キイイイイイィィィィィンンンンン…………!
両腕を大きく広げ、列を成して成層圏へと向かい飛び去って行くGFO……ゴリラ型飛行物体の連隊を、五月女水車は見た。
湿った土と、緑の虫を潰したような葉っぱの臭い。ここはジャングル。熱帯雨林のど真ん中。
ドリームマッチの世界に茫然と立つのは、稀代のスター、五月女水車だ。
彼は今、なぜ自分がここにいるのか、よく覚えていない。何やら、頭がぼんやりとする。何もかもが虚ろだ。脳髄の底が渇き、臓腑の奥に熱を感じる。
ふと地面を見ると、生えている草の一本一本が、黒く見えて来た。黒く、柔らかく、暖かい。これは、ゴリラの体毛だ。水車は今、ゴリラに包まれているのだ。
顔を上げると、そこはゴリの国。生い茂る木々にはゴリが鬱蒼と茂り、落ちたゴリの実を野生のゴリラがもしゃもしゃと食み、木の洞には気弱なゴリラがもどかしそうに水車を見つめている。水車は、ため息をついた。
「夢だからといって、こんな無茶が許されるというのだろうか」
水車は、気持ちを落ち着かせるため、木々の洞に隠れたゴリラとかくれんぼを始めた。大丈夫。俺は正常だ。ちゃんと、道行くゴリにスター性を感じる。
そこでついに、水車は自分がおかしなことを考えていることに気が付いた。
ここは、ジャングルだ。
『道行くゴリにスター性を感じる』
道なんて、どこにもないではないか!
水車は、とっくに対戦相手である芳原梨子の魔人能力、『ゴリのゴリリズム』に当てられていた。
芳原梨子は、夢の世界に入るとき、コミケ3日目に参加していた来場客約20万人を全てゴリラ化し、夢の戦いに挑んだ。
『ゴリのゴリリズム』は、感染する。ゴリラからゴリラへ。そのゴリラからまたゴリラへ。
水車は、夢の戦いが始まった瞬間からゴリラに囲まれていた。その結果、『ゴリリズム』は瞬時に水車の脳髄に叩き込まれ、既にレベル3まで到達していた。
水車は、聞いている。あの旋律を。
(ゴリリズム♪ ゴリリズム♪ ゴリリズム♪ ゴリリズム♪ ゴリリズム♪)
ゴリリズムは、ゴリラから水車に感染し、水車からゴリラに感染し、またゴリラから水車に感染していく。
今水車に見えているのは、ゴリラが見る景色。ゴリラ・パンデミックは止まらない。
ゴリリズムは、繰りかえす。
ふんがーどんがーふんがーどんがー。
「アハハハハハー! ゴリラ! ゴリラしかいない! ゴリラサイコー!」
ゴリラ連隊を引き連れた芳原梨子は、ジャングルをただ楽しそうに行進していた。
彼女がその豊満な胸を揺らしながら歩き、ゴリラゴリラと叫ぶことで、『ゴリリズム』は拡散していく。
それは、ジャングルの動物たちに。それは、ジャングルの虫たちに。ジャングルの植物に。微生物に。大気に。
こうして、ゴリラの円環は無限に広がっていき、いずれこの世の全てはゴリラに満ちる。ゴリリズムは、ゴリループとなる。芳原梨子が、死なない限り。
当然、現実では世界がゴリラになる前に、芳原梨子が殺されることで、世界はゴリラを免れるだろう。だが、この夢の世界では、芳原梨子を殺せるのは対戦相手以外にいない。
ゴリループは、止まらない。
「ゴリラ。ゴリラ。ゴリラがゴリラ。ゴリラがゴリラで、ゴリゴリラ」
戦闘が始まってから、8時間が経過した。水車は、完全にゴリラになっていた。意味の分からないゴリラ語を呟きながら、ほかのゴリラ達と共にゴリの木を植え、ゴリの水を飲み、ゴリの空気を吸い、5リラで買い物をした。
水車がまだ敗北していないのは、芳原梨子と出会っていないおかげだ。誰だかわからない相手に、降参もくそもない。勝負はまだ始まってすらいないと、夢の戦いは判断しているのだ。
だが、今の水車は完全なるゴリラであり、芳原梨子の奴隷である。一度出会えば、その瞬間勝敗は決するだろう。ゴリラしかいないこの世界に、芳原梨子が満足した瞬間が、決着の時なのだ。
ぽつぽつと、空からまばらに小雨が降ってきた。水車は、空を見た。
空には、巨大なメスゴリラが浮かんでいた。そのゴリラは、恥ずかしそうに頬を染めながら、その股間からぽたぽたと水をたらしていた。
恵みの雨。それは、ゴリラの尿。
水車の心を、巨大な衝撃が襲った。心臓が破裂しそうに高鳴り、涙を流しながら、気が付けばなんの意味もなくただ叫んでいた。
「尿だアァーッ!」
何かを思い出しそうだった。野生であるゴリラには決して到達できない、人間を人間たらしめる変態性が、水車の心のドアをガンガンとノックし続ける。
どうしようもない焦燥。こんなことをしている場合ではない。俺は、ゴリラでいてはいけない。
水車の体が小さくなる。黒い毛が抜けていく。あの旋律が離れていく。まるでゴリなあの衝動が、消えていく。
水車が尿を漏らしたその瞬間、水車は、完全な女性の姿に変化した。
『ニューヨーク・オーシャン』発動。水車は、自身の尿をふわふわと浮かべながら、耳を澄ませる。ふんがどんがと、音が聞こえてくる。もう、迷わない。
「私は、ゴリラじゃない」
水車が、決着をつけるため、駆け出した。
「変態だ!」
芳原梨子が初めに感じたのは、不快感だった。例えるなら、チャーハンのグリーンピース。酢豚のパイナップル。ハンバーグに添えられたニンジンの温野菜。
大好きなものしかない世界に、異物が混入する。それを、芳原梨子はどうにも許せない性質だった。
ゴリラの群れをかき分けるように、自分に向かって走ってくる五月女水車という異物を、芳原梨子は許せない。
「やっちゃえ、ゴリラ達ー!」
芳原梨子が、20万匹のゴリラ全てに轟くかのような雄たけびを上げた。その瞬間、全てのゴリラが一斉に五月女水車に向かって飛びあがってきた。
水車は、自身の尿をほんの1滴ずつ、ゴリラ達の鼻に向かって飛ばす。それだけで、十分だった。
「ホガアアアアアア!」
「キョホオオオオオオオオオ!」
「意外と悪くない!」
「むしろご褒美!」
「もっとくれ!」
水車の魔人能力『ニューヨーク・オーシャン』は、尿を自由自在に操る。それは、尿を構成する成分すらも。
尿の持つアンモニアを増幅し、臭気を通常の尿よりはるかに強くした。強い嗅覚を持つゴリラが食らえば、ひとたまりもない(※効果には個人差があります)。
ゴリラの群れを押し返しながら、芳原梨子に近づく五月女水車。芳原梨子に、戦闘手段はない。ここで、尿を顔射すれば、窒息死させることは容易だ。なにより、かわいい女の子の顔面に尿をぶつけるとか、これ以上ない喜びだ。
やらない手はない!
「悪いけど、勝たせてもらうよっ!」
五月女水車が芳原梨子に向かって、今まさに尿を打ち出そうとした時だった。
芳原梨子は笑った。
そして、五月女水車は硬直した。
芳原梨子が、黒色のタイツを脱ぎ、スカートに隠された陰部から、じょぼじょぼと水を垂れ流していたから。
これは、放尿だ。
芳原梨子は、放尿をしているのだ。
「五月女水車さん。あなたは、女の子がおしっこをする姿を見るのが、大好きなんだってね」
くすくすと笑いながら、芳原梨子は尿を出し続ける。五月女水車は、食い入るように見つめるしかない。
「ゴリラのみんなが教えてくれたの。あなたが、積ゴリ乱雲がおしっこをする姿を見て、正気を取り戻したって」
芳原梨子は、尿をたらしながら、一歩ずつ五月女水車に向かって歩く。それを水車は、へたり込みながら茫然と見続けた。
水車の鼻の下が伸びる。少しずつ黒色の毛が生えてくる。
これは仕方ないことなのだ。生まれて初めて、自分好みのかわいい女の子が、自分が最も愛するシチュエーションを提供してくれて、動揺しない男がいるだろうか。
特に水車にとって、その姿は女神のような神々しさを放っていたに違いない。
水車は、変態だから。
「こういうのが、好きなんでしょ?」
水車はがくがくと、首を何度も縦に振る。
水車は、大好きだ。股間から勢いよく尿が出る姿が。ちょろちょろと勢いが弱まっていく様が。水が滴る太ももが。濡れそぼった靴下が。
尿が、大好きだ。
芳原梨子は、ひざまずく水車の目の前に立ち、自身のスカートをたくし上げた。濡れた陰毛と、陰部からぽたぽたと垂れる雫があらわになった。
芳原梨子は、にこやかに笑った。
「ゴリラになってくれたら、何度でも見せてあげるよっ!」
「ゴリラ、サイコー!」
体が膨れ上がった。黒い体毛が飛び出た。ゴリラ語が理解できるようになった。
あの旋律が聞こえた。
ゴリリズムは、繰り返す。
ふんがーどんがーふんがーどんがー。
山々はゴリラ。流れる川はゴリラ。空気中に含まれるゴリラ。というか、空気がゴリラ。
本来太陽があるべき場所には、ゴリラのにこやかな笑顔が浮かんでいる。
芳原梨子は、ゴリラとなった世界を、ゴリラを引き連れて、心底楽しそうに行進していた。
これが夢なのか、現実なのかは、もう誰にもわからない。