序章 人形の森
夏はとうに過ぎ去り、秋の深まりも終わり迎え、もうじき訪れる厳しい冬を待つ幻想郷。
だがどれだけ季節が変わろうと、その姿を決して変えない場所がある。
それは幻想郷でも一番大きな森で、魔法の森と呼ばれている場所だ。
原生林であるこの森は年中多湿な環境で、そのためか森の至る所に茸が自生している。
この森に存在する茸は、その殆どの種類が幻覚作用を含む有害な胞子を発生させる物で、森の空気は常によろしくない。
おかげで、何の耐性の無い人間は近寄る事もできないし、近寄らない場所となっている。
妖怪の体には胞子の害は殆ど無いが、年中多湿な環境と、淀み続けている空気に満たされているこの森は非常に居心地の悪い場所で、近寄りたくない場所となっている。
なので茸や虫以外の生物など存在しない、未開の地と言う印象を受ける場所であるが、実の所そうではない。
森の所々には、明らかに何者かによって切り開かれた大きな空間が数多く存在している。
さらにその空間には、一般に家屋と呼ばれる物が建てられている。
人も妖も忌諱する場所であるが、例外が存在している。
この森の有害な胞子には魔力を高めると言う、いわば副作用的な物が存在している。
有害な胞子を発する茸は、魔法の道具の材料として非常に良質な物でもある。
それらの恩恵にあやかろうとする者達が、この森には住み着いているのだ。
その者達は、所謂“魔法使い”と呼ばれる存在で、この森に好き好んで住み着く存在である。
森に点在する家屋は、そんな魔法使い達の住居なのだ。
魔法使いの住居の内の一つである、白亜の壁が美しい洋館。
洋館の中には、窓とカーテンが締め切られ、昼の高い陽光の進入を拒む部屋がある。
数本の蝋燭だけが灯されているだけの薄暗い部屋、その部屋の中心部分には、とても大きく、そして複雑な紋様の魔法陣が床に描かれ、その中央と外側には、それぞれ二つの人影があった。
魔法陣の内側に座っているのは、輝かしい金色の髪と、整った顔立ちをした少女。
だがこの少女は人間ではない。
極めて精巧に作られた、人間と変わらぬ大きさの人形だ。
魔法陣の外側に立っているのは、同じ様に輝かしい金の髪と、整った顔立ちをした少女。
この少女こそ、中央に座る人形を作った張本人。
この屋敷の主にして、七色の魔法使い、アリス・マーガトロイド。
彼女はこれから、魔方陣とこの人形を用いて実験を行おうとしていた。
その実験とは“自立人形”と呼ばれる存在を誕生させる為のものだ。
これまで彼女が幾度と無く繰り返し、そして失敗し続けて来た実験だ。
今回の実験に、アリスは新たに完成させた術式を用いる事にしていた。
その術式は偶然に発見した理論を元に作られた物で、これまで研究し、用いて来たどの術よりも優れた物。
これを使えば今日こそは成功する、成果を得られると断言出来る程、自然と期待に胸が膨らむ程に、今回の実験に自信があった。
アリスは逸る心を抑えながら実験に挑もうとする。
だが実験を始めようとした時、アリスの動きが止まってしまう。
止まったのではなく、止められてしまったと言った方が正しかった。
まるで何かに動きを止められてしまったかの様に、動き出す事が出来なくなった。
やってはいけない、手を出してはならないと、何かが自分に警告をしている様に思えた。
違う。
これは今までとは違う術を使う事に対する不安や恐れから来る戸惑いだ。
そう自分に言い聞かせ、雑念と共に振り払う。
気持ちを改め、呼吸を整えると、アリスは全神経を集中させ、自身の魔力を魔法陣へと流し込みはじめる。
この魔方陣は魔力の増幅と安定を行う媒体である。
陣に魔力が満たされると魔方陣から光が浮き上がる。
光は人形を包むように渦を巻くと、人形の体の中へと入り込み、魔力で満たして行く。
ここまでは順調だ。問題はこれから先だ。
満たされた魔力を魂と心臓としての役割を持たせる為に形を変えさせなければならない。
だがこの工程は極めて繊細に魔力を扱わなければならない。
魔力で作られる魂は、少し加減を誤っただけで消滅してしまう上に、何もしなくても自然と消滅してしまう程に不安定な存在だ。
そんな不安定な魔力を魂に変えた上で固定させ、、人格や思考を持たせるには、魔力以外に術式が必要になる。
これまでの実験では、この段階で常に失敗してきた。
それはアリスが未熟だからではなく、アリスがこれまで使って来た術式では、これらの工程を成し遂げる事が出来なかったのだ。
今回、アリスが発見した術式は、この工程を成功させ、次の段階へ進む事の出来る可能性の非常に高い、アリスをして革命的といわせる程に優れた術式だった。
新たな術式のおかげで、不安定だった魔力は、徐々にではあるが、魂となるに相応しい形と大きさを成して行く。
アリスは意識を集中させながら、今までに無かった手ごたえを感じていた。
上手く行っている、これなら完成させる事が出来る。
自分の目指す物に、何よりも欲しかった物に手が届く。
ここまで来て失敗してなるものかと、さらに神経を研ぎ澄まし、魔力の安定を図る。
だが突如として、術式に乱れが生じ始める。
さらに陣を流れる魔力が不安定となり、制御が段々と困難な物になって行く。
アリスは慌てる事なく、魔力と術式を安定させようとするが、逆に不安定さを増し、暴走の兆しさえ見せてしまう。
ここで実験を諦め、制御に全力を注げば暴走は防げたはずだった。
しかしここまで来て終わらせたくないと言う欲が、アリスの判断を狂わせてしまう。
アリスの努力も空しく、魔力を制御する事が出来なくなり、暴走の果てに爆発を引き起こしてしまった。
爆発の閃光は、アリスの視界を真っ白に染める。
さらに魔力を帯びた衝撃がアリスの体に襲い掛かる。
その衝撃が自分の体が浮かび上がらせるのが分かった。
同時に、魔力が自分の体を突き抜けて行くのも。
体を襲う痛みと共に、アリスは意識を失った。
意識を失うその刹那、アリスは自分の中の何かが壊れる音を聞いた。
・ ・ ・
アリスが意識を取り戻し、目蓋をゆっくりと開いて最初に感じたのは、頭の痛みだった。
ゆっくりと上体を起こし上げ、一体どれだけの間気を失っていたのだと考えていると、部屋の戸が開かれて人形達が入ってきた。
人形達はすぐさまアリスの許に駆けつけると、アリスの安否を問いかけてくる。
アリスは人形達と共に自身の状態を確認する。
服が所々すすけてはいたが、目立った外傷や出血といった物は無い。
何も異常が無い事に人形達と共に安堵すると、すぐさま人形達に部屋の状況の確認を指示する。
自身も部屋を見渡すと、薄暗かったはずの部屋が明るくなり、外の光が差し込んでいる事に気付いた。
見れば窓ガラスを全て割れ、光を遮っていたカーテンはボロ布に成り果ててしまい、その役割を果たす事が出来なくなっていた。
部屋に存在する実験器具もことごとく吹き飛んでしまい、無傷な物を見つける事は出来なかった。
また、部屋全体へのダメージもひどいもので、床に描いた魔方陣は原型を止めない程に破損し、壁や天井もボロボロになっている。
先程の爆発がそれほどまでに強烈な物であったと思うと、アリスは背筋に寒気が走る一方で、自分が無傷で済んだ事に安堵した。
だが自信を持って挑んだ実験の失敗や、実験器具の全滅は、アリスのうな垂れさせるには十分な物で、思わず大きく肩を落としてしまう。
頭を抱えながら改めて部屋の中を見渡すと、実験に用いた人形が倒れているのを見つけた。
魔方陣の中央に位置していたはずの人形は、爆発の衝撃でアリスとは逆の方向に吹き飛ばされ、更には壁に叩きつけられたのか、うつ伏せに倒れていた。
倒れた人形を、壊れた窓から差し込む光が包んでいる。
大きな損傷は見受けられなかったが、全身のいたる所がアリスと同様にすすけていた。
倒れている人形を見つめていると、自分の中に言い表す事の出来ない無い感情がこみ上げてくるのに気付く。
実験の失敗や機材を失った事から来る喪失感や虚脱感とは違う、それは悲しみに似た感情であった。
耐え切れなくなり、人形から視線を外すと、アリスは人形達に後片付けを指示し、着替えて来ると人形達に告げて部屋を後にした。
それは実の所、この理由の分からない感情から逃げる為の口実である事は、アリスも自覚していた。
部屋を出たアリスであったが、そこから一歩動く事が出来ず、閉めた戸にもたれかかる。
体に力が入らず、ゆっくりとその場に腰を落としていく。
先程の人形の姿が脳裏によぎる。
その姿を思い出すだけで胸がさらに苦しくなり、目頭が熱を帯びはじめる。
やがて床の上に水滴を、涙を落とし始めた。
何故泣くのかは分からなかった。
そして流れる涙を、嗚咽を止める事も出来なかった。
アリスはただ泣く事しか出来なかった。
いつの間にか、晴れ渡っていた筈の昼の空が雨雲に覆われ、雨を降らせ始めていた。
まるでアリスの涙に呼応するかのように、大地に雨を降らせ続けた。
それからアリスはずっと泣き続けた。
涙が枯れ果てるまでの間、雨がやむまでの間、ずっと。
最終更新:2012年01月10日 12:02