柿霜 蛇ノ目プロローグ

エタヒニンプラント…
そこでは日々バイオ技術による下水の浄化や、廃棄物の処理が行われている。
では、現在抗菌性セラミックスの床に落ちている、ズタボロの肉袋は何であろう。これから処理される生ゴミか?肉袋からドクドクと赤とピンクの入り混じったゲル状の物質が流れ出て、白い床を汚した。

なぜ職員はこの生ゴミを掃除しないのか。その前に、このプラントの中をよく見て欲しい。職員達が何をしているか、よく見れば分かるであろう。
彼らは、手に手に自衛用殺傷兵器を握り、寄り集まっている。労働設備は現在稼働していない。
これは、ストライキであり、反乱でもあった。


「菱江!」
警報を聞いて駆けつけた柿霜 蛇ノ目は、目の前の風景を見て、身体が動かなくなった。親友が血と肉の塊に変わるまで、暴行を受けていた。既に息は無いだろう。
労働者の穢多非人達に罪悪感のような物は見られない。それどころか、新しい遊び相手を見つけた好奇の視線だけがこちらに集まる。

「あのお姉サン、回復役が死んだからには、無傷では帰れないねェ!さあ野郎共、ブッチブチのボッコボコにやってやろうねェ!!まァ、今日の所は一人殺したし、セメコムが無くなるってのも困るから、殺さない程度で行こうかい…」
「ヒヒヒ、殺しちまうのはさっきが初めてだが、数が揃えば魔人も大したこと無いんだな!それにやっぱり田舎者はテクノロジーには弱いみたいだぜ。自衛用殺傷兵器があればあいつらイチコロだな」
「「「ウヒヒヒヒヒ」」」

蛇ノ目は寒気を感じた。自衛用殺傷兵器、それはそもそも旧蝦夷の所有していた独自の技術体系を、世界政府が大陸の自衛兵器と無理矢理融合させて作り上げた代物だ。
かつての首長、KBNの勇姿が脳裏に蘇る。彼が持っていた刺又型兵器『万兵』は、現在労働者達が持っていた物よりもずっと強力な武器だった。重量が大型トラック四台分あったり、0〜9の数字が付いたダイヤルが四つあり、その組み合わせ次第で性能が全く変わったりなど、使い手を選ぶ武器ではあったが、現在の形よりもずっと強かった。

「さあ、オペレーションγで突撃だよ!」
「「「「ヒヒヒヒヒヒ!!!」」」」
労働者の数は多い。また、魔人ではなくても一人一人に体力がある。未来的な栄養食品と、快適な職場による健康な生活の印だろう。肌年齢も平均が十代を切っているらしい。

同時に襲いかかる上段のスイングと、中断の突き。そしてワンテンポ遅れての左右からの挟み討ち。中々息が合っていて、場合によっては防御に専念する必要があるだろう。
しかし蛇ノ目はそうはしない。
それ以上の手数によって、場を鎮圧する。素早く正面の敵の急所を杖で打ち、崩れ落ちた身体の上を踏み台にして跳び、背後の敵の頭を蹴る。そして更に上へと跳ぶ。
空中で行李を開き、2匹の鉄製の蛇を解放する。蛇達は三次元空間を這い回り、判断が追いつかない複数人の穢多非人の腕を結びつける。
さらに新たな蛇を解放、それを足場にして5メートルの距離を跳躍、背後から急襲、一度に二人程を気絶させる。

「総員配置を変更!オペレーションωで対応せよ!」
労働者達も戦士ではないくせに、結構良い動きをする。蛇ノ目の身体を何本もの武器が掠め、何度かは打撃が到達した。上手く逸らしたとしても、武器自体の性能は悪くない。ダメージは段々と蓄積していく。

「撃ち落とせー!!」
「「「ヒューーー!!」」」
労働者内の士気は全く落ちていない、それどころか興奮してアドレナリンでも湧いているのか、一撃では落ちない者もいる。
(面倒くさいですね…)
蛇ノ目は心中ウンザリとしていた。

『攻込警備保障』には、反乱者を取り締まる義務はあるが、殺したり労働力を著しく削る障がいを残すことは許されていない。
つまり、攻撃時には思い切り手加減しなくてはならない。この規則を破った時には、向こう一年間の給金が半額かそれ以下になる罰則がある。
それに比べて反乱者がセメコムの構成員に狼藉を働いたところで、大したペナルティは無い。せいぜい食堂でのメニューの選択肢が、一ヶ月間100種類から85種類に変わる程度だ。
労働者達も、侍に逆らえば重い罰を受ける。しかし、付和雷同な田舎者達、蛇ノ目達は侍の部下でありながら、扱いは違う。故意に労働者達の玩具として用意されている。反乱の振りをした、許された暴力を振るうことで政府への不満をガス抜きさせている。
それでも不満を覚えるような労働者は滅多にいなかった。いたとしても、それは暴力の苦手なガス抜き手段の不足した労働者達であり、やがては暴力の魅力に目覚める、我慢するかに別れるだけだった。

そんな状況でも、旧蝦夷民がこの暮らしを続けるのは、故首長KBNの遺言のために他ならない。

『生きていてくれ…俺一人生き残った所で、蝦夷の勝利とはならない。もし俺以外に仲間が生き残ったとしても、全員が侍を退けるのはとても無理だろう。それではいけない。
俺は取引を持ちかける。奴らの思い通りに行かない俺の首だ。きっと価値があるだろう。
それを代償に、御前達の居場所を作ってもらう。受け入れてもらう。絶対に納得させてみせる、だから生きてくれ』
首長はそう言った。そして『攻込警備保障』の設置を武田方に認めさせた。
旧蝦夷の住人が武田の庇護に預かった日、首長は無防備な首を侍に切り落とされた。

ーーーーーー

仕事を終え、葬儀場に寄った。本当にインスタントな葬儀だ。ホログラム墓標の下で、烏瓜 菱江の肉体は原子分解され、自然へと還元された。今頃は彼女の寮の中身も模様替えされているだろう。
化学的な線香の香りが葬儀場の中を満たした。この葬儀場は広く、多くの下級労働者が利用している。
すぐ近くには、他のセメコム構成員達が、別件の葬儀を行っていた。彼らの顔は見たことがあるが、名前は知らない。思ったよりも組織は広い。首長はこれだけ多くの人の命と責任を抱えていたのだ。
それでも今、次々と死者が出ている現状を、あの世で彼はどう思っているだろう。
菱江にも名も知らぬ社員にも、その他ここで葬られた人達にも、一度に全員分への祈りを捧げ、蛇ノ目は会場を出た。

ーーーーーー

高タンパクイソメフレークと、カロリー&ビタミン配合芋フレーク、ミネラルドリンクを口に運びながら、寮に据付のパソコンを操作する。寮の部屋の中は、以前住んでいた家に比べて、ずっと穏やかで無機的だ。蛇ノ目は、日課として希望崎学園の試合を観戦する。
タケダネットもきっとこの試合の存在を知っていて、それでも鎮圧する価値も無いと考えて放っておいているのだろうか。
蛇ノ目のようなパソコンに詳しくない者でも辿り着けたこのサイトを、タケダネットが見つけられないとは思えない。
イソメフレークを食べ終わり、食器を食洗機に入れた時に、パソコンからメールの着信音が届いた。
誰だろう。メールアドレスを知る相手など殆どいない。上司同然の侍からの指令のメールか?
受信メールフォルダを開くと、見知らぬメールアドレスからの着信だった。しかし、差出人の名前には見覚えがある。
確か、希望崎学園を運営する管理人の名前だ。マウスを震える手で動かし、メールの内容を確認する。試合に出る誘いの内容だ。
言い知れぬ興奮が蛇ノ目の身体を満たした。親友が死んだ直後で、不謹慎な気もしたが、ここしばらく気分が鬱屈していた。
気晴らしには丁度良いというぐらいのつもりであったが、全身は心の動き以上に震えているようだった。

指が勝手に動き、誘いに乗るよう返信を送っていた。椅子に身体を預け、覚めきらぬ昂りをなんとか治めようと努める。
これからの体験はきっと、今の自分が生きる価値を、再確認することになる。そう考えると、久々に自分が生命であるのだと感じた。
とりあえず風呂に入り、歯を磨いて、布団のようなものに潜り込んだ。寝られない。
ポジティブな世界の広がりが、目の前にある。そんな実感がある。
いつの間にやら疲れていたようで、蛇ノ目は眠り込んでいた。その身体には傷がいくつも残っている。今日の戦闘でも、無傷というわけにはいかなかった。残された心の傷も小さく無かった。
それでも、この眠りは彼女にとって最高の夢を見せた。最高の癒しをもたらした。夢の中には親友も首長もいた。
現実のなんと残酷で寂しいことか。それでも希望が無いわけでは無いらしい。
せめて、その欠片でも。
翌日の夜に彼女は、その味見役に預かることになる。
最終更新:2016年06月30日 00:23