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シン・アスカの激闘-01

 ねえステラ。君が今の俺の姿を見たら、笑うかい? それとも怒るのかな?
 あ、いきなりこんなことを聞いてゴメン。つい……。

 大丈夫だよ、君との約束は忘れてないから。君の言ったとおりに、俺は前を見て、明日を生きていこうと思う。それが君との約束だから。
 ううん、君だけじゃない。父さん、母さん、マユにレイに……みんなの分まで明日を生きるって俺は決めたから。
 過去に囚われるなって、アスランは言った。確かに俺は過去に縛られていたかもしれないけど、失った過去を守ることが間違いだなんて、俺には思えない。
 だって君やレイ達と過ごした時間は……少しの間だけだったかもしれないけど、俺にとって大切なものだったから。それを切り捨てることなんて俺はしたくないんだ。
 アスランだってきっと分かってくれると思う。あの人だって大切なものを守りたかったから戦ったんだ。俺も同じだって分かっていたから……あの時の俺を止めてくれたんだと思う。過去に囚われたまま憎しみで戦うことは間違いだって、俺に教えてくれた。

 だからステラ、俺は決めたんだ。俺は過去を放ってはおかない。ちゃんと失った過去を背負って、それから前を……明日に目を向けるんだ。今度こそ、大切なものを守るために。誰かにすがって答えをもらうなんてことはしない。自分で考えた明日を生きる。
 だから安心して、ステラ。振り返りながらかもしれない。時々は足を止めることもあるかもしれない。けど、俺は歩き出すことを決めたんだ。
 大丈夫さ。だって――


――生きている限り、明日はやって来るから。


……うん、ステラ、ゴメン。たった今、大丈夫だって言ったばかりなのに……。
 俺は真っ直ぐ前を見つめることができてない。うつむいたまま、足元から視線を外せずにいる。
 それに、肝心の足も前に動かせていない。ただ立ち尽くしている。全く歩き出せてない。
 往来の邪魔をしかねないんだけど、その、ゴメン。まだ心の準備ができてないから待って。
 落ち着け、落ち着くんだ俺。周りは気にするな、俺は気にしない……よおし、覚悟ができた。顔を上げるよ。

 足元だけを映していた俺の目に、突き刺すように飛び込む日の光。
 眩む目の前に手を広げて光を遮ると、わっと広がったのは雪のように舞い散る桜の花びら。
 和らいだ陽光と満開の桜が織り成す光景は、まるで幻想の世界だった。

 一瞬だけ現実を忘れて見ほれていた俺を、校舎から高らかに鳴り響くチャイムが、現実に引き戻す。はっと辺りを見渡して、またしてもいたたまれない気持ちになった。

 校門の前にたたずむ俺を、好奇の目で見ながら抜き去っていく、制服姿の女子、女子、女子女子女子女子女子女子女子女子女子女子女子女子女子女子女子女子女子女子女子女子女子女子女子女子女子女子女子女子女子女子女子女子女子女子……ざっと三十人以上はいる。これだけの人数がいるのに、あろうことか男子は一人もいない。女子だけだ。

 ある女の子は、何も言わずにこっちを見つめ……別の女の子は、友達らしい子と手を取り合って、キャッキャとはしゃぎながら……さらにまた他の子は、携帯のカメラをこっちに向けている。やめてくれ、フラッシュをたかないでくれ。天気も良いんだからフラッシュはいらないだろ……?
 ああ、きっと動物園のパンダはこんな気分だったんだろうな。マユ、今度動物園に行く時はちゃんとパンダに挨拶しような。「今から写真撮りたいんだけど、良いですか?」って。何も言わずにシャッターを切るのは失礼だ。よく分かった。

 ……ゴメン、話がそれた。ええっと……とにかく、数えていた自分が馬鹿らしくなるぐらいの女の子が俺の周りにいる。敵機としてアーサーに報告したら、多分卒倒するぐらいに。それがいっせいにこっちを見ているんだ。その視線に圧倒されて、情けない話だけど俺は動けないでいる。三十機のウィンダムに取り囲まれたって、こんな気持ちにはならなかったのに。
 逃げられたら良いんだけど、そういう訳にもいかないんだ。

 ちょっと離れて俺を見ていた女の子に視線を移す。俺と同じぐらいの背丈で、まっすぐ腰まで伸びた黒髪がつややか。そして切れ長の目、落ち着いた笑顔が、美人の条件をこれでもかと演出する。俺の視線に気付くとちょっと驚いた顔をして、それからすぐに微笑みかえしてくれた。感じのいい女の子だ。でも肝心なのはその子じゃない。その子が着ている服と、俺が着ている服だ。
 お互いに全身を包んでいる白地の真新しい洋服。襟や袖の黒色に、紅いラインの入った洋服は、その子も俺も全く同じものだった。ペアルックでも偶然でもない。だって、みんな同じ服――つまりは制服を着込んでいるんだから。


 結論を言うよ。今日この学校は入学式で、今日から俺はこの高校に通うことになっていて、ついでにこの学校には男子があと“一人”しかいないってことなんだ。

 どうしてこんなことになったんだろう? うん、『力』が欲しいとは思った。守る『力』が欲しいとは思った。たまたま、それに近しいものを手に入れることができた。
 でも知らなかったんだ。この世界では……その『力』は「女性にしか動かせない」代物だったなんて。なんで俺がそれを動かせるかも分からなくて。

 あぁ、もう! いい加減頭が混乱してきた。本当にそもそも、俺はどうしてここに来たんだよ……?

 頭を抱えながら、もう何度目かは分からないけど、俺は記憶を掘り起こし始めた。


   ◇


 目の前には紅いモビルスーツと黒い宇宙が広がっていた。
 そのモビルスーツ……ジャスティスがだんだんと遠くのほうに離れていく。右腕のなくなったその機体が、俺をじっと見下ろしていた。
 手を伸ばしても届かなかった。それに……もう伸ばせる手、力はなかった。

――メサイア防衛戦。
 デュランダル議長が唱える、戦争のない平和な世界を創るための計画『デスティニープラン』を成功させるために、俺は最後の任務についていた。
 任務の内容は、戦略兵器『レクイエム』と起動要塞『メサイア』の防衛、それを落とそうとするオーブ軍の遊撃。作戦が成功してオーブを討てば、全てが終る。

『人は自分にできることを精一杯やり、満ち足りて生きるのが幸せだ』

 そうやって言った議長はデスティニープランの実行導入を宣言した。遺伝子の解析による人材の再評価、人員の再配置。これで先の見えない不安からも開放される。愚かな戦争なんて二度と起こらないはずだって。
 議長の言うことが、本当に正しいのかは分からない。強制された平和で人が本当に幸せになれるのかって、アスランの言うことも分かるけど、だからって俺も戦わないわけにはいかないんだ。これで戦争がなくなるんだったら、仲間を守れるなら、たとえオーブを討つことになっても俺は戦う。

 そうさ、俺が欲しいのは戦争のない世界だ。もう二度とマユやステラみたいな子供が生まれないための世界だ。それがレイと一緒に、俺の決めた道だった。
 だから俺はアスランと戦っていた。あんたが正しいっていうのなら、俺に勝ってみせろって、そう言って。

 アスランの言う『人の向かうべき明日』。
 俺が欲しかった『戦争のない明日』。

 俺の明日がどんなものになるのか、分かるはずもないまま……俺は戦っていた。


 右腕と右足を切られたデスティニーが、月の重力に引かれて、ゆっくりと後ろに傾いていく。
 機体の制御が利かない。カメラは生きているけど、もう意味なんてなかった。
 コントロール画面に映るデスティニーのシルエットには、各部にロストの文字が点滅している。
 さっき左腕も持ってかれた。武装もほとんど残っていないし、スラスターもやられている。
 コクピットの中で鳴り止まないエマージェンシーが、完全に俺の敗北を告げていた。

 ああ……俺は負けたんだ。
 でも不思議だ。悔しくてたまらないけど、嫌じゃない。素直に負けを認められる。
 いつだって素直な言葉なんて出てこなかったのに、この時初めて俺は、心のままの言葉が口をついて出た。

「アスラン……あんたやっぱ強いや……」

 暗い宇宙の中で、周りは色々な光であふれていた。
 ビームの閃光が走る。ミサイルの爆発が鎖を形作る。それに、モビルスーツが一際大きな輝きを見せては消えていく。
 みんなまだ戦っている。必死に、自分の帰る場所のために。戦争のない、平和な世界のために。それぞれの大切なものを守るために。
 さっきまで俺もその中の一つだったはずなのに。
 デスティニーはもう戦えない。俺の力が足りなかったからだ。


『シン……』

 少しの間だけ俺のほうを見ていたジャスティスが、背を向けて宇宙に消えていった。
 アスランの行く先はきっとレクイエムだ。そのままレクイエムは墜ちるだろう。
 それを止めるのが、俺の任務だったのに。
 駆けていくその光の筋を、俺は見ていることしか出来なかった。

 すみません、議長。
 ごめん、レイ。みんな。
 俺、止められなかったよ。
 俺はまた、守れなかったんだ。

 月面の荒れ果てた大地がだんだん近づいていく。
 落ちていくデスティニーの中で、俺の意識は遠くなっていった。


   ◇


――父さん、母さん、マユ、ルナ、レイ、みんな……ステラ……。

 周囲には何もなかった。
 自分以外に何も見えない暗い空間の中で、まるで意識だけが浮いているみたいだ。体にも力が入らないし、それにひどく寒い。
 いったいここはどこなんだろう? レクイエムとメサイアは? 議長は? レイは? ミネルバのみんなはどうなったんだ? 

……もう俺が気にしてても意味は無いかもしれない。
 どうせまた、守れなかったんだから。

――結局俺は誰も守ってやれなかった……。

 俺はどうなっても構わない。戦争のない平和な世界のためにって戦ってきて……それでも、何も変えられなかったんだ。全てが、オーブにいたあの時のまま。
 軍に入ってから、俺は強くなったと思った。全て叩き潰して、戦争なんて無くしてしまえるって思った。大切な全てを、今度こそ守ってみせると思った。

 なのに、父さんと母さんとマユが死んだときと同じだった。ステラも守れなかった。目の前で死んでいった。

 奪っていった奴らが憎かった。議長がくれたデスティニーさえあれば、そいつらを倒せると、平和な世界の邪魔をする奴を、全てなぎ払えると思った。それが戦士としてできる俺の全てだった。力だけが俺の全てだった。
 でも、最後はアスランに負けた。あの人は憎しみで戦うなって言った。それじゃあ心は永久に救われはしないって。そのアスランの『力』に、俺は負けたんだ。

 憎しみで戦っても、何も戻りはしない。
 だったら、俺が今まで戦ってきたのは何だったんだ……? これでやっと終ると思ったのに。戦争が終る。俺の闘いも終る。もう戦わなくていいんだって、それなのに……

 誰も守れなくて。何も守れなくて。ずっと守れなくて。

 できるようになったのは、誰かを撃つことだけだったのか? 誰かから奪うことだけだったのか? 怒りと憎しみのまま奪うことが、俺の欲しかった力だったのか?
 だったら俺のしてきたことは……。

――無駄だった。何もかも……。

 暗闇の中でどうにかなってしまいそうだった。
 胸の中にあった何かに、急にひびが入っていくような感覚が広がる。ひび割れた何かに入り込んでいく、暗い冷たいもの。
 四方を包む漆黒が体の感覚すべてを奪い去っていく。泣き叫びたいぐらいなのに、もう涙も出ないし、指一本すら動かせない。唯一残っていた意識まで深い闇の中に沈んでいきそうな、その時だった。

「そんなことないよ……!」
「え? 誰?」

 後ろから柔らかい光と一緒に、誰かの声が聞こえた。
 暖かい、優しい光と声だ。その少し幼さの残る声がふわりと俺の耳を、それから全身を抱きしめる。暖かい、光がある。
 振り向いたそこにいたのは――

「ステラ……シンに会えて良かった……」

――ステラだった。
 ステラは笑っていた。出会った時と同じ金色の髪は、太陽みたいにきらめいて温かだった。でも、最後に会った時とは違って、嬉しそうに……本当に嬉しそうに笑っていた。
 俺が守りたかった、守りきれなかったはずのステラの笑顔だ。光は優しく俺を包んでいるけど、なんだか眩しくて、はっきりと目を開けていられなかった。ステラの笑顔を見ていたいはずなのに、眩しいんだ。

「だからシンも前を見て。明日を……」

 その声を最後に残すとステラの姿は光の中に溶けていった。暗闇が吹き飛び、光る暖かな世界が広がっていく。さっきまでの刺すような寒さはなくなっていて、辺りは光が満ちて、星のようなものがきらめき輝いている。

「そうだな、ステラ……俺はまだ、生きている……」

 枯れていたはずの涙で目がにじむのが分かった。それを腕でぬぐって、なんとかこらえてみせる。いつもみたいに、ただ考えることなく泣きわめくことはしたくなかった。

 まだだ。まだ終わりじゃない。
 俺が負けたからって、俺の明日がなくなるわけじゃないんだ。
 ここで諦めたら……俺も世界も、変わらないままだ。
 諦めちゃいけない。どんなに困難な道でも、歩き出さなきゃいけない。
 俺は……ここで終りたくはないから。

「ステラ……約束するよ。俺、今度こそ……守ってみせる」

 姿は見えないけれど、きっと聞こえている。
 ステラは俺のそばにいてくれているはずだから。
 今の俺に言える精一杯の言葉を口にすると、俺の意識まで光の中に消えていった。

 満ちていく光の中で、ぼんやりとしか覚えていないけど、何かを見た気がする。
 差し伸べられた誰かの手。小さな右手は、俺にはとても懐かしく思える。
 それは、こっちにおいでというように俺に向かっていて……。
 どうしてだかは分からないけど、俺は無意識のうちにその手をつかんだ。
 覚えているのはそこまでだった。


   ◇


 目が覚めたときには、うす暗い部屋に放り出されていた。まず非常電源を起動させようとか、無線が生きているか確認しようと手を伸ばしたけれど、その手に触れるものがなくて、自分が窮屈なコクピットの中にいるんじゃないってことに気付かされる。

「ここは……どこだ?」

 なら、どこかの医務室か? という疑問も、自分が固い床に転がされていることで、違うと分かる。
 医務室がいっぱいになっていても、流石に床に放り出したりはしないだろう。幸いにも、俺はどこも怪我なんてしていなかった。それに、戦闘中らしい慌ただしさも振動もなくて、不思議なほど静かだった。
 まだ少しふらつく頭を抱えて起き上がる。床を踏みしめられるのだから、重力があるみたいだ。……ちょっと待て、重力? 回収された後に地球にでも連れて行かれたのか?
 ヘルメットはどうか、視線を巡らしてみても見つからない。どこかに置いていかれたらしい。パイロットスーツは着たままだ。ますます、よく分からない。拘束もされてないから、敵艦の中ってわけでもなさそうだし……

 辺りを見渡すと、うずたかく積まれたダンボールの山だとか、見慣れない機材が積み重ねられている。照明も点いていなくて、頼りになるのは天窓から入る日の光だけみたいだ。時々隙間風みたいなものが吹いて俺の頬を冷たく叩いていく。
 何かの倉庫? だったら俺は、怪我が無いからって倉庫に投げ出されたんだろうか。そんなことを思うと、腹立たしい気持ちが少し湧いてきてしまう。

「いいや、とにかく――」

 何でも良いから、ここを出なきゃ始まらない。そう思ってみたものの、結構な広さもあるらしいし、隙間なく物が詰め込まれた棚とかのせいで視界が狭い。すぐに出口は見つからないだろうけど、とりあえず立ち上がって、部屋をふらふら歩き始める。

「誰かいないのかー!?」

 声をあげてみても、返事は聞こえなかった。自分の出した声が、倉庫の高い天井から跳ね返ってくるけれど、すぐにまた静寂が戻る。状況もさっぱり理解できないせいで、苛立ちは募るばかり。


「いったいどうなってるんだよっ!?」

 思わず声を荒げたその時、奥のほうから、ブンと機械が動き出したような音が聞こえた。今まで気付かなかったけど、その音の方角から光が漏れていた。それを追ってはみるものの、なんだか奥のほうに入り込んでしまっているみたいだ。そうは言っても音が気になったから、かまわずに進む。何も無いよりマシだと、自分に言い聞かせて。
 荷物の迷路を、目的地の光だけを頼りに進んでいく。機材の山の壁と暗がりのせいで、時々つまずきそうになりながらも歩いていくと、パソコンの画面らしい明かりが目に入った。そろそろゴールらしい。大きな棚でできた最後の角を曲がったところの一番奥に、目的のそれはあった。

「なんだ、これ……?」

 打ちひしがれるような格好でたたずむ、灰色の、人型の何か。

 胴体を覆うアーマー、腰のサイドスカート、そして無造作に投げ出されたその腕と足は、まるでモビルスーツを人のサイズにまで小さくしたみたいだった。でも所々には装甲がないし、何より頭部もカメラらしきものもない。こんな歯抜けた形じゃあ、自立して動くなんてできないだろうし……カメラまでないなら、作業用のロボットでもないのか? それともただの作りかけか?
 肩と背中、それから腰に繋がれた仰々しいケーブルは、隣のパソコンに伸びている。画面の中はすさまじい速さで文字が躍っていた。
 覗きこんでみると、わけの分からない用語のオンパレード。PIC整備完了、ハイパーセンサー整備完了、コア・ネットワーク動作確認終了、シールド・エネルギー充填完了……動作確認終了とか出ているんだから、きっと整備はほぼ完璧なんだろう。
 ただ、この灰色の鎧みたいなやつが動き出すなんて思えない。……鎧、か。サイズも人間大だし、新しい作業用スーツなのかもしれない。いや、それにしてはずいぶん物々しいような気がする。
 触ったらまずいよな、とは思ったけれど、どうしてだか気になって仕方がなかったから、それに手を伸ばしてみる。あと数センチでそれに触れそうになった時だった。

 足元が少しぐらつく感覚に、手を止めてしまう。続いて大きな爆音と衝撃が、俺の体を思い切り揺らした。

『火災発生、火災発生! 研究所第一棟の開発室から出火!』

 更に緊急事態を知らせる警報が、倉庫の天井近くから鳴り響く。

「火事ぃ!? 嘘だろ、こんな時に!?」

 もしここに弾薬があって引火でもしたら、間違いなく俺は吹き飛ばされる。そんなのはゴメンだ。変な機械に構ってなんていられなかった。すぐに来た道を引き返して、俺は出口を探し始めた。
 戻りの道すがら、何度も爆発音が聞こえ、地面が揺れ動く。音のする距離はそんなに離れていない。煙はまだこっちには来ていないのだけは救いだ。急がないと……。
 意外にも、引き返してみれば出口は近かったけど、その前にぽつんと落ちているものがあった。さっき見つからなかった、俺のヘルメットだ。
 これで煙を吸い込む心配はしなくて済むと、少しだけ安心してヘルメットを拾い上げると、フェイス部分からカツンという音がした。
 手を入れてつかんでみれば、硬い、長方形の感触。取り出してみたそれは、ピンク色の携帯で――マユの形見の、大事な携帯だった。

「何でこれが……って、今はそんなこと考えてる暇はないか!」

 艦に置いてきたはずだったけど……とにかく、これが見つかったなら、なおさら死ぬわけには行かない。携帯を握りしめて、片手でドアノブを回して扉を開く。

 扉の先の廊下には、すっかり黒煙が立ちこめていて、自分の顔がこわばるのが分かった。スーツ越しにも伝わる熱気が、火が刻一刻と近づいていることを俺に知らせている。
 慌てて扉を閉めて、右に向かって駆け出した。建物の構造を知らないせいで、どこから逃げればいいかが判断できないけれど、まず出火元から離れることが先決だ。
 回りこんだ廊下の先の窓を開け、外がどうなっているかを確認する。下には庭が広がっていて、避難したらしい人たちでごった返している。庭を中心にして、左右と向かいに、それぞれ似たような建物がそびえ立っていた。そちらから煙が上がっている様子はないから、今いる建物が火の元なんだろう。


「おい君! その下の庇から降りられるか!?」

 窓から身を乗り出していると、こっちに気付いた庭の白衣の人が声をかけてくれた。下の庇? よくよく真下を見ると確かに庇があった。そこから降りればなんとかなるはずだ。

「今はしごも用意したから、急いで!」
「はい、大丈夫です!」

 落とさないように、胸元からスーツの中に携帯をねじ込む。飛び降りようと窓枠に手をかけると、下からまた、周りを震わせるような大声が聞こえてきた。青年って言うには年がいっている。けどそれは切羽詰ったような、悲痛さも感じられる声だ。

「放せ! まだ娘が中にいるんだ! 放せってんだよ!」
「主任、無茶ですってば! 消防の人を待たないと、主任まで!」
「だからって娘を放っておく馬鹿親がいるかよ!? ちくしょう、放せっ!」

 後ろの人に羽交い絞めにされても、必死に建物の中に飛び込もうとする人がいた。娘が中に。その言葉だけで、あの人が何をしようとしているのかが十分に分かった。ほとんど考えるよりも先に、俺は反射的に声を張り上げていた。

「俺が助けに行きます! その子、どこにいるんですか!?」

 俺の声に気付いたその人が、はっと顔を上げる。顔はまだ若々しいけど、無精ひげと、着崩した白衣を懸命に振り回している。でもその表情にあるのは、大事なものを守ろうとする目。必死で俺にすがるような目を向けていた。

「何言ってるの! 君も早く――」
「多分四階だ! 今お前さんがいるところの一つ上だ、頼む!」

 後ろにいた人の制止の声も、それはもう一つの嘆願にかき消された。返事をする時間も惜しく思えて、一つうなずいただけで窓に背を向ける。俺は階段を探して、もう一度煙の中に入り込んでいった。
 直後に、大きな衝撃。まだ爆発は止まらないらしい。急がないと火事で燃えるより先に、建物が崩れるかもしれない。見つけた階段を数段ほど飛ばしながら駆け上がって、廊下に出た。廊下はもう火に包まれていて、三階よりも熱気は一段と増している。

「誰かいるかっ!? いたら返事してくれっ!」

 返事の代わりに聞こえてきたのは、女の子の泣き声。声のする部屋へ炎を避けてひたすら走りこむ。扉を開けると、部屋の奥でその女の子はうずくまって震えていた。机の下に潜りこんで泣きじゃくっているその年のころはまだ十歳ぐらいだろうか。
 あどけない幼さが残る女の子は、長く伸ばした栗色の髪を先でまとめている。マユを思い出させる……いや、まるでマユが少しだけ大きくなったような見た目に、大きく一度、心臓が跳ねた。その子が呟いた「助けて」という言葉に、あの光景が重なった。
 深くえぐられた地面に、脂の混じった何かが焼ける音と臭い。ぐしゃぐしゃに吹き飛ばされた、家族の――

 させるもんか……この子まで死なせてたまるかっ!
 かぶりを振って部屋に入り、机にしゃがみ込んで手を伸ばす。

「もう大丈夫だからっ! こっちに!」

 恐怖からなのか女の子は何も言わないで、必死に俺の体にしがみついてきた。
 むせ返るような熱気の中、煙を吸わせないように注意しながらも、その子を抱えて部屋を後にする。なんとかこの子を見つけたのは良いけど、早く逃げないと間に合わないことは明白だ。

 廊下の炎はさらに高くうねりを上げて踊り、爆発は建物を狂ったように揺らし続ける。この階からじゃ、避難はもうできない。危うく炎に飲み込まれかけていた階段を飛び降りながら、再び三階の廊下に入ろうとがむしゃらに駆けずり回る。

「っ!? しまった、ふさがれたっ!?」

 通路の角を曲がってみれば、どこを通ってきたのか、火は道をもう完全にふさいでいた。背後からも炎が迫っているのに、前も後ろも遮られた形だ。残っている道は、もうさっきの倉庫ぐらいしかなかった。少しでも時間稼ぎになるように中に飛び込んで扉を閉めたけど、追い 詰められたことに変わりはない。焼け出されるのも時間の問題だ。

「くそっ、何とかならないのかよっ!?」

 扉に拳を打ち付けても答えが出るわけも無くて、虚しく音が響くだけだった。扉はすぐに熱気を帯びて、触れていられないほどに温度が上昇していく。

「……っ!?」

 女の子のしがみつく力がいっそう強くなった。涙でぐしゃぐしゃになった顔をこっちに向けて、煙でカラカラに渇いたのどから、なんとか声を絞り出している。

「お兄ちゃん……大丈夫? 助かる?」
「大丈夫。俺がちゃんと、君を守るから。お父さんの所に連れて行くから」
「……ほんとに?」
「うん。だから、大丈夫。安心して」

 そう言うと女の子はちょっとだけ安心したのか、小さくうなずくと、もう一度だけ手に力を込めた。
 俺はその顔を真っ直ぐ見ることもできなかった。

 今の俺に何ができる?
 怯えさせて、その後は気休めの言葉をかけるだけか?
 悔しさでこぶしが止むことなく震えてくる。

 ちくしょう……!
 ちくしょう!
 ちくしょうっ!
 約束したばかりなんだ!
 明日を生きるって、ステラと約束したばかりなんだ!
 なのに!
 自分も守れないのかよ!?
 この子一人も守れないのかよ!?
 もう俺にはそんな力も残ってないのかよっ!?

 掌が白くなるほどに握りしめても、いくら歯を食いしばっても無駄だ。
 俺は、この子を守ることができないのか……?

『力』が、欲しい。
 約束を守る『力』。
 奪う力じゃない。
 守る『力』。大切なものを……今度こそ。

――今度こそ俺は守らなくちゃならないんだ。

 薄暗いはずの倉庫が、急に真っ白になっていく。
 倉庫のもの一切が、壁すらも見えない。
 抱きかかえていたはずの女の子まで見えなくなって、何も聞こえなくなった。
 まるで時間の流れから切り離されたみたいに周囲が静けさに染まっていく。

 白い空間の奥に見えたのは、ケーブルに繋がれていたあの鎧もどき。
 動くわけでもない。何か言うわけでもない。
 ただ、そこにあるだけだ。
 それでもはっきりと分かった。

 俺のことを呼んでいる。

 気付いた瞬間、まるでテレビの画面を切り替えたように世界が元通りになった。
 弾かれたように体は動き出していた。
 道なんて覚えていないのに、足は勝手に奥へと突き進む。
 同じ角を曲がり、たどり着いた場所に座っているそれは、周りのことなんて全く気にかけずに俺の前にあった。

「これ……『IS』だ」

 女の子がぼそりと呟く。『IS』、という名前に聞いた覚えはない。
これが何かなんて知らない。
 でも、たった一つだけ理解できることがある。

 これは、『力』だ。守るための『力』だ。

 抱えていた女の子を一度おろして、安心させるように髪を軽くなでた。

「大丈夫だから、安心して」

 こっちを見上げながらなでられた頭をおさえている女の子に背を向けて、灰色に向き直る。
 そして俺は灰色にゆっくりと手をかざした。

 お前が俺のことを呼んだんだよな? なら頼む。
 俺に『力』をくれ。
『力』が必要なんだ。

 だって俺はまだ……約束も、大切な人も――

「俺はまだ、何も守れてないんだ!」


 手を触れた途端に、金属がこすれたような音が聞こえた。

 次の瞬間には、頭の中には膨大な情報が滝のようになだれ込む。
 普通だったらそのまま流されていくような情報も、自分の頭はOSにでもなったみたいに瞬時に処理していった。
 力の何もかもが、分かる。力の使い方、特徴、装甲の限界、最大出力、意識に浮かび上がるパラメーターも、その見方も、何もかも。

 機体を縛り付けていたケーブルが、排出される水蒸気と共に一つずつ外れていく。
 鮮明になっていく視界と同時に機体の装甲は、内からにじみ出るように広がる、色鮮やかな青と白に染まった――ハイパーセンサー最適化完了、フェイズ・シフト、展開……完了。
 宇宙に上がったときのあの感覚、体がふっと浮上する――推進機正常動作、確認。
 左腕を突き出せば光が包み、そこに盾が形成されていく――機動防盾……展開。

 各種追加装備――使用可能装備無し。
 全システム――クリア。


『ignited―<イグナイテッド>―起動』


 視界に映る起動の文字が消え、装甲が淡く輝きを放つ。
 背部のスラスターからの排気が、軽く周囲のものを揺り動かして音を立てる。

 見えるのは狭く、ちっぽけな世界。いつだって理不尽で、容赦無く俺を打ちのめしてきたはずの世界。

 だけど確かに今この世界に、俺と『力』はあった。

 起動動作が終了したのを確認した俺はすぐに、女の子をまた抱き寄せる。
 『力』があるのなら、やるべきことに迷いなんてない。この子を守るんだ。

「しっかりつかまっててくれよ」
「う、うん……」

 驚きで目を見張る女の子に念を押して抱え挙げる。左腕の盾でその子を覆うようにすると、右腕で腰のサイドスカートからダガーを引き抜き、地面から一メートルほど浮き上がってドアの方に向き直った。
 盾の装甲が押し広げられるように開き、スラスターに光がともされていく。

「行くぞっ!」

 体をぐっと前に傾け、背中と足のスラスターを一気にふかす。
 邪魔な障害物をダガーで払いながら、加速をつけて倉庫を一直線に駆け抜けた。
 生身だったら絶対に反応仕切れない速度でも、センサーが感知して体がそれに追従する。
 のたうち回って揺らめく炎も、今は何の脅威でもない。
 その勢いを保ったまま、ダガーを突き立てて倉庫の扉をぶち破り、さらには建物の壁も簡単に貫いていく。一枚、二枚……止まりはしない。

「はああああぁぁーーーーっ!!」

 壁を切り抜けて最後の窓を叩き割ると、ようやく太陽の下にたどり着く。
 頭上に広がる快晴の青空の下には、緑の芝生がきれいな大きな庭が広がっている。円周に囲む建物の先には、急がしそうに日々を過ごす都市。チラチラと映る、割れたガラスの欠片。センサーを通じて見える世界では、何もかもが輝くように見えていた。

 太陽ってことは、やっぱりここは地球なのか? いや、そんなことは後回しで良い。とにかく、外に出られれば一安心だ。
 そう思って下に着地しようとしたけれど、空を飛ぶ体は止まらない。いや、止まらないどころか――


「!? 減速できない!?」

 足や後ろのスラスターをバタバタと動かして見せても、空中制御はろくにできずに、勢いは止まることを知らなかった。
 マズい。このまま勢いじゃあ、向かいの建物に突っ込む。そろそろ腕の中にいるこの子も無事じゃいられない。
 やむを得ずにダガーを放り投げて、両手で女の子を抱きしめる。前傾姿勢だったのを反転させ、足のスラスターを点火。無理やりに急降下して、背中から地面に接触した。
 体を叩きつけた勢いのまま、体が跳ねて、そしてまた地面にぶつかっていく。
 背中を中心にバラバラになりそうなほどの衝撃。放り出されそうな意識は、スーツのおかげだろうか、なんとか繋ぎとめられた。

「止ま……れええええぇぇぇぇーーーー!! 」

 芝生のきれいに植えられた庭を、土を盛り上げて深くえぐっていく。それから庭を通り越して、外周のコンクリートの上で火花を散らしたところで、ようやく動かなくなった。
 プスプスとコンクリートが煙を上げている。庭にいた人たちが大勢、慌ててこっちに走ってくるのが見えた。

「だ、大丈夫? 怪我はない?」

 まずは女の子の安否を確認する。頭とか打ってたりはしないか――

「だ……だいじょう……ぶぅ~……」

 涙も振り切っていったみたいだ。ぐしゃぐしゃだった顔から涙は消えて、クルクルと可愛らしく目を回していた。あんな無茶に付き合わせたんだから、それも仕方ないか。
 それでも……大丈夫の一言が、俺の心にすっとしみ込んでいった。無事だった。助けることができた。守れたんだ。

「はは、良かった……」

 安心したらガクッと体の力が抜けた。そろそろ限界だったらしく、女の子を抱いていた両手を放り出して仰向けに倒れこむ。身にまとっていた装甲は、一瞬光ったかと思うと、もう消えていた。もう駄目だ、体が微動だにしない。まぶたは重くて目を開けているのがつらい。

「あ、お父さん!」
「マユ、無事か!? 怪我はないな!? 大丈夫なんだなっ!?」
「うん、平気! このお兄ちゃんが助けてくれたの!」
「ああ、そうだな……っておい、お前さん大丈夫か!? おい、タンカだ! 誰か急いでタンカ持ってこいっ!」

 マユ? 名前、マユっていうのか。ならホントに、守れてよかった……。
 その安堵がとどめの一押しだった。他の人が近づいてきてるのに、逆に周りの喧騒は自分の耳からどんどん遠ざかっていく。

 そういえば、俺はどうしてここにいるんだっけ……?
 まあ、今はそんなこといいか……。
 守ることができたから。今はちょっとだけでいいから休ませてほしい。
 頭の中もごちゃごちゃしたままなんだ。だから今は何も考えないで、眠りたい……。

「お兄ちゃん、大丈夫!? お兄ちゃんっ!?」

 ほんのちょっと前まで、モビルスーツに乗って戦っていたのに……。
 次に気付いたら、ステラに会えて……。
 今度は妙なスーツ着て、空を飛んでいて……。
 まるで明日に火が点いて、加速したみたいだ。

 ねえ、ステラ……一つ、いいかな?


――明日を生きるって大変だな――

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最終更新:2012年07月03日 10:46
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