言葉の専有問題

タグをドメインネームのように 管理する。
占有して管理していると、運用がまずいと攻撃される可能性が高まる。
インターネットの政治問題がもっと重要な地位を占めるようになる。言葉の不法
占有 不法占拠問題をどのように解決するかまだわからない。ということが、タグの階層化をすることによって起こるだろう。

タグを重要な検索の要素としていると、中間言語化する。

意味を分けるために、タグの後に
「悪意(法律用語)」「悪意(一般)」
のように
分類を付加する必要が出てくる。意味自体が議論の争いになっている場合、タブの後に短い説明をつけるだけではうまくいかないかもしれない。タグの意味が、タグの上にマウスを載せた時に表示されるようにすると解決する。
「悪意(法律用語)」-->ポップアップ-->説明:知っているということ。反対語 善意
「悪意(一般)」-->道徳的に悪い意思


中間言語の性質

中間言語の悪いところは、数字と1対1で紐付けられるために、違う意味で同じ言葉を使うことができない。twitterのタグかぶり問題がもっと顕在化してくる。
複数のSRNSが乱立して、ガグが重複するとなると問題がある。
タグを完全自由にして、荒らされると、登録時期によって自動的に新しいタグに移動するようになると、そのアルゴリズムが問題になるので、人力によって解決する方法を考えたい。

以上のことが行われると、タグの整理する方法が気に入らなければ、ほかの言語に逃げるという方法が考えられる。この言語では、「まとめ」とか「本質」とかいうタグが日本語では占有されている。不当に占有されて、きちんと運用できないと思ったら別の言語に移るという選択肢がある。自分の言語を作るという方法もありますが・・・・・  セーリングという言葉がカイトサーフィンに適用されないという運用をされていたら注目する人間が少なくなるので、問題であり、それがいやで、しかも、言葉の不法占有を解除できないならば、別の言語で定義して、翻訳によって、日本語を浸食するということが考えられる。いままでも同じことが起きていたが、それが可視化されていなくて、みんなができなかったし、最初に言葉を作った人がのし上がれる環境ではなかった。しかし、とりあえず先着順でタグの生成ができる以上だれにでも言葉を作ることができる。なので、個人間の言語の争いとその翻訳で大問題が起きるだろう。

 こちらの言語では、セーリングはカイトボードも含んでいるが、英語では含んでいるという違いがあったとする。英語を翻訳するなら、日本語でカイトボードとセーリング翻訳しなければならない。しかし、その関係性はどうにでも変化させることができるので、世界のキーワード翻訳のスタンダードになることができれば、情報を大幅にゆがめることができる。

 人間は個人個人の言葉の定義と外界との言葉の定義が違っている。その差を埋めるのが社会性だが、このシステムが進化してくれば、その差が大幅にあったとしても、一定ならば問題がなくなってしまう。直接会話するのが若干難しい人間が世の中には沢山いると思うが、コミュニケーション不足をより加速できる装置であると感じる。しかし、この翻訳機能というのはあまりうまく機能しないであろう。なぜかというと、コミュニケーション能力がない人間や頑固な人間ほど言葉の安定性から遠くなり、思考が不安定なので単純な翻訳システムは使えなくなるからだ。

 もしこの翻訳システムが成功すれば、言葉によって定義という流行にうまく乗っている人間が圧倒的に楽になる。今のプログラミング言語も考え方の変化にうまくはまっている人間だけが得するようになっていて、それに嫉妬する人間がどんどん振り落とされて行っている状況だが、そのような中間言語の無慈悲さが自然言語にも進出するであろう。

 現在言葉によって思考が強く束縛を受けてしまう背景には、自己の言語体系とと他人の言語体系が似ていなければ話が成立しないという原則がある。違いを許容する範囲が大きいほど自然言語というか野性言語 動物の鳴き声に近くなり、小さくなるほど機械語に近くなるとする。 翻訳システムに頼りきりになり、そのまま違う言葉の体系を使うことは、言葉同士の違いを認識しながら、検索システムを使用するので、鳴き声と言語との違いとは違うであろう。この問題を考えるときは言語が複雑な関係を持っていて、コンピューターで処理するには適さないので、それを補助することに注力するべきだということを意識するべきである。
 検索というのは、プログラミングの入り口で自然な感覚でキーワードを入力すると思いきや、ネット上の約束を覚えていないと何ら役に立たないので、日常生活に検索エンジンが強要する用語の定義を強烈に導入していると考える。無意識だからこそ知らぬうちにgoogle病にかかっているし、意識させない方が得策であるから、yahooではgoogleの検索順位が入れ替えられている。もし同じであったら、文字列を覚えていないとだめじゃないかという問題をだれもが意識してしまうが、いまのgoogle脅威論の中にそういったたぐいのものは少ない。
なぜなら、それは、プログラミング言語の存在そのものを攻撃することになります。理由は、プログラミング言語を覚えなければできないので、とにかくそれに没頭することが要求され、それによって利益を得て他人を押しつぶすことが正当化されるからです。プログラミング言語を書けるので金持ちになれて他人のいうことを聞かなくてすむし、命令できるという現象が起こっており、それを正当化するために、倫理観のないほとんどのプログラマーはできない人間のことをあほ呼ばわりする。しかし、できないのは流行であったり、プライドがなく、他人の整理された体系に頭を下げて他人をおとしめることを喜びを見いだしている人間だったりする。本当に倫理観のあるプログラマーに、そのような疑いをかけて嫉妬して、そのような価値観を持つのはよくないとか攻撃するのではなく、たまたまよいポジションを取っている人間だと考え、その力をどのように使うかで判断してほしい。ポジションやポリシーと力の使い方は全く別問題なので、混同して批判すれば本人は気分を害して、有利なポジションを使って攻撃するであろう。
 何も分からない人は、ポジションによって悪い宵を決めるが、それは人間が成長するためにとっている姿であるので、方法論の善悪を争ってもしょうがない。せいぜい相手が全力を発揮できる耐性にいないのならばそれを応援してやることぐらいである。そのポジションの人間の利害が自分と対立することが多かったとしても、ポジション自体を攻めてしまうと、そのポジションが有利になったとたんに的として認定されてしまう。そうではなくて、逐一相手の行動の是非を判断していけば、敵は集団を作りにくいので個別に撃破できるであろう。レッテル針をするときは、必ず撃滅できる敵にするべきであるが、時間と友いい津市か復活するものであるから、そんな力押しの戦い方では、個人には勝てても社会や宇宙には負けてしまうであろう。
 なので、ある特定の中間言語が自分の中間言語の処理に近くて、とてもうまく世間を渡っている人間が無意識に暴力をふるいにくいような制度にするべきである。そのために、誰にでも検索の処理に参入できるようにしたのが、タグの占有管理および階層委任管理という仕組みで、それによって言葉の定義を常に多数の人間が分散して行うこととして、中間言語に似た存在である検索システムが少数の人間に独占されないようにした。

 これによってgoogleのような検索エンジンが採用する言語地図をオープンソース化して、それの周りのアルゴリズムのみクローズドソースにすれば、よいだろう。今の検索システムは、膨大な検索の実績を持っている人間の価値になってしまう部分gなおおいから、それをオープンソース化するだけでもずいぶんと参入障壁が下がるだろうし、人力で機械の整理の力を飛び越えられるのは機械があまり力を持たない内の方がいいので、できるだけ早いほうがいいだろう。そのうち言葉が少数の中間言語を理解する人間のものだけになってしわないうちに。
 言語地図とは、オンラインカジノの乱数表みたいなものなので、しっていれば、いくらでもSEO対策の隙を突くことができる。
最終更新:2012年08月02日 23:50
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