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*ゴミ箱の中の子供達 第22話

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22-1/6

 兄の腕の傷で頭が一杯になったモニカは手当をするために目に付いた喫茶店にゲオルグを引っ張った。手当てを
するだけならば公園でも良かろう、というのは兄の弁だが、生憎近場に公園の類は存在しないのだ。兄の腕を引いて
入った喫茶店で、腕を怪我した客の姿に驚いた様子のウェイトレスは場所を貸してくれというモニカの願いを快く了承
してくれた。通されたのは店で一番奥まった席。日の差す窓際からは遠く陰気な雰囲気が漂うが、その目立たなさが
今のモニカ達には嬉しかった。
 兄を席に座らせたモニカは医療品を買ってくると言って身を翻す。ちょうどそこを救急箱を抱えたウェイトレスと鉢合わせ
した。救急車も呼びましょうか、という申し出は流石に断ったが、ウェイトレスのありがたい心遣いにモニカ達は恐縮する
思いで頭を下げた。

「コーヒーもお願いできますか?」

 テーブルの側に未だ心配そうな面持ちで佇むウェイトレスの人払いと、場所を貸してくれた店に対する感謝をこめて、
モニカはコーヒーを頼む。モニカの突然の注文にウェイトレスは自分の職務を思い出したのかの様にはっとした顔を
見せてから厨房にとって返した。
 去っていくウェイトレスの背中を見届けてから、モニカはゲオルグに向き直る。ハンカチで傷口を押さえている兄は
心なしか疲れた面持ちで背もたれをぎしと鳴らしていた。

「お兄ちゃん大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ」

 救急箱をかき回しながらのモニカの問いかけに帰ってくる兄の声色は平坦だ。そのあまりの平静さに他人事のような
空しさを感じたモニカは、それを振り払うように救急箱に詰まった包帯に集中した。
 ガーゼや包帯を机に並べるとゲオルグは左腕を押さえつけていた右手を袖口のボタンに伸ばした。それまで包帯の
代用として傷口を圧迫していたハンカチが剥がれてテーブルに落ちる。真っ赤になった袖口のボタンを外した兄は袖を
めくって傷口を露にした。

「病院で縫ってもらわんとな」

 腕に走る傷を見て兄はさも面倒そうにぼやく。対するモニカは息を漏らすしかできなかった。手首の小指側の小さく
突き出た骨の下から肘近辺まで一直線に裂かれている。ぱっくりと開いた傷は血で満たされ、それでも足りずに溢れ
出して腕を赤く染めている。
 兄の腕に広がる鮮烈な赤が、モニカには破局の象徴のように思えた。誰も傷つかず仲良く暮らす平和の終焉。互いに
血を流しながら相手の肉を削ぎ落とし続ける荒んだ世界の権限。奪い奪われ繰り返す蹂躙の輪廻。怨嗟と慟哭に満ちた
現実がこの傷に集約されている気がした。
 もっと他に方法があったのでは。だれもが傷つかずに済んだ方法が……。ガーゼの封を破りながらモニカの意識は
悔恨に沈む。もし、あの男達に話しかけられたときもっと決然とした態度をとっていたならば――。もし、あの男達の輪を
自分で突き破って逃げていたならば――。過ぎてしまった過去にたらればを並べ始めてモニカは手を止める。出したばかりの
ガーゼを握り締めて失った"もし"を悔やむモニカはふと今を形作る選択の内で引っかかるものを見つけて視線を上げた。
それは兄の選択。なぜ兄は闘うことを選択したのか。なぜならば兄は――。

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22-2/6

「お兄ちゃん、銃、持ってるよね。何でそれ使わなかったの?」

 ――兄は銃を持っている。腰に存在するチョッキの小さな膨らみ。屈んだとき等に姿を見せる赤茶色のケースのようなもの。
それが銃のホルスターであることは間違いない。そこから銃を抜いて振りかざせば、引き金に力を込めるだけで容易に人を
殺せる冷酷な機械の力を振りかざせば、あの不良たちも何もせずに引き下がったのではないか。傷を負ってまで闘う必要は
なかったのだ。実際のところ、あの男達の撃退に成功している以上、闘いを選んだことは間違いではなかった。だが、それでも
闘わずに済む選択肢があるならなぜそれを選ばなかったのか。それがモニカには腑に落ちなかった。
 モニカの問いかけにゲオルグは腰に隠した物を気遣うように一瞬だけ視線をそらせてから答えた。

「銃は強すぎる」

 だからいいんじゃない――と言おうとした所で兄は続ける。

「銃は使えば人は簡単に死ぬ。だから、銃を抜くときはそれに値する場合じゃないといかん。銃は自分の命を賭けた最後の
 手段なんだ」

 人を殺す力を持つ武器、銃。だからこそ、使う場は慎重にならなければならない。命を奪うに値する場でなくてはならない。
力を持つ者故に、兄の言葉が重かった。
 兄の言葉に目を伏せて自分の浅はかさを反省していたモニカは、ふと思うことがあり目を上げた。

「あたしは、そんなに価値がないのかな」

 自分がとんでもないことを言っていることに気がついたモニカは恥ずかしくなって顔を伏せる。落とした視線の枠の外で
はっとするように兄の息が詰まった。

「それは違う。あの時は銃を抜かなくとも勝てると思ったからであって、別にお前に命を賭ける価値がないとか、そういう
 意味じゃない」

 分かっていた。言われなくてもそのことは分かっていた。ただ怖かった。兄の大切な人になりたい。だが、実際はただの
他人であることを知るのが怖かった。長らく同じ孤児院の屋根の下で暮らして、体面は兄妹ということになっている。だが、
自分達には本物の兄妹と違い血縁の繋がりはない。どこまでいこうと結局は他人なのだ。だからこそ恋人にもなれる、
と言い聞かせてひたすら逃げ続けていた現実が怖くてならなかった。
 我侭だ。兄の誠意ある言葉の裏でモニカは自嘲する。繋がりを確認する術を自分は我侭で振り回すしか知らない。
無知な自分が憎らしかった。

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22-3/6

「モニカ、俺の目を見ろ」

 目を伏せて自己嫌悪の海に沈むモニカをゲオルグが呼んだ。目を見ろ、という兄の言葉にモニカは恐る恐る目を上げる。
途端目に入るこちらを見つめる真剣な眼差し。ひたすら蔑んでいた自分には、その眼は眩し過ぎる。この突き刺すような
心の痛みは自分への罰だ。そう言い聞かせて、モニカは兄と視線を合わせた。

「神に誓おう。あの男達が銃を振り回していたら、俺も銃を抜いていたし――」

 モニカの両眼をじっと見据えてゲオルグは宣誓する。その真剣さがモニカの心を貫いた。
 お兄ちゃんはやっぱり誠実だ。自分勝手に振り回すあたしの我侭を、お兄ちゃんはいつも真剣に受け止める。面倒臭そうな
素振りを見せた事はあっても、お座なりにしたことは一度もなかった。
 有難かった。そして嬉しかった。いつだって真面目に応えてくれるお兄ちゃんの真っ直ぐな気持ちが、嬉しかった。どんなに
我侭で振り回しても、逃げたりせずに正面から受け止めてくれるその誠意が、嬉しかった。強そうなところ。悠然としたところ。
包容力のありそうなところ。どれも好きだったけども、この真面目さが一番好き。
 兄の誠心を実感したモニカの心から、覆っていた自嘲が剥がれ落ちる。剥き出しになった心からはとめどなく喜びが溢れてきた。
もう兄の言葉を聞く余力はなかった。兄の真心に感動する心が、視界を滲ませる。

「――撃っていた」

 兄が言葉を終えると同時に、モニカは顔を伏せる。随喜の涙が堪え切れなくて、思わず手で顔を覆う。でもこんなことをしてると、
お兄ちゃんはすごく困るだろうな。お兄ちゃんはどうしようもなく鈍感だから。手で顔を隠し、肩を振るわせる理由が嬉しいから
なんて分からないだろうから。だから笑おう。笑って、この嬉しさを伝えよう。それが、散々振り回したお兄ちゃんへのお礼なんだから。
 意を決して、モニカは顔を上げる。滲んだ視界の向こうで兄は想像通り狽たえていた。期待を裏切らない兄への可笑しさも込めて、
モニカは笑顔を作る。目じりの涙が零れ落ちそうだったから、軽く指で拭った。

「ありがとう、お兄ちゃん」

 精一杯の感謝の言葉。短いけど思いを詰めるだけ詰め込んだ言葉。笑顔と一緒に言ったんだから、鈍感なお兄ちゃんにも届くはずだ。
 妹の笑顔にゲオルグは安堵したように息をついて、それから微笑んだ。そういえば兄の笑顔は初めてだった気がする。それがまた
嬉しくて、頬が更に緩んだ。

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22-4/6

 そのまま兄と笑い合っていると、出し抜けに横合いから声をかけられた。

「大丈夫、ですか?」

 不意を付いた声に顔を向けると、コーヒーカップを2つ盆に乗せたウェイトレスが心配そうに立っていた。露になったゲオルグの
傷を直視したのか、その顔色はいくらか白い。やっぱり救急車を呼びましょうか、という暖かい申し出をモニカは兄共々丁重に
断って、ウェイトレスを追い払いにかかる。処置を終えたらすぐに出て行くと押し切ると、ウェイトレスは胡乱気な眼差しを残して
ようやく退いていった。

「さっさと終わらせんとな」

 ため息混じりに呟いた兄は、渋い顔をしてコーヒーを啜る。己の仕事を思い出したモニカは気を新たに兄の傷に向かった。
 とりあえず傷を綺麗にしないと。モニカは手にしたガーゼをそっと傷の側に押し当てた。そのまま軽く力を込めて、傷の周りの
余分な血液を拭い取る。乾きかかり、黒く変色し始めた血の皮膜がガーゼに絡め取られ、肌色が露出する。
 兄の肌を見るのはこれが初めてな気がする。常にYシャツと長ズボンを着込み、ボタンは首元まで几帳面に留めている兄は、
顔と手しか肌を露出していない。ぼんやりと抱いた実感はたちまち好奇の念へと変換される。その思いに突き動かされ、ガーゼで
血を拭いながら、兄の肌をしげしげと眺めていたモニカは、ふと兄の肌の得意な点に気づいた。周りとは異なる皮膚が傷に
平行する様に線状に走っている。これは傷跡だ。経緯は分からないが、腕を切られる事を兄は既に経験済みだったみたいだ。
兄がこの傷を痛いと一言も言わず落ち着いていられるのも、ただの我慢強さだけでなく、それが二度めである事だからか。
モニカが兄の泰然とした態度に納得しかけたところで、血糊の下から新たな傷跡が傷に交差するように現れた。もう一つ? 
驚くモニカに続けてまた新たな傷跡が姿を見せる。今度は鋭角な角度をつけて傷跡を貫いている。ガーゼを進めると更に一つ、
また平行に傷跡が伸びている。兄が肌を見せたがらない理由はもしや……。脳裏を過ぎる予感にモニカは戦慄する。血を
拭う行為を、衣服を脱がしても尚頑なに素肌を隠す赤い衣を剥がす行為を背が凍る思いで続けていると、兄の腕を走る傷跡が
出し抜けに途切れた。だが、代わりとばかりに赤みを帯びた皮膚が楕円状に広がっていた。指先に感じる僅かな凹みから、
モニカは瞬時にこれが抉られた後だと理解する。愕然がモニカの思考のヒューズを飛ばした。連続性を失った思考に対し、
モニカの腕は素直に動いた。これまで手にしていた朱に染まったガーゼを投げ捨てると、新しいガーゼの封を切り、兄の
傷に押し当てる。汚れない白が兄の腕に被さるや否やモニカは包帯を取り出すと乱暴に巻いていった。見たくなかった。
こんな創痍だらけの兄の肌を見たくなかった。堂々と屹立する兄の幻想を打ち破る辛酸の痕をこれ以上見たくなかった。

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22-5/6

 肘まで上った包帯の端を裂いて結んで、応急処置は終了する。モニカが結び目から手を離すと、ゲオルグは具合を
確かめるように右手で包帯をさすった。まちまちな間隔どころか、所々で布が余り、ひだまでできている包帯の線。
わざわざ触って確かめなくとも、その乱雑さは分かるはずだ。だがゲオルグはその粗雑な巻き方をされた包帯を、
顔をしかめるでもなければ、戸惑うこともなく、感情のこもらない冷め切った眼差しで確かめている。
 行くか。溜め息にも似た吐息とともにそう言って、ゲオルグはテーブルに右腕を立てた。椅子が床を引っかき、新たな
荷重を受けてテーブルの足が音を立てる。それまで目を伏せて兄の過去の辛苦を考えていたモニカは、ゲオルグの
立ち上がろうとする動作に終局を感じ思わず声を上げた。

「待って」

 モニカの言葉にゲオルグは伝票へ無造作に伸ばしていた左腕の手を止めた。思い通り、近づいていた結末が足を止める。
だが、それでどうするのかをモニカは考えていなかった。出し抜けに生まれた沈黙に、ゲオルグの目が怪訝なものに変わる。
己をじっと見つめるゲオルグの視線に急かされたモニカは、考えることもなく言葉を吐いた。

「こういうことって良くあることなの?」

 言ってしまえば馬鹿馬鹿しい言葉。あの幾重にも重ねられた傷跡を見て出た言葉がこれとは。自分の声を聞いて自分が
何を言ったのか理解したモニカは恥ずかしくなって顔を伏せた。
 こんな馬鹿な問いかけにも、お兄ちゃんは真面目に考えるはずだ。テーブルを見つめながらモニカは万事不器用な兄の事を
想う。真摯な兄の言葉。思いがこもった大好きな兄の言葉。だからこそお兄ちゃんは今考えて――下ろした視界の外からの返答は、
間を空けずに返ってきた。

「そうでもないさ」

 起伏のない、平滑な声。思いの一欠けらも見当たらない無機質な言葉。驚きで顔を上げると、普段通りの無表情が向いていた。
正対し、交差するはずの視線は交わらない。モニカに向けていたゲオルグの瞳は、そのまま遠くへと焦点を外されていた。
 あしらわれた。普段の誠実さとはかけ離れた軽薄な返事。思いを投げ捨てる余りにもぞんざいな兄の返答から、その真意を
理解したモニカはただ当惑するしかなかった。それは拒絶。

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22-6/6

「お兄ちゃんから拒絶された」

 抱きしめたクッションに顔を埋めて、モニカは声を漏らした。
 事の顛末を聞き、マリアンはようやく合点が付いた。腕に走る無数の傷跡の酸鼻さに寄せたモニカの心を、兄はにべもなく
跳ね除けた。その時兄が見せたどうしようもない壁に打ちのめされ、モニカはこうしてクッションを抱きしめて塞ぎこんでしまった
ようだ。

「まー、拒絶したって言っても腕の傷跡のことで、別にゲオルグ兄ちゃんがあんたのことを嫌いになったわけじゃないんだしさ。
 そー思いつめなくてもいいんじゃない」

 人は誰でも触れられたくない物の1つや2つはあるものだ。たまたま兄は腕の傷跡がそれだっただけの事で、話を聞くに穿り返して
決定的な反発を生んだ訳でもなし、思いつめる必要はあるまい。明らかに落ち込みが過剰なモニカへかけるマリアンの慰めの言葉。
対するモニカは、そうなんだけど、と呟いて、その後を濁す。煮え切らない態度だが、そんなものだろう。後は時間の問題だ。モニカへの
見切りをつけてマリアンは息をついた。

「でも、なんで傷跡に触れられるのが嫌なんだろーねー」

 一区切り付いたところで沸き起こる疑問にマリアンは思わず呟く。場所が顔ではないのだから、コンプレックスに思っている訳ではあるまい。
後ろ暗い兄の生業のこともあるし、あの傷は神様に言えない様なことでもして出来た傷なんだろうか。兄に対して生まれた疑問。その答えは
背後から返ってきた。

「それ、聞いた」

 あの状態で、聞いた? 驚きで振り返ったマリアンにモニカは付け加える。

「イレアナお姉ちゃんから。孤児院に帰ってきてから。そしたらね……」

 クッションを抱く腕に力を込めているように見えるモニカを見て、また長い話になる、そんな予感を感じながらもマリアンはその言葉に耳を向けた。


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