#2
親不孝者って
さて、学生達の卒業旅行と言えどれっきとした海外旅行で有る。
止せば良いのに放課後ティータイムの面々は、ツアー会社の組んだパック旅行では無く五泊六日の個人旅行
を申し込んでいた。
個人で申し込めばツアーに比べ旅の自由度は跳ね上がるが、反面現地で起きたトラブルには自分達で対処し
なければならない事が多い。
余程現地の事情に詳しい"上級者"で無ければ旅を楽しめず、初心者が選ぶ選択肢では無い。
「…私の荷物が来ない」
飛行機を降りコンコース脇の手荷物用ベルトコンベアーは既に殆どの荷物を下し終えたのか閑散としている。
極稀に小さなアタッシュケースが流れてくるが、それもすぐに無事に持ち主の元へと届けられて行く。
そんな中でも秋山澪の荷物だけが、以前行方知らずのままで、運ばれてくる気配が見られず、当の本人は途
方に暮れていた。
「ったく…澪の荷物。一体何処行ったんだか」
自分の荷物が行方不明になる。
旅先の失敗談やトラブルとして、テレビやネットで散々目にするが、いざ自分の身に降りかかってくると笑
えない事態である。
特に先進国の一旦であるイギリスで、こんな不運に見舞われるなど、女子高生である澪には想像外の出来事
だった。
「なんで、私だけ」
澪以外の荷物は早々に持ち主の元へ届けられている。
自分"だけ"に襲いかかった来た理不尽に思わず涙が溢れそうになるが、皆の前もあり必死で我慢した。
代理店に電話しようにも澪達は個人旅行で渡英している。
個人旅行は代理店が主催するツアーよりも対応も遅くなるし、手荷物の中に当座のお金とパスポートこそあ
るが、何より自分の荷物が行方不明な想像以上に堪える。
特に旅行先だと言うのに"わざわざ"持ってきた愛用のベースまで行方不明と言うのが、澪の心をかき乱し余
計に動揺させていた。
「先輩、私空港の人に聞いてきます」
「私も一緒に行ってみます」
「ああ、頼むぜ、二人とも」
事態打開に梓と紬を送りだして見るが「旗色は悪い」と律は感じていた。
二人共英語力が全く無いわけではないが、所詮は受験英語程度の学で、どれだけネイティブな英語に対応出
来るだろか。
イギリスは英語圏でこそあれど、アメリカの英語とはイントネーションや言い回し一つとっても別種の物に
聞こえる。
それが証拠に口調が早過ぎて律などイギリス人が何を言っているのか全く理解出来ない。
一応係員らしき人物に「Excuse me. My baggage is missing」と澪の代わりに伝えては見た物の、頭にクエ
ッションマークを浮かべられ、唯と共に苦笑いしながらお茶を濁す大爆死を迎える始末だ。
ゆる可愛系の女子高生にとって、言葉の壁は語感以上に分厚く、まだ「ぱーどぅん?」と答えてくれた方が
気が楽だった。
「あたし達みたいなゆる可愛系の女子高生には、英国紳士の国はハードルが高かったかね」
「誰がゆる可愛系なんだ」
「えっ?あたし達に決まってるじゃん」
「大事な事だから二回言ってみたんだよね、律っちゃん」
「あのねぇ」
場を和ませる為に冗談を飛ばしたつもりが、肝心の澪は完膚なきまでに泣くのを我慢している。
いわゆる半泣き状態である。
「わ、悪かったって。気を紛らわすつもりだったんだよ」
「別に良い。気にして無い」
「気にしてるよ。凄い気にしてるだろ」
「…してない」
「やっぱり大事な事だから二回言ったんだよね二人共」
「ですね」
律は、マイペースを通り越した唯と紬に若干の頭痛を覚えたが、敢えて聞こえないフリで誤魔化した。
これ以上待っていても埒が明かない。ここは、やはり、代理店に連絡を取ってトラブル発生の意の一番に知
らせるべきだろう。
兎にも角にも早く行動を決めてしまわないとこのままでは泥沼だ。
代理店に電話しようにも、空港内ではスマートフォンが繋がり辛いのか電話もネットも繋がらない。
早々に空港を出るべきであるが、荷物が来ないままでは、律は梃子でも動きそうに無い。
「よし…お客さんも少なくなって来てるし、ここは私の出番だな。ここは…急いで…」
勢い込んで周囲を見回して、律は初めて自分達の周りが奇妙な事になっているの気が付いた。
他の利用客は、自分の荷物を持って三々五々に散って行ったのだろうか。
いつの間にか、律達の周りには人っ子一人居なくなっている。
それは別段問題無い。
到着から既にかなりの時間が経過している。
広い構内と言えど人が疎らになる事もなるろう。
だが、耳が痛くなるような、この静けさは一体何事だろうか。
律達が降り立ったのはロンドン国際空港。
乗り換え専用の客を含めても、利用者は日に平均一万人のマンモス空港であり、まさに、イギリスの顔と言
うべき空港だ。
利用客の多さに比例して従業員もそれ相応の規模で就労している。
周囲を見渡せば濃緑の制服に身を包んだ従業員が常に忙しく動き回っている。
それは律達にとって五分前までの日常のはずだった。
(なに、これ?)
違和感の正体はすぐに判明した。
人が"全く"居ないのだ。
利用客は愚か、免税店で、入国管理ゲートで、構内ステーションで、あれだけ慌ただしく動き回っていた従
業員の姿が一人として居ない。
そればかりか、構内のゴミを常に清掃しているはずの業務用ロボットの姿も無い。
静穏モーターとは名ばかりの微妙に煩いモーター音と子供に捕まったり、溝に嵌り無残に引っ繰り返ってい
る姿が懐かしく感じる。
生活の痕跡を残したまま、一夜に町中の人間が忽然と姿を消す。
ゴシップ誌の片隅に掲載されるような三流記事も、渦中に立たされてみれば薄気味悪いの一言に尽きる。
背中を這い回る不気味な感触に律は眉を潜めながら身震いし心を決めた。
(ここ…早く出よう)
幸いな事に皆、ベルトコンベアーに意識が集中し、律以外周囲の状況に気が付いていない。
澪には申し訳ないと思ったが荷物の事は旅行者に任せて、"ナニカ"起こる前に直にでも立ち去るべきだ。
「あ、澪先輩、あれ!」
「わ、私の荷物だ」
不自然な静けさが煩わしく耳朶を打つ中で、梓の声に続くように澪が歓喜の声を上げた。
ベルトコンベアーの搬出口から澪の荷物とベースがゆっくりと流れてくるのが見える。
こちらの気苦労を余所に幼子のようにはしゃぐ澪に、律は嘆息すると同時にほっと胸を撫で下ろした。
これでもう、真夏の通り雨が過ぎ去った後のような蒸し暑さと薄ら寒さが同居したような場所に居なくて済む。
このままこの場所に居続ければ、何も無い空間から名状しがたい怪異が這い出て来そうな雰囲気な上に、
嫌な予感が心を強迫し続けている。
予感は飽く迄予感のまままでいて欲しい。
やはり、澪の荷物を回収してこの場から立ち去るべきだろう。
まるで、戦争で離ればなれになった恋人と再会でもしたかのように、全力疾走する澪を見つめ律はもう一度
深い溜息を吐いた。
(こっちの気苦労分かって欲しいんだけど…ああ…もぅ)
だが、往々にして悪い予感は的中すると相場が決まっている。
御多聞に漏れず田井中律の悪寒は見事に大穴を引き当てていた。
歓喜のあまり、喜び勇んだ澪を”せき止めた”のは実に怪しい集団だった。
静まり返った構内を一様にロングコートに身を包み、明らかに堅気で無い風貌の六人の男達。
一糸乱れぬ統率のまま、カンカンと床を踏みしめ、リーダー格らしい禿頭の男が無言で澪の荷物に手伸ばし
た。
「…あ、あの。なんでしょうか」
傷だらけ頭皮に加え何が気に入らないのか人射殺さんばかりの険しい表情。
一般人が纏うには剣呑過ぎる雰囲気を前に気圧され無かった澪の健啖さを褒めるべきか、無警戒さを咎める
べきだろうか。
恐らくこの状況は後者であっただろう。
「Are you talking to me?」
澪の抗議の声が届いたのか、禿頭の男が憎々しげに顔を歪める。
まるで、意にそぐわぬ愚行に身を染めた事を悔い、苛立たしさを吐き出しているような形相だ。
「えっと…その、わ、わたし」
「Piss off…」
男の威圧に気圧されこそしなかったものの、普通の女子高生が掛け値無しの敵意を向けられて平気なはずが
無い。
震える体に連動するように、顔を青くした澪から、恐れを孕んだか細い声が漏れ始める。
「澪っ」
男は慌てて駆け寄ろうとした律を目線だけで制する。
息を飲み立ち止まる律に男は更に顔を歪め、重苦しい溜息を吐き立ち止まる。
こちらの戸惑いなど何処吹く風か、意にそぐわぬ仕事を強いられる勤め人のように粛々と行動する男に無性
に腹が立つ。
(人の荷物勝手に触って。最悪じゃん、この人!)
盗人猛々しいとはこの事を言うが、唯も梓も紬もあからさま過ぎる敵意に怖気づき二の足を踏んでいる。
「そ…それ、私」
無遠慮のまま床に私物を散乱させられないだけ"良い"と言えるのだろうか。だが、見も知らぬ男から私物を
ベタベタと触られ、恐怖と嫌悪感が混ざり合い益々顔を青くさせている。
「もう、我慢できない」
相手が泥棒だろうが変質者だろが知った事では無い"親友"が"変態"に襲われているのに、何もせず指を咥え
ていられるほど、律の人間性は曲がっていない。
相手は明らかに堅気の人間では無く、治安の行き届いた安全な日本でも躊躇われる律の行動は、第三者から
見れば無謀以外何でも無い。しかし、打算抜きで誰かの為に行動出来る人間は尊く敬意に値する。
例えそれが勝算の無い無謀であろうとも、思考的な自慰に興じて行動しない人間よりもずっと人間的に正し
いことだ。
『何してるんだよ、アンタ達…』
突然、耳の傍から聞こえた重苦しい声に、律は思わず体を固く振り返った。人っ子一人居ない場所で自分達
以外の声が聞こえたのにも驚きだったが、その相手が流暢な英語を話す日本人らしき青年と言うのも驚いた。
だが、律がもっと驚いたのは彼の特異な容姿だった。
スーツ姿であるならば、律の常識から言えば青年は社会人だろう。
だが、整えているとは到底思えない独特の癖っ毛に加えて、仕立ての良いスーツに身を包んでいるのは分か
るが、悲しいかな青年のスーツ姿は馬子にも衣装と言うべきか壊滅的に似合っていない。
まだ、リクルートスーツに身を包んだ大学生の方がよほど"社会人"らしく見える。
青年が来ているスーツと対比するような肌は白磁器のように病的だ、遺伝子疾患か神懸かった奇跡の御技か、
血が燃えたような赤い瞳は、一度見てしまえば記憶に染みつき薄れないくらいの衝撃を受けた。
神を染めた人間は、これまで数多く見て来たが、赤い瞳には初めてお目にかかった。
「あの…」
「…黙ってて欲しい。かなり、不味い状況なんだ」
律に代わっておずおずと話しかけた紬の問い掛けに再度聞こえて来た言葉は英語では無く日本語だった。
青年は律達を庇うように一歩前に足を進め鋭い視線を悪漢達に向けている。
誰の助けも期待出来ない現状で、聞き慣れた言葉が聞けただけで重く潰れてしまいそうな心が少しだけ軽く
なる。
言葉の齟齬や異国の地で窮地に立たされる自分達を助けてくれる人間。
出の機会を図ったような映画の登場には、勝手な理屈と思っていても律達の期待は嫌がおうにも高まってし
まう。
しかし、高まる律達の期待とは裏腹に、青年の表情は晴れない。
声の調子こそ平坦だが、苦虫をすり潰したような表情のまま、視線だけを鋭く尖らせている。律達が思う以上
に青年は焦っているのかも知れない。
『動くな。少しでも動けば、この娘を殺す』
流石はネイティブと驚く流暢な発音よりも、澪を驚かせたのは禿頭の男の口から洩れた酷く陰惨な内容だっ
た。
禿頭の言葉は、発音が良過ぎて逆に聞き取り難かったが、こめかみに当てられた銃口の冷たい感触と首筋を
押さえつける固く屈強な指、そして、"動くな"と殺す"の単語に澪の顔が見る見る青ざめて行く。
『多分…お前達の目的は俺なんだろ。何で関係無い人を巻き込んでるんだよ』
『シン・アスカ…筧の犬か』
男の剣呑な響きが耳朶を打ち"犬"と呼ばれた事実にシン・アスカは顔をしかめた。
異邦人であるシンは、この世界で生きる為に人に言えぬ事を生業として来た。
生きる為に自らの戦闘能力を企業に売り渡し、CEの技術をこの世界に現物と共にばら撒いた事実を犬と罵
られようといた仕方無いと言えるかも知れない。
しかし、こちらの事情を深く知りもしない相手に面と向かって宣言されると穏やかでは無い。
『お前がこの娘達の荷物に例の物を隠したのは既に調べはついている。確たる筋の情報だ。お前が幾ら否定し
ようとも私達は止まらない』
『アンタ達が言ってる例の物が何か知らないけど。監視カメラだってあるんだ。こんな所で銃を抜くなんて正
気とは思えない』
そこまで言ってシンは思わず微苦笑を浮かべる。
要は監視カメラがあろうとなかろうと、物資の奪取こそが彼らに課せられた最優先事項なのだ。
その為ならどんな騒ぎを起こしても構わないし、"乱痴気騒ぎ"をもみ消せる"人種"が背後についているのだ
ろう。
『人払いは済んでいる。無駄だ』
『何をしたか知らないけど、すぐに警察が来るんだ。やめろよ』
『無駄だ』
男の口調には一切の動揺も躊躇も見られない。
周囲の状況やこれまでの経験から考えてシンが詮索するまでも無く本当に無駄なのだろう。
近年増加する突発的なテロやモビルスーツ犯罪に対策する為、各国の主要都市を結ぶ国際空港にはU3規格に
該当する、第三世代型改修が義務付けられている。
最新の階層式セキュリティ構造に加えモビルスーツ二個小隊が常に駐屯し空港を警備し、例えセキュリティ
が突破され中枢機構を制圧されても、空港に常駐する生体端末を利用した十重二十重に張り巡らされた有機ネ
ットワークが異変を即座に察知する仕組みになっている。
電子的は勿論の事、モビルスーツや陸戦隊を常駐させ物理的にも戦艦級の防衛網が引かれているのが今の常
識だが彼はそれを「無駄」と論じる。
つまり、常識とは別のテクノロジーなりシステムなりが、今の奇妙な状況を作り出していると言う事になる。
(ロンドンは魔術師達のお膝元…か)
ふと、一昨年の年末に見た映画を思い出す。さえない少年が魔法使いのヒロインとの出会いを経て、身の内
に眠る真の力で世界を救う話だ。
良く言えば王道。
悪く言えば陳腐な内容だったが、何も魔法がフィクションの中にしか存在しないわけではない。
荒事を生業にする点においてシンと彼らは所詮同じ穴の狢だ。
鋼鉄の巨人が地上を闊歩し、火星移住計画が本格し始め、量子演算型コンピューターが金融市場に介入する
昨今においても、常識と異なる社会構造は確かに存在する。
物質的、消費的に発達した現代の技術体系に反転する形で発達した技術体系を否定する事に意味は無く、神
秘と言う形で近代に融合、隠匿、反逆している事は既に周知の事実だ。
簡潔に言えば魔術師と呼ばれる人種が、人払いの結界かそれ相応の術を行使しているのだろう。
シンにとって目下の関心事は、彼らが戦闘に介入するか否かだった。
943 :GSDK ◆SWZwUhLUHc:2012/06/24(日) 23:38:14 ID:UhDFX/VY
(細かな駆動音と耳に残るノイズ。この人達…機械化人間だよな、やっぱり)
澪を人質に取る男達を光彩が消えた瞳で見回し耳に残る微細な音に眉を潜める。
上手く隠しているが"気"を読まなくとも、SEED因子により肥大化したシンの聴覚は、生体部位に隠れた
駆動音を克明に捉えている。
耳が捉える規則正しく澄んだ駆動音は、目の前の男達が戦場で違法改造に身を染め、ジャンクパーツで体を"造
った"傭兵崩れで無いことを如実に告げている。
機械の体を扱う上で適切な訓練を受け、専門スタッフの手厚いメンテナンスを受ける事で最高の性能(パフォ
ーマンス)を発揮する職業軍人。
だが、プロの割には彼らの行動が杜撰に映るのは何故だろうか。
木を隠すなら森の中は理解出来る。
だが、木を隠す為に、街を更地に強引に森を作る事は理解出来無い。
街中に突然森が出現すれば、当然目を引くし、何かあると喧伝してるような物だ。
神秘的な守護が働いていると仮定しても、別にルール無用の理不尽に守られているわけでは無いだろう。
専門家が見れば痕跡は必ず残るし、場合によっては国際問題にもなりかねない。
政局が安定し過ぎている今の英国で、わざわざ情勢不安を煽る国が居るとも思えない。
(撹乱するなら、もっと最適な方法があるのに…)
実を言えば彼らの言う荷物は、今もシンが懐に大事に忍ばせている。
記憶の底をひっくり返しても見ても、シンは人質の女の子、秋山澪と面識は無い。
行きの飛行機の中で見かけたような気がするがその程度の認識だ。
少なくとも効率と確実性を重んじる職業軍人が、白昼堂々"子供"を人質に取っての強迫行為は理解に苦しむ。
解せないと言うよりも有り得ないと言う感覚の方が胸に落ちる。
だが、現実問題として、彼らは"女の子"を人質に取り何か致命的な"勘違い"をしている。
もっと、性格に言えば、勘違いしているフリをしているように思える。
シンの運んでいる荷物は確かに国家機密に相当する最重要極秘物資。
賊の手に渡せば色々な不利益を他所にばら撒く。
筧の犬を自称するならば、澪を見捨てて即座に撤退すべきだ。
だが、巻き込んだ少女を尻目に見捨てて行く事など、シン・アスカの性格上出来そうに無い。
それが証拠に止せば良いのに、自ら苦境を背負いこもうとしている。
『止めとけよ。こんな物の為に頑張っても碌な事にならないんだ』
『それは我々が判断する事では無い。もっと、上の人間が判断する事だ』
定型句に定型句で返す無味乾燥な言葉にやり取りにシンは眉を潜めた。
禿頭の男は自身が一つの駒である事に疑問も持たず、己の行動が国益に通じると頑なに信じている人間だ。
シンも元はその手の類の人種だった。
彼らの心根は手に取るように分かり行動原理にも共感を抱けなくも無い。。
だが、今は昔とは少し違う考え方をしている。
シン自身、難しい理屈や信念があるわけではない。
ただ、目の前で起こった事を他人がどう言った意図や思惑で起こしたのか、自分の行動が他人にどう"映り"
どんな影響を与えるのか、昔よりも少しだけ考えるようになった。
『こんな物の為に頑張っても碌な事にならないんだ』
『それを判断するのは我々では無い』
『なら、その娘…早く離せよ。関係無いって"知ってるんだろ"』
『知らん』
再度の問い掛けのつもりだった。
しかし、あまりに予想通り過ぎる相手の言葉にシンの覚悟も決まった。
言って聞かなければ力に訴える。
子供を躾けるような稚拙で単純な理屈だが、荒事の決着と言えば最後は必ずこうなる。
理性で決着が付かなければ本能で。
それもとびっきりの暴力で決着を付けるしかない。
『交渉決裂…だよな』
『是非も無い』
交渉決裂を合図に一斉に飛びかかろうとする部下達を男は制し何故か銃を投げ捨てた。
綺麗な放物線を描き、ゴミ箱に飛び込む銃を横目で追いながら、訝しげな表情で禿頭の男を睨む。
『銃は使わないのか』
『貴様はそれを望んでいるのか?』
子供の前で銃は使わない、使いたくない。
揶揄するような男の視線に、戦場に場違いな考えがシンの心を過る。、
「そうだよ…な」と一人ごちたシンは、僅かに微笑んだ後、瞬時に行動を開始する。
臨戦状態にあったSEED因子を完全に開花させ、全身を完全戦闘状態へ強制覚醒させる。
視界が拡張し、聴覚が増大し、血液が異常な速度で駆け巡り心臓が悲鳴を上げるが鋼の意志で押さえつける。
SEEDによって、強化された肉体に呼び起こされるように膨張し肥大化した意識は時間の感覚すら超越し
文字通り"感覚"を加速させる。
「あのさ、君」
「は、はい」
「名前は?」
「あ、秋山」
シンは、まるで、散歩の途中で出会った気軽さのように告げ、彼女が「澪です」と言い終える前に行動を開始
する。
感覚だけが加速し鉛のように重くなった世界の中、丹田に込めた気を開放し内功を練り上げると一息で五メ
ートルの距離を瞬時に詰める。
運動エネルギーを損ねる事無く繰り出される拳打に、禿頭の男の防衛本能か、はたまたプロミラミングされ
た自律行動か、どちらにしても男はシンの攻撃に"反射的"に澪を投げ捨て防御姿勢を取ってしまう。
力強く繰り出された震脚を経由する目にも止まらぬ速度で打ち込まれた拳打を受けとめた瞬間、凶悪な圧力
が全身を襲い、耐圧を超える膂力が掛った事を告げる警戒警報が視覚野を支配する。
男は驚愕と激痛に顔を歪め、身体パラメータを確認し顔を引きつらせた。
サイボーグの体は運動性と柔軟性を重視し複合軽金属で構成されているが、耐圧強度は最低でも20MPa以上の
耐圧性能を秘めている。
にも関わらず、たった一発の掌打で右腕の駆動系が機能停止寸前まで追い込まれている。
『サイボーグを素手で制するとは…化け物か貴様』
『師匠が仙人なんだ』
『それでも解せん。その肉体の頑強さ。フィジカルアトラクション(仙術)だけでは説明が出来ん!貴様どこを改
造している』
『遺伝子は弄ってるけど、後は生身だ』
『この親不孝者が…』
男が、声高に叫ぶと全身の人工筋繊維が猛り、高品位のアクチュエータが唸りを上げる。
コンマ以下三桁で痛覚を強制遮断し、神経系の制御を背中に増設した副脳に一任する。
左腕のリミッターが解除し、万全の態勢で戦うべく、足を踏み出した瞬間、腹部に例えようの無い衝撃が走っ
た。
痛覚を遮断しているにも関わらず、全身を駆け抜ける意も知れぬ衝撃。
機械化してさして感じる事の無かった薄ら寒い感触が、男の頬を撫で上げる同時に意識が途絶えた。
『サイボーグに親不孝者って言われる筋合いは…あるか』
体を機械化しようが遺伝子を改造しようが、親から貰った体を後天的に"改造”し、自然の摂理に背いた存在
であることに変わりは無い。
意識を失った男の頭を打たないように床に手荒く寝かしつけ(放り投げ)深々と溜息を吐く。
SEED因子発動中は、肉体系も強化されるが、生身で合金を撃ち破る事など出来るはずも無い
男を倒した技は、俗に言う浸透頸と言われ内部から物質を破壊する技だ。
シンは、装甲を破壊したのでは無く、装甲内の信号線や制御系に深刻な打撃を与え一時的にサイボーグを無力
化したに過ぎない。
時間が立てば再起動を果たす事だろう
筧重工がMSの更なる運動ルーチンを開発する為に、中国秘境から呼び寄せた仙人と呼ばれる武術家に習った
技術だが実戦で使うのは始めてだった。
武仙が戯れに教えてくれた技術だったが、命がけの賭けには勝てた事にシンは内心胸を撫で下ろし、恩師の戯
れに感謝した。
『時間切れか』
部隊の長がやられた事で、他の部隊員に一瞬だが動揺が走るが即座に臨戦態勢に移行する。
だが、戦闘の緊張は刹那のこと。シンの「時間切れ」の声を皮きりに警備員達が駆け付ける足音が聞こえ始め、
遠方でサイレンの音が届き始めた。
『追って来ないなら、俺も何もしない』
一応釘を刺すように重苦しい声で告げると、部隊の面々は禿頭の男を担ぎ無言のまま立ち去って行く。
リスクを覚悟し白昼堂々と凶行に及んだと思えばあっさりと引き上げる。
杜撰を通り越し茶番と言わざるを得ない手管には、やはり、元軍人として違和感を覚える。
だが、敵があっさりと引いてくれた事にシンは安堵した。
あのまま肉弾戦では無く銃撃戦に持ち込まれでもすれば、自分自身は兎も角として他の一般人にも被害が及んで
しまう。人質である澪を含め、全員を守りきれたとは到底思えない。
「秋山さん?」
「は、はい」
先刻の焼き回しのように同じでは無く、若干呆けたような頓狂な声を上げ答える澪にシンは微苦笑を浮かべばつ
が悪そうに頭をかいた。
無事で済んだとは言え、一歩間違えば命を落としていても可笑しくない状況だった。
澪に落ち度は無く、シン・アスカに巻き込まれた被害者ならば、非は尚の事こちらにあるのだ。
「ごめん」
「あ…えっと、何が」
澪は何が何の事か分かっていない。
澪が襲われた理由を言うわけにはいかない。
"事実"を告げる後ろ暗さも当然ある。
だが、今回の事件の背後関係がはっきりするまで迂闊な事は言わない方が彼女達の安全に繋がるはずだ。
シンの苦悩を余所に、「澪!」と澪を心配する律達の声が声高に響き、大急ぎで走ってくるのが見える。
このまま澪が落ち着くまで、彼女達と談笑すべきだろうかと迷ったが、第三の襲撃者の存在も否定出来ない。
自分だけが消えればと思うが、近づいて来る警察の厄介になるのも立場的にも、あまり良くなく、彼女達の口
からシンの事が出るのも、やはり、歓迎出来る事態では無い。
(取り敢えず…一緒に逃げてから考えた方が、良いよな)
「あのさ…立てる?」
「いえ、その」
澪は気丈に振る舞っているが語尾は震え視線は覚束無い。
おまけに一時的とは言え腰が抜けているのだろう。
立とうとして頑張っているようだが、腰と足が前後左右に揺れ微妙に厭らしい事をしている動きにしか見
えない有様だ。
「無理そうだよな」
「だ、大丈夫です。ちゃんと立てます」
口で言うが立とうとして無理なのは目に見えている。
見た目麗しい女の子に目の前で、震えながら一生懸命、腰を変な動きで振り続けられれば良からぬ想像も湧き出てしまう。
(見るな、考えるな、感じるな)
これ以上直視すれば襲撃とは別の意味で危険な予感がする。
尚も"もそもそ"と動き続ける澪をシンは視線を逸らし、見ざる言わざる聞かざるを通り越し、仕方ないとばかり、
涅槃に至る精神で澪を抱えあげた。
「警察…来る前に逃げるから」
「えって。だって、これ」
ナチュラルにお姫様抱っこを選択するのは誰の教育故だろうか。
「澪ちゃん大胆」
「あらら…」
「澪、お姫様抱っこって」
「澪先輩…破廉恥です」
「ち、違うんだ。だって、これは、私がやってることじゃ」
「…分かってるから、静かに着いて来てくれ」
女子高生の黄色い声援と体に伝わる柔らかい感触に後ろめたさを覚えながら、シンは澪達を連れ添いその場を後にした。
最終更新:2012年07月03日 10:05