗り替えたのか、親戚君は」
「またって?」
「そうよ。見滝原中学校の陸上記録は二人の転校生に一日で塗り替えられてるってわけ。同い
年でこのスペック差。大元は努力なのか才能なのか。凡人の私らには分から無いって話よね」
「ふぇ」

 世間知らずのまどかも、オリンピックで金メダルを取る選手のタイムくらいは知っている。
 中学生でこうなのだから、成長すればどんな世界で活躍するのか、まどかには見当も付か
ない。 
 確かにシンは、勉強よりも運動と言うタイプだが、運動能力が中学生の平均値から明らかに
逸脱しているように思える。
 見た目は同年代に見えるが、本当はもっと年上の人間なのかも知れない。
 どちらにしろ、シン・アスカは転校一日目でクラスメイトの気持ちを掴んでしまった。
 何かと目立たず大勢に溶け込む自分とは大違いだ。
 人間は二種類に分けるとするならば、それは、特別であるか、そうでないかだろう。
 改めて感じたのは、まどかはシン・アスカの事を何も知らないと言う客観的な事実だけで、
知りあって間も無い"親戚"は特別な側に分類される人間である事に少しショックを受けたまど
かだった。



 昼休みは中学生にとって貴重な時間だ。
 成長期の男子共は、自前の弁当を一瞬で平らげ、足りない分を求め購買にダッシュする。
 女子は噂話や流行りのドラマや音楽の話題に華を咲かせ、勉強の中の僅かな自由時間は一秒
たりとも無駄に出来ない。
 そんな戦場のような昼休みでも、まどかは何処か上の空のまま、ぼぅっとしたまま、黒板
を眺めていた。
 誰に話すわけも無く、自然と溜息が出る。
 原因は分情けない話だが、まどかは、シンとほむらを羨ましいと思ってしまったのだ。

(嫌な子だな、私)
「鹿目さん。少し良いかしら」
「え、えっと。何かな朱美さん?」

 記録会で、小さなコンプレックスが刺激され、長い昼休みを心中穏やかで無い気分で過ご
していたまどかに追い打ちをかけるようにほむらが話しかけて来る。
 近づいて来る気配が無かっただけに完全な不意打ちにまどかは、心臓が大きく跳ね上がる。

「鹿目まどかさん、貴方がこのクラスの保険係よね」
「ふぇっと、あの」
「連れて行ってくれる、保険室」

 何とか動揺を悟られまいと引きつった表情で微笑んでみる。
 ほむらの視線は、上から目線と言うより、最早因縁付けかガン飛ばしに等しい。
 もう何度目かの接近遭遇だったが、まどかは、朱美ほむらと言う少女が苦手にありつつあ
る。
 助けを求めようにもさやかと仁美はお花を摘みに行ったばかりだし、シンに至っては腹が
減ったらしく購買に出向いまま帰って来ない
 迷ったのかと思いメールを送ったが、気が付いていないのか返信も無い始末だった。

(あぅ)

 転校初日、会っていきなりガンを飛ばされ、記録会や授業では自分との差を嫌と言う程見
せつけられた。
 一緒に居て「嫌だ」と言う風には思わなかったが、ほむらと並んで歩いていると、自分自
身が必要以上に小さくなったような気がして、不安になるのだ。
 二人で連れ添い保健室に行く間も、話題はほむらの事で持ち切りだった。
 耳を澄ませば「綺麗」や「超可愛い」など彼女を褒めたたえる言葉がひっきりなしに聞こ
えて来る。

(なんで、同じ人間なのにこんなに違うんだろう)

 目の前の歩く少女は、まるで、人形のように美しい。
 長く伸びた綺麗な髪。
 汚れ一つ無い白くきめ細かい肌。
 自身に満ちた足取りは、モデルのようで、全てがまどかとは似ても似つかなかった。
 朱美ほむらの美しさは、触ったら壊れてしまいそうな儚さを秘めているが、だからこそ、
決して触れる事は敵わない美貌に一種の神性さを感じてしまうのだ。
 だが、ほむらは他人の称賛など耳に入っていないのか、終始無言のまま黙々と足を進めて
いる。
 沈黙は金と言うが、学校の外れにある保健室まで無言のままでは気が滅入ってしまうし、
苦手と感じつつ相手とならば尚更針の筵のように感じ、まどかは背中に嫌な汗をかかき始め
てしまった。

「あの、その、私が保険係ってどうして」
「早乙女先生に聞いたの」
「あっ…そうなんだ、」

 意を決してまどかから話しかけてみるが、にべもないも無い。
 確かに聞いたから知っているのだろうが、もう少し柔らかい言い方があっても良いのでは
ないだろうか。
 これでは会話を広げようと思っても広げられない。

「えっとさ、保健室は」
「こっちよね」
「えっ…うん、そうなんだけど、いや、だから、その、もしかして、場所知ってるのかなぁ」

 勘や適当では無く、保健室の場所を本当に知っているのか、まどかの奮闘も虚しく、ほむ
らはドンドンと先に歩いて行ってしまう。

「あの、朱美さん」
「ほむらでいいわ」
「…えっと、ほむらちゃん?」
「何かしら」

 まどかの精一杯の頑張りが攻を奏したのか、ほむらは名前で呼んでも構わないよ言う。
 素っ気ない態度はそのままだが、嫌いな相手にわざわざ名前で呼べとは言わないはずだ。
 嬉しくなったまどかに自然と笑みが零れる。

「えっと変わった名前だよね」
『ええ~そんなこと無いよ』

 まどかからは先を歩く朱美ほむらの顔は見えない。
 まどかの反芻する言葉の一言一言がほむらの心を切り裂く事実を、彼女は知らない。

「いや、ほら、変な意味じゃなくて、その格好良いなって」
『なんかさ燃えあがれって感じで格好良いって思うな』

 まどかの言葉に他意は無い。
 ほむらと言う響きが純粋に格好良いと感じたから素直に話しているのだろう。
 それが、どんなに残酷な響きと意味を含んでいるのか、まどかには知る由も無い。

『教えてご覧…君はどんな祈りでソウルジェムを輝かせるんだい?』

 始まりの呪いが胸中に反響し、ほむらは我知らず手を握り締めた。
 まどかからほむらの顔は、やはり、見えない。

「少し私からも質問良いかしら」

 ほむらが立ち止まり、まどかに振り返る。
 振り返った頃には、悔しさと悲しみを表に出す事無く、ほむらの顔はいつも通り、氷の
ように透き通った無表情な顔だった。

「うん良いよ」
「彼、シン・アスカは貴方の何かしら?」
「何って…えっと」

 彼は、朝起きたら隣に寝ていた男の子とは、口が裂けても言えない。
 まどか自身シンとどう接して良いのか戸惑っている段階に「貴方の何」と問われても答え
ようが無いのが正直な感想だった。

「し、親戚だよ?」
「親戚…本当なの?」

 ほむらは、口籠るまどかを静かに見つめ答えを辛抱強く"祈る"ように待っている。

「うん。親戚だよ。シン君とは遠い親戚で春から一緒に暮らし始めたの」
「そう、分かったわ」

 まどかは、そこで初めて妙な違和感に気が付いた。
 シン・アスカは、鹿目まどかの親戚である。
 この事実にほむらが信じられないと言うようにまどかを見ているのだ。
 表面上は、まどかが知った朱美ほむらだ。
 しかし、冷静沈着、何があっても微動だにしないであろう少女が親戚の一言で明らかに動揺
しているように見えた。
 シンの素性は明らかでは無いが、事情を知らない人間が親戚と聞いて何を動揺する事がある
のだろう。
 ほむらは、まるで、予想外の出来事に対処出来ず、戸惑っているようにも見える。
 だが、それも一瞬の事。
 陽炎のような儚い違和感は一瞬で消え去り、瞬きの後には、彼女は元の人形のような朱美ほ
むらに戻っていた。

「鹿目まどか。貴方は自分の人生を尊いと思い、家族や友達を大切にしてる?」
「えっと私は、うん。私は、大切だよ。家族も友達の皆も大好きでとっても大切な人達だよ」
「本当に?」
「本当だよ嘘なわけ無いよ」

 ほむらに言われるまでも無く嘘なわけが無く、嘘を付く必要が見当たらない。
 まどかにとって家族や友達は失くす事が考えれられ無いくらい大切でかけがいの無い存在だ。
 大事に思わない方がどうかしている。

「そう…もしそれが本当なら、今とは違う自分になろうだなんて、絶対に思わないことね。さも
なければ全てを失う事になる」
「えっ」

 まどかは、一瞬銃弾で心臓を撃ち抜かれたか錯覚する。
 冷たく重苦しいほむらの言葉は、まどかの思考と返す言葉を奪い、まどかを離すまいと縫いつ
ける。

「貴方は鹿目まどかのままでいればいい、今まで通り、そして、これからも」
「ほむらちゃん…」

 ガラス張りの渡り廊下から暖かい陽光が指し込む。
 しかし、足元を見れば眼下には地上五階分の落差が見え、その先には陽光に当たらない冷たい
中庭を見渡せた。
 光が影に吸い込まれるようにまどかの言葉はほむらに届かず、一体何の暗喩なのか、影の中に
静かに消えるほむらをまどかは、その場から動けずに見つめていた。

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最終更新:2011年04月12日 14:32
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