魔法少女まどか☆マギカ"DEPTH!"
第3番目"「夢の中で宣言したような…気がする?」
街の中心部に流れる見滝原川によって、東西に分断されている為に、見滝原市には他県
に比べ橋が多い。
元々環境共存型モデル都市である見滝原市は、県の実験的治水事業も合わさり、川と密
接な関係を築いてきた。
新工法による河川敷整備もその一環で、他県と比べると外観重視の河川敷が、街の中央
へ向けて延々と伸び続けている。
時刻は夕暮れ。
帰宅するサラリーマンと学生が混在する昼と夜の時間の境目が曖昧になっている。
「疲れた…」
古来より"逢う魔が時"と呼ばれ、昼と夜、そして、現世と幽界の境界線が曖昧になる時
間帯だったが、 幽霊に会うわけでも無く、シンは河川敷に寝転がり、ぼんやりと空を眺
めていた。
見上げた空は茜色に輝き、光がゆっくりと西へ消えつつある。
頬に当たる風は春先にしては冷たかったが、火照った体を冷ますには丁度良い塩梅だっ
た。
「本当に疲れた」
茜色の夕日に顔を照らされながら、シンは、もう一度深い溜息を吐いた。
シンは、転校初日は恙無く終了したと思っていた。
可も無く不可も無く、多少の荒事と妙に目立ってしまった気はしたが"記憶喪失"の割に
は上手く日常に溶け込めたと思っても良かった。
厄介になっている家族の娘である、まどかは何かと気を使ってくれて有難かったし、彼
女の友達もシンを快く受け入れてくれた。
心底心地よいは言わない。
記憶喪失のシンにとって記憶の不在が、日常の安堵感よりも勝ってしまっている。
彼女達と心から笑えるのは、漠然とした予感だが、もっと後の事にはずだ。
ただ、今は転校初日の緊張の後、背中を触るくすぐったい感触に身を委ねていたかった。
だが、緩慢とした甘さに身を委ねていてはいけない理由も、シン・アスカには近々であ
った。
無意識に学生鞄に触れる。
学校指定の無味乾燥な鞄の中には、教科書の他に無骨な鉄の塊が忍ばせてあった。
「銃だよな…これって」
「銃だよな…これって」
教科書をかきわけるように銃を取り出し茜色の空に掲げる。
黒光りする銃身が、朱色の陽光に晒され不気味な輝きを灯している。
木製のグリップは、まるで、生涯の友人のように利き手に酷く馴染む。
弾倉には、18発の実包が装填され、安全装置を解除し所定の動作を行えば普通
に発砲出来るだろう。
しかし、シンが出て弄んでいる拳銃には、この"世界"の拳銃と大きく逸脱していた。
形状こそシンの銃は、イタリアのベレッタ社の開発したM92型に酷似しているが、こ
の世界の拳銃とは似て非なる存在だった。
最も特筆すべき特色は本体の"軽さ"だった。
スタンダードな拳銃の重量はアベレージで約1キログラム。
だが、シンの拳銃の重量は概算でこそあったが、100グラム程度しか無かった。
実包の重さと装弾数の相関性を考えても明らかに計算が合わない。
軽くてとても丈夫な銃。
良くある宣伝文句に聞こえるが、実現させれば一財産を築ける技術だ。
メーカーや材料工学の専門家が見れば、腰を抜かす事は必須の明らかにオーパーツと呼
べる代物だった。
銃は、まどかの布団で気が付いた時、シンの持っていた数少ない私物の一つだ。
シンもこれが危険な代物であると同時に、常識では有りえない物だと言う事を漠然と感
じている。
そして、現在のシンを取り巻く環境には、全く必要で無い事も分かっている。
銃を扱う最適解は、きっと、まどかの家族に見つかる前に人知れず処分してしまう事だ
ろう。
海にでも投げ捨ててしまえば、余程の事が無ければ見つかる事は無い。
きっと、平平凡凡に暮らしていけるはずだ。
だが、銃はシンが失くしてしまった"過去"を紐解く欠片の一つのような気がしてどうし
ても処分する気になれなかった。
「バーン」
照準を合わせ、引き金を引く。
たったこれだけの動作が、まるで、何千何万回と繰り返して来たようにごく自然に行え
た。
銃の扱いに長ける、呼吸するように引き金を引ける人間は、日常の中に紛れこんだ明ら
かな異分子なのだろう。
だが、自分はもっと銃よりも危険な"兵器"を扱って来たような。
そんな曖昧で夢にも似た漠然とした予感が常にシンの胸中に渦巻いているのだ。
「夕方で一人黄昏ているのね、シン・アスカ」
法面の上から知った声が聞こえ慌てて起き上がる。
「朱美ほむら…」
振り返った先には、制服姿の朱美ほむらが静かに佇んでいる。
逆光で表情は見えなかったが、学校で見せたような高圧的な雰囲気は感じない。
何処か疲れたような声色さえ漂わせ、風景に同化するように微動だにしない。
シンも最初は、まどかに妙に突っ掛かる彼女に訝し気な感情さえ覚えたが、その違和感
も放課後になる頃には消え、まるで、そうなる事が当たり前のように、周囲に埋没してい
た。
「本当は暁美ほむらよ」
「知ってる…朝会っただろ」
「漢字が違うのよ」
長い髪を煩わしそうにかき上げたほむらは、シンの前で歩みを止め、深い溜息を着きな
がらシンを覗きこんでいる。
「朱に美ではないの。暁に美と書いて暁美と読むの」
「何だよそれ、わざわざ、読み方だけ変えて自己紹介したって言うのかよ」
「そうよ…そっちの方格好良いと思わない?燃え上がれって感じで」
「格好良いって、そんな理由で親から貰った名前を変えるなよ」
「気分を変える事って大事だと思わない?私は大事だと思うわ」
学校とは打って変わり饒舌なほむらに、シンは思わず鼻白んだ。
ほむらの真意が読めず困惑するが、果たして気分転換くらいで転校初日の自己紹介で偽
名を名乗る盛大なボケを貫けるだろうか。
少なくとも、シンにはそんな勇気は無い。
抜き身の刀のように尖った性格だと思ったが、実は意外にも冗談が好きな人間なのかも
知れない。
「朱美じゃなくて、暁美か。思い切った事するんだな」
「そうね…でも、貴方も似たような事をしてるわね。鞄の中に拳銃を忍ばせているなんて。
人と違う俺って格好良いって思ってるのかしら」
「俺、凄く前言撤回したい気分になった。あんたは、やっぱりあんただよ」
視線は絶対零度の極寒の様相を見せてこそいないが、口調は象も殺せそうな猛毒だ。
本人にそんなつもりが無くても、ほむらの口撃は、薄い防御を貫通し心の体力をジワジ
ワと削ってくれる。
口喧嘩では決して彼女には勝てない心に刻んだ瞬間だった。
「玩具だよ。無いと落ち着か無いから持って来てる」
流石に本物であるとは言えない。
この銃が持って来る混乱は確実にまどか達に迷惑をかける。
優しくして貰った家族に迷惑をかける事は避けたい。そして、許されるならば、もう少し
このまどろみのような甘さに浸っていたいと言うのが、シン・アスカの偽らざる本音だ。
「"モデルガン"なんて、女の子の趣味じゃないだろ」
「形はM92に似てるけど…全然別物ね。装弾数も改造してるみたいだし、何よりこの軽さ。
一体何処の製品なのかしら」
銃を仕舞おうと鞄に手をかけた瞬間、確かに右手に持っていたはずの銃が消え、いつの間
にかほむらの手にシンの拳銃が握られていた。
意識は確実に拳銃に向き、シンも意識を切らしたつもりも無い。
銃を奪い取られた感覚も無い。
暁美ほむらの運動神経は、学内でもトップクラスだが、何の抵抗も銃を奪い取られる事は
無い。
争った感触さえなければ、尚更困惑の色の方が深くなる。
客観的な事実で裏付けられてしまっていたが、暁美ほむらがシンから銃を奪った種は、高
速移動や催眠術などの小細工では無く、もっと恐ろしい物だとシンの本能が最大級の警鐘を
鳴らしている。
「あんた、何を」
バレルとスライド部分を興味深く見定め、弾倉を取り出し丹念に調べ上げ、銃を扱う手慣
れ過ぎた手つきに、疑いの眼差しよりも感嘆の念の方が強く出てしまう。
サバイバルゲーム好きの中学と言うよりも、暁美ほむらが醸し出す雰囲気は、幾多の修羅
場を潜った歴戦の戦士と言った方がしっくり来る。
そして、そんな戦う事が日常だった"彼女"を至極あっさりと受け入れている自分自身に違
和感がありながら、シンは決まりが悪そうに視線を逸らした。
「玩具だって言ってるだろ」
「そう言いたければ、そう主張し続けても良いわ。でも、分かる人には分かってしまうから、
取り扱いには気をつけなさい」
「…分かってるよ」
「本当に何処が作ったか知らないけれど、良い銃ね。ちょっと整備は雑だけど、持ち主の愛
着が見えるわ。整備はやっぱり雑だけど」
褒められたのか注意されたのか分からず、気が付けば右手に銃が"握らされている。
今度は驚かず、溜息混じりで鞄に銃を戻し立ち上がり、ほむらを真っ直ぐに見つめる。
「あんた…一体何者だよ」
「それを聞きたいのはこちら。シン・アスカ、貴方こそ一体何者なの?」
「シン・アスカ。鹿目まどかの親戚だよ」
「嘘ね」
ほむらに間髪入れず否定され、シンは顔を引きつらせたじろぐ。
確かにシン・アスカが鹿目まどかの親戚だと言う事は、真っ赤を通り越した嘘っぱちだが、
今日会ったばかりの見抜かれるのは不自然だ。
そもそも二人とも真意を隠して会話しているのだ。
背中を向き合ったまま話しているような会話が繋がり交わるわけも無い。
「私が知る限り鹿目まどかの親戚に貴方のような人は居ないの」
「断言…出来るのかよ」
「私も全能じゃ無い。知れる事、知っている事には限界がある。でも、貴方のような"存在"
はこれまで出てこなかった。細かな差異はあっても、こんなルートの大筋から外れるイレギ
ュラーは初めてね」
「あんた…さっきから何を言ってるんだよ」
「統計の話よ」
シンの存在がどう統計に影響に関係するのかさっぱり分からない。
何か大事な事を隠しているのは簡単に理解出来るが、それがどうシンに関連しているのか
見当もつかない。
一瞬ほむらがシンの過去を知る存在かと思われたが、どうもそうではない。
シンの"存在"が鹿目まどかにどう影響するのかがほむらにとって重要なようだ。
「トドのつまり"出来る、出来ない"の話だろ」
「何でも二元論と根性論に持って行くのは短慮の証拠よ」
風の強く戦慄き、太陽の光が雲で隠れる。
頬に当たっていた熱は冷え切り、背中に妙な汗が流れる。
風の音が嫌に強く鳴り響く中、答弁は中断とばかりにシンのスマートフォンが静かに揺れ
る。
「電話?出なくていいのかしら」
普通は出なければならないだろう。
着信先が居候先の家主ならば、尚更出なければならない。
だが、今、ほむらから視線を逸らす事がシンにはどうしても出来なかった。
まるで、同種の存在を嗅ぎ取った獣のようにひと時も目を離す事が出来ない。
記憶も実感も無かったが、自分はこの"感触"と長く触れ合い、戦いと共に生きて来た人間
である事を強く意識させられる。
まどかとさやか、そして、仁美が笑い合う声と昼食時のささやかな触れ合い。
言葉は荒いが気さくで優しい詢子といつも笑顔を絶やさない、ともひさと生まれたばかり
のまどかの弟のタツヤ。
彼らに関わる事は、貴方には相応しく無いとほむらに否定されたようで、心に僅かな亀裂
が入る。
心臓をかき乱す焦燥と臓腑が煮えたぎるような悪寒を否定するように戦意を滾らせ、精一
杯の虚勢を張った。
記憶が無くても「この生活を惜しい。「失くしたく無い」と思う心にシンは内心素直に頷
き、挫けそうな未熟な心を自ら鼓舞し焚きつける。
今ここで暁美ほむらに臆してはならないと、失くした記憶が語りかけ、根拠の無い猛りが
体から湧き上がって来た。
まだ「いける」と無意識に右手を握りしめ、シンは、耐えるようにほむらに向き合った。
「あんた…誰だよ」
「暁美ほむらよ」
「それはさっき聞いたし、知ってるんだ!そうじゃ無くて。クソっ…そうだよ、上手く言え
ないけどあんたは一体何なんだ!」
ほむらからは、話しをはぐらかされているわけでは無く、まるで、こちらの話を聞かず自分
の言いたい事一方的に告げている印象が拭えない。
「私も行き詰っているの。私の目的に貴方が鬼札となるのか。それとも、ただのノーハンドな
のか見極める必要がある。極めつけのイレギュラーな存在ならば、慎重に慎重を重ねてもまだ
足りないくらいでも…もし、貴方の銃がまどかに牙を剥くと言うなら、話は別。万難を排して
貴方を排除するわ」
排除の言葉に、シンの下腹が底冷えする。
確証は無かったが、彼女が排除すると言うからには、文字通り排除しにかかって来るだろう。
反射的に身構えそうになるが、「何を馬鹿な」と頭を振るい、冷静に振る舞おうと努める。
「何で、そこまでまどかに拘るんだよ。あんたとまどかは今日あったばかりだろ」
「そうね、今日会ったばかりね。でも、私が鹿目まどかに拘る訳も理由もあるわ。そして、そ
れが他の人よりもちょっと特殊なだけ。それよりも聞かせてくれるかしら。貴方は鹿目まどか
に危害を加えるのかしら」
「そんな質問馬鹿馬鹿しい。何で、俺がまどかを傷つけないといけないんだよ」
「そう…今はそれで十分だわ」
ほむらの高圧的な感覚が消えたと思った矢先、シンの視界からほむらの姿が忽然と消える。
急いで周囲を探して見るが、周囲に人影も気配も無い。
まるで、魔法のようだとひとり呟いたシンは「魔法があれば記憶が取り戻せるかかも」と妙
な感慨に浸ってしまう。
しかし、感傷もつかの間の事。
シンの中で、暁美ほむらは、謎を通り越して異質な存在になりつつあったのだが、どうも警
告されたよ言うよりも、全ての疑問に煙に巻かれた感覚の方が勝ってしまい、暁美ほむらを警
戒しきれないでいた。
暁美ほむらは危険だと思う反面、まどかの為と言われれば疑い切れないで居る。
中途半端と溜息を吐き、空を眺め、愚痴とも言えぬ呟きを漏らす。
「奇跡も魔法もあったら…そんなのあったら人は死なないし、傷つけあう事もないと思うよな」
記憶の蓋が弾け、反射的に何かを思い出しそうになる。
柔らかい心の瘡蓋を剥がされ痛みを堪えるが、薄らと滲んだ記憶の傷が全身に真綿で締める
ように広がっていく。
漠然とした苦味だけが脳と心を揺らし、耐えがたい痛みに顔を歪ませ、何が辛いのか理解出
来ないままシンは堪え続けていた。
「でも、俺は…俺は、そんなの信用出来ない」
胸に籠った苦い感情を吐き出し、薄ぼんやりと弾ける記憶の傷を強引に飲み下した。
河川敷に噴き荒む風が冷たく厳しく、シンは鳴り続ける電話に出るのに暫くの時間を要した。
次回予告
灰は灰に。
塵は塵に。
黄金の軌跡と無数の銃声が木霊する魔女の結界で、シンは一人の魔法少女と運命の邂逅を果
たす。
ソウルジェムの祈りの光がシン達を照らす中、少年と少女は、隔絶された非日常に足を踏み
入れたと自覚する。
戦いの序章の幕が上がり、白きインキュベーターは契約の呪文を朗らかに告げる。
「僕と契約して---魔法少女になってよ」
その言葉は希望へ祈りか絶望への怒りなのか。
未だその真意を知る者は居ない。
最終更新:2011年06月07日 09:07