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白狐と青年 第43話「信仰に至る信頼」 - (2011/12/02 (金) 22:41:00) のソース

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*「信仰に至る信頼」



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 クズハが見たがっていた資料をそろえて持って行った彰彦は、扉付近で腕組みをして、クズハが新聞や号外を見ている姿を眺めていた。
 やがて全ての資料に目を通し終えたクズハは、その間じっとして動かなかった彰彦を見上げて口を開いた。
 発される声はそっけなさを装ったもので、
「えっと……何か?」
「おう、ちょっと聞きたい事があってさ」
 言葉を返しながら、彰彦は扉から離れてクズハに近付いていき、問いかける。
「クズハちゃんはなんで匠を恐がってるんだ?」
「恐が……る?」
 分からないというふうに首を傾げるクズハ。彰彦はクズハの状態を見ながら首を捻り、
「いや、違うか……畏れている、うん、そうだ。畏れている。まさにそんな感じだな」
「おそれ?」
「そ、神様仏様に対する畏まるの畏れな。今のクズハちゃんさ、匠の事を話に出すと、まるで天罰か何かを恐がるみたいな顔するんだぜ? 気付いてたか?」
 クズハは、はっとした顔をして、自分の顔に手をやる。自分の表情を確かめるかのように顔に手を這わせて、訊ねる目を彰彦に向ける。
「……そうですか?」
「ああ、俺としては、何でそうなっちまってるのか気になるな」
「そうですか……」
 小さく呟いて、クズハは独白するように続けた。
「だって、いっぱいご迷惑をおかけしました」
 会話が続いた事でとっかかりを得た彰彦は、クズハから更に言葉を引き出すためにオウム返しに問う。
「迷惑?」
 はい、とクズハは頷いた。
「以前の和泉の事、匠さんにとてもご迷惑をおかけしました。審問などという場にも出してしまいましたし、それに研究区に来てからも、武装隊の皆さんに以前の過ちを迫られて――そして、今回です」
 クズハは、読み終え、畳み置かれた新聞の山を示した。
「収監されていた異形が逃亡、それを捕らえるために行政区は武装隊を派遣……。私を捕まえる為に彼等はここに来てるのですよね?」
「そうだな。だけどこりゃ武装隊の奴らの見当違いだ。別にクズハが気にするような事じゃないと思うぞ?」
「そういうわけにもいきません。研究区を頼って来た方々に重圧がかかっています。それに」
 眉を寄せて、クズハは呟いた。
「今回のこの事態は、匠さんや平賀さん、お二人の立場も危うくしています」
 確かに、と彰彦は思う。二人、特に平賀は行政区や大阪圏と敵対している状態になっているため、大阪圏内における発言力も低下しているだろう。日本における人類の生存に大きく寄与した人物の一人である彼が声をかけて回っているのに、行政区との交渉体勢を整えるまでにこんなにも時間がかかっていることからもそれは分かる。
 しかし、
「クズハちゃんを匿うのは異形みんなに対して掲げられた研究区の総意だぜ? だからこそ、ここを頼って来る奴らもある程度の保障っていう恩恵を受けていられるんだし、それはクズハちゃんも受ける事ができるもんだ。気にするもんでもないだろ」
 当然、いくら異形を匿う事が研究区の総意とは言っても、犯罪の参考人としてクズハを捜している武装隊に対してクズハの存在を隠している、というのは厳しいものもある。
 ……ま、それはまた別の問題だな。
 クズハが罪を犯していないと把握しているこちらは黙ってクズハを匿っていればいい。そう思いながら彰彦は言葉を続ける。
「それに、そのクズハちゃんの説明だと、匠に対する畏れみたいな態度の説明にはなってねえよ。俺はそっちを聞きたいんだがな」
 先のクズハの発言だけでは平賀や研究区の皆に対する申し訳なさは分かっても、匠に対してクズハが見せる畏れの説明にはなっていない。
 ……クズハちゃんのあの態度、というかあの目か……ああいうのどっかで見たんだよな……。
 彰彦が眺める眼前、クズハが俯きがちに告げる。
「あの態度は、申し訳ないと思っています。でも、あの……少しだけ時間をください」
「時間を?」
「はい」
 クズハはゆっくりと頷いて、
「そうすれば、私の中の覚悟が決まりますから……」
 ……覚悟……?
「一体何の覚悟だ?」
 問いに対して、クズハは体を抱いて小さく頷いた。
「……ここから去る覚悟です。匠さんに出て行くように言われても耐えられる心構えです」
「おい、クズハちゃん……?」
 クズハの発言の意味を図りかねた彰彦は、僅かに強い語調でクズハの名を呼ぶ。クズハは頷き、
「もう私には皆さんに取り返しのつかない程の迷惑をかけています」
「だがそれはクズハちゃんのせいじゃ――」
「同じ事です」
 彰彦の言を途中で断ち切ってクズハは続ける。
「私は……もう匠さんから武装隊という、元の居場所を奪ってしまっているんです。これからは匠さんの役に立って生きていこうと、そう決めていたのに……私にはそれすらできなかった!」
 両手で顔を覆って、クズハは自責に歪んだ言葉を吐く。
「匠さんはとても優しいから、私に出て行けとは言わないかもしれません。でも私は、私がここに居る事の危うさを知ってしまいましたから……もう、居なくなるべきなんです。
 それが私のできるたったひとつの匠さんの役に立つ事で、それが出来るのなら、私は喜んで匠さんの前から姿を消します」
 そう言って口を閉じたクズハを前に、彰彦はこれはクズハが抱えているコンプレックスの表出だろうと得心する。
 ……随分と思いつめちゃってまぁ……。
 実家に帰るのを渋っていた自分などよりもよほど重症だと彰彦は内心で苦笑して、
「無理矢理に覚悟を決めるのは構わねえけどさ――」
 大事なのはそんな事では無いと思い、告げる。
「実際のところ、本心としてはクズハちゃんはどうしたいんだ?」
 クズハは動きを止めた。しばらく悩むように俯いて、
「匠さんの御心のままに。そして、匠さんのためになるのなら、やっぱり私は匠さんの前から消える事は私の望むところです」
「匠はクズハちゃんを捨てるなんてこてゃ絶対ねえと思うぜ?」
「優しい方ですから、だから本心を私には見せずに私のせいで被る迷惑を背負ってしまうんです。そんな事は嫌だから、だから、私は自分で匠さんの前から消えるんです」
「結局はそこに行きつくのか」
 彰彦は難儀な思考をしていると思い、いや、と内心で否定を入れる。
 ……そうでもないか。本心から尽くそうとしてるだけだな。自分の全部で。
 文字通り、自らの全てをかけての献身だ。彰彦はクズハの考えの在り方をできるだけ忖度しようとしながら問いかける。
「じゃあ、話を進めてみるか。――クズハちゃん、クズハちゃんは俺たちの前から消えて、それからどうするんだ?」
「どうする……ですか……?」
 きょとんとした顔でクズハは固まった。しばらく考えに沈んだ後、顔を上げ、
「……どうしたらいいでしょうか?」
 そう言って途方に暮れた顔になる。
「行く場所もないんです。今あるものだって匠さんにもらったものばかりで……この居場所だって、この命だって……だから、だから役に立たなくちゃいけなかったのに、それだけが私が匠さんに返してあげられる唯一のものだったのに……っ」
 細く震えるクズハの声を聞きながら、彰彦は納得を心に得る。
 ……まるで匠を聖人か何かみたいに言うもんだ。
 おそらくそれが、クズハの献身が極まった形なのだろう。危うく揺れ動く彼女の目は、ある種の光を湛えている。その光とよく似たものを彰彦は記憶の中から思い出していた。
 第二次掃討作戦中、激しい戦闘の中では己の力だけを信じ、協調性に欠ける者がかなりの数存在した。自分だけはどのような強さの異形を相手にしても負ける事など無い、だから他の者に構う必要も無い。そのように思わなければ、人など瞬時に殺害しうる化け物相手に立ち向かう精神を維持し続ける事など出来なかったのだ。
 一方で、自分を信じ切る事ができない者は、その対象を外部に向けた。その結果として己の扱う武器を信じる者や、敵対する異形を愛しい怨敵として崇めるような者などもいた。全てはいつ凄惨な終わりを迎えるのか分からない戦場で、精神の均衡を保っていくための無意識の上での自衛処置だ。
 そのような者達の目の色と、今のクズハの目の色はとても似ていた。
 今のクズハの状態、それはまるで――
「信仰だな」
「信仰、ですか?」
 匠に対する絶大な信頼、そして、自らの存在意義すら匠に委ねて依って立っている状態は、妄信や狂信に近いものがあるのかもしれない。
 ……匠の為になる、が存在意義で、んでもって同時に教義でもあるってとこか……。
 彰彦の言葉を吟味するようにクズハは沈黙し、やがて頷いた。
「信仰、なのかもしれません。私は匠さんに全てを肯定してもらって生きてきましたから、匠さんの言う事ならすべて従ってもいいと思っていますし、私が役に立てないのなら……信仰する資格すらないのなら、もうこのまま消えてしまえばいいとも考えています」
「敬虔なこった」
 よっぽど恩を感じているという事なのだろう。その上にここ最近の事件のせいで、異形として抱いていたコンプレックスが悪い方向に向かって行ったのだろう。
 武装隊へ自らの身柄を引き渡したのも彼女のこの考え故だろう。そしてベッドに畳み置かれた新聞を読んで、その行動すら裏目にでてしまったと知って、クズハはここまでの思い詰めたのだ。
 ……ったく、なんでここまでクズハちゃんが追い詰められなきゃなんねえかな。
 事件の裏に居る者達に対する憤りを感じながら、彰彦は説得の言葉を口にする。
「なんだクズハちゃん。つまるとこ、あんたは匠と一緒に居たくねえのか?」
 挑発するような言葉に対して、即答が来た。
「そんなわけないじゃないですかっ!」
 叫びに似た声量で言い放ち、クズハは彰彦に目を向けた。涙が浮かんだ目で重ねられる言葉は、
「だって私は匠さんの事が好きで……っ、大好きなんですから!」
 クズハの本心の発露に応じる形で、彰彦の背後から声がした。
「――――え?」
 呆然、という言葉をそのまま体言したかのような呆けた声だ。反射的に背後、扉の方へと振り返った彰彦は、そこに声の主を見る。
 匠だった。


            ●


 振り返った彰彦の視界の中、部屋に入って来たのはキッコ、明日名、匠の三人だった。
 扉を開いたらしきキッコが、おお、の形に口を開いて動きを止め、その後ろで明日名が気まずそうに視線を逸らし、匠がそれなりの付き合いがある彰彦から見ても初めて見るような、何とも滑稽な顔をしていた。
「――ぇ……? な……?」
 背後、クズハの居る方からはかわいそうになる程動揺したクズハの、意味を為さない言葉が聞こえている。
 ……顔を見てやらないのが情けってもんだよなぁ……。
 そう思いながら、彰彦は匠達の方を向いたまま、どうしたものかと天を仰いだ。
 それがいけなかった。
「彰彦!」
 キッコの呼号。そして同時に生じる背後での≪魔素≫の動き。
 意味を考えるよりも早く、彰彦は背後、クズハの方へと振り返ったが、その時には既に窓が破壊されていた。
 そして、
「……すみません」
「――待」
 小さな一言を残して、クズハの姿は部屋の中から外へと消え失せた。


            ●


 彰彦は割られた窓と、クズハの居なくなったベッドに目をやって、吐息を漏らした。
 ……目が覚めたばっかでここまで動くとは……。
 窓から地面を見下ろすが、二階相当に当たる高さからの飛び下りでクズハが転んだ様子は無く、彼女の姿は既に見当たらない。大したもんだと思いつつ、彰彦は扉付近の三人にまず非難の目を向けてやった。
「……あのタイミングで部屋に来るとか、いろいろと空気読めてなさすぎじゃね?」
 妙に力の抜けた、我ながら情けない語調での文句になったが、未だに固まっている匠よりは遥かにマシだろう。そう思っているうちにキッコが室内に踏み込んできた。
 彼女は数度頷きを作りながら、
「いや、うむ……。我としても、まさかこのような瞬間に出くわすことになろうとは思わなんだでな」
「驚いたね」
 そう言って、明日名は匠を気の毒そうな顔で見る。
 一方匠はクズハが飛び出して行った窓を眺めながら、不可解そうな顔で零した。
「クズハは……俺を嫌ったから拒絶してたんじゃない……のか?」
 発言を聞く限り、先のクズハの言葉を上手く処理出来ていないようだ。
 ……めんどくさい奴め。
 匠は匠で少し考えをまとめる必要がありそうだが、今この研究区内に飛び出して行ってしまったクズハの事も心配だ。
 目配せを交わし合い、彰彦とキッコと明日名はそれぞれ今後の動きを決めた。
「クズハを匿っていた事に対する武装隊の方への言い訳も考えねばなるまい。我らは先に平賀にこの事を伝えてこようかの」
「その後、俺とキッコは飛び出して行ったクズハを追うよ」
「じゃあ俺は――」
「待て、匠」
 明日名達に続こうとした匠を彰彦は止めた。
「だが彰彦」
「いいから」
 キッコと明日名が部屋を出て行く。
 二人になった室内で、匠が彰彦に言う。
「彰彦、クズハが今の研究区内に出て行くのは危険だ。急いで追わないと」
「今のお前が行ってもクズハちゃんはまた逃げちまうよ」
 言って、彰彦は匠に指を突きつけた。
「お前にはいろいろと問い質さなきゃならねえ事がある。あの子の為にもお前の為にも、だ」
 だから、
「答えてもらうぞ?」



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