アットウィキロゴ

東方小ネタ-18

「だからね、貴方を遣わせてほしいの」

そう言って、その奇妙な女は、裏路地の壁に寄りかかってへたり込んでいた自分へと手

を差し延べてきた。
だが自分はその女の手を取ることも、何か物言うこともせず、ただ力無く見つめた。
いや、正確にはそんな力などなかった。
口からは自分のものではないような荒い息が勝手に吐き出されていき、その度に生命が
垂れ流されていくのを感じる。無意識に傷口を押さえていた手もペンキ缶に手を突っ込だ
ように朱く染まり、甲斐なく裏路地にこぼれ続けていた。
ふと、目の前の女とは別の顔が、朧気な脳裏に浮かんだ。

――……な……さい……ごめんなさい

脅えきった顔で、泣きじゃくりながら自分の懐を探って封筒を盗って行った、あの少年。

謝りながら聞いてもいないことを喋り続けるその様は、まるで自分がいじめたみたいで逆
に申し訳ない気分になってくる。

――ごめんなさい……妹が病気なんです……ごめんなさい、ごめんなさい……

(もういいって……)

記憶の中の少年に語りかけるように、胸の中で呟いた。幸い――と言うのも変だが――
封筒の中は気晴らしに休暇中に散財してやろうと銀行で多く引き出したので、かなりの金
額が詰まっている筈だ。あの少年が病気の妹とやらのために何に使うのかは知らないが、
大抵のものは買えるだろう。

(もっと引き出そうとして足が付かなきゃいいけど……)

ぼんやりと、なんとなくズレことを考えているのを自覚していると、まるで散歩中のよ
うな足取りで日傘を差した女がこちらに近づいてきて――そこまで思い出して、記憶の中
の女と目の前の女の顔が重なって一致した。
どこか時代錯誤な貴婦人の様なその奇妙な女は、なにやらずっと話続けていたらしい。
自分はもう、話の内容は既に理解できる状態ではないのだが。

「勘違いしないでね。別に貴方でなければならない理由ないの。ただ私の通り道に偶々撃
たれた貴方が倒れていて、泣いてる貴方の顔が目についただけ」

(泣いてる?)

偶然言葉尻を拾い上げ、ようやく自分が涙を流していたことに気づいた。だからどうし
たのかという程度のことだったが。
ともあれ、それで女の話は終わったらしい。

「では行きましょうか。ああ、その傷はもう治してあるから、もう押さえなくてもいいわよ」

その台詞を皮切りに、女の後ろの空間が裂けたように見えたところで、シンは意識を失った。




ちくたくと、時計の秒針が刻まれる音が、静寂な室内に小さく響く。
大小様々な物――それこそ日用品から骨董品、果てはオモチャからガラクタまで混雑に、
猥雑に置かれたその場所は、初見では物置小屋と誤解するかもしれない。
だがそれもあながち間違ってはいないと、シン・アスカは思う。
シンが物置小屋と表したこの場所の名は『香霖堂』。外界から隔離されたこの幻想郷で、
《外》の道具を扱う唯一の店だ。
世界と隔離されて以来、文明がほとんど進んでいないこの幻想郷では、技術が発達した
《外》の道具は実に便利だ。そんな道具を――元々は拾った物とはいえ――扱う香霖堂は
さぞ繁盛しているのだろう。
などとは思うのだが、現実はそう上手くはいかないように出来ているらしい。売りに出
される道具はほとんどが使い道も分からないため買い手がつかず、仮に使い道が判明して
も店主が気に入れば即座に非売品として奥の倉庫に引っ込めてしまうため、結局のところ
実益よりも趣味に比重が傾いている。

(ま、つまりはゴミ屋敷みたいなもんだよな)

そんなことを内心で呟いて、シンは自身の前髪の隙間から――どうでもいいけど髪が伸
びたな。最後に床屋に行こうと思ったのいつだっけ――テーブルを挟んだ向かいに座る人
物を見やった。

向かいに座るのは、香霖堂の店主だ。見かけは白髪に眼鏡をかけた青年だが、実年齢は
三十路に達した自分よりも遥かに年上だ。少なくとも知り合ってからこの十年間、彼は変
わらぬ姿でこの店に鎮座している。
自身と向かい合って座りながら、こちらに見向きもせず本を読む店主――森近霖之助に、
シンは頬杖を突きながら声を投げかける。

「なあ」
「ん?」
「霖の番だぞ」
「ああ」

シンの呼びかけに、ちらりと本からこちらに――正確には、テーブルに広げられたゲー
ム盤に目を向けると、無造作に白塗りの騎馬の駒を取って別のマスへと置いた。
そうして霖之助がまた本のページを捲るのを見届けて、シンは自分の黒い槍兵の駒を先
ほどの白い騎馬の駒の前に移動させる。

「ええと、これでなんて言うんだっけ……あれ? サイコロどこ行った?」
「さっき僕の足元に落ちたよ」
「気づいたんなら拾えよ……一応売り物だろ」
「その売り物を勝手に引っ張り出して遊ばないでほしいんだけどな」
「いいだろ。どうせ売れないんだから」

そんなやり取りをしながら――もう十年も繰り返してる気がする――シンがテーブルの
下を覗き込んだときだった。

――カラン、カラン、バン!

「今日も暇そうだな野郎ども!」

そんな声とともに、ばたばたと何者かが自分の後ろを通り過ぎて店の奥へと押し入って
行った。
先ほどの足音を追ったのだろう。シンの目の前にあった霖之助の足が遠のいた。シンは
気にせずサイコロを拾ってから立ち上がると、霖之助を追って店の奥へと向かった。
覗いてみると、台所で霖之助と少女が話していた。話している、といっても、その少女
は霖之助から背を向けてがさごそと台所を漁っているのだが。
長い金髪に魔女のような黒い大きな帽子をかぶった、やはり黒いスカート姿の少女。彼
女のことはシンも知っている。名は霧雨魔理沙。霖之助の昔なじみの少女だ。
霖之助と魔理沙の会話に、シンは割って入った。

「どうしたんだ、魔理沙?」

聞くと、野菜を帽子の中に詰めていた魔理沙はくるりとこちらへ振り向いた。

「風邪を引いたんだ」
「魔理沙が?」
「私は岡っ引きだ。引いたのは霊夢だ」
「魔理沙は引かれる方だろ――って、霊夢が?」

霊夢とは魔理沙の友人で、この幻想郷では重要な意味がある『博麗神社』の巫女の博麗
霊夢という少女だ。
魔理沙と並んでこの香霖堂の常連客――客と言えるのかは悩むところだが――で、シン
とも浅からぬ縁があった。少なくとも、一時あの子が自分を叔父と勘違いしてくれるくら
いには親しくしていた。

「だから看病してやろうと思ってな」
「だからどうして僕の家の材料を持っていくんだ」
「そっか……」

頷いて、シンはおもむろに手近にあった棚に手を伸ばした。魔理沙の身長では手の届か
ない場所にある引き戸を開くと、中から一升瓶を取り出して魔理沙に手渡した。

「じゃあこれで卵酒でも作ってあげてくれよ」
「それは僕の酒だ」
「いいだろ。賭けで俺から巻き上げたやつなんだから」
「香霖め。こんなところに隠してたのか」

恨めしそうに見つめる霖之助を無視して酒を受け取る魔理沙に、シンは訊ねた。

「霊夢はなにか言ってなかった?」
「おっさんのことか?」
「いや、意味が分からないこと」
「言ってたぜ」

魔理沙は少し思い出す素振りを見せてから口を開いた。

「なんか『石を蹴ったらなぜか後ろから飛んでくるみたいにいいかげんなくせに、流れに
常に邪魔されてる気がする』とか言ってたな」
「参ったな、正解だ」
「うん?」
「いや、こっちの話だよ」

視線で疑問符を投げかけてくる魔理沙に手を振って会話を打ち切る。どうやら自分も用
事が出来てしまったようだ。

「じゃあ俺は用事ができたからもう行くよ。あと魔理沙、その長ネギは置いていけ。な
んか嫌な予感がするから」

それだけ言うとあとのことは霖之助に任せることにして、シンは香霖堂を後にした。






事態が進んでいることさえ分かれば、見つけるのはそう難しくはなかった。
今さら何を言ったところで言い訳にしかならないが、気づいてないわけではなかった。
ただ“発芽”してからの方が安全で確実であるため、目星だけ付けておいて様子を見てい
たのだ。
だが自分よりも霊夢が先に感じ取ったのは予想外だった。自分が鈍ったのか、或いは霊
夢の勘がそれほどまでに研ぎ澄まされているのか。
おそらく後者だろうと、シンは結論付けた。
年と共に衰える人間の身体的なものや感覚的なものと、この《力》はまったくの別物だ。
異形と言ってもいい。そういった《力》は、異変を解決する義務がある博麗の巫女の本能
から逃れることはできないのだろう。

(末恐ろしいな……悪い気はしないけど)

口元に苦笑を浮かべて、シンは認めた。霊夢の修行にはシンも付き合ったことがあった。
と言っても、彼女が幼い頃に一年ほど護身術を教えたくらいだが。いや、正確には一年で
教えることが無くなってしまっていた。それほどまでに霊夢のセンスはずば抜けているの
だ。ただし、面倒臭がりなあの子の性格がせっかくの才能を台無しにしているが。

(ま、あの子らしいと言えばあの子らしいか)

他人がどう望もうと、あの子は在りのままでいるのだろう。多分それでいいのだとシン
は思う。
そう、

「俺みたいになることはないんだ……何を代償にしたって、それと見合うものなんて手に
入らないんだから」
「えっ?」

シンの声に気付いた人物が、こちらへと振り向いた。構わずシンはその顔をじっと観察
する。
線の細い、大人しい印象の少年だった。齢は十六、七くらいか。暇なときは外を遊び歩
くよりも室内で本でも読んでいるほうが似合っていそうな、そんな少年だ。

(ああ、いかにも《クジラ》に好かれそうなタイプだ)

そう内心で勝手に納得しているシンに、少年はずっと困惑した顔で視線を投げかけてい
た。それもそうだろう。里の中ならいざ知らず、今二人がいるのは、人も滅多に寄り付か
ない里から離れた林の中なのだから。
少年が意を決して何か言いかけるのを見計らって、シンは声を被せた。

「あの――」
「こんなところでなにしてるんだ?」
「え……」

言って、相手が言葉の意味を理解するのを待たずに足を進める。少年のところまであと
十メートルといったところか。
ぎりぎり警戒されない距離を意識して、言葉を続ける。

「ここは昼間も暗い、妖怪も好んで通る道だ。一人で出歩いてたら危ないだろ」

あくまで普通に、偶然通りがかっただけのふりをする。少年は数瞬迷ってから答えた。

「呼ばれた、気がしたんです……」
「呼ばれた? 誰に?」

怪訝な顔で首を傾げながら、内心で苦笑する。我ながらわざとらしい。誰に呼ばれたか
など、当の本人にも分かっていないことくらい理解していた。
そして少年が知らない答えを、自分は知っている。今、目の前にいる自分自身が、彼を
ここへ呼び寄せたのだ。
だから少年の答えは待たなかった。

「まあいいか。用事がないならここから離れた方がいい。なんなら俺も里まで一緒に行く
よ」
「……貴方は、どうしてここに?」
「俺? 俺は……」

今度は少年に聞き返され、止めていた歩を再び進める。自身に近づいてくるこちらを、
少年はじっと見てきていた。

「……《種》を掘り返してるんだ」
「たね……?」

意味が分からないであろうことを理解しながらも、シンは続ける。

「ああ。《種》と言っても、地面に落ちてるわけじゃない。ついでに、蒔いたのも人間じゃ
ない。心当たりはないか? まるで全てが見渡せるように視界が広がって、なんでもでき
る気になるんだ。そして実際、思ったこと全てが思った通りにいく」

シンの言葉に少年がたじろいだ。

「そう。君は、何度か妖怪に襲われた人を助けたな? その力を使って」
「貴方は、知ってるんですか? 僕の能力のこと……?」

今度は歩を止めないまま、答える。

「正確には君のじゃあないな。それはな、“配役”だ。神様気取りの妖怪鯨が、世界を救っ
てやろうと選んだ、『救世主』の役割。それが君の能力の正体だ」


ゆっくりと、少年に近づいていく。もうとぼけるつもりはない。

「種を蒔かれた者は、《クジラ》の力にアクセスすることができる。俺の雇用主は『因果を
操る程度の能力』と言ってたな。上手くいって当たり前なんだよ。“本人が望んだとおりの
結果が出るんだから” 。そのくせ後になって本人が結果を変えたいと思えば、それまでの
道理や過程を全部無視して改変してしまうから厄介だ」

答えはない。彼は不安そうな表情で静かにシンの言葉を聞いていた。

「この力は人には重過ぎるんだ。力を使えば使うほど、ただでさえ足りない人としての容
量がどんどん食いつぶされていく」

少年との距離が三歩ほどまで近づいたところで立ち止まる。

「最終的に、肥大化した力は宿主の制御から離れる。本人が望もうが望むまいが、少しで
も考えればその因果を持ってくる。“俺のとき”は、『救世主』役が「平和な世界」を望ん
だだけで戦争が始まって、そして予定通りに『救世主』が戦争を終わらせた。君の場合、「次
も助けたい」と思ったから、妖怪が人を襲った。君のすぐ近くで」
「そんな……違う、僕は……」
「分かってる。君が悪い訳じゃない。この力そのものに意思はない。ただ、力の根本にい
たやつがあまりにタチが悪過ぎた。だから君をそのままにしておくわけにはいかない。君
の《種》はすでに、博麗の巫女に影響を与えてる。あの子が動けなければ、必然的に妖怪
を退治できる人間は減るからな」
「…………」

愕然とする少年に、もう一歩踏み出す。少年の目を見て、シンは告げる。

「……かつて《クジラ》が俺に与えた役割は『悪魔』だった。理由なんて知りたくもない
けど……《クジラ》は、『救世主』は一度『悪魔』に殺される必要があると考えていたらし
い」
「――――っ!!」

その言葉を皮切りに、少年が背を向けて逃げ出そうとした。だがすでにシンの間合いに
入っていた。難なく、シンは足を少年の足を払って地面に転ばせた。

「!?」

咄嗟にこちらを見上げる少年に見せつけるように、大仰に足を振り上げると、勢いよく
足を振り落とす。靴は少年の頭のすぐ真横の地面を踏みつけた。
あえて外したのだが、効果はあった。シンはできるだけ冷酷に見えるよう無表情で恐怖
に歪む少年の顔を見下ろす。

「う、うわああああああ!!」

顔に土を投げつけられる。予想はしていたが、あえてわざと顔を背けた。それを隙と見
た少年は立ち上がると、また逃げようと背を向ける。
その少年の襟首を左手でつかむと、少年の軽い身体を思いっきり引っ張り、空いた右掌
を胴に押し付けた。引っ張った勢いを殺さないまま、回転させるように身体を捻って少年
を突き飛ばす。
敢え無く吹っ飛ばされた少年が地面を転がる。大した怪我はしていないはずだが、恐怖
でパニックに陥った頭の中はそれどころではないだろう。

「う……」

ざっと、わざと地面を踏みしめて少年に自分の位置を教えてやる。はっと少年がこちら
を見上げて後ずさるのを見ながら、ゆっくりと近づく。冷静に、本人の危機感を刺激する
ためだ。

「ひっ」

少年の胸倉を掴んで目を合わせる。

「悪く思うなよ」

そう呟いて、そのまま背負い投げの要領で地面に振り落す。少年はなすすべもなく地面
に叩き付け――られなかった。

「!」

今度はシンが目を見張る番だった。
腕の中にあった人の重みが、突如消える。その手に残っていたのは、少年が来ていた上
着だけだった。はらりと、帯が足元に落ちる。
かすかに耳に聞こえた土を踏みしめる音を辿ると、少年がシャツ姿で身を低くして着地
していた。
少年の瞳からは光が消えていた。《クジラ》の能力が発動した時の特徴だ。シンという脅
威に対する恐怖と、生命の危険を感じた本能が力を発動させたのだ。
それを見て、ふっと、シンは肩の力を抜いた。これでもう、彼を怖がらせる必要はなく
なった。

少年は動かなかった。いや、動けないのだ。自分がそうした。光が消えた瞳のまま、震
えることすらできなくなった少年の顔に焦燥が浮かぶ。
そんな彼に申し訳ない気持ちで、シンは語りかけた。

「実は君に隠していたことがある。《クジラ》はもうこの世に存在しない。幻想郷に《種》
を蒔いたことが、妖怪の賢者の逆鱗に触れたんだ」

足元に落ちた少年の帯を拾い上げる。

「ただ《クジラ》が死んでも、《種》は残る。考えた賢者は、かつて《クジラ》が住んでい
た世界の人間を管理者に据えることにした」

硬直したままの少年に上着を羽織ってやると、片膝を突いて低い体勢でいる彼と目を合
わせる。

「《クジラ》が本来いた領域にいるのが、俺だ。つまり君は俺にアクセスしたことになる。
そうなれば後は簡単だ。ルートを辿って君を支配すればいい」

自分では確かめようがないが、おそらく少年の目には、彼の光のない瞳とは対照的な、
爛々と紅く輝く瞳が映っているのだろう。

「脅かしてごめん……君に《種》を割らせるためには、精神的に追い詰めないといけなか
ったんだ。能力を自由に発動できるようになる前の方が、後遺症もほとんど無くて済むか
ら……言い訳させてもらうと、これでも君が発動しやすくなるレベルまで待ったんだ。あ
の子に影響が出てしまったのは、俺の迂闊だったけど」

少年の頭に手を伸ばし、瞳を閉じさせる。

「さあ眠ってくれ。大丈夫、目を覚ませば今日の事は全て忘れてる。ああ、それとして《種》
が無くなれば俺は君に干渉することはできなくなるから安心してくれ」

そしてその言葉を言い終えると、少年の身体は硬直から解けて地面に崩れ落ちた。


少年が目を覚ましたのは、それから五分も経たなかった。
彼はなぜ自分が林の中にいたのか思い出せなかったからか、しばらく辺りを見回してい
たが、やがて気を取り直して人里の方へ帰って行った。
その姿を木の影から見送ってから、シンは振り向いた。

「……終わったよ」
「ええ、見ていたわ」

そんな声と共に誰もいない空間に亀裂が入り、そこから日傘を差した紫のドレス姿の女
が現れる。
八雲紫。幻想郷において妖怪の賢者と呼ばれる強力な存在であり、そしてシン・アスカ
の雇い主でもある女だった。
シンは自身の雇用主に向かってある物を投げつけた。その、青紫色をした小さな種のよ
うな物体は、弧を描いて紫の元へ向かって飛んでいくと彼女の眼前で弾けるように砕け散
った。
ぱらぱらと粉々になっても触れることのなかったそれを見下ろして、紫は問う。

「あっけないものね。これで終わり?」
「終わりだよ。幻想郷に蒔かれた《種》は全部回収した。俺みたいに《外》から《種》を
持った奴が流れ着く可能性もあるけど……そうなったら黒幕はアンタだな」
「つまりもう《種》は来ないということですわね」

あっさりとシンの皮肉を躱して、紫はこちらへと視線を向けた。

「それなら貴方ももっと嬉しそうな顔をしたら? さっきからずっと浮かない顔をしてる
わよ」
「……なにを喜べって言うんだよ」

それは先ほどの皮肉の報復だろう。頭では分かっていたが、しかしシンには無視できな
かった。気づけばすでに、自身の口から自嘲が突いて出ていた。

「いや、そうですね。これでもう無抵抗な人間を脅すみたいな真似をしなくて済むと思う
と清々しますよ」

面白がるような目でこちらを見てくる女を認識しながら、だが一度吐き出してしまえば
自分でも止められなかった。十年間溜め込んでいたものが今、役目を終えたことで出て行
こうとしているのだろうか。

「知ってるだろ。蒔いたやつの意図がどうあれ、《種》の存在理由は救済だ。だから自分の
ために力を使うような人間に《種》は芽吹いたりなんかしない。あの子供は……今まで俺
が《種》を脅し取ってきた人たちは、純粋に誰かのためになろうとできる人間だった。悪
人でもなんでもない、そんな人間に手を上げてきたんだ。達成感もなにもあったもんじゃ
ない!」
「だけどやり遂げてくれたわね」
「俺がやらないと誰がやるっていうんだ」
「誰でも良かったわ。異変にもならない、解決しても誰にも感謝されない。それでも誰か
がやらなければいけなかった。そして私は、この役目を任せたのが貴方でよかったと思っ
てるわ」
「…………」


言いたいことを全て言い尽くしたわけではなかった。だが全てが終わり、今さら目の前
の女に言っても仕方がないと、今さらになってやって来た冷静な部分が冷や水となって熱
しかけた頭を冷やした。
気まずさを覚え、シンは女から目をそらす。

「……とにかく、俺の役目はこれで終わりだ。アンタも俺にもう用はないだろ」

背を向けてここから歩き去ろうとするシンを、だが紫は引き留めた

「あら、さんざん自分だけ話しておいて、私の話は聞かないつもり?」
「……まだなにかあるのかよ」
「これ」

“これ”と言われても、背を向けているこちらからは見えるはずもない。それでも言葉
が続かないのは振り向けということだろう。シンとしては早く彼女との会話を終わらせた
かったのだが、彼女に世話になったのも事実であり、このまま無視するのも気が引けた。
結局、シンは顔だけ紫の方へ振り向いた。
そんなシンの顔を見て、紫はにっこりと笑みを浮かべてみせた。その笑顔はシンから見
ても魅力的な笑みだったが、彼女の性格を知る身からすれば胡散臭さを拭えなかった。

「これ、ほしい?」
「…………」

だが紫が手に持って掲げている物体を見て、シンは思わず固まった。
女の手にあるものは、小さな種だった。先ほど紫が砕いた種と同じ形をした、同じ異能
の具現。
ただその種は色が違った。先ほどの青紫色の種とは対照的な、紅い種。
その種に、シンは見覚えがあった。

「まだ持ってたのかよ、それ……」

奪った種は全て紫によってシンの目の前で全て破壊された。だがそうでなくても見間違
えたりはしなかっただろう。その紅い種は、シンに植えられていたものなのだから。

「せっかく十年も頑張ってくれたのだもの。ご褒美を用意しないわけにはいかないでし
ょ?」
「へえ、それで?」

内心の動揺を抑え、どうでもいい風を装って皮肉気な笑みで先を促した――つもりなの
だが、上手くできなかった。自分でも分かるほど、明らかに口元が引き攣った。
そんな自分をどう思ったのかは知らないが――おそらく楽しんでいるのだろう――、紫
は言う。

「貴方が望むなら、この力を返してあげるわ」
「は……」

無意味な単語が口から出かけて止まった。
その種を見せられた時、予想しなかったわけではなかった。そう、この力を知った時、
考えなかったわけではなかったのだ。
“この力があれば、家族を生き返らせることができる”と。

「私としてはね、この能力を制御できるのなら手元に置いておきたいの。限定的とはいえ、
因果の操作は力ですらない万能よ。貴方が知る保持者への負担も私の能力で解消できるわ。
ただし、私の式神になってもらうことが条件だけど」
「…………」
「どう? 破格の条件だと思うのだけれど?」

その通りだ。
頭の中でシンは即答した。そうだ、これ以上ない申し出だ。
別に悪用するつもりはない。ただ家族にまた会いたいだけだ。あの力なら、それができ
る。
家族が死ぬあの瞬間、実は三人は幻想郷に流れ着いていたことにすればいい。里はどこ
も人手を欲しがっている。きっと家族はすぐに馴染めるだろう。妹はもしかするともう家
庭に入っているかもしれない。いや、すでに母親になっている可能性もある。両親は孫を
可愛がっていて、自分も姪っ子か甥っ子の面倒を見るのも悪くない。
親友だったレイも、穏やかな余生を送らせてやれる。いや、寿命の問題だって解決でき
る。レイが望むのなら、デュランダル議長を呼ぶのもいい。
 それに、あの娘だって……。
そしてみんなで、この優しい世界で暮らすのだ。幻想郷は決して安全とはいえないが、
少なくともここには平穏がある。

「そうだな……断る理由なんてない」

心を落ち着けるつもりで目を閉じて、静かに告げる。

「きっと誰もがそれを望んだんだろうな。残された人たちも、俺が撃ってきた人たちも…
…」


再び目を開く。紫は相変わらず笑みを浮かべているが、どこか優しい目でこちらを見据
えていた。

「本当にそれでいいの? 貴方は……」

最後まで言わせず、手を振って紫の台詞を中断させた。

「アンタが言ったんだ。もう十年も経った。それだけあれば人間は考えるくらいするさ…
…もう終わってるんだ。とっくの昔に終わってて、新しく始めてる……十年たって、よう
やくそう思えるようになった」

 そして数瞬だけ、シンは言葉を詰まらせた。迷ったわけではない。ただ覚悟が必要だっ
た。捨てようにも捨て切れない未練と、これからの後悔への覚悟が。
 意を決して、シンは口を開いた。

「……だから、その力はいらない。俺は……これからも背負っていくから」

 言いたいことは全て言った。そしてシンの決意に反して紫はあっさりと、シンの答えを
受け入れた。

「そう。なら、これは持っていても仕方ないわね」

そう呟くと、手に持っていた種は崩れるように粉々になり、風に乗って消えて行った。
粉々になった種を目で追うようにシンは空を見上げる。当然、見つかるわけもないが。
しばし、そのまま黄昏に染まる空を見つめたまま、シンは呟く。

「ずっと思ってたんだけど……アンタって、本当にいやなヤツだよな……」

自分を試した妖怪の賢者は、シンの言葉に何も答えなかった。



「……おじさん」
「ん?」

慣れた声に呼びかけられて、回想にふけっていた意識が浮上した。
空はすっかり夜のとばりに包まれ、人里から離れている博麗神社を照らす明かりはなく、
闇に覆われている。
だがそれでも縁側に座るシンが灯りもつけずにいたのは、月の光が煌々と闇を照らして
いたからだ。だからか、障子の隙間から顔を出している霊夢も灯りの類は持っていなかっ
た。

「身体はもういいのか?」
「うん。寝てたら大分楽になったわ」
「そうか。単純なもんだ」

シンの言葉は霊夢には意味が分からなかっただろうが、少女は何も言わなかった。
霊夢は障子の隙間から出てくると、シンの隣に腰を下ろした。風邪で寝込んでいたのだ
から当然だが、着ているのは白い寝間着姿で、いつもの頭のリボンも外して髪を下ろして
いた。
霊夢はひったくるようにシンが持っていたグラスを奪うと、一口飲んでからグラスの中
を眺めた。

「珍しいわね。おじさんが宴以外でお酒を飲んでるなんて」
「ああ、たまにはな。霖に返すのもなんか癪だし」
「ふーん……」

シンは霊夢とは反対側の、自分のすぐ右手に置いてあった一升瓶を一度掲げて見せてか
らまた置いた。
そこでまでしてから、シンは思い出したように霊夢に伝えた。

「そういえば魔理沙は隣の部屋で寝てるよ。朝になったらお礼言っておけよ。今日一日ず
っと霊夢の看病してくれてたんだから」
「いいわよ別に」
「そんなこと言うなよ。頼まなくても自分のためになにかしてくれる人はありがたいもの
なんだぞ。まあ……それが本当に自分のためになるかは別だけど」
「おじさんはそういう人はいるの? というか友達いるの?」
「いるよ……いいヤツの大半は死んじゃったけどさ」
「ふーん」

それ以上の事は霊夢も聞いてこなかったので、そこで会話が途切れた。気にせずシンは
月を見上げていると、ふと、腕に重みを感じた。
見ると、自分の肩に霊夢が寄りかかってきていた。

「まだ身体の調子が良くないのか?」
「うん」
「そうか」

 霊夢が頷いたのを見て、シンは部屋に運んでやった方がいいかとも思ったが、当の霊夢
はまだ戻る気はないのか相変わらず酒を飲んでいる。
まあいいかと軽く嘆息して、シンは再び月を見上げた。
虫の鳴き声と草木が揺れる音しか聞こえない闇の中で、二人はぼんやりと月見に興じる。
しばしそうしていると、ふと霊夢が口を開いた。


「魔理沙がさ」
「うん?」
「おじさんがなにか隠してるって」
「……ああ」

霊夢の言葉に、シンは別に驚かなかった。自分の役目のことは意図的に黙ってはいたが、
必死に隠すようなことはしていなかった。むしろよく十年もの間あの好奇心旺盛な魔理沙
にばれずに済んだものだと感心するくらいだ。単に魔理沙にとってシンはどうでもいい人
間だったというだけの話かもしれないが。
だがふと、シンは傍らの霊夢に視線を向けた。霊夢は相変わらず酒を口にしながら月を
見ているが、彼女はどう思っているのだろうか。魔理沙が怪しんでいたのなら、当然霊夢
もシンついて何か気づくことはあっただろう。しかし霊夢は先ほどの一言から問いただし
てくるわけでもなく、黙々と酒を飲んでいる。
少し気になって、シンは霊夢に聞いてみた。

「気になる?」
「別に」

予想以上にあっさり返されて、むしろシンが面食らってしまった。

「だっておじさんが言わないなら、私が知らなくてもいいことなんでしょ」
「いや、まあ……そうだけど……」

今どきの娘って覚めてるなあ。
そんな年よりくさいことを思うシンに、霊夢は続ける。

「それにおじさんが悪いことできるとは思えないしね。もしあるとすればやくざ仕事をや
らされて足を洗いたがっているってとこかしら」
「すごいなドンピシャだ――い、いや、でもほら、もしかしたら実は影で平和のために戦
ってたりするかもしれないだろ」
「ないわね。おじさんが昔はエリートだったっていうくらい信憑性がないわね」
「それは結構信憑性高いと思うんだけど……」

切り捨てられるように即答されてしまい、とうとう立つ瀬が無くなってしまったシンに、
霊夢はさらにダメだししてくれる。

「大体、もし仮におじさんに何か秘密があったとしても、おじさんがおじさんであること
に変わりはないでしょ」
「……真理だな」
「でしょ? なら私はそれで十分よ」
「うーん……」

 なんとなく呻きながら、まあ秘密なんてそういうものなのかもしれないとシンも勝手に
結論付けた。


それからしばらくの間、シンは霊夢が眠るまで言葉を交わすことはなかった。
無言で寄り添う二人の影を、幻想郷の月は静かに照らし続けていた。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2013年04月20日 17:15
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。