監視社会
このSNSを強力に推進するには、匿名での発言は法的に何も罰せられないようにしたり、国民総背番号制にちかいものを導入したり、監視カメラの使い方をもっと自由にする法律が必要である。
まずは、監視カメラをどんどん設置して、観察刑を執行できるほどになったとして、それでも抵抗権を確保する方法を考えてみる。
団結して革命をするためには、インターネットが欠かせないので、シリアのようにSNS、Twitter全部禁止という状況ではこういった社会は構築できないだろう。そうなったら、すぐさま武器を取って政府を壊さなければ、全くこのシステムは悪いものになる。
ほとんどの国民がネットネイティブになっているとして、それらの人間が、あらゆるところで自分の行動を記録し、個人情報に配慮しながら発信することが徐々にできてくると思う。
そうすると、あらゆる場所で監視可能になるが、ある一定の友人以外には常に見てほしくないが、ランダムにその監視装置にアクセスがある状態が望ましいという場合がある。それは、見られているかもしれないということによって、抑止効果があり、それをうまく使うことができる場所である。ただ単なる街頭とかはそういう場所に当てはまり、犯罪率を減らすことに貢献するだろう。
また、人力で多くの監視ポストに張り付く団体があるだろう。それらを牽制するために、ある一定の友人以外はアクセス回数を制限するという機能がなければだめだ。
以上の問題は、監視カメラを設置するときに限った話ではなく、ネットにより自分の存在意義に関わる情報を載せるときにも同じようなことが起きるので、置き換えて考える必要がある。
実名での発言が重みを増して、それを他人に乗っ取られるのを防ぐためにもっと強力な本人確認システムとパスワードが必要である。ワンタイムパスワードはもちろんのこと、パスポートを簡単に偽造できる状況を何とかして、生体認証でパスポートの発行をしたり、親との続柄を確かめる必要があるだろう。親との血のつながりのない人間も、生物学上の親のDNAを必ず保存しておく取り決めをして、特別養子縁組をした場合にも親の承諾で秘密裏に照合できるようにしなければだめだ。
これは、SRNSが発言力を増していき、政治的に重要な決定がそれによってなされるようになればそういった問題が起きるだろう。
しかし、国会の委員会にこのシステムが接続されて、討議中にアンケートを採る場合、生体認証をしなくても、現在の世論調査よりも分母を大きくすることによって、よりよい民意の反映ができるであろう。
現在のビデオリサーチや各新聞社の世論調査が恣意的に行われているかどうかという判断は、ブラックボックスになっているので、オープンソースでSRNSを作ってそれで、より大きい母集団に向けて聞けば、現在把握されている民意とやらよりは、より正確な民意が委員会に伝わるであろう。そのときに注意しなければならないのは、瞬間的に行われたアンケートによって決するのか、長期的な民意を検索ボットやある一定の期間を設けたWEB投票によって行うかによって民意の反映が違うので、現在の投票制度の問題よりももっと複雑な問題が浮かび上がると言うことだ。一方、より正確にいろいろな統計が瞬時に出せたりするので、研究はより早く進むと思う。この投票方法と既存の投票は矛盾しているわけではなく、それぞれ補完関係にあるので、既存の投票を残したまま、徐々に頻繁に投票が行われて、大きな投票の時のみ現在の方法をとり、相変わらず速報抜きの選挙番組をやっているはずだ。
これを前提に、多数の論点が同時に議論され、それ毎に投票が行われていく場合、どのように期限を区切って論点を消化していくのか?という問題があります。全ての論点をフォローできないので期限を区切らなければならないのですが、これはさらに議会運営が厳しくなると言うことになります。
ここを突破するためには、ルールがどのような影響を及ぼすかということを真剣に考えなければなりませんので、国会はより空転するかもしれないが、ルールの話し合いに日本人が強くなり、長年の外交が弱いというところは半分克服できるのではないかと思います。残りの半分は日本人が常に戦いを意識した上で宥和政策を行うことで克服できるはずです。
もし、このシステムが海外に広まってくれたとしたら、海外の思想と常日頃から戦うことができますので、それによって、戦闘的な思考ができるようになり、投げやりに民営を変えてしまう心配がなくなります。そうすると、政治家も国民に対して違った駆け引きをするようになり、外交政策も安定すると思います。
本能と統一を壊すこと
ここからは、この入力フォーマットが生む本能との乖離。人心の分裂の問題について考えます。
自分を常に再構成してしゃきっとした状態を保つというのは、生物にとってとても大事な能力です。でも自分を解体してばかりではまとまりがなくなるのでそこが問題です。では、このSRNSが一定の入力方法をとらなければならない故に相互理解がうまくいかないという問題を抱えているということを紹介します。
ここから先についてはウィキペディアの合意形成のルールを話し合っているノートを事例として念頭に置いた上で読んでください。
今から考えれば、脳から直接入力するように表現できるようになるでしょうが、一定のシステムに対応するために脳を一定の共通した動きをさせることに特化した教育が行われることにより、より現行の機械を解する人間の思考回路と一般の思考回路が乖離して、全く意思疎通がはかることができないほどになり、戦争をするかもしれない。現在でも、職業間での意識のあり方に相当な差がありますが、このシステムの中に入っている人間と、そうでない人間の差がもっと広がってしまった場合、同じ言語を話していても、うまく意思疎通できない可能性が高まります。
もしそれらが戦争をする場合、SRNSの住民に対する孫子の兵法を持ったとSRNSユーザーによるユーザーのための政治がべつべつ行われているでしょう。
今の日本にも、実践を大事にするあまり、政治や利益確定をする動きがおろそかになってしまっていますので、技術を持っている人間の専制を止めることができなければ、SRNSを解すれば解するほど、自分の適切な利益に配慮することを欠く可能性が高くなる。そういった言語の発展に今乗っているので、未来もその可能性がある。
SRNSが政治権力を持てば、言論のフォーマットを提供する技術を持つ、プログラマーが権力を持ち、デジタルデバイドが決定的な社会格差になることが簡単に予測することができる。それに加えて、それらを扇動することができる人間がその世界の天皇として君臨することができる。
これを視点を変えて解説するとこうなります。資本主義社会では、相手の利益に著しく関心がありうまくいく人間と、そうでない人間の2極化が進んでいますが、そのままのノリでSRNSを使ってしまうと、一部の思想をうまく使う孫子の兵法を心得ていて、なおかつ、利益の確定に熱心な人が、他人に過剰に情報の公開を迫り、敗北者は何も自分のプライバシーがなく、プライドのある人間は、強制的に外面に本性を合わせなければならなくなり、きつい。という問題が起きます。
これをもっと想像しやすく言えば、論破することがすきで、他人を監視して自分に奉仕させたい人間が増長して、資本主義社会の格差より、もっと深刻な評価主義社会での格差が生じてくるということになります。
どの主義主張をしていても、格差は生じるわけですから、もっと、全体で覚醒していきたいという欲求をあおる必要がありますが、現在のところは、よい方法を思いつきません。
そして、資本主義社会と評価主義社会との決定的な差は、金というものを媒介して評価するのか、直接相手の人格を評価するのかという違いがあります。そして、人格に世直接触れる以上評価主義社会での格差は、プライドのある人間や、功名心のある人間にとっては絶対に耐えがたいことです。江戸時代の武士のように体面を重んじる人間ばかりでは、あっという間に自殺者が今以上に増えてしまうでしょう。もちろん、そういった性質は、評価主義社会が正常に機能した場合はうまく働いて、努力するための強烈なインセンティブとなり得ますが、後世になって評価されるような仕事をしていて、なおかつ功名心がない人間をより挫折させやすいという危険性があります。それを防ぐためには、このシステムには欠陥があり、論理的に多くの人が分析し、人気投票を行ってもなお不完全であるからそれを克服するためには、現在の指標では評価できない人間も、自分の羅針盤を持って進んでいくというインセンティブが必要です。そのために、突き抜けた思考をする、今の社会では評価しにくい人間の思考を他人にうまく表現できるフォーマットをこのSRNSの基本としたいと思います。
言葉(論理)がもっと大事になってくると、その使い方が他人に理解されにくくなります。それを防止するために、政治言語機械言語 日常会話、など、それぞれの場面で話されている言葉の意味が乖離しないようにするべきである。そして、フランス語のことを考えてみると、アカデミックフランスが言語を統一しているが、人間の話す言語を統一する機関が必要になってくる。
これは特に英語で顕著で言葉のもう一方の意味がさっぱりわからないということが増えてきている。
皆さんが身近に感じることができる例を出すと、ニコニコの喧嘩突撃行為を行っている人間に論理で説得しても分からないのであきらめるべきだという人間が大多数であるということがあります。
このように、人間はネットの上に以心伝心をのせる工夫をし始めて、それがある程度成功するだろうが、実際にあって何かをすることと、その一歩手前の技術の隔たりをいといすぎて、問題を起こすであろう。
自分としては体を使って伝達する技能が高まって、体という最も身近な自然路使うことが大事だという認識をみんな持ってほしいが、技術が進みすぎて軽視されると思う。でもそれを優先してもよい。
人間の究極の欲望が何か、多数の人間で文字に記述するのはいいことだ。
具体例を作ると、
理屈民族の進化形である、中間言語を使用する人間にも論理を直線的に発揮するタイプの最も現在の機械言語に近い論理構成をする人間と、否定と肯定がイコールだという非論理性を許容する大きな学派ができるであろう。直線的とは、現在の論理記号を肯定することで、それと逆の概念は数学者が、新しい概念を作るためにわざと非論理的に考えるときに発揮するような論理展開である。もし体験したいなら、難しい数学的問題をっしょうけんめいかんが得ると、そういったことを体験できる可能性が上がる。
今現在では、後者の論理は論理を拒否し、逃避する行動だと思われがちだが、もっと記憶を精密に保存していけば、論理とは、つながってないことが多すぎて、どこを飛躍しているかによって、明確に学派が分かれると言うことに大多数の人間が同意するときがくるであろう。
僕の予測では、1+1=2学派、3学派、0学派での対立が決定的な宗教として存在する可能性がある。
互いの対立はより深く、暴力などによってそれぞれが争うのではなく、一つの肉体の中で、精神が争う二重人格などが標準化している可能性もある。二重人格のJIS規格ができていて、いつ人格を統合するべきなのかマナーが策定されていると思う。
そもそもその頃になったら体を乗り換えて生活することも当たり前になっているだろう。一つの体を巡って、ウィスルみたいな記憶装置の中で動く記憶同士が、本当の魂になりたくて、現実の魂を引きずり出しにかかったり、人間を復活させたいからといって、他人の脳みそを停止させたりして、大問題になるとかがあり得る。
一回どこかの脳に入ると、完璧なコピーは作ることができないのでオリジナルが書き換わるというゴーストノイズが発生するという考えがあるが、僕の考えはそれとは違って本物の魂はゴーストノイズを打ち消す力を持たないと考える。ゴーストコピーを好む人間と好まない人間がいて」、勝手に復活させる人間がいて大問題になるとか、特権階級のみ体を乗り継ぐからもんだいだとか、そんなことが起こっているであろう。
では、そういった問題が起こる以前に、意識の分割と統合が違う方向に行ったと考えてみよう。同じ肉体に執着することと、コミュニティーに執着することが同じ価値になってしまうかもしれない。今現在も同じ夢を見続け昼も夜も同一の記憶を持ち続ける民族が存在することから、体という枠とコミュニティーという枠の役割が相互に入れ替わるというのは案外簡単に起こると考えられる。
このれぐらい違う人格同士が交流するためには、検索をして同じページをぐるぐる回るネットサーフィンから、違う言語の海へとどんどん乗り出していくような検索をして、新しい情報を取り入れる必要がある。
インターネットの情報はいくらでもある代わりに、検索をする手段や検索するキーワードを思いつく方法は一つしかない。それを改善しなければ、これぐらい違う人格の人間と上手に交流するための準備はできないし、検索方法でますます思想の壁ができて、しまう。ネットサーフィンを目的もなくよくする人は、自分がいつも同じような行動ばかりをしていないか気をつけてほしい。まとめサイトばかり見ていると、同じような情報のインプットのされ方しかされない。もちろん、それをやり続けて飽きるまでやり、自然と違う情報に目が向いていくという現象があるが、誰しも自然に次の情報をほしいと思うようにはならないし、そうしたいがなれない人に何らかの刺激を提供して、いろいろな情報を流通してもらえないとこのシステムが悪い方向に働き人間の自我ばかりが強固になるので、そういったことを抑制する仕組みが必要である。
集合意識を記述できるようになると、ある一定の動き方をする団体が活動を制限されたりして問題になる。これも防ぐ必要がある。
この活動も数学で厳密に定義することができれば、記号論が決定的に判決に影響する要素になったりして、政策も数式により近くなったりしているかもしれない。
その一方、考えたくない人間はとことん考えなくなっていて、感情と感情の重なり合いを重視する蒼穹のファフナーの敵かエウレカのコーラリアンみたいな反応をするかもしれない。それを防ぐ方法はこのシステムを理屈以外のエネルギーで動かすようにすることが大事である。そのためには、このシステムを補助として人間の活動を活発化させることを主眼において開発することが必要である。それを怠り、このシステムを人類活動のメインエンジンとして使うのならば、以上の問題が発生するだろう。
このような問題を起こしている人間は体を軽視している人間に多いはずだ。あんまりにも体の呪縛がなくなりすぎると何をやっていいかわからなくなる。
体で説明しなければ分からないことで価値観が違ってくるとどうなるのか?まずは、極端な例を考えて、それをもっとあり得そうな例に置き換えて考えてみる。
今後10年は依然として、実際に会うこととそれ以外の区別の研究があまり進んでいない可能性が高いのでそう仮定する。現在は、ライブの重要性を理解している人間が大多数であると思うが、逆にそれ以外で会うことの重要性を理解できていない人間も電話がこれだけ普及しているとはいえ、十分に多いと思うので、ライブ出会わなければ気が済まない人間と、そうでなくても気が済んでしまう人間、そして、それらを使いこなす人間の割合が、そう変わらないか人間は学習すると一番最後の立場になれると仮定する。しかし、そうではなく、一番最初と次の立場に固執する人間が多くなるととどうなるのか考えてみる。
攻殻機動隊を想像してほしい。電脳化して、外部記憶をどのような形のものに頼るのかでも、相互理解の容易さについて大きな問題を生じるであろう。
例えば、ある一定の神様の像にする人間。
家族という関係にそれを託す人間。
外部に解放して宇宙にそれを託す人間。
いろいろいるだろうが、一番多いのは、HDDの進化形であろう。
それが第二のお金と似たり寄ったりの性質を持っていて、精密な記憶のやりとりや構築が名誉やビジネス担っている可能性がある。
それは夢や記憶をコピーすると、情報の劣化があり、オリジナルがコピーすると元が消滅し、コピーが本物になる場合にそれはあり得る。
本当の事実関係だけは、物質世界に保存されているのに、コピーをとられるだけで、記憶と物質世界の齟齬が発生する。それを利用して、好き勝手に記憶を書き換えられる可能性が増すので、それを防ぐために本当の記憶を取り戻す戦いをする。家族の信頼が揺らぐが、家族を信じられなければ、その戦いは終わり、信じれば苦しむというジレンマに陥る。という話ができる。
この空想をもっとあり得そうな例に置き換えてみると、
現在、外部記憶で単純なものと言えば、お金である。その次ぐらいにHDDの中身などである。今だって、ものを捨てたらすっきりしたとか、掃除をして新年を迎えましょうという習慣があるぐらいだから、住環境を外部記憶にするという文化は昔からあったわけです。
それが、よりHDDよりになってくるとどうなるのかを考える必要があるわけです。一気に攻殻機動隊にすると現実味がわきませんが、掃除に置き換えて考えてみると現実味がわいてきます。では、両者の差異を考えてみましょう。文字情報はよりクオリアというものを考えないと正確に解読できなくなってくるでしょう。茂木健一郎さんが苫米地英人さんにもっと言葉の定義をはっきりして、どの分野をしゃべっているのかはっきりした方がいいと指摘していますが、あやふやなものを分類を正確にしてしゃべるというのは難しいもので、不確定性の原理が文学にも及ぶと僕は思います。文字情報を高速でやりとりしてそれを財産としてなおかつあいてと交換するのですから、相手の持ち物と比較する必要があります。そのときに、記録されている情報以外との関係性が、お金の場合と比較して重要になってきますから、それを正確に記述して、なおかつ文字情報で記録しにくい部分の同時に表現していこうとするのは同時にするのは難しいので、ここでもやはり、自分の意識を拡張させるために体と体の関係を重視することが鍵となってきます。
次にここまで記憶容量が増えなかった場合を考えてみます。その場合、少ない情報でよりものを描画する必要がある状態で、なおかつ、より多くのものを共有したいという欲求が今より強い状態です。
そのときにある一定の新しい常識を作るのか、新しい常識を表現する方法をみんなで一斉に勉強するのか、という選択肢があります。このときに、ある一定の新しい常識を作り直すのでは、表面的には非常に変化しますが、根本的に変化しないので、それを避けるための手段を考えます。
それは、体を使った文化をよりたくさんの人間が使うようになるということです。この共通認識が育たなければ議論が堂々巡りになってしまいます。
思考と体の使い方をより密接な関係にして、相手と体の使い方の強弱を比べたり、体を使ってあいてと交流する技術を洗い直すことが必要です。
古典で廃れていないものがいくらでもありますから、それをもう一度洗い直すことが必要です。現在、宗教団体は心の平穏を提供するシェルターのようになっており、ビジネスセミナーは金に直結するところ以外大きくなれないので、もっとお金以外の理由で集まる人間が増えてくれば、思想を練り上げたり、他人の評価をお金以外の手段で得るための団体が出てくるでしょう。そのように転換するときに、お金が評価に単に置き換わるだけではなく、もっと大地や空や水からの評価が入る余地ができてほしいものです。この方法がうまくいけば、今まで指摘した全ての問題点はこれで解決できます。
この研究を進めていけば、過去をもっと的確に把握し、自分の分身が交流しているような感覚を持つ人間が増えるだろう。未来については、いろんな可能性の増減を記述できるようにして同様の体験を未来に対してもしていただきたいです。
まとめ
突き抜けた思想を持って、より個性を持った人間が楽しく生活できるようにするためのシステムを作りました。それを持って、もっと体を使った文化が広めましょう。
以上で総論を終わります。上杉隆さんが記者クラブ問題のことを話すように、全ての問題をこのことにつなげて書くことができます。
なので、各論は順次ニコ生で発表していきます。
ニコ生のプッシュ力をあげる方法
ピンポイント爆撃をする方法。
このモデルは広告を効率よく配信する方法にも応用できるので、ユーザーを狙撃して放送することに役に立ちます。
どのレベルまで企業に開示するかによって、何もしていなくても、企業からお金をもらうことは可能です。
参考文献
河森正治の関連作品 全て マクロス7など
青木宏之の著作と発言記録 全て
近藤等則 我かくたたかえり など