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東方小ネタ-19

1

 夜空を覆っていた厚い雨雲は、日の出と共に薄れ始め、正午を過ぎた頃には完全に消え去った。
 今は晴れ渡っている空の下、命蓮寺の住人はいつもと変わらぬ一日を過ごしていた。

 ただ一人、シンを除いては。

 彼は命蓮寺の母屋の、裏庭に面した縁側に一人で腰掛けていた。
 そこで何をするでもなく、ただ昨夜の神子との間に起こった出来事を何度も何度も繰り返し思い浮かべていた。
 神子の様相を思い出す度に心を揺らし、彼女からの奉仕の感覚を思い出しては情欲を感じ、白昼から不埒な事を考える自分に嫌悪して溜息を付く。
 一つ溜息を付いては振り出しに戻り、また心を揺らして自己嫌悪の溜息を漏らす。
 それをこの場所で何度も何度も繰り返していた。

「はぁ…駄目だな、こんな調子じゃ」
「あら、こんな所にいたのね」
「えっ? あぁ、星さん。何か用事ですか?」
「いえ、ただ近くを通りかかっただけですが…あの、大丈夫ですか?」
「えっ、何がですか?」
「何だか悲しそうな顔をしてました」
「…そんな顔してました?」」
「はい…隣、失礼します」

 断りを入れ隣に腰掛けた星から甘いにおいが香る。
 シンは思わずドキリとし、同時に神子の甘いにおいを思い出した。

「神子の方が…」

 何て失礼な事を考えているんだと頭を振る。同時に何故こんな事を考えたのだろうと疑問も感じた。

「…今何か言いました?」
「えっ? いえっ! 大丈夫です…すみません」

 シンの呟きは星には聞こえていなかった事に、小さく安堵の溜息を漏らした。

「そう、ですか…シン。何か悩みがあるのなら、私でよければ相談に乗ります」
「ありがとうございます。でもすみません…他の人にはちょっと…」

 星の言葉は、こんな時でなければありがたい物であった。
 ただでさえ人に話し難い内容に加えて神子が関わっているとなると余計に話し辛い物だ。

「そう…ですか。いえ、誰にだって話したく無い事はありますから」
「…すみません」
「ううん、そんな顔をしないでください…」

 それっきりお互いに言葉無い。肩を並べる二人の間に、少し重苦しい沈黙が流れる。
 シンは星に心配をかけさせてしまう自分に不甲斐なさを感じ、横目で盗み見た星の少し沈痛の浮かんだ顔を見て、さらには自己嫌悪にも陥り始めていた。


「あっ!」

 星が不意に声を漏らす。
 シンは何事かと顔を向けると、星は胸の前に手を合わせ、何かをひらめいた表情をしていた。

「どうしたんですか? 星さん」
「い、いえ。あのですね、相談には乗れない代わり…と言う訳ではないのですが」

 慌しく縁側に上り、シンの方を向いて正座する。
 星の言葉の歯切れが悪くなり、星の目線が忙しなく泳ぎ始める。シンはとりあえず黙って見守る事にした。

「人に話せない…ならですね」
「はい」
「その代わりと言う訳ではないのですが…き、気晴らし…してみるのはどうでしょうか?」
「気晴らしですか」
「その、里の甘味処でですね…」
「はぁ…」
「とても甘い洋菓子が食べられるそうなのですが…その」
「…一緒に、って事ですか?」
「はい…今度のお休みの日、よろしければでいいのですが」

 星は改めて姿勢を正し、自分を落ち着ける様に深呼吸をする。

「その甘味処に…い、一緒に! 甘味処に行きましょう!!」

 そう告げて勢いよく頭を下げるその姿と言葉は、誘うと言うよりもお願いと言った方が正しい。
 力みすぎたせいか声も大きなものとなってしまい、シンも思わず怯んでしまう。
 シンは呆気に取られたように目をぱちぱちとさせ、星は頭を下げたままの状態。
 身体を強張らせて心臓をバクバクと高鳴らせながら返答を待っていた。

「顔、上げてくださいよ。星さん」

 聞こえていないのか、大声になってしまった事に気恥ずかしさを感じているのか、星は頭を上げない。
 悪いとは思いつつも、シンはその姿に苦笑いを浮かべてしまう。
 シンも腰掛ける体勢から星と向かい合う様に姿勢良く正座する。

「喜んで付き合います」

 その言葉に星はようやく顔を上げた。そしてその表情はパァっと明るい物だった。
 大きく息を吐き出すと、張り詰めていた緊張が一気に抜けて行き、へなへなと脱力していく。
 大げさだと呆れつつ、シンもつられる様に小さく笑みを浮かべた。

 それから二人は当日の予定を決めたりしながら、談笑を交える。
 やがて用事を思い出した星が先に席を立つ事となる。

「それでは当日、楽しみにしてますね」

 可愛らしい笑顔を残し、少しばかり名残惜しげな足取りで縁側を去って行く。
 シンは星の思いやりに感謝しながら後ろ姿を見送っていた。星の姿が見えなくなってしばらくすると再び神子の事を考え始めてしまう。

 結局、シンは一日を終える時までこの調子であった。

2

 幻想郷は夜半の人里で、シン・アスカは一人静かに歩いていた。
 仮にも教師まがいの真似をしている人間が夜に徘徊するとはいただけないとは思っていたが、幾日も天気の悪い日が続いていたために、ようやく星空が顔を出したこの日に散歩に出かけたくなったのだ。
 雨が降ったことによる空気の湿り気がひんやりと肌を包み、満天の星空は吸い込まれそうなほど高く、遠く、そして美しい。柄でもなくほうっと見ほれながら、人の気配のない里を歩いていった。
 月明かりだけを頼りに道を行くと、足は自然と慣れた場所へと向かっていく。シンが世話になっている寺子屋の方角だ。
 遠目に目的地が見える距離まで近づいたとき、小屋の傍に誰かが立っていることに気付く。いったい誰なのか、宵闇の中でもそのシルエットで、シンにははっきりと分かってしまう。

「慧音、また月を見てるのか?」
「あぁ、シンか。私はそうだが、お前の方こそまた夜の散歩か? 意外に風情があるんだな」
「いいだろ、別に。たまには俺だって月ぐらい見たくなるさ」

 お互いの言葉も表情も柔らかなもので、シンは慧音の隣に立って二人で夜空を見上げる。
 満月が辺りを煌々と照らし、その優しい光が生命全てを優しく抱きしめているかのような錯覚さえ覚える。本当に綺麗だと、素直にシンにも感じられた。
 風は強くない程度に涼しげに吹き、降るような夜空を眺めながら、しばらく無言の時が続いた。
 そう言えば前にも慧音と月を見ていたことがあったと、シンはふと思い出す。
 あの時に慧音が放った一言で、随分とみんなにからかわれたものだ。
 しかし、曖昧にはぐらかして終ったことだったが……あれは果たして本当にそういう意味だったのだろうか?
 考え出すと急に落ち着かなくなり、横にいる慧音のことがどうしても気になってしまう。
 先程まで意識していなかったが、二人の距離は肩が触れ合うほどに近い。微笑んだまま天に目を向ける慧音がとても綺麗に思え、また気恥ずかしくなり、体をそっと離そうとした。
 だがシンが足を一歩引かせたところで、思いは叶わなくなる。慧音がシンに寄り添い、その腕を抱きしめるように捕らえたのだ。
 驚くシンに、慧音は柔和な表情を崩さず、しかし紅潮した頬でそっと呟いた。

「シン……『月が綺麗ですね』」
「~~っ!?」
「もう意味は、分かってるよな……?」
「あっ、俺は……っ!」


 ますます顔を真っ赤にし、きつくシンの腕を抱える慧音。それに負けず劣らず、シンも顔を赤くしていた。
『月が綺麗ですね』というのは、どこかの気の利いた文学者が『I love you』を意訳したものである。
 前に慧音が言ったその言葉に、シンは何も分からずに同意したが、後にパチュリーからその意味を聞かされ『そんなもん誰が分かるんだよっ!』と激昂したものだ。
 ついでに生徒達にもその話が漏れて煽り立てられ、『文々。新聞』の記事にまでされた。
 ようやくほとぼりが冷めた頃だったのだが……今の発言でシンにも理解できた。

 慧音は、本気だ。

(どど、どうする俺っ!? こういう時は素数を数えるんだっけ!? あ~くそっ、誰か俺を助けろコノヤロー! ……って、そうだ!)

 どうしようもなく慌てふためくシンの脳裏に、パチュリーから事の真相を聞かされた時の事が閃いた。

『月が綺麗ですねって、分かりっこないですよ……そんなもんにどうやって答えるんですか?』
『そうね……こう答えとけば間違い無しって言葉があるわよ』
『え、そうなんですか? その言葉って、いったい?』
『それはね――』

 何でも聞いてみるものだ。知識とはなんて重要なものなんだろう、子供たちにも伝えていかなければ。シンは妙な方向に感動していた。
 とにかく、今こそあの時の言葉を使う時だ。沸騰しかけた頭をなんとか冷静に保ち、慧音の方に向き直るシン。

「慧音……」
「ん、なんだ……?」

 うっとりしている慧音に真剣な眼差しを向け、内心は自信満々に、パチュリー直伝のそのセリフをささやいた。

「『死んでもいい』」

 慧音がその美しい目を見開き、次に体を震わせた。その反応にシンは『やばい、俺ってなにか間違えたかな?』などと呑気なことを考える。
 すると今度は、慧音の目に涙がたまり始める。しかしその表情は心の底から歓喜に満ち溢れた様子で、月光がその笑顔を更に輝かせていた。

「ははっ……まさか、お前がそんな返事をくれるなんてな……」
「慧音、どういう意味……っ!?」

 言葉が言い切られる前に、シンの唇が塞がれた。
 突然の行動に唖然とし、抵抗もできないシンの後頭部に手を当て、慧音は深くキスを続ける。
 そしてシンを草むらに押し倒すと、慧音はその上に覆いかぶさって――

「私も……『死んでもいいわ』」

――満月が見守る中、二人にとって長く甘い夜が始まった。


 おまけ
 後日、自分が言った台詞がどのような意味だったのかをパチュリーに聞き、顔を真っ赤にして大暴れをするシンの姿があった。
 二人がどんな関係になったのか……翌月の『文々。新聞』には、寺子屋の生徒達に囲まれて幸せそうに笑う『夫婦』の記事が載ったのだが、それはまた別の話である。

3

紅魔館地下の大図書館。

シン「うがああああぁぁぁぁーーーーっ!」
パチュリー「シン、ここは図書館なのだから騒がないでちょうだい」
シン「パチュリーさんっ! あれはっ! いったいっ! どういうことですかっ!?」
パチュリー「あれ? あれって何のことかしら?」
シン「この前聞いた『死んでもいい』ってヤツですよ! 何が間違い無しなんですか!? 言ったらばっちり間違いが起きましたよっ!」
パチュリー「え、うそ? あなた本当に言っちゃったの?」
シン「ただの気の利いた返事だとばっかり思ってたのに! どういう意味だったんですか、あのセリフ!?」
パチュリー「……『死んでもいい』ってのは『月が綺麗ですね』と同じように、洒落た文学者がある言葉を意訳したもので――」
シン「つ、つまりそれはもしかしなくても……」
パチュリー「『愛してる』って意味なのよ」
シン「やっぱりそういうオチなのかよおおぉぉーーっ!」
パチュリー「ごめんなさいね。流石のあなたでも気付くと思っていたし、まさか実際に使うなんて思いもよらなかったから」
シン「いったいどこの誰が『死んでもいい』を『愛してる』って意味だと思えるんだよ!? どうしてくれるんですかパチュリーさんっ!?」
パチュリー「間違いを起こしたなら責任を取らなくてはね。がんばりなさい、シン」
シン「そっちの責任だったら朝になって慧音が――」

慧音『すまない、シン。昨日は興奮してしまって、自制が利かなくて……そ、その、お前を襲った責任は私が取る。
   だから、だからな。死ぬまでずっと、『死んでもいい』と……私に言い続けてほしい。私にとってお前と見る月は、一生綺麗なままだから……』

シン「とまで言ってくれましたよこんちくしょおおおおぉぉぉぉーーーーっ!」
パチュリー「それはまた素敵なプロポーズじゃない。二人とも、末永くお幸せにね」
シン「アンタって人はああああぁぁぁぁーーーーっ!」

ちなみに慧音の言葉にはしっかりと『二人で生きる約束』なんてものを返していたシンだったりする。

4

 貴方に会ったのも、二年ほど前だったわね。
 会った場所も忘れはしない。アヤメやショウブ、カキツバタがたくさん咲いていた原の中だったわ。
 アヤメ科の花には最適な湿度、辺りは薄ぼんやりと霞がかっていたあの湿原に貴方は立っていた。
 すぐに追い払おうとしたわ。えぇ、私のお気に入りの場所にズカズカと踏み込んでいるんですもの。
 あの場所に来るのは私の力も分からない、知恵の全くない下級妖怪ぐらい。なのに人影が見えるって、おかしな話よね。
 山道を迷ってしまった人間なら、さっさとまた山に放り出して終わり。そう思って貴方に近づこうとした。
 するとその時……運が良いと言えばいいのか、悪いと言えばいいのかしら? その下級妖怪が貴方に襲いかかった。

 すぐに助けようとしたわ。それはもちろん、花の方に決まってるじゃない。
 貴方を助ける気はなかったわよ。この幻想郷では、妖怪に人が襲われても文句は言えないもの。
 でも貴方が取った行動には驚いたわ。目の前の妖怪に抵抗するでもなく、まず仁王立ちするのだから。まるで花を庇うように。
 そこでちょっと興味が湧いたから追いかけることにしたの。肩に牙を突き立てられながら、原から遠ざかるように走っていく貴方を。
 ちょっと離れたところまで行って、あなたはすぐに妖怪を引き剥がした。どこからか青い機械の剣を引き抜いて、妖怪を両断した。
 ただの人間だと思っていたのだから、これにも驚いたわね。まぁ、おかげですぐに貴方の正体に気付いたのだけれど。

 幻想郷中で噂になっていた。外の世界からやって来た、機械の巨人をその身に宿した『化け物』。『誰かから奪う程度の能力』を持った、神にも等しい力を持つ『怒れる機神』。

 おかしいじゃない? それほどの力を持っていながら、あんな低級の妖怪に傷付けられるなんて。
 だから貴方の前に出て行って、すぐに反撃をしなかった理由を尋ねたのよ。
 今でも忘れはしない。私を見つめる赤い瞳から発せられた、あの一言は。

『花を吹き飛ばしたくなかったから』

 自分が血まみれになってまで、花を守る人間がいる? いないわよね。だから貴方のことをこう思ったの――

――あぁ、素敵な『化け物』だって。


 もうすぐ二年か……長かったような短かったような、複雑な気分だわ。
 貴方も随分変わったわね。幻想郷を受け入れることができたからかしら?
『化け物』になったせいで元の世界の理から弾かれて、あなたはこの世界にやって来たそうね。
 苦しかったのよね? ずっと悩んでいたのよね? 
 力を得ても、もはやその力を使うべき場所には戻れないことに。
 守りたかったはずなのに、手に入れたのが奪う力だったことに。

 昔の貴方は何故、あんなに虐めたくなるほどウジウジしていたのかしら? 私は何度も言ったじゃない。

 別に貴方は『化け物』でも良い。
 力なんて、思うまま好きに使えば良い。
 奪う力を持っているのなら、それを使ってできることを見つければ良い。
 だってあなたはあの時、花を守ったのだから。
 花を守れたなら、人を守れない道理はないでしょう?
 大丈夫よ、幻想郷は貴方の全てを受け入れるから。

 そうして幻想郷を受け入れた貴方は、とても幸せそう。本当に良かったわね。
 貴方のいる世界は幻想郷。悩まなくて、苦しまなくて良いのよ。

 そう……貴方は幻想郷にいれば良いの。元の世界になんて戻る必要はない。
 そんな必要はない……貴方はここで、守りたいものを守っていれば良い……!
 わざわざ苦しむために戻る必要はない! わざわざ奪うために戻る必要はない!
 私と一緒に花屋を巡ってくれる貴方がっ! 一緒に花を見て笑ってくれる貴方がっ!
 そんな貴方が花を吹き飛ばすところなんて、私は見たくないっ!
 貴方がっ! 貴方が私の傍からいなくなるなんて許さないっ!

……何を私は興奮しているのかしら。
 不安に思うことなんてないのに。貴方は絶対に幻想郷から帰ることなんてできないのだから。
 なにせ貴方は『化け物』。貴方がいたという元の世界では、あってはならない存在。
 世界から望まれていないのに帰れるはずがないわ。

 それに……たとえ幻想郷が、全てが貴方を拒絶したとしても。
 私だけは違う。私だけは貴方の全てを受け入れる。
 人でも機械でも、妖怪でも神でも化け物でも構わないわよ。
 貴方の全てを、私は受け入れてあげる。だから貴方は私の傍にいて。
 貴方のいた世界が貴方という『種子』を潰したのなら、私はここで貴方の『花』を咲かせてみせるから。
 ほら、貴方に渡すための花も育てているのよ? なんとか手に入れることのできた、貴方の誕生花である虎百合を、ね。
 初めて貴方と会ったあの場所で、もうすぐ花が咲く頃なのよ。花が咲いたら一番に、貴方に虎百合を贈るから。

 虎百合の花言葉はね、『誇らしく思う』っていうのが一つ目。ヘタレていた貴方を励ますにはピッタリじゃない?
 花を見て思い出しなさい。貴方にも守れるものがあった。守れたことを誇りに思いなさい。
 そしてもう一つ、虎百合の花言葉……
 実際に渡すことを考えると緊張するわね。こうやって思うだけならいくらでも、貴方に言いたいことが言えるのに。
 でも貴方は花言葉なんて知らないだろうから、しっかり伝えるわよ。
 花言葉の二つ目、私の気持ち――


――『私を愛して』と――

5

「という訳ですので、今後そういった事をしている天女を見かけたら注意しておいて下さい」

なんで?
などと危うく聞き返しかけて、比那名居天子は開けかけた口を閉じた。
ここでそんな事を口にすれば、目の前の龍宮の使いの小言がまた始まってしまうのは分かりきっている。ようやっと
収束してきていたのにまた振り出しに戻るのは勘弁してほしかった。
とりあえず適当な感想を添えて頷いておくことにする。

「可笑しなことが流行ってるのねー。まあ分かったわ」

わざわざ注意しに行ったりはしないけどね。
そう内心で台詞を足しておいたが、相手としてはこれで良かったらしい。彼女は話はこれで終わりと一礼してくる。

「では私は仕事に戻りますのでよろしくお願いします」
「はいはーい」

飛び去る龍宮の使いの背中を気軽に手など振りながら見送りつつ、天子は先ほどの話を思い返した。

「羽衣婚活かー」

もはや龍宮の使いの姿も見えなくなった青空を見上げて呟く。
天子が今いるこの場所の名は、天界。遥か空の高みに浮かぶ天人たちが住む地だ。
成仏した霊や欲を捨てた人間が来る場所と謳われるだけあり、天界は地上のような苦しみも哀しみもない実に
平和な所である。だが本来の天人と違い、家族と一緒におまけで天人となった天子にはとってこの平和は退屈以外
の何物でもなかった。実際、退屈に耐えかねた彼女が地上で異変を起こしたこともあったりする。
そんな天子がしばしの間ぼんやりと空を見上げていると、何の拍子かふと呟いた。

「なるほどね」



それが、後の日常を少々彩る程度にはしょーもない出来事の切っ掛けだった。



カラスが鳴くからかーえろー。
そんなどこからか聞こえた子供たちの声を背に、シン・アスカは畑仕事からの帰路についていた。

(遅くなったな……陽が落ちる前に帰らないと)

緑黄色様々な野菜が詰まった籠を背負い直しながら、紅い瞳を空に向ける。
幻想郷が過ごしやすい秋の気温から抜けて久しく、冬の季節に踏み込んだ冷たい風がシンの頬を撫でた。空に
お日様が居座る時間もすっかり短くなっており、陽が沈むまでまだそれなりに余裕はあるが、民家ではすでに
食事の支度が進んでいるらしい。民家の前を通れば家屋の隙間から洩れ出た焼き魚の香りが鼻腔をくすぐった。

「魚か……最近食べてないなぁ。誰か釣ってきてくれないかな。俺釣り下手だし」

そうひとりごちるシンが、人里からある程度離れた場所まで来た時だった。

「……ん?」

ふと、木の枝に何か布の生地らしきものが引っ掛かっているのが目についた。
その光景自体は特に珍しいことではなかった。洗濯物が風で飛ばされたり、あるいはその洗濯物を偶然拾った誰か
が、落とし主が見つけやすい場所に置いていくというのはよくある話だ。
実際、シンもその類いの物だろうと大して気にしなかった。
ただそれでも思わず立ち止まってまじまじと見直したのは、それが遠目に見てもいかにも高価そうな代物だった
からだ。
いつ頃から木に引っ掛けられているのか知らないが特に目立った汚れも見えない、うっすらと透き通った純白の
それは、呉服屋ならばいざ知れず、こんな郊外に無造作に置かれているにはあまりに不自然に思えた。


「あれは……羽衣か?」

呟いて、ふとシンの脳裏を掠めるものがあった。
そんな時だった。

「まぁ、どうしましょう!」
「?」

突然、道の先から聞き覚えのある声が挙がった。
目を向ければいつの間にそこにいたのか、やはり見覚えのある少女の背中がこちらに自己主張していた。
背中の主は大仰な仕草で続ける。

「私の大切な羽衣がどこにもないわ。これでは天界に帰れない!」
「…………」

何かの芝居なのだろうか、くるくる回ってる人物を尻目に、シンはちらりと木に引っ掛けられた羽衣を見やった。

「ああっ。こうなったら誰か優しい殿方にお世話になるしか……」
「はい、これ」

本人的にはいよいよ佳境に入っていたらしいが、とりあえずシンは木の枝から羽衣を回収すると、そのまま少女へと
手渡してやった。
だが当の渡された少女は、きょとんとした表情でしばし自身の手にある羽衣を見下ろし――

「違うでしょっ!」
「なにがだよ……」

何故かダメ出ししてくる少女に返事をしながら、シンは嘆息するのだった。



「羽衣婚活?」

胡乱な目つきで見返すシンに、少女――比那名居天子は手元の羽衣を弄びながら応じた。

「そっ。なんか天女たちの間で流行ってるみたいなのよね。わざと落とした天の羽衣を地上の男に拾わせて、
その勢いで結婚に持ち込むんだって」

「ああ、そういえば回覧板に怪しい羽衣は拾わないようにって書かれてたような……」

先ほど脳裏を過ったものの正体に気付き、ふいにその羽衣へと視線を向ける。
天の羽衣は天子が肩にかけたり振り回してみたりとぞんざいな扱いだ。

「っていうかその羽衣、自分のじゃないよな?」

シンの指摘に、天子は悪びれもせずあっさり認めた。

「うん。知り合いから勝手に借りたのよ。今頃探し回ってんじゃない?」
「酷いな……」

すると天子は心外だと言わんばかりに口を突いた。

「なに言ってるのよ。そもそも私がこんなことしたのも、元はといえばあんたが原因じゃないの」
「え?」

訳がわからず聞き返したシンだが、彼女の手にある羽衣を見てふと思いつく。
羽衣婚活。
つまり結婚するための行動。
天子が、誰に?

「…………」
「……分からないの?」
「……え? あ、いや……っ!」


天子に上目遣いで覗き込まれ、思わず目を逸らしてしまう。
天子が俺を?
今までそんな素振りを見せたことがあっただろうか。いや、無かったはずだ。確かに女性と付き合った経験が
多くあるわけではないが、アプローチを受ければそれくらいは気づく……はずだ。多分。
ではドッキリだろうか。いや、天子は確かに暇を持て余しては人にちょっかいを掛けるような娘だが、そういう
冗談を言うような性格でないことは今までの付き合いで分かっている。
では、本気で?
確かに天子のことは憎からず思ってはいた。ひょんなことから知り合って以来、そこそこ長い付き合いでもあるし、
何度か彼女の遊びに付き合ったこともある。
色々面倒なことに巻き込まれたり唐突にやって来て勝手に家に上がり込まれては夕飯を食べていくのも困りもの
ではあったが、まあなんだかんだ言って悪い気もしなかった。口に出して言う事はしないが。
だがそもそも彼女は天人だ。ただの人間である自分では色々問題があるのではないだろうか。
お互い想いあっていれば多少のことは些細なことで済むかもしれないが、やはり価値観の相違というのもあるし
それに彼女の両親に挨拶に行くには空を飛べないといけないっていや待て落ち着け今はそんなことを考えている
場合ではない。
内心の動揺を悟られまいと、とにかく何か言わなくてはと焦りながら口を開いた。

「で、でも、なんで俺なんだよ?」

咄嗟に口から出た台詞がむしろ逃げ道を無くしていたことに後になって気づくが、今さら後には引けない。

「だって……」
「だ、だって……?」

恥ずかしそうに俯く天子の初めて見せる表情から今度は目を逸らすことができなくなる。
いつの間にか握りしめていた拳は緊張しているせいか開くことができなかった。
鼓動はもはや天子にまで聞こえてしまっているのではないかと心配になるほどに加速を続ける。
そして鼓動がピークに達しようとする瞬間、ついに天子が意を決したかのように見上げて口を開いた。

「だって口では文句言いながら家事も遊び相手もこなしてくれるような危篤な人間なんて、あんたくらいしかいない
じゃない」
「帰る」

くるりと、今まで動かなかった身体が嘘のような鮮やかな動きで、シンは彼女から背を向けて速足で歩き出していた。

「えっ、なんで!? そこはOKするとこでしょ!?」

がしりと天子に手を掴まれて引き留められ、シンは半眼になりつつ意地でも進もうとしながら振り向いた。

「なんであれでOKされると思うんだ……」

しかし天子は訳が分からないと言わんばかりに頭を振った。

「こんな可愛い天人のお世話が出来るのよ!? なにが不満なのよー!」
「何が不満か分かってないところがだよ!」

ぎゃあぎゃあと、見方によっては痴話喧嘩にも見えないこともない二人の言い争いは、日が暮れるまで続くので
あった――。




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最終更新:2012年12月07日 11:26
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