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一方通行  >  16:19:28  >  第二学区

一方通行 / 16:19:28 / 第二学区



 その研究所の中は、おおよそ研究活動に必要と思われる類のモノは何も無かった。
 正確に言えば、その全てが、『赤い水』に塗れて、使い物にならなくなっていた。
 ベタベタと。子供がペンキで手形をつけたかのように、『赤い水』が、壁を、廊下を、天井を、そして研究機材に纏わりついている。

 明かりも、ついていない。
 真っ暗闇の廊下を小型のペンライト(無人となっていたコンビニから拝借した)で照らしながら、一方通行(アクセラレータ)は歩いていく。
 その両手で、負傷した打ち止め(ラストオーダー)を抱えたまま。

一方通行「クソが……いくら何でも遅過ぎたってコトか……?」

 一方通行が第七学区を出て、約六時間。
 負傷した打ち止めに負担をかけないため、そして電極のバッテリーを節約するため、
 長柄のショットガンを杖にしたまま、歩きつ休みつ、ココまで来たのだ。


 芳川桔梗。
 一方通行、そして打ち止めの(一方通行は否定するだろうが)数少ない理解者である。
 そして、両者が大きく関わった、とある『実験』の中枢を担っていた、優秀な科学者でもある。

打ち止めの肩に巻いた包帯(ペンライトと同じくコンビニから拝借した)には、かなり血が滲んでいるものの、
 その出血も大分収まってきたようだ。
 能力を使って、微弱ながらも治癒力を高めたのが幸いしたのか。一方通行は僅かに安堵する。

 だが、肝心の打ち止め本人は未だ意識を取り戻さない。
 この研究所に向かっている途中、「気分が悪い」と言って眠りに入ったきり、全く反応がないのだ。

一方通行(……まァ、ガキにゃァちっと刺激が強過ぎたのかもなァ)

 第七学区で警備員を殲滅した以降も、幾度となく『おかしな』人間たちに襲われた。
 警備員だけでなく、同じ学生や、中には警備員ですらない非武装の教師や研究者もいた。
 いちいち相手にしていてはキリがないと判断してからは、陽動などで注意を引いて上手く場を凌いできたが……

一方通行(どうやら、事態は思ったよりもデケェ事になってるらしい)

 初めは、コレは一方通行を狙った攻撃だ、と考えた。
 学園都市最強の超能力者(レベル5)、全ての方向性(ベクトル)を操る、最強の一個。
 狙われる理由は、いくらでもある。

 次に、或いは打ち止めを狙ったモノか、とも考えた。
 全世界に散らばる一万もの妹達(シスターズ)に命令(オーダー)を下せる、唯一の司令塔。
 利用価値は、いくらでもある。

 しかし、どうやら、そのどちらも違うらしい。
 襲われたのは、一方通行でも、打ち止めでも、他の誰でもない。

 この街全体が、学園都市そのものが、無差別的に攻撃されている。

 攻撃、と言って良いものかどうかすら、最早分からない。
 あらゆる人間が、分け隔てなく、狂い、他人を襲う。
 さながらゾンビ映画のようだ。異常化した人間は、時間が経つに連れ、確実に増えていた。

人間を狂わせる能力。
 精神を操るという点では、精神感応系(テレパシー)かとも思えるが、しかし、ここまで大人数を一斉に操れる能力者など存在しない。
 例え、超能力者(レベル5)の精神感応系、『心理掌握(メンタルアウト)』にしたところで、やはりこんな芸当は不可能だろう。

 朝から降り続いていた、『赤い雨』。
 恐らく、この『赤い液体』こそが、人間を狂わせた元凶だろう、と一方通行は結論付けた。
 それは例えば、黄泉川の体内を流れていた液体と『赤い雨』の成分が一致する事や、
 異常化した人間が例外なく顔から『赤い液体』を流していたことに根拠を得ている。

 もちろん、『赤い液体』の正体が何なのか、一方通行には分からない。
 一方通行の能力をしても、それは『解析不能』な液体なのだ。
 何らかの薬品、ではないだろう。能力の副産物か、或いは能力が具現化したモノなのか。


 かつて『未元物質(ダークマター)』と呼ばれる能力者がいた。
 『この世界に存在しない物質』を作り出す、という稀有な能力を以て、一方通行の『反射』の壁を打ち破った、超能力者(レベル5)第二位。
 あらゆるベクトルを解析し、操作する一方通行。
 しかし、元より『この世界に存在しない法則』ならば、一方通行には解析出来ない。


 勿論、コレはあの能力とは違い、物理法則そのものを塗り替えるようなモノではなく、ただの『正体不明の液体』に過ぎない。
 故に、一方通行の能力で液体のベクトルそのものを操作することは可能だ。
 理解はできなくとも、ベクトルを有するモノには違いない。

一方通行「メンドくせェことになってきやがった……」

 本日幾度目かの溜息。
 打ち止めは、相も変わらず、安らかに寝入っている。

赤い水で濡れた一室に入り込む。
 この研究所に侵入したときもそうだったが、ドアのセキュリティは破壊されていたため、IDを通すことも必要無かった。

 ペンライトで部屋を照らす。
 やはり、この部屋の壁と床も、大部分が赤く染まっている。
 一体どこから、こんなに塗りたくれるほど大量の液体を持ってきたのか、甚だ疑問ではあるが。

一方通行「あン?」

 その時、部屋の隅に、何かが書かれた紙の切れ端と、一丁の拳銃、それに付随して数ケースの弾丸が落ちているのを見つけた。
 赤い液体に塗られた部屋の中で、その紙の切れ端だけが、眩しいように白い。
 近付き、まず紙切れを拾ってみる。


一方通行「――――」


 一方通行は、そのメモを読むなり、音を立てて握り潰した。

一方通行「……フザけやがって」

 怒気を隠さず、一方通行は呟いた。
 白髪は逆立ち、赤い瞳は血走り、更に紅く煌めいている。

 メモの書主は、芳川桔梗だった。

 そして、芳川は、もうココにはいないだろう。
 どこにいるのかは分からないが、ほぼ間違いなく、この研究所内にはいない。
 いてくれては、困るのだ。

タイミングが良いのか、悪いのか。
 ちょうどその時、一方通行が通ってきた廊下から、何かを引き摺るような音が聞こえてきた。


 ずるずる。べたべた。がりがり。
 ずるずる。べたべた。がりがり。


 壁を、廊下を、天井を、肉塊で擦って引っ掻くような、そんな音。
 善良な一般市民が聞けば、それだけで生理的な嫌悪感を催すような、醜悪な音。


 その音を聞いて、一方通行は、歪に笑う。
 犬歯を剥き出しにして、凶悪な笑みを浮かべる。

一方通行「――――上等じゃねェか、散々調子にのりやがってよォ。
       てめェ、この一方通行の周りでやりたい放題好き放題ってのがどういう意味か、分かってねェみてェだなァ」

 一方通行は、どこかの誰かに向けて、呟いた。
 ココにはいない、この異変を引き起こした誰かに向けて。

地面に落ちている拳銃と銃弾を拾う。
 地面に落ちていたため、銃身とグリップに赤い液体が付着しているが、その程度で動作に支障をきたす筈もない。
 軽く点検してみた限りでも、不良箇所は見当たらない。
 弾倉内には、まだいくつか銃弾が残っていたが、装填限界まで銃弾を手早く込める。
 ペンライトを胸ポケットに固定し、前方を照らせるように角度を調整する。

 部屋の奥の壁に打ち止めをもたれかけさせて、自分は部屋の中心に陣取る。
 それなりの広さがある部屋で、この暗闇だ。一方通行がペンライトを持っていれば、恐らく『敵』は打ち止めには気付かないだろう。

 音は近付いてくる。
 ゆっくりと、確実に。一方通行のいる部屋へ。

 一方通行は、逃げも隠れもしない。
 むしろペンライトの光を廊下へ浴びせて、存在を誇示するかのようですらある。
 その右手には杖代わりにしたショットガンを、左手には拳銃を。
 拳銃は、部屋の入り口に向けられている。現れた顔を、いつでも蜂の巣に出来るように。

 そして、待つ。
 首の電極のスイッチは、オフのまま。


 ずるずる。べたべた。がりがり。


 音が近付く。廊下の構造から、既にペンライトの光には気付いているだろう。
 しかし、近付いてくる音には変化がない。


 ずるずる。べたべた。がりがり。


 接近が早まる訳でもなく、遠ざかっていく訳でもない。
 ただただ、一定のリズムで、一方通行のいる部屋に、近付いてくる。


 ずる。べた。がり。


 ――――部屋の手前で、音が途絶えた。
 移動を止めたのか。或いは、音を立てずに移動出来たのか。
 一方通行は、銃を構えた手を下ろさない。
 息を殺して、敵を待つ。

?「      ギギュ  」


 ――――そして、背後から、音が現れた。


一方通行「――――ッッ!!!?」

 余りに唐突な音。音というよりは、何かの、鳴き声のような。
 ほぼ同時に一方通行の肌を揺らした、殺気。

 一方通行は、杖を掴んだまま、左足で強く床を蹴り、横に跳び退いた。
 刹那の後、金属がぶつかり合う衝撃音。
 一方通行が数瞬前まで居た位置で、金属バットがリノリウムの床に叩きつけられていた。

一方通行(『空間移動系能力者(テレポーター)』だとォ!? クソッタレ、厄介なヤツが出てきやがった……!!)

 しかし、一方通行が驚くのは、それだけではなかった。

 金属バットを振り下ろした、攻撃者を見る。

 その顔面は、異常過ぎるほどに、異常だった。


 膨れ上がった頭部。小さな体躯に、まるで不釣り合いな、巨大な頭。
 昆虫のような、赤い複眼。計八つの眼球が、二列に並んでギョロギョロと周囲を見回している。
 歯の抜け落ちた口は、大きく開かれている。顎が外れる、と言ったレベルではなく、顎が首に届くかと思えるぐらいに、がっぽりと。
 鼻と耳は、変色しているものの人間の形を保っており、それが逆に、この生物が『元人間』であった事を示していた。

一方通行「………っ」

 余りに、異形。
 顔から赤い液体を流している、なんて可愛く思えるほどの、非人間。

 制服――『常盤台中学』のモノだ――は赤い液体で汚れており、所々破れている。
 赤く染まった長い頭髪は、ツインテールに纏められている。
 『変わってしまう』前は、常盤台の生徒だったのだろう。
 学園都市内でも有数のエリート校である常盤台中学、空間移動系能力者がいても、何の不思議もない。

 一方通行は、何とか杖を突いて体勢を立て直し、銃をその少女――――否、『化物』に突きつける。
 コイツは、敵だ。それも、今までになく、危険な敵。
 空間移動系能力者に、闇雲に銃弾を撃っても捉えることはできない。
 何とか、隙を見つけなければ――――

?「ギ   ギ ギュァァァァ――ッッ ! !!」

 『化物』は、自分に向けられた銃をねめつけながら、金属バットを構え直し、鋭い鳴き声を放った。
 そして、その声に呼応するように。


 ずるずる。ぺたぺた。がりがり。


 部屋の入り口から、更に二体の異形が、姿を見せた。

 横目で、その存在を確認する一方通行。

一方通行「はッ……なるほど、部屋の外と中から挟み討ちってワケか……
       トンボ頭のクセに、なかなか知恵が回るじゃねェか」

一体は、地面に手と膝をつき、四足歩行でやってきた。
 こちらは、まだ全体として、人間の形を留めている。
 頭には二本の触角と、それを覆うような大きい花飾り。犬のように、前脚と後脚を交互に送り出して歩いている。
 辛うじて体に纏われているセーラー服からするに、どこかの名も知れない女子生徒らしい。

 もう一体は、巨大な異形だった。
 イメージは、泥を練り上げて作った塔。黄土色の体が、うねりながら歩いてくる。
 僅かに張り付いているセーラー服の切れ端も、いずれ剥がれ落ちるだろう。
 顔が塔の先端についていて、中腹からは、針金細工のような腕が二本、突き出ている。
 先端の顔は、ハジけるような笑みを浮かべた、ロングヘアーの女の子だった。青白い肌の表面を、赤い液体が流れる。
 体を捻り、下半身を床に擦りつけながら、蠢くように動いていた。

一方通行(チィ……仕方無ェ、能力を使ってさっさと片付けるとするか……!)

 一方通行は、首に付けられたチョーカー型の電極に手を伸ばす。
 かつて脳の損傷によって演算能力を失った一方通行は、ミサカネットワークを通じて『妹達』の演算能力を代用する事により、本来の能力を取り戻す。

 取り戻す、はずだった。

一方通行「!?」

 電極のスイッチを切り替えても、一方通行の身体には変化がない。
 能力を取り戻した後ならば、杖による歩行補助も必要がなくなる。
 しかし、一方通行の身体は、依然として右手の杖と左足によって地に支えられていた。

 何度かスイッチを切り替えてみるも、やはり能力が戻る感覚がない。
 通常の思考能力は維持できているようだが……

一方通行(これは……打ち止めが気絶してることに関係あンのか……!?)

 部屋の隅で眠り続ける打ち止め。
 まだ、三体の化物が打ち止めに気付いた様子はない。

 『ミサカネットワーク』を統べる、『妹達』の上位個体。当然、一方通行の能力演算にも大きく関与している。
 勿論、打ち止めの意識が無くとも、能力行使は可能なはずだ。演算そのものを行うのはあくまでもその他大勢の『妹達』。
 打ち止めが演算中止命令でも出さない限りは、一方通行が能力を使えなければおかしい。

 実際、一方通行が日常生活レベルの思考能力を保っていられるのも、『ミサカネットワーク』の恩恵である。
 ネットワークが無ければ、一方通行は言語能力すら失い、動く亡者のようになってしまう。

一方通行(打ち止め、と言うよりはネットワーク全体に何か異変が起きて……
       日常レベルの演算は可能だが、能力を補填するレベルは不可能になってる、ってコトか?)

 一方通行が思考する間にも、異形達はじわじわと一方通行との距離を詰めていく。
 三体ともを視界に収めながら、一方通行は静かに溜息を吐いた。

一方通行「いいねェ……随分とツマラなくなってきやがったぜ……!」

カツン、と革靴の音。
 『トンボ頭』の異形が、消えた。

 瞬時に、一方通行は始動する。
 右手の杖を大きく前に出し、地面を突きながら幅跳びのように前方へ跳ぶ。
 後頭部を掠める風切り音。金属バットの空振り。

 背を向けたまま、肩越しに左手の銃を三発、連射する。
 銃弾が壁にぶつかる音。やはり、当たっていない。

犬「ク ワワァァァァーゥゥン!!!!」

 『犬』に似た異形が、遠吠えのような声を上げ、一方通行に向けて跳びかかってくる。
 着地と同時に重心を左に預け、杖代わりにしていたショットガンを『犬』に放つ。

 肉と骨の拉(ひしゃ)げる音。
 文字通りボロ雑巾のように、『犬』の異形は部屋の壁に打ち付けられ、動きを止めた。

一方通行「ッ!!」

 大きく後ろに仰け反る。直後に、顎の下を金属バットが掠めていった。
 皮膚が破れ、僅かに出血する。
 バットを振るったトンボ頭は、いつのまにか目の前にいた。
 空間移動を用いて、撹乱するように、一方通行を攻め立てる。

 トンボ頭の身体が消える。再び、空間移動。
 だが。

一方通行「てめェの考える事なンざお見通しなンだよッ!!」

 一方通行は、振り向きもせず、背後へ向けてショットガンを撃ち放った。

トンボ頭「ギュアァァァァァァォォゥ」

 蟲の断末魔のような叫び声。
 更に続けて、もう一発、ショットガンを撃つが、これは当たらずに壁を抉っただけ。

一方通行(やっぱりなァ。
       そもそも、俺を殺すつもりなら……バットで『殴る』ンじゃあなく、バットを『飛ばす』べきだ。
       バットを『重ね』られたら、今のオレにゃァ対処の仕様がねェ。
       ベクトル操作さえ無ければ、空間移動(テレポート)は絶対に防御不可能な攻撃。
       それでもわざわざ殴りかかってくるってコトは……
       能力(レベル)が低くて物体を『重ねる』演算が出来ねェのか、或いはそれすら考えられないくらいにイカレちまってンのか、だ)

 どちらにしろ、目の前のテレポーターは、今になってもバットを『飛ばそう』とはしない。
 これは、ただでさえ不利な一方通行にとっては、少なからずアドバンテージに成り得る事実だった。


 モノを飛ばして攻撃する事が不可能なら、攻撃方法は『空間移動からの不意打ち』に限られる。
 しかし、トンボ頭の身体能力は、成人男性と変わらない程度(元が女子中学生ということを考えれば十分脅威ではあるが)でしかない。
 さきほどのように、突然目の前に現れても、一方通行ならギリギリで反応出来る。

 そして、逆に『突然目の前から消えた』ならば、それはつまり『目の前ではないどこか』にいるということ。
 背後か、あるいは側面か。
 人間の視界は、約200°の範囲を覆っている。逆に言えば、死角は160°しか存在しない。

 そして、不意打ちを成立させる為には、当然金属バットのリーチ内に移動しなければならないのだ。
 その程度の距離なら、ペンライトの明かりでも、辛うじて存在が認識出来る。

 つまり、トンボ頭が『消えた』後、『現れる』場所は限定される。
 そこを広範囲射撃のショットガンでカバーすれば、大概は命中する、というわけだ。

背後から消えたトンボ頭は、一方通行から大きく距離を取って、部屋の入り口近く、『粘土塔』のような異形の傍に移動していた。
 全身に銃弾を浴び、夥しく流血しているが、活動停止には至っていない。

 一方通行は、隙を与えないよう、左手の拳銃をトンボ頭に向けるが――――

粘土塔「アア、アアアアア――――ッッ!!!!」

 粘土塔が雄叫びをあげたかと思うと、その針金細工のような腕で、天井に付いていた円柱形の蛍光灯をもぎ取った。
 それを、一方通行目掛け、投擲する。

粘土「ワだ シノ とモダ ぢ ニ デヴぉ ダ ズな ――― ッッッ!!!!!」

一方通行「!!」

 突然の攻撃に驚いたのか。
 それとも、異形の口から、『人間の言葉らしきモノ』が聞こえた事に、驚いたのか。

 一方通行の身体が、僅かに固まる。
 しかし、それも一瞬。
 拳銃の狙いを変え、飛来する蛍光灯を狙い撃つ。

 蛍光灯は空中でバラバラに砕け散った。
 が、その破片は、慣性の法則に従って一方通行へと襲いかかる。

一方通行「ぐ、ゥッ!」

 粉々のガラス片。大したダメージには成り得ない。
 しかし、一方通行は咄嗟に目を瞑ってしまう。
 それは、目の損傷を避ける為の生理的な防御反応だ。

 だから、一方通行は、背後へ移動したトンボ頭に、気付かなかった。

一方通行「ッッ、が、アッ!?」

 金属バットが、一方通行の左脇腹にめり込む。
 ばきり。肋骨が折れる音。
 成人男性程度の身体能力。しかし、成人男性が金属バットで思い切り殴れば、人間一人、簡単に死んでしまう。

 一方通行の身体は紙屑のように弾き飛ばされ、床を転がる。
 それでも、ショットガンと拳銃は手放さない。

一方通行「がはッ、ぐ、へァッ」

 血反吐を吐きながら、トンボ頭の方へ胸元のライトを向ける。
 しかし、そこにはもう誰もいない。

一方通行「ッ!」

 目の前にいないのなら、目の前ではないどこかにいる。
 攻撃する暇は無い。ショットガンを持ったまま右腕で頭上を守り、左腕で後頭部を抱える。

 直後、右腕に衝撃。
 上手くショットガンが盾代わりになってくれたが、それでも右腕には強い痺れが走った。
 直接打撃を受けたショットガンは、もう使えないだろう。

 さらに続けて、金属バットは振り下ろされる。
 がつん。がつん。がつん。がつん。がつん。
 何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。
 頭頂部を庇う右腕を、後頭部を庇う左腕を、その隙間の頭部を、殴りつける。

 一方通行は、何も出来ない。
 反撃した瞬間、しようとした瞬間、頭部に金属バットが叩きつけられるからだ。
 何も出来ないまま、両腕を痛めつけられ、頭を揺さぶられる。

 ずるずる。

 前方から粘土塔の異形が近付いてきている事も、一方通行には分からない。
 針金細工のような腕が、一方通行を握り潰そうと忍び寄っている事すら、一方通行には分からない。

絶望的な戦況。悲劇的な状況で。

 一方通行は――――


一方通行「ラストオォォォダァァァァァァァァッ!!!!」


 ――――少女の名前を、呼んだ。


打ち止め「――――うん、大丈夫だよ、ってミサカはミサカは目を擦りながら力強く頷いてみる」


 その言葉を聞いて、左腕を頭部から外し。

 スイッチを、切り替える。

トンボ頭「!??」

 後頭部へと振り下ろされた金属バットが、根元からへし折れた。
 バットだけではない。バットを握っていたトンボ頭の腕も、中ほどからポッキリと折れていた。

 トンボ頭は、何も言わず、後ずさった。
 一方通行に、数秒前とは完全に変わってしまった一方通行に、気圧されて。

 粘土塔も同様に、立ち止っていた。
 一方通行に、一方通行が浮かべた凶悪な笑みに、恐怖して。

 一方通行が静かに立ち上がる。
 杖代わりのショットガンと、左手の拳銃を、投げ捨てる。もう、必要ないのだから。

 両手を広げ、彼は言う。
 悪魔のような笑。天使のような姿。
 燃え上がるような瞳孔。凍てつくような言葉。


一方通行「――――悪ィなァ、もうオシマイだ。
       こっからゲームオーバーまで、自由落下の一方通行、ってなァ」


 学園都市最強の能力者、『一方通行(アクセラレータ)』は、その瞬間を以て、己が能力を顕現する。

室内に、暴風が吹き荒れた。

トンボ頭「!?」

 皮膚に触れる空気のベクトル操作。
 一方通行の能力である。

 自然風のある屋外とは違い、屋内の気流は比較的操作が簡単である。
 故に、例えば打ち止めの居る近辺だけを無風とする気流操作も、今の一方通行には可能だ。

 トンボ頭は、空間移動を使い、一方通行の頭上の空間へ移動する。
 そして、その無防備な頭部にドロップキックを仕掛けた。

トンボ頭「ギュアァァァァォゥッ!!!?」

 結果は言うまでもなく、トンボ頭の脚部がねじ折れただけ。
 全てのベクトルを反射する一方通行に、単純な攻撃が通じる筈もない。

 仮に、トンボ頭が空間移動によって物体を『重ねる』ことが出来たとしても、一方通行には通じない。
 空間移動の原理は、十一次元上の物体座標を移動させる事によって、三次元空間上を瞬間的に転移させる、ということだ。
 一方通行の能力には、『十一次元上のベクトル』すらも、含まれる。
 例え空間移動によって物体を飛ばされたところで、一方通行は、それすらも『反射』してしまう。

 一方通行は、トンボ頭の折れた脚をガッチリと掴んだ。

一方通行「おォら、鬼ごっこももう終いだ!」

トンボ頭「!!!」

 トンボ頭は、即座にテレポートで逃げようとする、が……間に合わない。
 尚も吹き荒れている暴風と、脚を掴まれた事によって、微妙に座標の演算が狂うのだ。
 『生前』の彼女なら、それでも能力を行使できただろう。或いは、今の状態でも、数秒もあれば演算は完了する。
 しかし、それでは、遅過ぎる。

 ミシミシ、と一方通行の指が、トンボ頭の脚にめり込んでいく。
 反作用力すらも反射する彼の指は、万力以上の圧力を生み出せる。

粘土塔「ワァァァだぁぁぁぁジィィィノォォォォォ!!!!!!!!」

 呻き声とともに、粘土塔の腕が伸びる。

一方通行「そんなに大切ってンなら、思う存分ハグでもしてやンだなァッ!!」

 その粘土塔目掛けて、一方通行は、トンボ頭の身体をボールの様に投げつけた。
 ベクトルを操作した上での全力投球。
 粘土塔の巨体が、威力に押し負け、大きくぐらつく。

粘土塔「ガッ、ふぁう!?」

 駄目押しの暴風。メキメキ音を立てて、粘土塔とトンボ頭の身体が軋む。

 一方通行は、大きく息を吐き、脚に力を込めた。
 そして。

一方通行「ォ、ォォオオオオオオオオオオオッッ!!」

 獲物を捕らえる獣のように、射出される弾丸のように、二体の異形目掛けて、飛び出した。
 音速に匹敵する踏み込み。そこから繰り出される、悪魔の拳。
 避ける術は無く、防ぐ術も無い。


 着弾と同時、研究所は、大きく揺れた。

一方通行「……」

 完全に動きを止めた異形達を見下ろしながら、一方通行は電極のスイッチを切り替えた。
 電極のバッテリーは限られている。
 一旦バッテリーが切れれば、一方通行は単純な思考能力でさえも奪われてしまう。
 念の為、充電器具は持っているものの、この調子では安心して充電出来る場所が見つかりそうに無い。

 ふと、うずくまって動かないトンボ頭の近くに、何かが落ちているのを見つけた。
 どうやら、倒れた際に制服のポケットから零れたモノのようだ。

 カエルを模した可愛らしいキャラクターのキーホルダーだった。
 人間だった頃の、彼女の私物だろうか。
 一方通行は、苦い物を飲み下すような顔で、それを見る。

 それから、部屋の隅にいる打ち止めに視線を移す。

一方通行「あン? コイツ、また寝てやがンのかァ?」

 打ち止めは、再び眠りに入っていた。
 一方通行が呼びかけたあの時には、きちんと返事もして、『ミサカネットワーク』の異常(?)を修復していたのに。
 今は、死んだように、眠っていた。

一方通行「……オイ、ちょっと、待て」

 一方通行は、誰もいない空間に、一人呟いた。
 打ち止めの顔を見て、気がついたから。


 打ち止めの額に、玉のような汗が浮かんでいる事に。

 打ち止めの表情が、苦しげに歪んでいる事に。


 その肩に巻かれた包帯には、大きな赤い染みが、今も尚、広がり続けていた。




        アーカイブ:『ハンドガン』

        アーカイブ:『芳川桔梗のメモ』

        アーカイブ:『ゲコ太キーホルダー』
最終更新:2010年11月07日 04:29
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