池田名誉会長が語る 青春勝利の指針 御書と青年 002/003 「仕事と信心」
熊沢女子部長 第1回の「師弟誓願の祈り」には、全国の青年部員から多くの感動と感謝の声が寄せられました。皆、生まれ変わったように清新な息吹で題目をあげ、「地涌の菩薩」の誇りを胸に前進しています。
池田先生! 本当にありがとうございます。
池田名誉会長 うれしいね。アメリカをはじめ、海外の青年部からも、決意あふれる報告が届いています。
世界中で、青年が立ち上がっている。新しい広宣流布の勝利への回転が始まった。
その原動力が御書です。
日蓮大聖人は「行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ」(御書1361㌻)と仰せです。きょうも大いに学び合おう!
棚野男子部長 はい。よろしくお願い致します。
創価班、牙城会、白蓮グループなど役員へも、多大な激励をいただき、本当にありがとうございます。
名誉会長 皆、寒風に胸を張って頑張ってくれている。青年がこれほど真剣に行動している世界が、どこにあるか。最も清々しい連帯です。
皆が風邪をひかないように、事故がないように、そして一人ももれなく幸福になり、勝利者となっていくよう、妻と共に題目を送っています。
■農漁村部の友が活躍
熊沢 先生と奥様にすべてを見守っていただき、一日一日、金の歴史を刻んでいます。今回は、青年部の多くのメンバーが直面している「仕事」の問題について、お伺いできればと思います。
名誉会長 大事なテーマです。真摯に生きゆく青年ならば、必ず格闘する命題でしょう。御書には、仕事で勝利するための智慧が明快に示されています。
入会してまもない頃、「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」(同1295㌻)との御金言を初めて拝した時の感動は忘れられない。
「自分の仕事を法華経の修行と思っていきなさい」と、大聖人は仰せです。仕事もまた、自身の境涯を開く修行となるのです。何と心が広がり、そして何と勇気がわく励ましの御聖訓か。
棚野 境涯の広がりといえば、私たちは、先生の成し遂げてこられた「仕事」の大きさに、圧倒される思いです。
名誉会長 若き日から働いて働いて、働き通しだったからね。
小さい頃も、よく働いた。わが家は、父がリウマチを患い、4人の兄は次々と徴兵です。五男の私は、未明から起きて、家業の海苔作りを手伝いました。
それが終わると、新聞配達に走る。学校から帰ってくると、今度は夕刊の配達です。
「はたらく」とは「はた(周囲)を楽にすること」と言われるが、幼いながら、それを実感することもあった。
ようやくできあがった海苔を背負って問屋に持って行くのも、私の仕事でした。
「うちの海苔は、いい海苔ですよ」というと、問屋さんも「ああ、わかってるよ」と応えてくれた。だから、農漁村部の同志のご苦労も、誇りも、喜びも、私の胸に深く迫ります。
御書には「民のほねをくだける白米」(1390㌻)と仰せです。「命」そのものである「食」を育む仕事がいかに尊貴であるか。すべて、大聖人は御照覧なのです。
棚野 今、農漁村部の青年は、各地の体験主張大会などで大活躍しています。高齢化や後継者の問題などで悩む地域で、希望と光る存在です。
名誉会長 よく伺っています。尊き使命の青春です。
■油と汗にまみれて
名誉会長 戦時中、私は、蒲田の新潟鉄工所で油と汗にまみれて、ハンマーを振るい、旋盤を使って働きました。神経の張りつめる労作業の連続でした。
戦後は、西新橋の昭文堂印刷でお世話になり、働きながら夜学に通い学び続けました。
毎朝、家を出るのは6時半頃だったと記憶します。
営業に回って印刷物の注文を取るとともに、刷り上がりの校正まで責任を持つ仕事です。体当たりで取り組んだ。
家族的な温かい雰囲気の職場でした。ある先輩が「池田君、人生は『当たって砕けよ』だ。大切なのは勇気だよ」と励ましてくれたことも、懐かしい。
主人の黒部武男さんが本当に大事にしてくださった。微熱や血痰が続き、どうしても体調がすぐれないので、惜しまれながら退社しました。
その後、家の近くの蒲田工業会に事務員書記として勤務しました。小さな職場でしたが、郷土の町工場など中小企業の復興のために設立された大切な機関です。
やがて戸田先生とお会いし、先生の経営される出版社の日本正学館で働くことになりました。その折、工業会の職員の方々が全員で送別会を開いて送り出してくださった真心も、忘れられません。
どんな仕事でも、どこの職場でも、真剣勝負で働いて、信頼を勝ち得てきたことが、私の青春の誉れです。
「御みやづかい」の御文の後には、法華経の文を天台大師が釈した「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」との言葉が記されている(御書1295㌻)。
これは法華経を持った人の功徳を述べた一節です。社会の一切の営みや日常生活は、実相(妙法)と相反することはない。信心を根本とした行動は、地味なようであっても、すべて「妙法」の輝きを放っているのです。
世のためにと働くことは、何よりも尊い。職種とか、会社の大きさとか、地位とかは関係ありません。一日一日、妙法を唱え、真摯に行動をして社会に貢献している人は、皆、仏になりゆく生命の正道を進んでいるのです。
■社会発展の原動力に
棚野 先生が歩まれた道に私たちも続いてまいります。
「信心は一人前、仕事は三人前」という学会指導があります。私たちの立場でいえば、どう受け止めて実践していけばいいでしょうか。
名誉会長 一言でいえば、「努力」です。人の三倍の努力を心がけ、会社や社会の発展の原動力になっていくということです。信心は、その源泉なのです。
棚野 「信心しているからこそ努力が大事」ということですね。
名誉会長 その通りです。
祈りから出発して、祈りの通りに行動する。これが本当の「信心即生活」です。
それぞれの仕事に、それぞれの修行と鍛錬があります。
戸田先生も厳しかった。
社員が、仕事で外に出る。先生は知らんぷりをしながら、何時に出たかをちゃんと見ている。もし想定される時間を超えて社に戻ってくると、「遅いじゃないか。寄り道してきたのか」と叱られる(笑い)。
私も原稿を作家から受け取って、そのまま急いで戻ってくると、先生から、いきなり「原稿の感想を言いなさい」と言われて、冷や汗をかいたことがある(笑い)。
電車の中でも、目を通して頭に入れる。そうした機敏さを持て! スピーディーであれ! と、打ちこんでくださったのです。
熊沢 すべてが「訓練」だったのですね。
名誉会長 先生の「厳しさ」は即「正しさ」でした。
「仕事」が「人間」をつくる。青年にとって、職場は自らの「人間革命」の道場でもある。そう腹を決めれば強い。
御書を拝すると、大聖人は、若き南条時光に仕事の姿勢を教えてくださっています。たとえば、次のように仰せです。
「いささかも主にうしろめたなき心あるべからず」「かくれての信あれば・あらはれての徳あるなり」(御書1527㌻)と。
少しも「後ろめたい心」があってはならない。誰が見ていなくとも、公明正大に誠実を尽くせ! その青年が必ず勝利するとの仰せです。
どんな立場であれ、誠心誠意、仕事に取り組んだ青年が、「信用」という人間として最高の財産を築くことができるのです。
■どん底から立って一切を変毒為薬
棚野 今、経済不況の中、仕事の悩みも千差万別です。倒産やリストラと戦う友もいます。人員削減のため、一人で抱える仕事量が急激に増えたメンバーもいます。
夜勤が続いたり、なかなか休みがとれなかったりなど、状況はさまざまです。その中で、皆、「負けじ魂」で奮闘しています。
名誉会長 よく、わかっています。私も戸田先生の事業の破綻を経験しました。戦後の混乱期で、中小企業の倒産が続出した時代です。まだ20代前半の時でした。
会社が倒れるということが、どんなにつらいことか。私は身をもって味わいました。そのどん底から立ち上がって、莫大な負債を返済していったのです。
阿修羅の如く戦った。そして一切を変毒為薬して、戸田先生に第2代会長に就任していただく道を開いたのです。それは、「御義口伝」に仰せの如く「一念に億劫の辛労」(同790㌻)を尽くし、勇猛精進しゆく一日また一日であった。
棚野 多くの友が、先生の青春時代の苦闘を鑑として、逆境に挑んでいます。
名誉会長 今の時代、特に若い皆さんが向き合う社会の環境は、大変に厳しい。非正規雇用の増加など、20年、30年前とは状況が大きく変わってきています。
個人の努力とともに、社会のあり方を見直し、変えていかねばならない面もある。
自営業の人も毎日が正念場でしょう。諸天善神よ、護りに護れと祈っています。
御金言には、「鉄(くろがね)は炎(きたい)打てば剣(つるぎ)となる」(同958㌻)、また「金(こがね)は・やけば真金(しんきん)となる」(同1083㌻)とあります。
今、苦労したことが、全部、自分自身の「最高の宝」になる。苦に徹してこそ、宝剣の如く、真金の如く、わが生命を輝かせることができるのです。
電話の発明者として有名なアメリカのグラハム・ベル博士が、新聞記者から仕事の大変さについて尋ねられたことがあります。
博士は「かなり厳しい地道な仕事です。けれどもだからこそ」と微笑みながら、「私の楽しみでもあるのです」と結論したという。
どんな問題であれ、「これですべてがうまくいく」という、魔法のような解決策などない。
祈って苦労し抜いて、一つ一つ乗り越えていく以外にない。仕事も同じです。
そして最後は一切が大善に変わり、必ず打開できる。これが「絶対勝利の信心」です。
熊沢 はい。有名な「経王殿御返事」にも「わざはひも転じて幸(さいわい)となるべし、あひかまへて御信心を出(いだ)し此の御本尊に祈念せしめ給へ、何事か成就せざるべき」(同1124㌻)と仰せです。
名誉会長 大聖人の仰せは絶対に間違いありません。この大功力を、皆さんのお父さんやお母さん方など、多くの先輩たちは、勇気ある信心で実証してこられたのです。
■社会の激流で戦う門下に真心の激励
棚野 先ほど、お話しくださった「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」との御文は、弘安元年(1278年)の御手紙です。「熱原の法難」が本格化する頃でした。
名誉会長 その通りです。この御手紙は、大聖人が、伊豆流罪、佐渡流罪に続いて、3度目の流罪に遭われるかもしれないという動きがあった時に認められました。
大聖人は、もし3度目の流罪があるならば「百千万億倍のさいわいなり」(同1295㌻)と悠然と仰せになられています。
これが御本仏の師子王の大境涯であられる。そして、御自身は大難を覚悟なされたうえで、社会の激流にある一人一人の門下の身を深く案じておられたのです。
師匠は、あらゆる大難の矢面に立って戦っているではないか。“弟子であるならば、自らの使命の場所で勇敢に戦いなさい! 仕事でも断じて勝ちなさい!”との烈々たる御心が拝されてならない。
「臆病」「意気地なし」は、日蓮門下とはいえません。
熊沢 勇気をもって、「仏法即社会」の勝利の実証を示すこと。それが師匠への報恩となるのですね。
名誉会長 仏道修行の舞台は、「現実の社会」です。
大聖人は「まことの・みちは世間の事法にて候」(同1595㌻)、「智者とは世間の法より外に仏法を行《おこなわ》ず」(同1466㌻)と明言なされている。
自分の仕事や家庭、地域のなかで成長し、向上し、人間革命をしていく。「今」「ここで」最高の価値を創造していく。そのための信心です。
「いつか」「どこかにある」理想郷に行く──。それは妙法ではありません。爾前経、権経の浅い考え方です。観念論です。
大聖人の仏法は現実変革の「生きた宗教」です。ゆえに、仏の異名を「世雄」(社会の英雄)ともいうのです。
その通りの師子の道を、創価学会は貫いてきました。不況の中で雄々しく戦う社会部や専門部の方々の活躍は、尊い模範といってよい。
棚野 男子部でも、住宅建設関連の会社に勤める関東のあるリーダーは、19歳の時、アルバイトから出発しました。やがて正社員として採用。実績を評価されて異例の昇進を遂げ、社長賞も受賞しています。
仕事が多忙な中、学会で新たな役職を受けるたびに弘教も実らせてきました。
名誉会長 本当に偉い。うれしいね。日本でも世界でも、幾十万、幾百万の青年が頑張ってくれている。私にとってこれほどの喜びはない。
御書には、伝教大師の釈を引かれて「浅きは易く深きは難(かた)しとは釈迦の所判なり浅きを去って深きに就くは丈夫(じょうぶ)の心なり」(310㌻等)と記されています。
この「丈夫の心」を持つ人こそ、真のリーダーなのです。
熊沢 今、各地の友と語り合う中で、「仕事が忙しくて、なかなか思うように学会活動の時間がとれない」という悩みを多く聞きます。
名誉会長 多忙な中で、少しでも広宣流布のために行動しようと挑戦する。その心が尊い。
たとえ短時間でも、勇んで活動に取り組めば功徳は大きい。むしろ、困難な環境の中でこそ成長できるのです。
御書に「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず」(329㌻)と御約束の通りです。大事なのは、心が広宣流布へ向かっていることです。
「きょうは学会活動に行けないけれども、すべて信心の戦いと思って、仕事に全力を尽くそう」「休日は会合に参加できるよう頑張ろう」「皆の前進のために一分でも題目をあげよう」──そう思えれば、勝利です。
その強き一念があれば、諸天が動いて、必ずいい方向に進んでいく。
ともあれ、皆、さまざまな事情がある。リーダーは一人一人の状況をよく聞いて、全員が勇気と希望をもって前進できるよう、具体的な励ましを送ってほしい。
棚野 池田先生が男子部の第1部隊の部隊長として、下町を奔走された時の歴史をうかがっております。
仕事が忙しくて、会合に来られない部員さんのために、先生は自転車で路地裏を駆けめぐって足を運ばれました。一緒に銭湯に行って語り合われたり、残業の多い友のため、日曜日に先生のご自宅で懇談をされたり。
そうした体当たりの激励によって、無名の青年が一人また一人と、広布の第一級の闘士に育っていったのですね。
名誉会長 心は心に通じます。一言の励ましでも、それが一生の支えになる場合もある。だから、リーダーは「声を惜しまず」語ることです。
私は東京と大阪を往復する夜行列車でも、励ましの葉書を綴りました。今のように、携帯電話やメールなど、なかったんだよ(笑い)。
ともあれ、若い柔軟な頭を使って工夫すれば、友を励ますことはいくらでもできる。
熊沢 仕事と学会活動の両立については、先生の奥様も『香峯子抄』で、「『両立』へ努力することが、将来になってみますと、自分自身の境涯を広げ、福運を積み、生活力、生命力となって、人生を大きく開いていく礎になることは、確かだと思います」と語ってくださっています。
私たちにとって、大きな励ましであり、手本です。
名誉会長 私と対談集を発刊した「欧州統合の父」クーデンホーフ・カレルギー伯爵も、「現実に一歩前進することは空想で何千歩進むより以上の価値がある」と言われていた。今いる場所で、勇気をもって一歩を踏み出していくのです。そこから開ける。
■自身が妙法の当体
熊沢 仕事柄、寮生活などで、御本尊を御安置できないという悩みをもったメンバーもいます。
名誉会長 かつて戸田先生に、入会まもない女子部員が「『南無妙法蓮華経』の意味について教えてください」と質問をしたことがあった。
先生は、満面に笑みを浮かべて答えてくださった。
「いい質問だね。南無妙法蓮華経とは、つきつめれば、日蓮大聖人の御命と断じてさしつかえない。大聖人の御生命が南無妙法蓮華経ですから、弟子たるあなたの生命も同じく南無妙法蓮華経なのだよ。自信をもち、胸を張って、朗らかに生きなさい」
自分自身が妙法蓮華の当体です。ゆえに一人として絶対に不幸になど、なるわけがない。御本尊を御安置できるように真剣に祈ることは当然として、信心を貫き、同志と前進するかぎり、何一つ心配する必要はありません。
棚野 ところで仏法と世法の関係でいえば、「観心本尊抄」には、「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」(御書254㌻)と仰せです。
名誉会長 妙法を信じ、行ずることによって、仕事や生活など社会のあらゆる営みで思う存分、智慧を発揮して活躍していくことができる。これが仏法の力です。仏法は最高の人間学といえる。
目的観や倫理観がますます見失われている現代社会にあって、その深い闇を照らしゆく希望の太陽こそ、君たち創価の青年なのです。
棚野 池田先生が対話された、国際宗教社会学会のドブラーレ元会長も、創価学会の特質を、次のように評価しておられました。
それは、「宗教にとって最も本質である生の活力・躍動の力がある。勤行はその源泉といえる」「信仰が単に個人の次元にとどまらず、社会的責任、社会的自覚を養い、会員が社会の各分野で活躍している」
「自分たちの社会の発展だけを願うのではなく、『地球的規模』で共同体を築く運動を展開している」等の点です。
名誉会長 私たちの「仏法即社会」の前進が、文明史のうえからも、どれほど重要か。
戸田先生は、「社会に信念の人を」と言われていました。また「現実社会から遊離した宗教屋には、絶対になるな」「国家、世界に大いに貢献しゆく指導者と育ちゆけ」と期待された。
自分だけの幸福ではない。人々の幸福、社会の繁栄を願い、その実現に尽くすのが真の仏法者です。今の社会には、心が乾き、荒れ地のようにすさんでしまった人もいる。自分の居場所を失い、闇の中をさまよい苦しむ若者も少くない。
皆さんは同世代の人たちに励ましと希望を送りゆく一人一人であってほしい。苦悩する青年の「心の安全地帯」「精神のセーフティーネット(安全網)」と光る存在であってもらいたいのです。
「善の連帯」が社会に広がることで、時代を変革することができるからです。
熊沢 大企業の社長や役員の秘書として活躍し、その明るい人柄と誠実な姿勢で、「学会の女子部は本当に素晴らしい」と深い信頼を勝ち取っている友もいます。
教育、芸術、学術など、あらゆる分野で女子部が生き生きと活躍しています。
名誉会長 女子部の持つ使命が、どれほど大きいか。大聖人は「女子(おなご)は門をひらく」(御書1566㌻)と仰せになられました。
アメリカ・エマソン協会の前会長で女性詩人のワイダー博士は、地域や社会で「平和の門」を広げる女子部の活躍を、「皆様と一緒にいるだけで、私は幸福な気持ちになります。団結を強めゆく皆様方の麗しい人間の結びつきこそ『平和の文化』の土台です」と賞讃してくださいました。
妙法の乙女が真剣に立ち上がれば、周囲の環境を大きく変えていくことができる。そのためにも、日々の聡明にして爽やかな言動が大事です。
熊沢 「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(同1174㌻)と述べられている通りですね。
名誉会長 仕事にしても、まずは朝に勝つことです。朝、御本尊に真剣に祈り、満々たる生命力で職場に行くことだ。そして、清々しい声で「おはようございます!」とあいさつをする。
「声仏事を為す」(同708㌻)です。自身の「声」で、皆を元気にする。職場を明るくする。そういう気概を持つことです。
遅刻したり、だらしない姿で出勤するようでは、信頼を勝ち取ることはできない。朝に勝つことが、人生に勝つことです。
■信頼厚き存在に
名誉会長 今は乱世です。皆は、断じて負けてはいけない。自分が強く、賢くなることです。力をつけることです。
大聖人門下の池上兄弟は、鎌倉幕府の建設・土木事業を担う家柄の出身です。
ところがある時、周囲の讒言によって、鶴岡八幡宮の再建工事の担当から外されてしまった。いわば自分の仕事を失ったわけです。
がっくりと肩を落としたであろう兄弟に対し、大聖人はこのことは「天の計らいであろうか」(同1107㌻、趣意)と励まされています。
「あなた方のために、深い意味があるのです」との仰せと拝せましょう。
そして「造営の工事から外されたことをうらむような様子を見せてはならない」「(作業道具の)のこぎりや、かなづちを手に持ち腰につけ、常に、にこやかな姿をしていなさい」(同㌻、趣意)と御指導されています。
思うようにいかないことがあっても、へこたれてはならない。くさってはならない。卑屈になってもならない。
忍耐強く、根を張って時を創ればよいのです。信心とは、現実の大地に「幸福の根を張ること」です。
やがて必ず芽が出て、爛漫たる花が咲く、栄光と勝利の春が来ます。学生部など就職活動で苦闘する友もいるだろうが、頑張ってほしい。
棚野 皆で励まし合い、朗らかに前進していきます。
名誉会長 大聖人は、苦難と戦う四条金吾に対し、「主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心ねもよかりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ」(同1173㌻)と励まされました。
仕事の次元においても、仏法の次元においても、社会の次元においても、依怙依託と仰がれる大勝利者になる──これが信仰の真髄の力です。「人間革命」の光なのです。
(2010.2.17/18 聖教新聞)
最終更新:2010年03月24日 17:06