なきむし狼と羊ssss-03

なきむし狼と羊の前


ハッ……ハッ…ハッ…ハッ……
必死に私は走る。足の裏がジクジクと痛み、自分が裸足なのだとわかる。
周りは一面真っ暗な闇。
夜の帳が下りているという風ではなく、黒く濁った液体、タールのようなドロリとした闇に覆われていた。
酷く寒い。吐き出す息が白く、喉が凍り付いてしまいそうに闇は私を凍てつかせていく。
けれども、私は振り返れない。
アイツが、あの黒ずくめの男が迫ってくる。私を絡め取って、そしてまた私を苦しめるのがわかっているから。
怖い。

怖い怖い怖い怖い。

嫌だ。

嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。


無我夢中で走っていると、ようやく視界が開けてくる。
そこには二つの人影。

『少尉』
『セツコ』

懐かしい声が飛び込む。
泣きたくなる。ようやく、ようやく出会えた。
解放されたのだ。そこにいる二つの人影、私の居場所、私の絆。
私は其処にやっと追い付く。

「トビー!!チーフ!!」
二人に抱きつく私は、自分の瞳に自然と涙が浮かんでいるのがわかった。

けれど、そこで私は違和感に気付く。
受け止めてくれた腕が、酷く硬く、冷たい事に。
涙で濡れた瞳を上げると、そこには ―――――



私は喉が裂けそうに悲鳴を張り上げた。



「いやあぁぁぁぁーーーーーーー!!!」


「セツコさんッ!?」
跳ね起きるのと同時に、傍らの気配に気付く。
赤い服を纏い、紅の瞳の少年が気遣わしげに私を見ている。
ようやく、私は自分がシミュレーターの中にいる事に気付いた。

「大丈夫ですか?セツコさん?」
「シン君…」
跪き、視線を同じ高さにしたシン君が、紅の瞳を細めている。いつもは鋭いナイフのように釣り上がっている瞳は、今はナリを潜めている。
容赦の無い戦いぶりから、悪鬼羅刹のようだと一部の仲間から嫉みを込めて言われているが、
今心配そうに私を見つめている瞳が、彼の本来の性格が優しいことを私に教えてくれる。
以前も、私に飴を照れ臭そうに渡してくれた事を思い出す。
ぶっきらぼうだけど、とても優しい男の子。


「ゴメンね…シン君。もう大丈夫……少し悪い夢をみてただけだから…」
「そうですか…」
微かに瞳を曇らせる彼には、きっと私が口で言うのとは裏腹に大丈夫に見えていないのだろう。
「別に……無理に言わなくてもいいですよ。俺にそこまで立ち入る資格はありませんし」

寂しげに呟かれた言葉に、心から心配してくれている彼を裏切っているようで、胸が痛む。
けれど、自分の過去と、直面している現実に懸命に立ち向かっている彼にこれ以上の重荷を背負わせるわけには行かない。

「ゴメンね…せっかく心配してくれたのに…」
「べ、別に、心配なんてしてませんよッ!!」
頬を染めて声を上げるシン君は、照れ隠しに怒っている事がバレバレで微笑ましくなってしまう。
私は、悪夢の事も忘れ、ついつい堪えきれずに笑みを浮かべてしまう。

「な、何笑ってるんですか!!」
「ふふ、ゴメンね」
そうやってムキになってしまうところがミズキさん曰く「可愛い」のだろう。ZEUTH内の百戦錬磨の年上のお姉さん達にとって、
シン君の誰も寄せ付けまいとしている空気は子犬が一生懸命に強さを誇示しようとしているようにしか見えず、母性本能をくすぐられるそうだ。
たしかに、あの獅子奮迅の戦いをする姿と、不器用に心配してくれているのが同じ男の子というのは信じ難い。

「そうだ、シン君よかったらシミュレーターの相手をしてくれないかしら?」
コンピューターの相手ばかりではどうしても味気ない。
実際に誰かと戦わなければ自分がどれだけ強くなったのかがわからない。
もっとも、私はアムロさんや、カミーユ君、シン君といった人達に勝ち越せたことは無いけれど。
ニュータイプ、コーディーネイター、戦う為の特別な力を持っている彼らが何度羨ましいと感じたことだろうか。
しかし、そんな私の提案にシン君は、思い切り表情を歪める。

「ハァ!?アンタ馬鹿ですか!?」

思わぬ叱責に、ビックリしてしまう。
そこまで変な事を言ったのだろうか。

「でも、私はもっと特訓しないと…」
「セツコさん……オーバーワークって知ってます?ピークを過ぎてまでするトレーニングは逆効果って…」
「そ、それでも、やった分だけ強くなってるはずよ!!コンピューターには勝ち越してるし」
思わずムッとなって言い返す。
自分の努力を呆れたように切り捨てられた気がして、どうにも許せなかった。
いつも、シン君に対しての勝率は7割だけど、今ならもっといい勝負が出来るはずだと、内心私は思う。
しかし、シン君は、苛立たしげな顔をすると、ガシガシと頭をかきむしる。



「言ってもわからないならしかたがないか……じゃあこうしましょう。俺がセツコさんを30秒以内に落とせたら今日の訓練はおしまい」
「なッ…!?」
いくらエースと呼ばれていても、私を馬鹿にしすぎじゃないだろうか。
思わず、コンソールを握る手に力が篭る。

「………わかったわ…だったら、私が勝ったら、特訓に付き合ってもらうわよ?」
「どうぞどうぞ」
シン君は何処吹く風というように、シミュレーターに入っていく。
ほどなくして、モニターには、忠実に再現されたデスティニーガンダムの姿が現れる。



「う……そ……」
呆然と私は呟いていた。
結果は30秒どころか15秒。
高速移動してきたデスティニーの残像とフェイントに翻弄されたバルゴラは、両腕をアロンダイトに切り捨てられ、
止めにコックピットにパルマフィオキーナを受けて撃墜。
呆然とする私を尻目に、汗一つかかずにシン君が次ミュレーターから出てくる。

「納得しましたか?」
「どう……して…」
「眠りこけるまで身体を酷使し続けて、回復もさせなきゃ身に付くものなんてありませんよ」
「で、でも、お願い、もう少しだけ……」

納得がいかずに、見苦しいとわかっていても私は追いすがった。
シン君は、それを予期していたのか、小さく溜め息を吐く。
「ハァ…そう来ると思いました…」
そう言って、右腕を私の背中に、左腕を両膝の裏に回し私を抱き上げる。
いわゆる『お姫様抱っこ』をされている事に気付いて、一気に顔に血が上るのがわかる。

「ちょ、や、シンくんッ」
「聞き分けの無い子の言葉は聞こえません」

三歳年下の子に、子供扱いされる気恥ずかしさと、華奢な外見に反して伝わってくる鍛え抜かれた筋肉の感触に私は身体が火照ったように
熱く、クラクラとした。抱き上げられて密着した事で、シン君の匂いが鼻をくすぐる。
汗とシン君独特の匂い、胸の中の鼓動が早くなってくる。

「俺も……前に同じようにアムロさんにコテンパンにされたことがあるんです…」
「え?」
「無我夢中で、徹夜してでもずっと訓練してたら、アムロさんが『弱くなった今のシンなら簡単に倒せる』って言われて実際にやられました」

シン君は、私の体重等苦ともしていないように、悠々と私の部屋まで運ぶと、ドアロックを開けて、ベッドに私を静かに下ろす。
半ばボーっとなってしまっている私の傍らにしゃがみこむと、シン君は優しい、心から労わる瞳を向けてくる。
ドキンと胸の鼓動が一つ大きく跳ねた気がした。

「セツコさんが強くなろうとする気持ちもわかります…でも…でも、もう少し俺達を頼ってください。昔の仲間よりも大切に思ってくれなんて言いません。トビー中尉の事が好きなのも知ってます。でも、今の仲間達の事も忘れないでください」

その瞳に微かな寂しさが灯る。私は心臓を掴まれた気がした。
私がチーフやトビーの為に強くなろうとあがいている間も、ずっと皆は、シン君は心配してくれていたのだ。
それなのに、私はZEUTHの皆の気持ちに目を向けたことがあったのだろうか?

「俺たちは、絶対に、何があっても、セツコさんを、裏切ったりしません。否定もしません」

一語、一語区切るようにシン君に言われた言葉が胸に染み込んでいく。

「セツコさん?」

怪訝そうな顔をするシン君を他所に、私は堪えきれずに緩んだ涙腺から溢れる涙を止めることは出来なかった。
自分は何て馬鹿なのだろうか。
こんなにも心配してくれている人がいるのに。
自分が一人ぼっちになったと思い込んで、周りの気持ちを蔑ろにして。
周りを見ようともしていない自分が恥かしくて、情けなくて仕方が無かった。
シン君がオロオロとしているのに気付きながらも、私は込み上げる嗚咽を止められなかった。
不意に、私は大きな温もりに包まれた。覆っていた手を退けると、赤い瞳が間近にあった。
シン君は私を抱きしめて、空いた手で、ゆっくりと頭を撫でる。
押し付けられた胸板からはシン君の鼓動が聞こえる。

「昔……妹が夜怖い夢を見た時にこうして寝付くまで抱いてあげてたんです……」

心地良さと、言いようのない切なさが込み上げ、私は何も言えなかった。

「セツコさんは強いです……セツコさんが戦ってるから、俺は今生きてるんです。もしかしたらセツコさんが弱くて、倒せなかった敵に
俺は今頃撃墜されてるのかもしれない。俺だけじゃなく、セツコさんが強い分だけ、みんなの命の火は消えずにいるんです……」

シン君の心音が心地良い。生きている、彼は生きているのだ。生きて、こうして傍にいる。
撫でる手がくすぐったい。記憶にないはずの親に甘えた時を思い出すようで、気恥ずかしさが込み上げる。
次第に重くなっていく瞼、遠退く意識の中、シン君が見たこともないような優しい、柔らかな瞳で私を見ていた。




ハッ……ハッ…ハッ…ハッ……

またこの夢だ。

必死に私は走る。足の裏がジクジクと痛み、自分が裸足なのだとわかる。
周りは一面真っ暗な闇。
夜の帳が下りているという風ではなく、黒く濁った液体、タールのようなドロリとした闇に覆われていた。
酷く寒い。吐き出す息が白く、喉が凍り付いてしまいそうに闇は私を凍てつかせていく。
けれども、私は振り返れない。
アイツが、あの黒ずくめの男が迫ってくる。私を絡め取って、そしてまた私を苦しめるのがわかっているから。
無我夢中で走っていると、ようやく視界が開けてくる。
そこには二つの人影。

『少尉』
『セツコ』

懐かしい声が飛び込む。知っている。
泣きたくなる。ようやく、ようやく出会えた。知っている。
解放されたのだ。そこにいる二つの人影、私の居場所、私の絆。私は其処にやっと追い付く。
私はこの後を知っている。
けれど、そこで私は違和感に気付く。受け止めてくれた腕が、酷く硬く、冷たい事に。
涙で濡れた瞳を上げると、そこには ――――― 焼け爛れ、剥がれた皮膚の奥からバルゴラの顔が覗いているのだ。

でも、そこからは違っていた。

私はそこで、悲鳴を上げようとして、不意に力強い腕に引き寄せられた。
一気に視界を覆っていた闇が取り払われ、包まれた温もりに、顔を上げると、私を抱き締めていた紅の瞳が優しく見下ろしていた。


「シン……くん…」






「ん……」
いつの間にか、眠ってしまっていたのだろう。
視界に映るのは見知った自室の天井。
しかし、そこで私は自分の手が何かを掴んでいる事に気付き、ゆっくりと視線を移す。

「 ――― !?」

私は右手でしっかりと握り締めていたのは、シン君の服のそで。
彼は、その私の手に優しく手を添えながら、傍らで、不自然な格好で座るように眠っていた。
もしかしたら、ずっとあれから私についていてくれたのだろうか?

そう思うと、胸の奥が痛む。キューッと、切なく。

「あれ…?あれ?あれ?」

どうしてなのだろうか、シン君の寝顔を真っ直ぐに見られない。
添えられた手が酷く熱い。いや、熱いのは身体だけじゃない、全身だ。
胸の鼓動が、病気にかかったように、ドキドキ、ドキドキと早く刻むのを止めようとしない。
私は混乱する頭のせいで、自分の中の変わってしまった、或いは隠れていた感情にまだ気付くことが出来なかった。

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最終更新:2009年01月24日 23:23
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