<ミネルバ・シンの個室にて>
「シン、お茶を淹れなさい」
「マスター……おなかが空きましたぁ~」
右から真紅、左からデス子の声が同時に上がる。今回の出撃に関する報告書をまとめていた指がピタリと止まった。
「……後にしろ。今忙しいんだから」
「却下ね」
「もう限界れす~……」
駄目か、とため息を吐く。というかこの状況は何なんだいったい。誰か懇切丁寧に教えてくれ400字以内で。
「運命ね」
「です」
「三文字かよ!? っていうか心の声に反応するのはやめろ!」
と抗議したところで対した効果があるわけでもなく、早く早くとせがまれる。紅茶を入れるにしろ適当なものを作
るにしろそれなりに時間がかかる。報告書の提出だって書いた後に不備がないかをチェックする必要がある。
――つまり、二人の要望を同時に叶えるのは無理なのである。インポッシブルなのである。一人だけでも危うい。
「……よし、分かった。とりあえずデス子の用から済ます」
こんなこともあろうかとカレーを作り置きしておいたのだ。我がことながら万全な対策っぷりだと思う。
「ちょっと待ってろ、温めるから」
しまっておいた寸胴鍋を引っ張り出す。白米は炊いていないがコッペパンはあったはずだ。それで我慢しても
らうしかない。
個室に備え付けられた簡易キッチンに鍋を置き、蓋を開ける。そこには独特のスパイスの香りが……
「――ぎゃぁぁぁぁぁぁ!! カビてるぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!?」
わずか二日で鍋の中にはこう、なんかいろいろと繁殖していた。
(マズイ、どうする!? MSだからひょっとしたら平気なのかも……いやいやありえんありえん。さすがにそれはな
んというかアレだその……人としてアレな感じにっ!)
「シン、騒々しいわ。読書の邪魔よ。それと早くお茶を淹れなさい」
頭の中が混乱の極みに達しているというのにさらに赤い悪魔が追撃を仕掛けてきた。
「何を一人ウルトラマイペースを貫き通してるんだよ!? この状況分かってくださいお願いします!」
「私には関係ないわね」
うがー! と叫ぶが真紅は我関せずな態度のままだった。いろいろと叫んだおかげで少しクールダウンした頭
の中では観念して紅茶だけでも淹れた方がいいという意見が満場一致で可決していた。
「……すぐ淹れる」
「ちゃんと手順を踏みなさい。出来ていなければ最初から淹れ直させるわよ」
へーへーと不平不満を隠さずに今度は茶葉とポットを用意する。複雑な手順ではあるが、特訓の甲斐あってその工程はさなが ら暗闇の中で小銃を分解してまた組み立てなおすプロのレベルまで昇華していた。
(悪いな! 俺は目を瞑ってても紅茶を淹れられるんだ!)
……自分でやっといてなんだがワケがワカラン。どうも混乱を突き抜けて妙な領域に辿りついたらしい。
「さて、まず葉を入れて……」
ポットの中に茶葉を入れる。多すぎず、少なすぎず、慎重にティースプーン一杯分ずつ入れていく。
が、
「ごはん~」
飢えたケモノが頭にガブリと噛み付いてきた。
「いだだだだだだだだだだだだだ!? はなっ、はっ、はなれろデス子ぉぉぉぉぉぉ!!」
あまりの痛みに手に持っていたものを手放し、頭に乗ったデス子を引っぺがす。ぽてんとベッドの上で跳ねた
デス子が捨てられた子犬的な瞳を向けてくるが、そんな程度では頭の痛みは治まらない。一度きつく叱っておく
べきだと声を張り上げようとして、
突如発生した異様な気配が、部屋の空気を鉛のごとく重くした。
「へ、あ、あの……真紅さん?」
呼びかけに答えることはなく、瞳に強い意志を宿した真紅がゆっくりと近づいてきた。
――その意志の名は、怒り。
「シン、私の目の前でお茶を粗末に扱うなんて、とんでもないことをしてくれたのだわ」
「いやその……それはデス子が」
「言い訳? この私、誇り高いローゼンメイデンの第5ドールである真紅の僕は逃げ道を探すことだけは立派な
のかしら? 困ったのだわ、どこで躾を間違ったのかしら?」
聞く耳ナッシングである。前方の虎、後門の狼、こちらの逃げ場もゼロである。
(こんなとき、アイツがいたら……)
脳裏に浮かぶは頼れる相方、対フリーダムのときには唯一と言っていいほどの弱点を看破して自分に勝利の
鍵を示してくれたアイツ、 紅茶の特訓でも持てる知識のすべてのすべてを託してくれたアイツ、何かあっても
「気にするな、俺は気にしない」でちゃっかり自分は安全圏に退避する抜け目のない男¥アイツ……
――個室のドアが開かれる。頼れる援軍が、来た。
「レイっ!」
ドアから足音が近づいてくる。その数はひとつ、ふたつ、みっつ……たくさん。
「遊びに来たの~!」
「暇だから遊びに来てやったです。感謝するですよ人間」
「翠星石、またそんなこと言って……あ、お邪魔します」
「雛苺がどうしてもって言うから遊びにきてあげたのかしら! これは弱点を探るチャンスかしら!」
「おーっす、元マスター! 遊びにきたぜー」
……わらわらと現れる人外ども。蒼星石以外は途方もないほどのフリーダムっぷりを発揮させて我が物顔で部
屋に入ってくる。
――プツリ、と頭の中で何かが切れた。
「シン、もう一度最初からやり直しなさい。それとこぼした分の葉は後でちゃんと補充するのだわ」
「マスターごはん~」
……四面楚歌のこの状況で、漏れたのは不敵な笑い声だった。
「ふ、ふふふ、ふふふふふふふふふ……上等だっ!」
頭の中で何かが弾ける。意識が広がり、視界に入るすべてのものの動きのすべてをつぶさに感じ取ることができる。
こいつらすべての相手をする、報告書も書き上げる、どっちもしなければならないのが赤服の辛いところだ。
だが、乗り越える壁が高ければ高いほど、厚ければ厚いほど、胸の奥から凄まじい力が湧き上がってくる!
「みんなまとめて……かかって来いっ!!」
もう何が相手であろうと負ける気はしない、そんな感覚を覚えながら目の前の人外魔境に飛び込んだ。
――5分後、蒼星石からの連絡によってシンは医務室に運ばれた。
医師の診察によると極度の疲労と心労だったそうな。
~続かない~
最終更新:2008年07月04日 04:31