御坂 美琴 / 7:00:11
美琴「んー……黒子のヤツ、朝っぱらからどこ行ったのかしら」
制服のブレザーを羽織りながら、御坂美琴は溜息をついた。
朝起きると、ルームメイトである白井黒子の姿が無い。
元々、風紀委員(ジャッジメント)の仕事で忙しい身ではあったが、流石に早朝から出かけるということはまず無かった。
美琴「……ま、アイツにもプライベートとか、色々あるわよね。
単に風紀委員(ジャッジメント)の緊急呼び出しなのかも知れないし」
更に、御坂を心底慕っている白井が、何も言わずに早朝の部屋から抜け出すということも、前例が無かった。
その疑問を無理矢理納得して、御坂は身支度を整えていく。
いつも通り、登校する為に。
寮を出る。
妙に静かな外の空気。
いや、妙に静か、どころの話ではない。
美琴「……?」
誰もいない。辺りに人の気配が無い。
部屋を出てから今まで、寮の中でも、街路に出てからも、誰にも会っていないのだ。
美琴(……今日って、もしかして日曜日!?)
慌てて携帯電話で日付を確認するが、そういうわけでもなかった。
金曜日。祝日でもない、平日だった。
美琴(何よこれ……何で誰もいないの……?)
そして。
銃声。
更に、悲鳴。
空気を裂くような、女性の悲鳴。
美琴「ッ!!!」
御坂の脚は、無意識の内に、銃声と悲鳴が聞こえた方向に駆けだしていた。
やがて、御坂の意思で、脚は更に速さを増す。
美琴(事件!? 能力者が暴れてるのかしら!)
普段は事件と聞けば好奇心と興味本位で首を突っ込む性格の御坂だったが、
今回は流石に訳が違った。
女性の悲鳴。それも、恐怖に怯えた必死の絶叫。
それを見過ごせない程度には、超能力者(レベル5)第三位、『超電磁砲(レールガン)』はお人好しだっただけの話。
走る。
音はかなり近かった。学区内であるのは間違いないし、精々数百メートルの距離だろう。
更に走る。
学園都市内で僅か7人しかいない、超能力者(レベル5)。
最新鋭の陸軍一個大隊とも肩を並べる、一人の人間。
走る。
ふと路面をみると、うっすら濡れている。僅かに雨が降っているようだ。
科学技術による気候管理すら可能な学園都市で、雨は珍しい。
空はうす暗く、雲がかかっている。
御坂の予想通り、現場はすぐ近くだった。
美琴「警備員(アンチスキル)……誰かと、戦ってる……?」
教職員達による学園都市の自衛組織、警備員(アンチスキル)の面々が、『何か』と銃撃戦を行っている。
大仰な重火器もちらほら見えており、相当厄介な相手らしいことが伺える。
御坂は辺りを見回した。
先ほどの悲鳴の主を探そうとしたのだが、一般人らしき人影は見当たらない。
警備員(アンチスキル)の悲鳴だったのだろうか。
ジャリ。
唐突に。
御坂の背後で、靴を踏み締める音がした。
御坂は、振り向かない。
美琴(……接近に気付かなかった?
いや、違う。今、コイツは、『何もない場所から突然現れた』……!)
御坂は、体から無意識的に発せられるAIM拡散力場(電磁波のような形態をしている)により、
レーダー探知のような能力を発揮出来る。
その御坂が、不意の接近に気付かないはずはない。
そして、学園都市には、三次元上の移動制約を無視して、空間を跳躍出来る能力者も存在する。
空間移動能力者(テレポーター)と呼ばれる能力者だが、希少価値も高く、学園全体でも58人しか存在しない。
美琴「動かないで。変な真似したら、シビレるくらいじゃ済まないわよ」
銃撃戦を覗く御坂の背後に空間移動(テレポート)してくる不審者。
当然、警戒しないはずもない。
美琴「まず、名前を名乗りなさい。あなたは誰?」
御坂は振り向かないまま、背後の人間に問う。
背後の人間は、動かない。
しかし、返答はあった。
――――おねえさま。
小声だったが、よく知った声だった。
その呼び方も、その声も、御坂には馴染みのあるものだ。
御坂の体から緊張が解ける。
御坂「なーんだ、黒子。やっぱりアンタ風紀委員(ジャッジメント)の仕事で―――」
御坂は振り向いて、
白井「お゛ね え さ ま゛ぁー」
――――絶句、した。
血。赤い液体。赤い水が。
目から。鼻から。口から。
血が。血が、噴き出して。
白井黒子の。馴染みの後輩の。
引き攣った笑顔を。満面の笑みを。赤く染めていた。
御坂「―――ヒ、ッ」
心臓が止まるかと思うほど、実際に一瞬止まるほど、その光景は、残酷だった。
控えめに見ても十分可愛らしいと言える白井黒子の顔は、完全に人間以外のソレに変わっていた。
傷は付いていない。相変わらずの白い肌と、大きな瞳。
けれどそれ以上に、その壊れた笑みと、顔を流れる赤い液体が、御坂に恐怖と吐き気を催した。
軍隊とも互角以上に戦える超能力者。
音速を超える弾丸を作り出す発電能力者(エレクトロマスター)。
しかし、御坂美琴は、中学生だった。
14歳の、子供だった。
仲の良い後輩の、変わり果てた顔を見て、何も思わない訳が、ない。
御坂「――ぁ――ぅ――っ」
口をぱくぱく動かしても、呼吸が出来ない。息が吸えない。
頭の中は真っ白で、何も考えられない。
動き出した心臓も、いつまた止まるか分からなかった。
白井は、ゆっくりと御坂に近付いていく。
いつも通りの、足取りで。
白井「 お ね え゛ さ まぁー ?」
白井の手には、細い、鉄の矢が―――
美琴「―――ッ!!」
瞬間、御坂が動いたのは、恐怖からだったのか、もしくはAIM拡散力場の揺らぎを感じ取ったのか。
思いっきり地面を蹴って、体を横にずらす。
そのずらした体の右肩を、鉄の矢が抉り抜いた。
美琴「アアアアアァァ―――ッ!!」
激痛に頭が揺れる。
しかし、横に跳ぶ前に肩があった場所には、首があった。
テレポートで『跳躍』した物体は、その場にあったモノを押しのけて移動する。
動いていなければ、確実に御坂の首に穴が空いていただろう。
無様に地面に転がる御坂。
鉄矢は細いとは言え、完全に貫通している。右肩はとても動かせそうにない。
美琴「く……ろ、こ……」
白井「うふ」
御坂の呼びかけに、僅かに反応する白井。
白井「うふふふ」
しかし。
白井「うふふへふへふうふううふううううううああああアアアアア――――」
白井は、まるで人でなくなってしまったように、御坂には思えた。
御坂には、何が起きているのか、全く分からない。
これが何者かの『能力』によるものなのか、と考えたが、こんな能力は見たことも聞いたことも無い。
まして、魔術(オカルト)の世界を知らない御坂に、この事態を理解しろと言うのは無理だろう。
御坂「ぅ、ぅ、ぅっ、うっ」
御坂の両目に、涙が溜まる。
突然異常な世界に放り込まれた恐怖と絶望が、御坂の心を深く傷つけていた。
白井の手に、再び鉄矢が握られる。
今度は、三本。
白井「い゛ぃっしょに゛ぃー、な゛ぁりましょお゛ー」
防御は不可能。
空間上の制約を無視して、直接御坂の体に打ちこまれる攻撃には、磁力の盾も効果を成さない。
御坂「……っんじゃ…わょ…」
御坂は頭を垂れて、白井を見ていない。
白井は、満面の笑みを浮かべて、御坂を見つめている。
バチ。バチバチ。
空気が、揺れる。
御坂「ふざけんじゃないわよッ!!」
白井の手から鉄矢が消えるよりも早く、御坂と白井の間に、黒い壁が現れた。
砂鉄。
周囲の地面の土壌部分から膨大な量の砂鉄を巻き上げ、壁にした。
電気を操る御坂の能力は、同時に強大な磁力をも生み出せる。
だが勿論、それでテレポートが止められる訳もない。
いくら硬く大きな壁があろうと、それを乗り越えるのが空間移動(テレポート)なのだから。
白井の手から、三本の矢が消える。
御坂の居た場所へと、空間を飛び越えて。
カラン。カランカラン。
乾いた音。鉄矢が、地面に落ちる音。
砂鉄の壁が崩れ落ちた時、そこに御坂はいなかった。
ただ、御坂の持ち物が入った通学バッグと、『御坂が居た場所』にテレポートした三本の鉄矢が残るだけ。
空間移動(テレポート)能力は、十一次元上の座標軸を元に演算し、空間を飛び越える。
無論、演算さえ出来るならば、能力者本人の目の届かない場所でも正確に移動することが可能である。
しかし、それは『目標物』が無い場合の話。
目標物に重ねて移動させようとした場合、しかも目標物が視界の外にあり、更に動くモノだった場合。
正確に目標物目がけて空間移動させるのは、非常に困難である。
御坂は、そのことを知っている。
見えない場所への正確な空間移動(テレポート)がどれだけ困難であることか、知っている。
だから、砂鉄のカーテンを作り、白井の狙いを外させた。
後に残された白井は。
白井「お ね゛ え さ゛まぁ」
御坂の通学用バッグを引っ掴むと、一心不乱に内容物を漁り始めた。
御坂「……はっ、はっ、はっ」
御坂は、走っていた。
今度は逃げる為に。
どうしてこんなことになったのか。白井はどうなってしまったのか。
何も分からない。分からないけれど、逃げる。逃げ続ける。
御坂 美琴 / 8:29:19
美琴「はっ、はっ、はっ、はっ」
御坂は、まだ走っていた。
白井から逃げ出して、およそ10分。
街のあちこちからは、絶えず銃声や悲鳴が飛び交っている。
美琴(何よこれ……一体、どうなっちゃったの……?)
街の様子は、明らかにおかしい。
かつて、宗教テロによって学園都市が滅茶苦茶に攻撃されるという事態もあったが、
それでもここまで非常識なモノではなかった。
顔馴染みの知り合いが顔から血を流して襲いかかってくる、なんてモノではなかった。
美琴(黒子……)
あの後輩の顔を思い出す。
いつでも少し高慢で、生意気で、でも根は優しくて、自分を慕ってくれていた、白井黒子。
どうしようもなく変わってしまっていた、白井黒子。
御坂の脚が止まる。
10分以上、見えない敵を気にしながらの逃走は、14歳の女子の身体には厳しかった。
まして、右肩の痛みは消えていない。血は止まっているようだが……
ちょうどその時、御坂の前方から二つの人影が走ってくるのが見えた。
それもまた、馴染みの深い顔だった。
初春「はぁっ、はぁっ、はぁっ、あうっ!」
二人の内の片方、頭に大きな花飾り(?)をつけた少女が、躓いて地面に倒れる。
それを、慌ててもう片方の少女が抱きかかえて立ち上がらせた。
佐天「初春!? 大丈夫、立てる!?」
初春飾利、佐天涙子。
美琴「……!」
御坂の身体に緊張が走る。
顔馴染みの二人。
もしも、あの二人まで白井のように変わってしまっていたら―――
初春「あ、あれ、御坂さんじゃないですか!?」
佐天「ほ、ホントだ! 良かった、御坂さん、無事だったんだ!」
しかし、二人の顔には変化はない。
二人の間でしっかりと会話が通じている。
どうやら、この二人は無事だったようだ、と御坂は胸を撫で下ろした。
美琴「初春さん! 佐天さん! 二人とも無事だったのね!?」
二人の元へ駆け寄って、声をかける。
先ほどの絶望感もあってか、安堵の気持ちが大きかった。
佐天「はい……って御坂さん、その肩!」
美琴「ああ、コレね。大丈夫よ、もう血は止まってるみたいだし、痛みもちょっとずつ薄れてきたし」
初春「大丈夫なワケないですよ! そんなのが刺さって……!!」
美琴「もう、大丈夫だってば。それより、佐天さんたちは、大丈夫だった?」
佐天「……その、私達、普通に登校しようと思ってたんですけど……
街の人たちも、クラスメイトの皆も、様子がおかしくて……」
佐天は泣き出しそうな表情で、うつむいた。
恐らく、ここに来る前に、先刻の御坂と同じような状況に遭遇したのだろう。
初春「今、この街で何が起こってるのか……御坂さん、分かりますか?」
美琴「……ごめんなさい、私も、全然分からないの。
さっきだって、急に黒子が……」
御坂はそこまで言って、慌てて口を塞いだ。
しかし、どうやら遅かったようで、初春と佐天は目を大きく開いて、みるみる青ざめていく。
初春「そん……な……白井さんが……」
佐天「………っ…」
初春は、はっとした表情で御坂の肩に刺さった鉄矢を見る。
それは、白井黒子が好んで使う武器だったはずだ。
そんなはずはない、そんなはずはない、と初春は自分自身に言い聞かせているようだった。
初春「白井さんが、白井さんが、どうしたんですか!? 誰かに襲われたんですか!? そうですよね!?
でも白井さんだって大能力者(レベル4)だし、その辺の人に襲われたくらいじゃ……」
美琴「……」
御坂は唇を噛みしめた。
確かに、白井黒子は学園都市でも数少ない、大能力者(レベル4)にして、空間移動能力者(テレポーター)。
並大抵の能力者では、比にならない戦闘能力を持っている。
しかし、現に白井は……
御坂は、両拳を強く握り締める。
美琴「初春さん、佐天さん。ただ街路を走って逃げてるだけじゃ危ないわ。
これから言う場所に、誰も使ってない廃ビルがあるの。そこに二人で隠れてて。」
佐天「!? 何言ってるんですか、御坂さん!」
美琴「大丈夫よ。そこ、普通に入ろうとしてもバリケードがあるから、抜け道を知ってないと入れないの
それに中は複雑な作りだから、もし誰か入ってきても、隠れてやり過ごし易いわ
抜け道を知ってるのも―――」
私と、黒子だけ。
そう言おうとして、止めた。
美琴「私だけ、だから」
佐天「そういう意味じゃないですよ! それに、二人で、って御坂さんはどうするつもりなんですか!?」
美琴「私はもう少し、辺りを見て回ってくるわ。大丈夫よ、あんなゾンビみたいな連中に、私は負けない」
初春「でも、でも……そうだ、警備員(アンチスキル)の人もおかしくなってたんですよ!?
銃器を持って、同じ警備員(アンチスキル)の人達と……っ……」
初春は、何かをこらえるような顔で、懸命に御坂を引きとめる。
しかし、御坂は譲らなかった。
美琴「だーいじょうぶだって! そんじょそこらの兵器じゃ私の能力には敵わないわよ。
……大丈夫、絶対、何とかする方法を見つけてみるから」
御坂は努めて明るい声で返事を返す。
初春と佐天を、少しでも元気づけようとしているのだろう。
佐天「……」
美琴「ある程度見て回ったら、私もその廃ビルに行くわ。
それから、もっと安全なところに一緒に避難しましょう」
そして、御坂は二人に廃ビルの場所、抜け道への入り方を教えた。
二人は最後まで何かを言いたそうな顔をしていたが、御坂は敢えてそれを無視していた。
美琴「それじゃ、どうか無事でね、二人とも」
佐天「……はい、御坂さんも、無事でいてくださいね」
二人は御坂に背を向けて駆けだした。
その背中を見ながら、御坂は静かにポケットに手を入れる。
ポケットの中には、大量のコインが入っている。よく行くゲームセンターで使う、何の変哲もないコイン。
しかし、それを御坂が使えば、音速を超える弾丸に変貌する。
後には引けない。
二人をあの場所に案内した以上、あの場所は絶対に安全な状態でなくてはならない。
その為には、『抜け道』を知っている『敵』が居てはならない。
御坂「……黒子、アンタは、私が必ず助けてみせる」
御坂はコインを取り出し、強く握り締めた。
御坂 美琴 / 11:21:33 / 第十八学区
雨が激しくアスファルトの路面を叩く。
霧雨程度だったはずが、次第に雨脚を強め、今や土砂降りと言っても過言ではないくらいに降りしきっている。
しかし、御坂美琴には、そんな激しい雨ですらも、意識の外だった。
御坂美琴は、立ち尽くしている。
傷だらけで地面に倒れている白井黒子に、右掌を向けたまま、立ち尽くしている。
右肩の傷は既に塞がっていて、痛みもないようだ。
美琴「……黒子……」
かすかに呟いた声は、雨音にかき消されて、白井の耳には届かない。
初春と佐天の二人組と別れた後、御坂は周囲の『変わってしまった』人間達を片っ端から電撃で昏倒させていった。
決して死なない程度に、しかし人間を気絶させるには十分な威力の電撃。
御坂にとっては、全く難しくない範囲の能力行使である。
暫くして、白井が御坂の目の前に現れた。
空間移動(テレポート)を使ったのだろう、御坂から約20メートルほど離れた場所に、前触れもなく出現した。
その姿を見て、御坂は一瞬ぎょっとした。
手に、顔に、身体に、制服に、あらゆる場所に、御坂の私物がこれみよがしに飾り付けられていたのだ。
先ほど落としてきた通学用のバッグの中に入っていた物だろう。
しかし、御坂がひるんだのも一瞬の事。
白井が更に空間移動(テレポート)を使用して、御坂に攻撃を仕掛けてくる前に、
御坂は、手に持っていたコインを、白井の近くの地面目掛けて撃ち放った。
『超電磁砲(レールガン)』。
御坂美琴の異名にもなっている、十八番の攻撃能力である。
電位差のある2本の電磁レールを作り出し、弾丸を打ち出す事によって、レールと弾丸の間に生まれる磁場の力で弾丸を超加速させる。
初速ならば音速すら超え、コイン程度の物体でも、人間1人くらいなら『消し飛ばす』ことさえ出来る。
その超電磁砲(レールガン)が、アスファルトの地面に放たれる。
言うまでも無く、地面は爆音と共に砕け、アスファルトは瞬間的に溶解して周囲に飛散する。
その衝撃と飛礫が、白井を襲う。
その結果が、今の状態。
御坂は無傷で白井の前に立ち、白井はボロボロで地に伏せている。
美琴「黒子―――」
御坂は、もう一度、白井に呼び掛ける。
聞こえていないだろう、と分かっていても。
美琴「―――絶対に、元に戻してあげるから。少し、待ってなさい」
そう言って、御坂は笑った。
子供に言い聞かせるように、安心させるように、微笑みかけた。
そして御坂は、白井の傍に屈みこみ、頭に掌を当て、軽い電流を――――
美琴「―――え?」
御坂の身体が、崩れ落ちる。
美琴「――――」
何よコレ、と言おうとしても、喉が動かない。
頭が。頭が、割れるように痛い。
胸が苦しい。体中が焼けるように熱い。
美琴「――――」
おかしい。何が起こっているのか、よく分からない。
身体はどこも悪いところはなかったはずだ。
病気なんてしていない。
右肩の怪我だって、今はもう治っている。
美琴「―――?」
治っている。
右肩の、怪我。
鉄矢が完全に貫通していた、右肩が?
それは、おかしくないだろうか。
怪我をしたのはいつだ。ほんの、数時間前ではなかったか。
白井に肩を貫かれて、それからろくに治療も止血もせずに、ひたすら逃げ続けた。
いつのまにか痛みが引いていたから、そのままにしていた。
そのまま。 鉄矢だって、抜いた覚えもない。
でも、今、右肩には、鉄矢どころか、傷跡すらない。
完全に、治っている。
何故?
それは、多分――――
白井「 お ねエ サ マ 」
御坂 美琴 / 11:53:46 / 第十八学区
初春飾利と佐天涙子は、廃ビル二階の片隅で、恐怖と疲弊に耐えていた。
佐天「大丈夫だよ、初春……学園都市には強い人も一杯いるしさ、警備員(アンチスキル)だって、皆が皆ああなってるわけじゃないし……
それに、ほら、御坂さんだって絶対戻ってくるってば!」
自身もセミロングの黒髪を震わせながら、佐天は初春を懸命に励ます。
初春「……っ、っ……」
初春はそんな佐天の言葉を聞きながら、何とか涙を流すまいと堪えていた。
初春(そうだ……御坂さんも、白井さんも、私なんかとは比べ物にならないくらい強い人たちなんだから、きっと大丈夫。
だから、あの二人ともう一度会えるまで、私も何とか頑張らなくちゃ……!)
初春「佐天さんっ!」
佐天「えう!? ど、どしたの初春」
初春「……頑張りましょう! きっと、すぐに御坂さんたちが来てくれますよ!」
そう言って、初春は佐天の片手を、自分の両手で強く握った。
佐天の手は、震えている。
でもそれ以上に、初春の手も震えていた。
佐天「……ぷ」
その様子を見て、
佐天「あは、アハハハハ!」
佐天は、口を開けて笑った。
大きな笑い声が廃ビルの中に反響する。
初春「な、何がおかしいんですか佐天さん! というか、声大きいです、ボリューム下げてくださいっ!」
初春は慌てて佐天の口を手で塞ぐ。
それでも、佐天は初春の手の中で、尚も笑いを止めようとしない。
佐天「うくくくく、いやいや、ごめんね初春。なんかおかしくなっちゃってさ。
……うん、そうだよね。きっと、御坂さんも、白井さんも、来てくれるよね」
初春「……はい!」
そして、初春と佐天はお互いの手を、一層強く握った。
手の震えは、止まっている。
カツン、と誰かの足音が、ビル内に反響した。
初春「!」
佐天「!」
二人の身体が緊張で凝固する。
カツン、カツン。
高い音。女子中学生の二人がよく耳にする、革靴の足音だ。
初春「佐天さん、これって……」
佐天「シッ! 静かにっ」
足音は段々と、階段を上って近付いてくる。
二人は、いつでも逃げ出せるよう、立ち上がって構えておく。
足音は、階段を登りきって、二階へやってきた。
そして、フロア部分の入口で立ち止まる。
沈黙。激しい雨音が、ビル壁を叩く音だけがこだまする。
そして。
美琴「佐天さぁーん、うーいはーるさーん?」
初春「……ぁ、御坂、さんだ」
二人の身体から、一気にこわばりが抜けた。
初春は安堵のあまり、泣き出しそうな顔で腰を抜かしている。
佐天は、すぐさま足音の元へ駆けていった。
佐天「御坂さんっ! 無事だったんで―――」
美琴「 ア゛ は ♪」
そこで佐天が見た、御坂の顔は――――
―――ォォォォオオォォ―――
数分後。
サイレンのような音が、学園都市中に鳴り響く中。
御坂は、十八学区の街路を歩いていた。 雨に濡れるのも、まるで気にせずに。
いつもの通学路を歩いていた。
いつもの道を、いつものように、歩いていた。
ふと、御坂の視線の先で、一人の男子学生が街路を走って行った。
ツンツンの黒髪が、雨に濡れて萎れている。相変わらず、目つきが悪い。必死に何かを探している様子だ。
その顔に、御坂はイヤと言うほど見覚えがある。
御坂は、その少年を見て、笑った。いつもとは違って、嬉しそうに、笑った。
赤い液体を顔から垂れ流し、幸せそうに、笑った。
美琴「 あは うふ うふふ とぉま とぉま かみ、じょー?
うふ うふふふふふふふふふふふふふふふ」
―――ォォォォオオオオオォォォォ―――
三度目のサイレンが、雨音を掻き消すように、学園都市に響き渡っていた。
最終更新:2010年11月07日 04:30