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第一章 「大徳の少女」

黒髪赤眼の男が彼女と出会ったのは、柔らかな風が吹き抜ける静かな草原だった。

「ようやく目が覚めたんだね、心配したんだよ。」

 男が意識を取り戻すと、極めて近い距離でこちらを上から覗き込む、一人の少女の顔立ちが目に付いた。
年の頃なら18、19程、やや赤みがかった緩やかな質をした桃色の髪、
日輪の如き自然な温かさと輝きを感じさせる明るく可憐な顔立ちをした少女、それが微笑と共に自分を見下ろしている。
柔らかく穏やかな笑顔で自身に微笑みかけるその少女を見上げながら、黒髪赤眼の男は自身の後頭部にあたる柔らかな感触と、
通常より不自然に近い相手との顔の位置から自身が膝枕をされている事に気が付いた。
その事実に気が付いて、平素であれば彼は顔を赤く染めながら、すぐにでも身を起こそうとしただろう。
しかし、今の彼は心身共に酷く疲れていた。疲弊の中、おぼろげに覚醒していくその意識の中で、
自身に注がれる温かな笑顔が、まるで穏やかな日輪からの陽光のように感じられ、なんともいえない心地よさと安息を感じさせていた。

「貴方、変わった格好してるね。どこから来たの?」
「……遠い所。」

少女の問いに対し、男はうわ言のように端的に、それでいて意味のない答えを返す。
自身はどこから来たのか、それについて自身の中に明確な答えなどなかった。
強いて言うならば天の国とでもいうしかなかったであろう。
黒髪赤眼の男、シン・アスカは異なる世界において、星々の海の中で機動兵器を駆って戦い、そして力を出し尽くした時、
突如として広がる大きな輝きに飲み込まれたのだから。
気が付いた時、自身の愛機はどこにもなく、まったく見知らぬ風景が目の前に広がっていた。
そこは文明も装束も生活形態も、全てが彼の知る物とは異なっていた。
ひどくレトロな木造の家が立ち並び、人々は彼の知る背広でも制服でも私服でもない、
ひどく緩やかな布製の装束を身にまとい、街を走るのは石油とエンジンで駆動する機械仕掛けの車ではなく、
牛や馬に引かれた車、あるいは直接人を背に乗せた馬達であった。
人々の会話では漢だの黄巾だの豫州だの、意味不明な単語が飛び交っている。
何もかもが彼の知る世界とは違う。彼の知識の中では、旧世界における古代地球の文明がかろうじてそれに近いのかと、
推測を立てるのが精一杯であった。
全てが異なる世界に突如として放り込まれた事を知り、当てもなくさまよううちに、
もともと疲弊していた彼の体はあっさりと限界を迎えた。
どこで倒れたのかすらわからぬままに、己の意識を失い、不意に温かな感触と気配を感じて意識を取り戻したのがつい先程。
今の彼は明瞭になりきらない意識の中で、少女がもたらす束の間の安息に浸るのみだった。



「へえ、そうなんだ。よっぽど遠い所から来たんだね。もう大丈夫だから、安心して疲れを癒すといいよ。」

もう大丈夫、疲れを癒す、そんな誰が聞いても自然な励ましにしか聞こえない言葉が、
彼には酷く皮肉げに感じられた。自身が生きてきた世界とは何もかも異なるこの世界で、何が大丈夫だというのか? 
誰一人として知人もおらず、心の支えも無いままに、疲れを癒してそれからどうしようというのか?
シンの口からつい皮肉げな、小さな笑いが口をついて出た。
それが好意的なものでない事は、少し感性が鋭い者なら十分気が付いただろう。
果たして桃色の髪の少女は口を開いたが、その言葉は彼の予想外のものだった。

「もし、この世界に貴方の居場所が無いんだったら……私がその居場所になってあげようか?」

その唐突な言葉に対し、シンは驚きの声を挙げる事は出来なかった。
彼女はまるで野に咲くたおやかな花の如く、穏やかな微笑を浮かべている。
しかし、それでいて何かを見通したような深い静かな眼差しがシンに注がれている。

「貴方と私って、きっとすごくうまくいくと思うんだけどなあ。」

彼女の柔らかい言葉と微笑、それと共に感じられる穏やかで温かな雰囲気、
心が何かに柔らかなものにとらわれ、包まれていくような感覚。
それがシンにとってはたまらなく心地よく、
それでいてどうしようもなく恐ろしかった。
しかし、そんな自身の感覚をも押して、彼自身に強く感じられていたのは、彼女という存在から受ける儚い印象だった。
確かに顔は穏やかに微笑している。雰囲気も穏やかで温かい。それに深い静かな眼差しと、
柔らかな言葉が相まって、まるで自身の心が彼女にとらわれていくような感覚を受ける。
まさしく彼女は人の心を虜にする天性の魅力を持った存在なのだろう。
しかし、そんな彼女の表向きの像とは別に、彼女が自身に向ける声と眼差しの深奥に時々酷く儚げな、
まるで家族を探して流離う迷い子の如く、心細げで寂しげな色が見え隠れする。


―――ああ、そうか―――

シンは理屈ではなく、感覚で理解する。彼女はここにいても、彼女の本質はここにはいない。現れていない。
おそらく彼女の周囲には多くの人間がいる事だろう。多くが彼女に好意的な印象を持つ事だろう。
しかし、それは彼女自身にある天性の魅力が映し出す像を見ているのであり、
彼女自身の心に直接触れているわけではない。
あまりに人を超越した魅力を持つが故に、その存在はどこまで行っても、他者にとっては彼女自身の魅力が作り出す偶像の写し鑑でしかない。
そして他者は誰もその事を理解しない。彼女の本質に気が付かず、触れる事もない。
ただ彼女の超越的な魅力が作り出す偶像を自身の中に受け入れ、それを彼女だと認識し、そのまま彼女を仰ぎ見るだけ。
どこまで行っても他者は誰も自身の本質を理解しない、触れようともしない。
そもそも本質がある事に気が付きもしない。それはどこに行こうとどこにも本当の知己がいないのと同じ事だ。
それは異世界であるこの世界に放り込まれた自身と意味合いは違えども、本質的には同質の孤独を共有している事になる。

「あんたには俺が必要か?」

シン・アスカは己の理解を込めて、目の前の桃色の髪の少女に問いかける。
果たして彼女は、その問いに込められた意味と理解を、こちらの予想を過たずに理解したようだった。
先程までと違い、彼女の眼差しに酷く儚げな、それでいて激しい渇望の色が浮かぶ。
迷い子が長き流離いの果てに、やっと見つけた己の知己を決して離すまいとするかのような、
そんな切実なる感情が彼女自身を突き動かすようにして口を開かせる。

「うん、私は貴方という存在が欲しい。私と一緒にいて欲しい、私と共に歩いて、私の背中を支えて欲しい。
この孤独な世界の中で、たった一つの私の居場所になって欲しい。」

震える声で、彼女は自身の渇望をとめどなく訴える。
気が付けば、彼女の頬には眼から一滴のしずくが伝って流れている。
シンはそれに対し、承諾の意を微笑で表した。
次の瞬間、桃色の髪の少女はシンの頭をその胸に強く抱きしめる。
二度と離すまいと、かき抱くようにして強く強く、
しっかりとその存在そのものを包み込むかのように。
シンはされるがままにされながら、彼女の声を聴いた。
その声は静かで、穏やかなようでいて、冷たさすら感じさせる程に強固な、
確かな強さが込められている事がシンには感じられた。

「貴方の事績は歴史に残さない。貴方は常に私と共にある。貴方はこの世界でただ一つの私の、私だけの居場所。
貴方の存在は誰にも渡さない、誰にも共有させない。この現世でも、後世においてさえも。」

これは並行なる無数の世界の中の一つの出来事。
真名を桃香、世俗での名を劉備玄徳、とする一人の少女とシン・アスカ、
後にこの世界では陳到と呼ばれる事になる黒髪赤眼の男が邂逅した瞬間だった。

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最終更新:2012年12月07日 10:51
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