第二法体系ー今から俺が天皇になる方法
ソーシャルメディアの王になるにはどうやったらのかということについて述べます。
国家には徴税権 刑罰権 軍事力 が必要です。
ソーシャルメディア国家を設立するためにこの三つをどうやって備えるのか考えていきましょう。
僕のイメージするソーシャルメディア国家とはどんなものか?
既存の国家が存在しある程度安心して自由に表現することができる前提で建設される既存の国家と矛盾しない国家である。
領土・領空・領海はもたいないが、思想の中である一定の地位を占める国家で、領域の広がりは物質的に認識されにくいという特徴を持ちます。
評価経済主義を元にする。これはオタキング氏の主張するものとにているが違うところもある。
既存の国家との比較
国家の要素の種類
3要素
領空 領土 領海
モンテビデオ条約
外交力
永続的住民
国籍の範囲がどんどん確定しにくくなってきていて、物理空間との結びつきを失っているのだから、情報空間レベルで、責任が明確になっていれば良い。国籍を持っていることによるメリットを人格ごとに評価する。~~国民としてこれだけの活動をしたのだから、どれぐらい守ってあげるかというのを合意形成する速度を早めることで、国籍を簡単に離脱できる問題を解決する。
明確な領域
インターネットのストレージが自分の居場所である。
政府
集合知が政府になると同時に個人が政府である。
徴税権 軍事力
徴税
については関与の度合いによって他人に評価される 建設的な関与を行う義務があることが評価経済主義での徴税である。
軍事
はある一定の国民が同じところに居住していないので小火器とサーバーへの攻撃・言論封鎖以外は心配しなくてよい。分散して誰にもわからず敵のすぐ隣にいること、及び、身元が公開されていたとしても、敵に対して監視の目が行き届いていることが軍事力である。
小規模な武力行使については監視と公開 言論封鎖についてはアノニマスのように封鎖を行っている人たちへ攻撃することがありえる。
暴力の独占がどのように行われるのか。
既存の国家の独占
軍隊 外交上の独占
警察 内政上の独占
地域集団自衛
個人自衛
オープンソースのウィルスバスターなどで、フリーにする。
刑罰について
は、観察刑の導入を行う。実名かつ生活を公開している人ほど言論に責任を持てるという価値判断が普及されていくに伴い、何かミスをしたら、その分自分を公開してそれについて的確な判断を他人から仰ぐことによって自分の発言権を回復するということが自然に行われるであろう。それを観察刑と呼ぶ。
社会的制裁を発展させた考え方で、現在のメディアスクラム、電話突撃、生ゴミ放置といった行き過ぎた攻撃も社会的制裁を加える人間もまた監視することで抑制されるであろう。
自分の関わっている相手の行動を特定することによって個人個人で相手に制裁を加えたり評価することができるようになる。制裁手段が刑法であるならば、評価手段と一体にして観察刑法(評価法)と呼ぶことができる。
現在の社会的制裁はおおざっぱで短期的であるので教育刑として全く機能していない。これを長期的にするためには、人を長期的に追跡することができなければだめだ。また、短期的に爆発するのを防ぐために、刑罰を執行している側の評価も長期的に行う必要がある。
巨大な組織が行動している場合には、意思決定や実行の詳細な記録を公開していなければ、それを疑い気にしないという態度をとれる人間が増えなければならない。
以上のようなことが可能になるには、現在現実とリンクしていない部分がもっとネットに情報があげられないと不可能だ。
そして、自分を記録してそれをどれだけ公開するのか自由自在に変化させることができればもっと公開したい人間が増えるだろう。
これらの流れを自由自在に制御できるソーシャルメディアの使い手が次期天皇であると僕は思う。
この力を高めていけば、刑罰を自由に執行できるに等しい力を手に入れられるし、今の王朝を廃絶することも可能である。
お金を使って評価をコントロールするところから離れ、相互評価システムや情報公開システムを支配することによって直接他人の力をコントロールすることは可能である。
ロスチャイルドさんが通貨発行権を持っていない国は北朝鮮とキューバイランだけ。それだけ強力になった存在でも他人の評価を完全にコントロールすることはできません。長期的に自分たちの行っていることがどれだけ変化しているのか思い出すことができれば、そのような単位で行われる財産の収奪に対抗できるでしょう。
この考え方を拡張していけば、反省する有効なツールがある問題は人間はうまく解決ができて、その領域を増やしていくことができれば、人間は高性能化するということができます。
もちろん、お金を持っている人が他人の評価を上げ下げしやすいですが、それらの権限を剥奪することは可能です。資本主義社会では、他人の評判を自由に操作できる人間が優秀でした。そして、それはお金を使って間接的に記憶を書き換えることができていた。では、過去の思考の記録や、未来の思考を安定させるためのノートを高性能化すれば、それらの操作は軽減します。
支配機構の放棄の方法
競争を公開すること
競争を公開することによって、ルール化されていない道徳と法律を近づける。
競争を公開することによって、良くない争い方をしていれば、それが他人によって指摘され、または監視される状況を作り出す。
勝負に名誉を持ち込むためには、勝利するための方法と結果のかけ合わせで名誉が、各個人で判定されるべきである。
集合知が発揮される条件
分析力の総量/状況の変化量=集合知の働き
豚の第十宛を例に取ると、その体重を当てるために投票した人間のが注意深く観察し、体重を当てようと願って投票すると、分析力の総量は増大する。その際状況の変化は投票を受け付ける1日や2日ではほとんどないとみてよいから、集合知が発揮されやすい。
政治と比較すると、政治は多数のファクターがあり、構成になってもその当時の行動が正しいかどうかの分析がしづらいほど、状況の変化など、分析を要求される量が大きい。その際には、民衆に失敗しても良いという権威付けをされた人間が決断をする方法が良い。
今日まで政治の自動化はことごとく失敗してきた。それは、アルゴリズムで全てを分析できるという幻想が有ったに過ぎないし、人間が適切な人間を選ぶことができるほど頭が良いと期待されていたからである。しかし、何も助けなしには適切な回答を出すことができないことが分かった。
しかし、政治と言えども小さな単位では、十分に人の知恵で分析できるので、知恵の蓄積によってその範囲が徐々に広がっている。国家ができた当初は、失敗しても良い人間を決定する機構として存在したが、国家という枠が、よりよい意思決定機関としての役割を模索していく途中で、これら2つの概念が混合し、いろいろな悲劇を生んだ。失敗しても良い人間と、その人間が失敗せずに良い回答を生み出すことができるということは全く別なので、この2つの資質を一人の人間に求めてはならない。
これらの分離を明確にし、集合知の部分をできるだけ大きくするという2正面作戦を展開して政治を安全に変革する必要がある。[文末脚注]
この際。集合知として、決定者に期待をかける誤解が高まり過ぎると、ヒトラーが誕生するので、たとえ優秀であっても、アイディアから湧きだしたものは集合知によってろ過した上で、決定者に整理された結論と完全なる信託を返還しなければならない。ヒトラーのようにアイディアの源泉でありなおかつ決定者であると、その過程が省略されてしまう。2012年民衆はこの際を理解して投票するものはほとんど居ない。
役割分離と人間をオーバークロックする方法。
決定者と集合知に協力する人間の違いを互いに認識しそれぞれの能力を向上させれば良い。
役割分担と集合知への信頼の割合
集合知が十分に機能していると信頼し、その範囲を闇雲に拡大させr、結論を先送りすることが常に行われる。いつまでに決定しなければいけないのかという問題とどの範囲を決定するのかということを決定するのでさえ大変で、なおかつそれらの範囲を決定して民衆から信託の範囲を表明してもらうのが大変なので、今まで政治はうまく機能しなかった。しかし、現在の政治機構に信託する範囲を最小化し、その周りで権力者にとってより不安定な当地を行う事によって、中心にある既存の鈍重な国家を保護する。
高野山の自浄作用
政治的決定から離脱することは、その組織の自浄作用を増大させる。僧兵の出現から、廃仏毀釈や織田信長の進行に伴う平和路線へ。また、暴力団の菩提寺としての権威路線へという流れの分析。
突き抜ける思想
ここでは話を変えて、マクロス7やアクエリオンの思想の元となった、新体道の天真哲学について話します。
天地人とは、天という理想や絶対有の存在と、地という自分を支えはぐくんでくれるものと、自我を指したものです。
それらを常に意識して進むことができれば、世の中の把握がうまくいくのではないかと考えました。
天真ゴマ マインドマップに天地の概念を導入したもの。
これは一般意志と集合意志の違いはなにかというところで、方向性があるかないかだという主張を踏まえたものです。
絶対無から混沌とした相対有と相対無がうまれ、それがいろいろな結果をたどった結果今の世の中になっているというのは、世界中の神話の共通パターンでその通りだと思います。
大妙思想をもっと単純にすると、
1ただ最初は一生懸命やる
2大きく行う
3統一する
4統一を相手にまで広げる
5流れを出す
6方向性を出す
という順番にまとめられます。
現在は、法律は縛って統一することに有効で、流れを作るには今のソーシャルメディアが適していると思います。それに体だけではない文書で各個人が思想を持ち方向性を出すことが重要であると思いました。
一方、現在何が力を持っているのかという観点から、成長するために何が必要かという観点に変えて考えてみると、古代より、意識の拡張は個人から発展し、コミュニティーは国家レベルにまで発達した後、もう一度また個人レベルから組み立てることが重要になりましたので、個人の思想を文字情報としてぶつけ合い1からやり直そうと思います。思想原始時代を楽しく生きるためにSocila Religious Network System を提案します。
東さんの思想地図という番組がありますが、このマインドマップは思想地図の上を歩く羅針盤みたいなものです。
言論を表現する空間によって言論の性質や意見は違う
lv76425417など自分の放送のまとめと整理
匿名掲示板 SNS twitter wiki それぞれの特徴があって、それらを一つにしてしまえばよいのではないかと考えました。
それを実現するための一番早い方法
TikiwikiかOpen PNEに以下の機能を追加する。
コメント単位で
1公開できる範囲を限定できること
2“匿名”・実名など肩書を変えること
これは1と共通する部分があります。 匿名で発言していても実名で見える人間の範囲を本人が自由に調整できるのが最大の条件です。 匿名1と匿名2という人格も与えるとなおよいでしょう。
実名A 匿名A 仮名Aに対するアクセス権限を持ち、それらがリンクしていることを知ることのできるユーザーグループ
仮名Aと匿名Bが同一であることを知っているユーザーグループ
といった制御ができること。
3タグをつけて分類できること
が必要です。
比較
ウィキには、個人個人で自由に発言することができない
なぜかというと、ウィキペディアではなにではないかという規定がある。
そのように、議論の範囲を制限し、手順を決定すると、自由な発言をしにくくなる。そこで、それを解決しようとして別のコミュニティーを比較すると、一番縛りのない2chがある。
その2chは非常に流行っているが、匿名と実名がうまく棲み分けされていないので、非常に荒れたりする。そしてなにより、過去のことを振り返りにくいし、マインドマップのようにページ同士をリンクさせたり自由に編集して使うことはできない。
ウィキは実名と匿名ともに親和性がある。
しかし、1」公開範囲をユーザー単位で制御することができない。
2 匿名の人格と実名の人格を関連づけることができない。
2chと比較すると、
実名であることによって全人的な能力が要求され、匿名であることによって自由さと攻撃性が求められる。
その中間の閉じられたコミュニティーを形成するためにはコミュニティーに招待しなければならない。
よって、「これは秘密なんだけれどもあなたたちだけには話しておくよ」と強制的に秘密を聞かせることができない。
・FBと比較すると議論をするときにツリー状にトピックを分割することができる。という長所があり
・自分の意見を整理し編集するフィールドがない。という点が個人用wikiとは違うことです。
フェイスブックやツイッターのような時系列フィーダータイプのシステムは
・名前を変えることができないので、日頃、当たり障りなく過ごしている人が、対立が先鋭化している問題を話し合うのに向いてない。
このことを詳しく説明しますと、匿名であれば、相手から後で自分の発言を追求されることがないので、brain storming modeに一瞬で変わることができ、なおかつ、名前によって人格を変化させることが得意な日本人には、仮面ではなくて、肩書を変化させることは、モードチェンジに有効であるということです。また、匿名であれば、相手からの情報を全て正面から受け止める必要もないと自己防衛することができたり、発言も慎重になされたものではなく、生の感情でされたものである戸の推測が効きますので理性レベルでの対応なのか本能レベルのでの対応をするべき事案なのか推測する材料となります。もちろん、どの意識レベルで発言された言動 行動 なのかを名前のみで判断することはできませんので、タグを使って分類することを考えていますが、それが面倒くさいときや、一度に大勢を相手にするときは、ある程度どの肩書でどの意識レベルで話すのかという常識を持って対応することが必要だと思います。
・したがって、特に日本人は、人格と意見を区別することが不得意なので、匿名で発言することにより、人格を強制的に消滅させ、意見のみを述べる。また、常識人として人格を問われない範囲でのみ意見を言うことを好むという人間としての本能をうまく生かし棲み分けることができるということになります。
常識人としての発言を検閲したり、論理的に一貫していたいという欲求を一時的に抑える手段として、匿名での発言を許したり、自分の肩書によって相手との間合いを変化させるという言論の方法を学び、それを使えるようになると言うことは、各個人が政治家のような立ち振る舞いを覚えることとなり、それは、政治家の立場を市民の身分で覚えると言うことになりますから、政治家の立場もわきまえて投票できるように案ルと思います。
これは、テレビ局の批判をするときに、番組を作ってみてから批判をするというジャーナリズムの一つのあり方を政治に置き換えて考えてみるということです。政治家のポストは有限ですから、こういった方法で政治家の立場になるということを促進したいと思います。
日本に世襲議員が多いのも、庶民があまりにも政治的でなく、政治的な人間の気質が、世襲でしか受け継ぐことができないというのが原因の一つであると考えます。これから、世襲議員が禁止される時代になりますから、誰しも、法を適用し厳しく国民に当たる政治を理解して、もし、政治家が仁をもって政治をすることが行きすぎた場合により自発的にそれを制することができるようになればよいなとおもって、この機能を追加します。
やましくないことでも、親しい人には知られたくないこと、公人と私人を完全に分離したいという欲求は、一般人にもあるのだ。
自分がどのような立場で発言するのか それぞれを分離する必要がある。
人間は常に自分の肩書きとやっていることが一致しないと苦痛に感じる。
家庭人として社長や将軍はできないし、 将軍として家庭を率いるのは不都合である。
よって、それぞれの発言が矛盾しかねないばあいは、発言が場面毎に言い方を変えてされる。
自分が成長して、どこでも同じことを言えるようになったら 論理一貫した発言を行う。
そのために、自分が論理一貫しているように見えても、文章を読んで直ちに感じる生の感情を対外的に氏名を公開せずに保存しておく。これを後で実名に変えてもよいし、その変化を自分で分析することによって、自分がどのように変化してきたのか観測することができる。
これは、wikiと統合することによって、自分のマインドマップを時系列で記録することになりますから、自分の変化を容認し、他人の変化を容認するということになります。
また、有名人のマインドマップや発言履歴が現在よりも統合して記録されるようになれば、一般人も、有名人も対して変わりがないということがよりわかりますので、思想家・政治家として大衆を扇動することは難しくなります。
また、政治家と思想家の区別は現在あまり明確ではなく、明確なビジョンを持った政治家が待望されていますが、逆にビジョンがなくただ調整することに特化した政治家 政治屋が待望されるようになるでしょう。
「以前は、政治家と言えば清廉潔白でビジョンを持った人が望まれていたが、いまは以前と違って調整して根回しがうまい人が重宝されています。以前は、根回しをしすぎると政治屋といわれていたんだ。」と言う日が来るでしょう。
ただ、このような方向性を急激に出すことをやりますと、全力でそれが行われない場合や、礼儀作法が追いつかない場合、衝突がより激しくなります。世の中全員が行動主義者になるようなものですから、それを調整する人間や礼儀作法で衝突を中和する人間が必要になります。今現在手紙の書き方はビジネスに特化してしまって、思想的に槍や売れ意義作法の残渣は茶道にしか残っていません。これも道具茶に偏ってしまっている現在の茶道業界ではネットに対応した強力な礼儀作法は作ることができないので、自分たちで考えて復興させるか、オープンソースコミュニティーを早急に活発化させる必要があります。
本能の表現
独り言など生の感情に近い発言はブログなどに対外的に公開されることをを前提にされる発言と全く違う。
ツイッターがバカ発見器と言われるゆえんは、生の感情を思いついてから検閲する前に即時に発言することができるからである。
ある一定の著作物にする間、自分の頭で考え、自分で自分の発言を検閲する。
検閲された記録は、生の感情を推測する材料となるが、正確にそれを把握することはできない。
また、自分で自分を検閲して発言していると、交渉や議論するときに 生の感情で即時に反応している人に遅れるし、よっぱらったり、ピンチになったりすると発言がぶれる可能性が高くなる。
一方、生の感情で議論していれば、細かいことを体系的に考えることはできないかもしれないけれど、ぶれない。理性によって修正をしない、嘘をつかない限り、恥ずかしくない限りは強いという長所があります。
生の感情の作用とそれを修正し観察していく理性の作用を分析することは便利でありそれによって本能に立脚した理性を使いこなす、すばらしい論客になれるとおもいます。現在の論争では、本能にどれだけ立脚しているのかということをはかるためには、直接会って、ノータイムで返事をしてもらうことによってそれを確かめるという方法しかありませんでした。お互いの信頼関係を築くためには、質問は事前には聞いてはいけないという生放送の醍醐味がそこにあります。しかし、時系列で長く行動を記録する。理想やその人を支えるものまで思想の隅から隅まで照らし出すことができればその人をより深く理解することができ、直接会えない人でも相手をより正確に評論できます。
本能と理性を効率的に使うためには、本能を強くしなければならない。本能の土台の上に合理性が乗っているという哲学を元に、これらの話をします。戸塚宏の脳幹論を土台に考えました。
ノータイムつぶやくと本能が現れやすいというのは、裸の女性を見せると判断が遅れるという研究
カート・グレイ(らばQの過去ログなどにいろいろあります)
と飲酒告白や犯罪告白がこんなに増えたこととを結びつけて考えました。
理性をどのように使ったらいいのかという発想は、理性というのは、理性的であると表現したいという欲求ですから、その欲求を使うときは思い切り使って、いらないときはそれをOFFにすると、それぞれの力をよりよく使えるという考えを元にしました。
より相手の思想の隅から隅まで照らし出すことが、なぜ相手をより深く理解することになるのかというと、人間は有史以来覚醒してきましたので、覚醒とは意識の拡張であるので、周辺部分のあやふやなところを照らすと、本能と理性が一生懸命拡張しようとがんばっているところが見えるので、より理解できるということになります。
近藤等則さんが、「覚醒剤やめますか?人間やめますか?」という覚醒剤をやめるように促すポスターをみて、「人間は有史以来覚醒の歴史を持っている。覚醒するのをやめたら、人間をやめることになるのか!!」と思ってもっと吸うようになったという事実を元にして思いつきました。
ここで少し話がずれますが、今までの書き方でもうわかっていると思いますが、上の段落は、僕の本能に影響を与えた本ですので今は、自分の地に当たるような部分です。
自分を理解する
意識を拡張させるという話とまったく逆の話で、自分を理解するために、これを使うことができます。内観という瞑想法がありますが、これをやっていると暗くなってしまう人が多いのは、内観していく方向が途中で折れ曲がってしまうので暗くなるのだと思います。時系列なら時系列、一つの言葉を思いついたら、それに沿って自分を確かめていくことが必要です。
検索方法にどんどん関連する言葉を気が向くままに検索していくという方法があります。タブブラウザで行くならどんどんタブが増えていって最初にやっていたことを忘れてしまうという状態です。
これで履歴を見るのが面倒くさく、過去に何を考えたのかわからないというのが、引きこもりのよくないところですから、それを突破するために、自分は最初何を思って検索していたのかというのを明確に持てるようにします。
それでもって、自分のマインドマップを横断していくように検索していけば、内観のように自分が分かってなおかつ意識を拡張できます。
スレッドフロート型の掲示板
時系列にフィードしていくとトピック毎に話し合うのが苦手であるのはなぜか?
議論を始めていくと論点は最初は広がっていく。
同じ画面で違うことを話し合い、アンカーだらけで縦に画面が進んでいくというのは非常に見にくい。
それと比較して、wikiはカテゴリー毎に分けたり、リンクを結ぶのが簡単なので、コメント毎の関係性をうまく整理できます。
そして、それらの関係性を各自が自由に編集できてなおかつそれを公開することができれば、より、相手の考えを理解することができます。また、それらを自分のみに公開すれば、それがディスクトップとなります。地宇ことは、自分の領域と他人の領域の区別がなくなり、真のクラウド環境が実現するということになります。
今現在考えられているクラウドでは、自分の領域と他人のデータ領域が簡単に変更することができませんが、自分のウェブ上での発言と関連させて公開できるようになれば、ファイル名やディレクトリ構造以外でより深いファイルの関係が構築されると思います。
また、クラウドもただデーターを一カ所で管理するだけではなく ディスクトップと ネットの壁を消し去ることが最終目標です。
論点毎に分ける
話し合いの方法をみんなできめるといったことは ウィキとメディアウィキ財団のウィキ運用が合っているので、それをより拡張した議論が必要です。実名制SNSは匿名よりもっと緊密な穏やかな責任のはっきりした関係が築けるといった差異にも注目するとよいでしょう。
これら3っつのよいところを合成するには、
ウィキと フィード方式を合成して 自分の肩書き役割を匿名と実名などいろいろな役に分けて考える。
コメント毎にタグをつけて、あらゆるコメントやスレッドとの関連性を明確にするということが必要です。
最終的にはそれらを図にして表示させて3dマインドマップにして眺めて自分の思考を整理するということにつなげていきたい。
これは、SNSの友達の関係図を作成するソフトを使えばよい。
なぜ3dではなければならないか
最近3dが流行ってますが、ディスクトップが絶対3dじゃなければだめだということを聞いたことはない。
けれども、それを必要とするほど意識の拡張された人間でありたいと思ったので、どうしてそうならなければならないのかと言うことをもっと深く考えてみました。
自分が目標としていることと、データベースのなかで、その自分がどの位置を占めているのか二次元で把握するとどうしても最低でも3次元いるからである。
ネットの中で自分がどの位置にするのかディレクトリを利用して判断するのには、
どの系列のどの抽象度の分類の 思想で言えば、右翼左翼のどちらに近いのかが問題になる。
だいたいどのような話題でもディレクトリ構造で把握すると都合がいい場合が多く、それに周りの流れだけではなくて、自分の発言の流れを抽出して記憶すること。匿名であっても他人のある特定個人の発言を抽出して把握することができれば、相互理解が深まる。
そして、すべて抽出されてはたまったものではないので、それに制限をかけて、匿名での発言の自由を与える。
いまは、実名インターネットは日本では本格的に火がついていない。しかし、公開するというインセンティブを増やすことができれば、必ず実名インターネットを全世代が使うときがくる。
google+でそれをしようとしていたが、ネットの中で自分の発言の身を抽出できなければ、人間は自分の領域に安住できない。また、匿名性というのは 肩書き毎に壁がありその壁を利用しているということがすばらしいのである。そして、誰がやっているか周りからはわからないが、自分たちだけわかっているというのは、匿名性の壁を越えて仲間意識を強固にする。
実名と匿名の二つしかなければ、公人と私人の区別がなくなり いつもすべての体面を気にして活動しなくてはならなくなる。しかし、人間はそんなに強くはできていない。肩書き毎に壁があってこそ自由に言える。
実名匿名のほかに 肩書き毎という別のジャンルを作りたい。完全に閲覧不可能であるということが大事な条件である。
現実世界の垣根をネット世界が模倣し、一体になったところで 公開したいという欲求を与えることが大事である。 最初から二つの概念を対立させたままでは 一般人は自由に使わないだろう。
Web家族
家族は家族同士相手のやっていることをよく知っているだろう。友達や恋人と比較してもよく知っているところもある。
ウェブでそういった家族を作るには、匿名でもできる。
どの名前同士が同じ人間なのか分かるというアクセス権限を他人に渡すことによって、名前のリンクを知っている範囲が大きいほど、より深い関係になることができる。
そのような人間はたとえ仮名しかしらなくても、仮名同士で今までの仮名でのコミュニケーションよりも深い関係ができるので、より実名同士での出会いにつながるだろう。
これは、このSRNSが出会い系サイトとして、より健全に育っていくこともできるし、それを収益につなげて発展する可能性があるという証拠である。思想と性の問題は不可分であるし、落ち着いた議論をするBBSには華がない場合が多い。ヤジが国会の華であり、国会を選ばれていない人がやっているのが2chであり、その雰囲気は大して変わっていない。それを大きく変えるには、国会と出会い系を一緒にすることで、そういった交流をどんどんやることだと思う。国会と歌舞伎町が同じ場所にあって、二つの交流を同時にやるのは非常におもしろいはずだ。それがネットでも行われるとなれば、出会い系と2chとFBを合わせたような盛り上がりになるはずなので是非そうするべきである。
mixiで友達をはずすというのは、勇気がいることだ。いったんアクセス権限を与えてしまうと心情的に後戻りすることが難しいというのがこのSRNSの特徴である。ということは、実名での一貫した発言を促進することになる。したがって、匿名での発言が無限に膨張して無責任な人間の方向性がどんどん伸びて、発言力が増してくるということが避けられ、より深い開示を行っても大丈夫なようにどんどん自分の発言が首尾一貫してくることが期待できる。
しかし、あまりにも開示欲求が強すぎると、逆に強いジレンマに陥って発言が萎縮することがあるかもしれない。このような設計を使って、ネットの世界に足を踏み入れた時点で 後戻りできなくさせ そして変革を促す。これもまた一つの計略である。この力を使って大権を持った(国の全ての権限を持った)帝国時代の天皇になることもできる。