倫理観の欠如した宗教かぶれの人間が起こす悪例

いじめ一般+サークルクラッシャー(女)
この組み合わせが一番すごいと思う。もちろんいじめている人間は、されている人間に対して満足感を植え付けているからいじめが継続されるのだが、はたから見ていると嫌な気分である。
 これはよくあるいじめのパターンと同様だけれども、ある方法論を教える団体で優秀とされる評価をトップの人間から与えられてチヤホヤされていて、サークルクラッシャー(女)の行動が正当化されていて、なおかつその行動をトップが利用している場合、その構造に加担せずに、その組織から情報を抜き出すのは至難の業になる。
 それ故に、黙っていてもその状況が継続する。
 ある方法論を学ぶときに、誰しも抵抗があるだろう。簡単にその抵抗を破る方法として、相手をすべて信じてしまうという方法と、自分なりのやり方でやってみるという2つの方法がある。校舎をさらに分割すると、中途半端に妥協する方法と、自分の気に入らないところは一切受け入れないでやってみる方法がある。
 私は、新体道をやっているときにいくら調子が良くて物事が解決して悩みがなくなっていくのが楽しくても、「復讐することを絶対に忘れてはならない」ということを守っていた。大抵そんな上辺だけの解決がなされるときには、この感情がなくなっていっているのを感じた。
 この感情が消失した人間は、相手のイない所で相手の触れてほしくない欠点を言ってなおかつそれが悪いことだとも思わないのである。
この手の人間を教育する一番最初の段階として、復讐される恐怖を味あわせしつける必要がある。復讐という感情は、立場を時空を超えて引ずる原動力である。したがって、何もかも忘れてはならず、恨みを第一として学習するべきなのである。
 学習することが度とするならば、恨みがなければ経験も何もかも生まれない。人間が旅する必要がなく、旅する空間に名前をつけただけで実態がないのだ。そこに恨みがあることで、いろいろな要素が引きづられて活動が生まれる。

 悟りを目指す団体においては、恨みを忘れることが推奨されやすく、そういった人間に対しての危機感も生まれにくい。いかにここに逆らうかで、人間でいられるかが決定するのだ。

最終更新:2013年06月04日 22:16
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