バルディア市を攻略したCSISメッセ将軍は、LE1作戦にのっとり、軍事都市アルピナを攻略する事とした。CSISは部隊を再編成し、4月10日には行動を開始した。メッセは議会派の強靭さを、身をもって経験していた。正面攻撃による戦線突破は困難であり、戦車の衝撃力に頼った攻撃は無謀そのものであった。したがってこれまでとっていた戦術を改め、歩兵師団による敵部隊の拘束、戦車旅団による
迂回攻撃に戦術を転換した。
メッセは第Ⅰ軍司令官と協議、協力を取り付けると、2個歩兵師団を議会派正面に宛て、第Ⅰ軍がこれを支援した。そしてバビーニ戦車旅団が南部に迂回機動した。バビーニ戦車旅団は南部の防衛が手薄な地域を突破する事に成功し、アルピナ市へ一気に北上する。戦車旅団は20日にはアルピナ市東を包囲する議会派第5軍一部部隊を蹴散らし突破口を開いた。レオネッサ軍はアルピナ市を確保し、第5軍を包囲殲滅したい構えであったが、王党派第4軍ドラン司令官は王党派総司令部から脱出の許可が降りている事をつげ、脱出を主張した。なんとレオネッサ軍はこのことを知らず、王党派がレオネッサとの協議無しに脱出を許可した事が後に大問題となる。
メッセは旅団長からその旨の報告を受けると、王党派軍の脱出を支援するよう命じた。そして第Ⅰ軍に議会派第5軍北側を包囲するよう要請したが、議会派第8軍が第5軍北側を支援しており、又悪い事にドゥーチェが「3ヶ月の間捕虜を取ってはならぬ」と命令を下したため議会派はさらに頑なに抵抗するようになったため、第Ⅰ軍は、包囲は無意味だとして拒否した。メッセはCSIS単独での包囲殲滅も検討したが実行不可能だったため、戦車旅団に王党派第4軍と共に後退するよう命じた。
ベルサリエリ部隊が殿を勤め、2日で王党派第4軍は一部の市民と共に突破口から東へ市を脱出。最後の脱出者を確認するとベルサリエリも脱出し、旅団と第4軍はバルディアを目指した。
一方議会派第5軍は戦線の維持を放棄し、バルディアを目指す第4軍―バビーニ旅団を尻目に後退を開始した。その際戦車隊がレオネッサ第Ⅰ軍の歩兵師団を急襲し、蹂躙してから後退した。レオネッサ軍は議会派第7軍が第5軍北に増強された事もあって、攻撃の予兆ありとして防備を固めて追撃しなかった。不幸な事に、レオネッサ軍の偵察機は王都ソフィアに展開する有力な議会派空軍により撃墜され、レオネッサ軍は正確な状況判断が出来なかった。
1929年5月2日、第4軍―バビーニ旅団はバルディアに到着する。第4軍はバルディア市に駐留し再編制すると共に、政治警察であった
第4軍憲兵隊思想部が解隊された。またレオネッサ王国軍CSISは解体され第Ⅰ軍に組み込まれる事となり、CSISを指揮したクラウディオ・メッセ将軍はその功績から中将から大将に昇進の上、レオネッサ、王党派から勲章を授与される事となった。
最終更新:2010年08月20日 22:13