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猫。無数の猫。どれも下半身が潰れた瀕死の猫。地平線まで続く、瀕死の猫の海。拳を振り下ろし、猫の頭を叩き潰す。しかし、猫は死なない。次々に頭を叩き潰してゆくが、瀕死の猫は一匹も死なない。殺しても殺しても、猫たちは死なない。それでも殺し続ける。死なない猫を延々と殺し続ける。


ダンゲロスSSDMSet2補遺SS『白球、未来に繋ぐべく』



本人には理由の解らぬことだが、大鋸草菊(おがくさぎく)の心は疲弊し、荒み切っていた。賢明な読者諸氏は、彼女の消耗が悪夢によるものだと推察されたことだろう。草菊は数日間悪夢を見続けた後に目覚めたが、悪夢の記憶は消え去り、後には嫌な感覚だけが残っていた。

草菊は心優しい少女であった。彼女が目覚めた異能『生命賛歌(ライフ・イズ・ビューティフル)』は、他者を死から遠ざける能力。虫も殺さぬ、という形容こそは彼女に相応しい。草菊が、魔人としても規格外であるその膂力を振るい、対峙した敵を物言わぬ肉塊に変えたとしても、命だけは助かるのだ。

『生命賛歌』の加護がある限り、暴力衝動は草菊の善き友であった。心優しく善良な草菊は、無辜なる弱き者を援け悪逆なる暴力の徒を挫く勧善懲悪の信捧者である。正義が過剰となれば悪との境界は定かでなくなるが、草菊に限ってはその心配はない。命さえ残れば、いくらでもやり直しはきくのだから。

ぐちゃり。ぐちゃり。廃墟となった工場に、鉄骨支柱へ肉体を叩き付ける湿り気を帯びた激突音が響く。草菊が両手にぶら下げているのは、何らかの悪事を働こうとしていた暴漢二人。もはや抵抗する気力も骨格構造も失って為すがまま交互に鉄骨制裁を受けるだけであった。しかし、草菊は浮かない表情である。

ぐちゃり。右手に持った暴漢を鉄骨に叩き付ける。しかし、草菊の眼鏡の奥の瞳の輝きは弱い。ぐちゃり。左手に持った暴漢を鉄骨に叩き付ける。全身の骨が砕けたぶよぶよの鞭のような手応えは少し面白くはあるが、以前のような気持ちの高揚感はない。ぐちゃり。ぐちゃり。大鋸草菊は心優しき少女だ。

心優しき草菊の心の深い場所に悪夢の残滓がこびりつき、彼女からあらゆる喜びを奪っていた。卑劣な悪党を誘い込んだ正当な破壊衝動発散行為をいくら繰り返しても、その心は晴れることはなかった。二人の悪漢にとって幸運なことに、草菊はほどなく破壊行為に飽き、彼らを捨て置いて廃工場を後にした。

「オガちゃん?」「こんな所で会うなんてめずらしー!」「塾帰り?」「あれっ、今『工場』から出て来なかった?」ふと気づくと、草菊の背後から若者の一団が声を掛けてきた。その中には希望崎学園のクラスメイトもいた。迂闊。こんな所をウッカリ見られてしまうなんて。

人数は5人。男子3名、女子2名。そのうち2人の男子と1人の女子は他校の生徒のようだ。知っている顔の2人は、希望崎生としては平均的なポジションの連中であり、こんな夜遅くに出歩いてることからも判るようにすこぶる素行が悪く、大人しくて目立たぬ心優しき草菊は、彼女たちとあまり話したことはなかった。

(いけない)草菊は心優しき少女であり、夜な夜な街を徘徊して犠牲者の肉体を粉々に破壊する姿なきバイオゴリラと同一怪物であってはいけないのだ。咄嗟に否定の言葉を発する。「いえ、寝付かれないので散歩をしていたんです」だが、『塾帰り』という相手の予想に乗っかっていた方が正解だった。

「じゃさ、ちょっとウチらと喋ろ?」「いえ、でも……」「暇なんでしょ? 私、オガちゃんにちょっと興味あったんだー」「あの、ええと」暇であると言質を取られたのが失敗だった。クラスメイトの少女は、大人しい草菊には信じられない距離感でグイグイ来て、草菊の手を取って廃工場内へと入ってゆく。

(いけない、工場にはあの方々が……)心優しい草菊が死亡寸前まで痛め付けた暴漢の成れの果てが2体転がっている。クラスメイトに発見され、草菊の仕業であると疑われるのは避けたい。しかし、内気で大人しい草菊には、彼女たちのアグレッシブなコミュニケーションに対抗する技術はなかった。

工場の中には様々な加工機械が乱雑に放置されている。ちなみに乱雑な原因の2割ほどは先ほど草菊が振り回したことである。工場の持ち主が夜逃げしてから、経過すること数年。機械たちは錆び付いて、もう動かない。そして、暴力行為に夢中で気にならなかったが、機械油のにおいが未だに強い。

「なんか、おととい来たときより荒れてない?」自分の手を引く級友のチコがそう言ったのを聞いて、草菊はぎくりとした。先頭をゆく男子の持つ懐中電灯が、暴漢二人の成れの果てが転がる付近を照らした時には、草菊は心臓が爆発するかと思った。だが、一行はそこを通りすぎ、奥の休憩所跡に辿り着いた。

黄色く変色したプラ板に手書きで「休憩所」と書かれた小部屋には、分厚い木の板でできたテーブル――おそらくはかつて工場で働いていた作業員の手作りであろう――を囲むように5つの錆びたパイプ椅子が置かれていた。男子の一人がもうひとつパイプ椅子を広げようとしたが、それはバキリと壊れた。

仕方がないので彼は、適当な箱を引っ張ってきてそれに座った。草菊は彼の名を知っている。たしか、1-Fの生徒だ。名字がカラスにサンズイのカワと書いて「ギンガ」と読む変わった読み方なので覚えていた。下の名前は知らない。テーブルの上にはランタンモードに切り替えた懐中電灯が置かれた。

テーブルの上にはコンビニで買い揃えた菓子や飲料が並べられてゆく。マイカ、と呼ばれている少女は左手だけで手際よくレジ袋から商品を取り出している。彼女の右腕は、義手のようだ。飲料の中には、案の定アルコールも混じっている。未成年である彼女たちが、どうやって酒を買ったのだろうか。草菊は眉をひそめた。

「カンパーイ!」草菊は、試しにお酒というものを飲んでみようかとも思いつつも、オレンジ色のジュースを注いでもらった。会計は後日、チコから割り勘で請求されるらしい。全員の自己紹介が終わった頃に、草菊はようやく自分がこの場に招かれた訳を理解できた。要するに、合コンの欠員補充であったようだ。

チコ、マイカ、カズマの3人は非魔人とのこと。残りの2人は草菊同様に魔人だ。カンタロウの能力は、全てを貫通する球を81回投げられる『人投零打(ペネトレーター)』。タカオの能力は酒を買う時にも役立った『パーフェクト中年』。能力を明かすのは、合コンをフェアに進めるために重要な手順である。草菊は……非魔人であると偽った。

「『サンダーボルト』は何となく解るけど『ラグナロク』って何?」「ラグナロクってのは、どこかの神話に出てくる最強の剣の名前だよ」マイカの問いに、カンタロウが知ったかぶりの間違いで答えた。(違う……)草菊はそう思いつつも、無言でオレンジジュースを飲んだ。とても美味しいジュースだった。

望まずして巻き込まれた合コン状況ではあるが、草菊は意外と楽しんでいた。参加者たちは話してみれば結構いい人たちだったし、何てことのないミニゲームもわりと楽しめたし、オレンジジュースはとっても美味しい。なんだかフワフワして良い気分。……草菊は、完全に油断していた。

「オペレーション!」そう言いながらチコが対面のタカオを指差す。「サンダーボルト!」タカオは草菊を挟んで二つ左のカズマを指差す。「バーン!」カズマは正面のマイカに銃撃を行う。「ギャーッ!」マイカは両手を挙げて死亡リアクション。彼女の右腕は肘から先が義手なので、動きが少しぎこちない。

「オペレーション!」マイカが右隣のカンタロウを左手で指差す。「ラグナロク!」カンタロウは右隣のチコを右手の親指で指名する。「バーン!」チコは楽しげに草菊へ銃撃を放った。これが本物の弾丸なら避けるだけなので簡単だが……草菊は戸惑った。ルール説明をよく聞いてなかったのだ。

(たしか、サンダーボルトとラグナロクでは違う動きをしなければ……)そこまでは聞いていたが、ラグナロクが本来は剣ではなく神々の最終戦争を意味するということに気を取られて、肝心の動作を聞き逃してしまったのだ。一瞬の遅れの後「ギャー?」草菊は小さな断末魔と共に小さく万歳した。

「クーちゃんアウトー!」チコが、草菊のリアクションミスを宣言した。ラグナロクの場合はテーブルに伏せる動作が正解である。余談だが、伏せる動作はこの場では『身を低くして剣を避ける』と解説されていたが、本来の意味は『地形に密着して撃ち込み点を稼ぐ』動作である。

(いけない……ここで失敗したのは、とても良くないです……)草菊は焦った。ゲームでミスした者には、質問が行われる。最初のうちは「親しい友人から呼ばれる愛称は?」程度の他愛ない質問だったが、だんだん恋愛経験を問うなどの危険な質問が出てきた頃合いだ。(いけない……)頭がフラフラする。

カンタロウ達の名誉のために再確認しておこう。草菊は、自分で『オレンジジュース』を選んで手に取ったのであり、罠にかける意図はなかった。マイカは、ゲストの為に自分の好きなカクテル『スクリュードライバー』を諦めて譲ったのだ。そして、チコから放たれた質問は非常にシリアスであった。

「大鋸さん、最近元気ないみたいだけど、何かあったの?」LEDランタンの鋭利な光に照らされたチコの表情は真剣であった。そもそも彼女は、この質問をするために草菊を招いたのである。「……」草菊は、咄嗟に答えることができず、しばしのあいだ談話室を沈黙が支配した。

「そんなこと……ありません」草菊はそう答えるのがやっとだった。何故だろう、頭が回らない。「嘘。本も読まずに溜め息ばっかりついてるし、朝木さんと喋ってるときも上の空でしょ?」チコは更に詰め寄る。このクラスメイトが、自分のことを良く見てたことに草菊は驚いた。頭がグラグラする感覚。

草菊は観念して正直に話した。「実は最近、何をしても憂鬱な気分が晴れないのです。でも、心当たりは全く」「そうかな?」口を挟んだのは、カズマであった。彼はカンタロウと、リトルリーグ時代からの友人で、ここに居る6人の中では最も学業優秀で私立の進学校に通っている。

「大鋸さんは、隠し事をしている。正直に悩み事の理由も話して欲しいな」カズマは、草菊のことを一目見て気に入り、最初からずっと彼女のことを見ていた。それゆえ、彼女が多くの隠し事をしていることに気付いていた。草菊の趣味は読書だけではない。彼女はこの工場で何かをしていた。そして――

「本当は、魔人なんだよね?」カズマは既に見抜いていたのだった。「い、いえ、違……」草菊ほ否定しようとしたが、舌が上手く回らなかった。カズマは更に追求する。「カンタロウが能力説明した時、微かに避けるような動きをしてたよね? あれはコイツとの戦闘をシミュレートしてたんじゃないのかな」

「つまり、君は魔人、しかも直接戦闘が得意なタイプ。違うかな?」カズマは頭は良いが、6人の中ではある意味最も馬鹿である。得意気に相手の隠し事を暴きたてる賢さアピールで、好感度が上がるわけないのに。「……!」草菊は声にならない悲鳴を上げた。バレてしまった。どうしよう。……暴力?

草菊はうつむき、拳をぎゅっと握り締めた。魔人であることは、人に知られてはいけない。暴力で以て口止めすべし。しかし、その様子を見てチコは誤解した。「やめなよ、カズマ君。クーちゃん泣いちゃうよ?」「あっごめん」カズマは引き下がり、草菊は拳をゆるめた。

少しぎこちなくなった場を和まそうと、チコは秘策を繰り出した。「家でクッキー焼いてきたんだ。みんな食べて」トートバッグの中から取り出されたのは、風呂敷に包まれた中ぐらいのタッパー。結果として、それが惨劇の引き金となってしまった。

アルコールに侵された草菊の脳裏には恐るべきヴィジョンが結ばれた。机に置かれたチコのタッパーから、ずるりと災厄が這い出す。災厄は人の形をしており、白い肌に死斑めいて青い血管が浮き出た手が、草菊を掴まんと近付いてくる。何本も。何本も。「ひ」草菊は短い悲鳴を上げ、悲鳴と同じ速度でチコに正拳突きを放った。

だが、草菊の拳は、チコには届かなかった。草菊の右手首を、何者かの左手が掴んで制止し、捻った。ふわり。体が宙に浮く。ランタンの明かりに照らされた影が回転する。回りながら、草菊は自分を投げ飛ばした者の顔を見た。マイカ――妃芽薗学園1年、港河真為香(みなとがわまいか)

マイカは魔人ではない。それどころか、腕力だけならカズマはおろかチコにすら劣る。だが、近接格闘の格闘性能はタカオやカンタロウよりも上であろう。マイカは右腕と引き換えに到達した合気道の極意の名は『彼我合一の境地』。草菊の攻撃力は、即ちマイカの攻撃力に他ならない。

草菊の主観時間が鈍化し、ランタンに照らされた暗い室内がゆっくりと回転しているのが見えた。カンタロウは一歩引き、ポケットから何かを取り出そうとしている。要注意。タカオも立ち上がり、状況に対応する姿勢。一応は魔人だ、警戒はしておくべきか。カズマとチコは呆然としている。戦力外。

皆さんも、飲み会帰りのゲーセンでシューティングゲームをした時、普段よりも弾幕が異常にはっきりと見えた経験があるだろう。これは、アルコールによって脳が覚醒した為であろうか。私の考えは、否である。むしろ実態としてはその逆で、明瞭な酩酊視界は脳機能の鈍痲によってもたらされる現象だ。

本来ならば危機感を感じなければいけない場面なのに、アルコールの影響で状況を漠然と『眺めてしまう』。結果として普段は見えてないものがよく見える『こともある』のだ。だが、危機感の欠如により的確に対応できる確率は非常に低い。草菊は、ここで戦闘を継続するべきではなかった。

いずれにせよ、最優先で対処すべきは自分を今、投げ飛ばしているマイカだ。草菊は投げの流れに逆らわず、右正拳に更なる力を加えた。突きの力はマイカの左掌でいなされて回転力に変換される。投げ技の回転が加速する。しかし……。ぐるり。二人の繋がった手を軸に、マイカの視界もまた旋回した。

奥義『彼我合一の境地』は、相手と自分の精神を同期することによって『気』を合わせ、敵の力を利用する技術である。マイカには、草菊が突然攻撃に転じた理由が分からなかった。故に、彼我合一が浅かったのだ。合わせ損ねた『気』が、呪詛返しの如くマイカに返り、マイカの身体も宙を舞った。

カンタロウが、投球姿勢に入った。全てを貫通する球を投げる能力。当たり所が悪ければ即死だ。「I’m a perfect中年.」タカオが首をかしげて変身ワードを唱えた。体格が一回り大きくなってゆく。特にウエスト周りが。チコとカズマも遅れて立ち上がる。草菊とマイカは空中で錐揉み回転中。

その右手に握られた白球は、ピンポン玉。『人投零打』による貫通付与により空気抵抗による減速はなく、投擲された球は初速のままに標的へ到着する。ゆえにピンポン玉は、重量とサイズのバランス的に最適なボールのひとつだ。草菊が着地しようとする脚を狙い、カンタロウは全力投球した。【残り80球】

だが、カンタロウの投球モーションを、草菊は冷静に見ていた。普通に着地するように見せ掛けて着地狙いを誘ったのだ。カンタロウがフォーム修正の効かなくなったタイミングで、草菊はマイカの左腕をぐいと引っ張った。マイカは、草菊に抵抗できなかった。

合気の反作用を得るための地面から切り離されているから?違う。合気道はその程度で機能不全に陥るような甘い技術体系ではない。マイカが草菊の心身と同期できていないから?違う。先程の攻防で彼我合一の調整は完了している。右腕が戦闘用でなく日常生活用の装飾義手だから?それも違う。問題は、この空中回転であった。

空中で引き寄せたマイカの腹部に草菊は右足を叩き込み、タカオの方向へ蹴り飛ばした。ミシリ。マイカの骨が軋むが、右腕を失った時の痛みと比べればどうということはない。だが、胃にダメージを受けたのが問題だった。蹴りの反動で二人が離れる。その下方を高速で貫通弾が通過し、壁の向こうに消えた。

草菊は上体から床に着地。両手をついて90度方向転換しながら壁を蹴る。壁面が靴の形に凹み、草菊とカンタロウの距離が一気に詰まった。タカオは飛んできたマイカを受け止め、一歩後退りして膝をついた。マイカの胃の中で、回転撹拌された酒が渦巻く。「やめて!」チコが叫んだ。

チコの叫びは戦況に何の影響も及ぼさなかった。カンタロウは次の球をポケットから取り出そうとしたが、遅かった。草菊がカンタロウに肉薄し、右拳で顎を突き上げた。マイカは口を閉じて一瞬堪えようとしたが、駄目だった。「おええええ」胃の内容物を、タカオの膝にぶちまけた。

顎を突き上げられたカンタロウの大きな体が縦に伸びる。がら空きになったボディに草菊の拳が連続で叩き込まれる。左。右。左。カズマはまだ状況を理解できず、怯えて見守るだけだった。モスコミュール。ソルティドック。カシスオレンジ。複数のカクテルを混ぜ会わせた液体がマイカの口から溢れる。

「あははっ」草菊は笑った。「あははははははっ!」楽しげに笑いながら、カンタロウに何度も拳を打ち込んだ。反撃も、防御も、回避もさせなかった。(女の子のゲロって……いい匂いがするんだな……)タカオは気を失ったマイカを、そっと床に横たえた。【港河真為河:脱落。敗因:飲みすぎ】

タカオ――鎌倉市立大仏殿高校1年、深日隆夫(しんじつたかお)の能力『パーフェクト中年』は、自らを完全な中年男性に変化させる能力である。それって戦闘に役立つの?という疑問は尤もだ。身体能力、反射神経、思考力、いずれにおいてもピークは20歳前後。普通は高校生の方が中年より体力がある。

だが、中年には中年の武器がある。培ってきた経験と、それに裏付けられた的確な判断力とかそういうのだ。だから、たとえカタログスペックで若い頃に劣っていたとしても、人生のうちで最強なのは中年の時である。筆者は、そう思いたい。

余談だが筆者は、大学生時代にどうしても2面を越えられなかったダライアス外伝を、中年になってから全ゾーンクリアを達成した。反射神経による弾幕能力は明らかに低下しているにもかかわらず、である。それが、中年の力だ。タカオは、連撃に夢中な草菊の背後にそっと近付いた。

(彼女は、混乱している)それが、タカオの判断であり、大筋で正解だった。草菊に背後から組み付き、しばらく制止すれば落ち着きを取り戻すだろう。「あははははっ」これが、魔人との戦い!草菊は歓喜していた。今まで殴ってきた、脆弱な肉体とは全然違う。その悦びが、背後への注意をしばし鈍らせた。

タカオが素早く踏み込んだ。そこでようやく、草菊がタカオの接近に気付いて背後に視線を向ける。既に草菊が反応可能な距離は失われていた。しかし――タカオは先程抱き止めた、マイカの柔らかさと甘い香りを思い出してしまった。もしかして、中年男性が背後から女子高生に抱き付くのは絵的に不味いのでは?

タカオが躊躇して動きを止めた一瞬は、草菊にとって十分すぎるほど長い時間だった。草菊はしゃがみこむ。さっきまで草菊の体があった空間をタカオは虚しく抱きしめる。しゃがみ姿勢のまま振り返りざまに放たれた草菊の肘打ちが、タカオの股間にヒットした。ぐちゃり。何かが潰れる音がした。

ごあんしんください!草菊の『生命賛歌(ライフ・イズ・ビューティフル)』があるから大丈夫です。明らかに球が潰れたような音がした気がしましたが、タカオ君の未来に繋ぐべき可能性はもんだいありません。股間を破壊されたタカオは、白目を剥きうつ伏せに倒れた。【深日隆夫:脱落】

だが、タカオの行動は無駄ではなかった。カンタロウは連続打撃から抜け出し、部屋から転がり出る。転がりながら血を吐く。腹が千切れたように痛む。草菊が“楽しんで”なければ、とっくに意識を飛ばされていたことだろう。カズマは非魔人。もしチコが密かに魔人だったとしても戦闘タイプではあるまい。

カンタロウ――希望崎1年F組、烏河貫太郎(ぎんがかんたろう)は心優しき青年である。彼は小学6年の時、リトルリーグの試合中に魔人として覚醒し、キャッチャーと審判をまとめて貫通殺してしまった。それ以来、カンタロウは二度と人を殺さないと心に誓い、野球も辞めた。

カンタロウが貫通弾を投げるには条件がある。それは「本気で投げる」ことだ。逆に、本気で投げた場合は、望まずとも貫通属性をボールに付与してしまう。これでは、スポーツに本気で取り組むことは不可能だ。だからカンタロウは本気になることを辞め、毎日を面白おかしく過ごすことに決めたのだ。

しかし、友人が暴威に晒されている今。ここで本気にならなくてどうする!カンタロウはポケットから次弾を取り出した。草菊がカンタロウを追ってくる。「避けないでくれ!」カンタロウはサイドスローで貫通弾を投げた。6個のパチンコ玉が、低い軌道で高速射出された。【残り74球】

(優しいのですね……)草菊の眼には、暗い工場内を飛来する6個のパチンコ玉がはっきりと見えていた。先程と同様に草菊の脚狙い。命を奪わずに草菊の動きを止めようとしている。カンタロウの全力投球による球速は、およそ時速800km。これは、音速近い銃弾を見切れる草菊にとって容易に回避できる速度だった。

草菊は六筋の弾道を完全に見切り、横に飛んで躱し、床に固定された工作機械を蹴って接近すべくカンタロウの方向を見た。――弾幕を回避する時、軌道を視認して回避するのは最善の方法ではない。最善の方法は、弾自体を撃たせないこと。次に良いのは、誘導して避けやすい場所に撃たせること。

軌道視認から回避までの一瞬、草菊はカンタロウから目を離した。ゆえに、気付くのが遅れた。いや、町の明かりが微かに射し込む暗い廃工場の中、着弾前に気付けた草菊の視力に驚嘆すべきかもしれない。飛来する、胡麻粒ほどの小さな無数の金属球。顔面直撃コース。回避不能。

ボールベアリング。封入された多数の小金属球によって摩擦ロスを軽減する軸受機構である。カンタロウは、隠し持っていた直径数ミリのベアリング用金属球を、見えない散弾として投擲したのだ。そして、スイッチピッチング。右腕の投球を終えた直後に隙を作らず次弾を発射できる、利き腕でない左腕での投球。球速は右投げより如実に劣るが、全力投球であれば貫通効果が付与されることに変わりない。

草菊は、カンタロウの連続投擲間隔を読み誤り、視線を逸らしてしまったのだ。そして“避けないでくれ”と言った意味を知った。それが、カンタロウは優しさであった。“避けたならば、命の保証はできない”からそう言ったのだ。草菊は死を覚悟した。数十個の小球体が、皮膚を突き破り、頬肉を貫通し、瞼を突き抜け、眼球に突き刺さった。

「あははははっ!」金属製の雨を顔面で受け止めながら、草菊は笑い、工作機械を蹴った。ぐしゃり。鋼鉄の機械が粘土模型のようにひしゃげ、その反動で草菊が跳ぶ。(まだ動ける。それならば最期に一撃――)カンタロウの顔面に、渾身の肘を叩き込む。

カンタロウは心優しき青年であった。だから、草菊を殺しうる軌道で、全力投球することができなかった。ベアリングの散弾は草菊の顔に無数の穴を穿ったが、致命的部位まで貫通することはなかった。草菊の肘が、カンタロウの左頬骨を破壊。そして、彼の意識は跡絶えた。

カンタロウを倒した後で、草菊は自分がまだ生きていることに気付いた。(殺す気だったなら……私は死んでいました。本当に、優しい方なのですね……)そして草菊は、蓮の花托が如く穿たれた数十の孔から血が滲み出す顔を、休憩室の方に向けた。(あと……二人……)そして、草菊の前にカズマが立ち塞がった。

カズマ――名門私立ジャッカロープ学園1年2組、三ノ宮和馬(さんのみやかずま)は、率直に言ってバカだった。彼は、参加者6人の中で唯一、この合コンが合同コンバットとなる可能性を想定していなかった。カズマは何か言いかけたが、草菊の手刀で頚椎を折られたので何も言えず床に倒れた。【三ノ宮和馬:脱落】

あとはチコ一人。まだ休憩室の中にいるようだ。心優しき草菊は、最後の一人を仕留めようと、暗く、機材が散乱して足元の悪い廃工場の中をゆっくりと休憩室に向かった。その時「痛っ……?」突然、草菊の左足に激痛が走った。何か危険物でも踏んでしまったのだろうか。彼女は、足元を見た。

真っ黒な、まるで闇を素材にして造られたような漆黒の杭が、草菊の左足を貫いて床に縫い付けていた。(これは魔人能力……!? まさか、チコさんも魔人だったということ……?)そう。チコ――希望崎1年A組、千城智子(ちしろともこ)は魔人であり、復讐のためにそれを隠していた。

休憩室から現れたチコの周りには、4つの黒い球体が浮かんでいた。「その杭は、マイカの分の仕返し……」チコは、復讐者である。三年前のある夜。チコの父親は何者かに惨殺された。その日、チコは復讐者として魔人覚醒したのだ。能力名『リベンジパイル』。

「これは、タカオ君の分」チコの側に浮く黒い球体のひとつが、細長く変形しながら射出される。それは、影の杭となって草菊の右足の甲を貫き、床に縫い付けた。「カンタロウ君の分」影の杭が、草菊の左の二の腕に突き刺さる。「カズマ君の分」右の二の腕に突き刺さる。

「そしてこれが……」一際大きな黒い球体が、ズズズズと低い唸りを上げながら変形し大きな杭の象をとなる。「台無しにされた私のクッキーの分!」ズドン! 射出された巨大な影の杭が、草菊の腹部を貫いた。「ぐあっ……」草菊は呻き、暗い工場の天井を仰いで倒れた。

チコの能力は、恨みのエネルギーを影の杭として実体化して攻撃する能力。社交的で明るく見える普段のチコは世間と折り合いをつけるための仮面である。真の顔は、恨み事を絶対に忘れない執念深い性格なのだ。

――口止めのために草菊が用いる手段は、大きく分けて四種類。一、相手が口外する気を無くすまで殴る。ニ、相手が口外すべき記憶を無くすまで殴る。三、相手が口外するための機能を無くすまで殴る。人間の心と脳と肉体は脆く儚く、暴力に対してあまりにも無力だ。それゆえ、命の輝きは美しい。

五本の影の杭を身体に打ち込まれ、加工機械が乱雑に散らばった廃工場の床に横たわる草菊にチコが語りかける。「前から大鋸さんのこと、気になって見ていたんだ」ランタンの灯りは背後にあり、チコの表情は窺えないが、口調に怨みの色はもはやない。「大鋸さん、何か隠し事をしてる感じだなぁ、って」

「やっぱり、魔人だったんだね。私も人のことは言えないけど」チコもまた、自分が魔人となったことを隠して生きてきた同類であったため、草菊の纏う違和感を敏感に察していたのだ。草菊は考えた。(千城さんが敢えて能力を見せたのは……御互いに秘密にしようという意味、なのでしょうか……)

四、相手に口外しないことを約束してもらう。それは過去に唯一人、朝木水仙に対してのみ用いた手段。水仙は、草菊にとって唯一無二の親友であった。その水仙と同じ席にチコを座らせることは、水仙に対する裏切りになると草菊は思った。影の杭で貫かれた両腕を、悟られぬようそろりそろりと伸ばしてゆく。

手が、工作機械に触れた。重量500キログラム程の小さな旋盤台。床に太いボルトで固定されているが、ばきり。草菊が両腕に力を込めて引くと、剪断力に耐えきれずボルトは破断した。剪断は太ボルトよりも芳し、の言葉の通りに。「あっ」破壊音に気付いたチコが逃げようとするが、逃げ場はなかった。

仰向けに横たわった姿勢から、サッカースローインのような動きで旋盤台を投げ飛ばす。ぶうん。風切り音を立てて質量が飛ぶ。逃げようとするチコの背後から工作機械が襲い掛かり、その上体を圧し潰した。【千城智子:脱落】

両腕、両足そして腹部に打ち込まれた影の杭が、夜の闇に溶け込むように消え去った。穿たれた孔から、どぷりと血が流れ出す。「ふふっ」草菊は、痛みよりも楽しさが勝り、思わず笑った。心の底から笑ったのは本当に久し振りだった。思いっ切り身体を動かすのって、最高に気持ちいい!

「さあて、」大穴を穿たれて痛む腕をぐるりと回す。「しっかり口止めしなければいけませんね」口止め対象は五人。草菊は心優しき少女である。それを、五人にはしっかりと解っていただかなければならない。そのためには、多少は荒っぽいことをしなければいけないかもしれない。

その時、周囲の空気が突然変わった。草菊の周りの解像度が落ち、工場内部が荒いテクスチャのローポリゴンで覆われた。(これは……? 一体何事でしょうか……?)ウー! ウー! 草菊の脳内に剣呑なサイレン音の幻聴が響き渡る。

カメラが草菊の側方から背後に回り込み、そのまま草菊の視線をなぞるように天井へティルトする。
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WARNING!!
A CUTE BATTLECINDERELLA
KANI-CHAN
IS APPROACHING FAST
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視界を覆うアラートメッセージが縮小しながら画面左下に収まると、ドゴォ! 工場の天井を突き破り、赤いサイバネ甲を纏った巨大なサイバネ☆クローの両腕を持つ少女が突然現れた。カメラはズームアップし、少女の不敵な表情を捉えて一瞬停止。果たしてこの乱入者「蟹ちゃん」とは一体何者なのか……?

参考アンケート結果
京雀χ万人に聞きました。
ズバリ蟹ちゃんの正体は?
・真木ハル子:0%
・魔技姫ラクティ☆パルプ:71%
・パルピューラ・マジカニア・レガリス:29%

「タケダネットで調べてきたぜーッ!私も舞踏会に参加させてもらうッ!」そう、パッション属性のSレア[フォールンプリンセス]蟹ちゃんだ!その特技『HL4(ホーリーライト☆フォース)』は7秒毎、高確率でわずかな間、ライフが減少しなくなる。つまり不殺&不死。草菊の能力の完全上位互換!

地球上から隔絶した超空間に位置する魔法技術国家マジカニアは、タケダネットの干渉を受けず独立を保っていた。国策としては基本的に人間世界の動向には不干渉。しかし、完全に統制された管理社会は魔法とは最もかけ離れた存在であり、あまり好ましく思ってないのも事実である。

マジカニア王家は、反タケダネット組織である(サンシタ)家との独自コネクションを通じ、サイバー内偵を行なってきた。そして、二家の優秀なエージェントはタケダネットへのハッキングにより、この廃工場にて極秘の戦闘演習が行われるという偽情報を掴まされたのだ!

「いったい……何の話でしょうか……?」サイバネ腕の闖入者に、草菊は戸惑い、問うた。純粋に訳が解らなかったし、チコの『リベンジパイル』で負った傷は深い。あからさまに好戦的な、この蟹ちゃんとやらと戦うのは危険だと感じた。「しらばっくれるな!私は詳しいんだ!」蟹ちゃんの返事は理不尽だ。

「私の《未来視》を甘くみるなよ! 新キャンペーン『ダンゲロスSSCINDERELLA』が現在参加者募集中(※)なのはお見通しだぜ! 21時~24時の三時間で執筆する超短期間SS勝負! 皆さんも奮って御参加ください!」※本SS初出当時

「てめェが楽しくシンデレラ行為をしてたのは視てたぜ。大人しそうな顔してなかなかやるようだな清楚ビィィーッチ! 死ねェッ!」問答無用の左クロー射出! 赤熱した鋼鉄の爪がワイヤーの尾を牽きカトン推進で飛ぶ。だが草菊にとっては容易に見切れる速さだ。傷の痛みを堪えつつ最小限の動作で回避。

左にひねった草菊の身体の至近距離を炎熱の左クローが通過し、背後の鉄骨に突き刺さる。ギィーン。クローの刺さる激突音と共に、草菊は蟹ちゃんの方向へ痛む脚で走る。蟹ちゃんの右クローが展開、朱塗りのガトリング砲が姿を表す。そして、後方の左クローも遠隔展開。こちらもまたガトリング砲。

クロー射出自体も高威力の攻撃だが、真の恐怖は背後からの攻撃であった。狙いは本体と遠隔ユニットによる独り十字放火! 草菊は前方にいる蟹ちゃんの砲撃準備動作にのみ気を取られていて背後に光るガトリング銃口に気付いていない!「ヒャハハ! 死にさらせェーッ!」

だが、深手を負っているにもかかわらず草菊の踏み込みは蟹ちゃんの予測以上に速かった。二つのクローからのガトリング放火が始まるよりも一瞬早く、草菊の右拳が蟹ちゃんの細いボディーに撃ち込まれた。「グワーッ!?」ぶっ飛ぶ蟹ちゃん! 精神パルスが乱れガトリングへの砲撃指令がキャンセルされる。

一直線に廃工場の壁へとぶっ飛ぶ蟹ちゃんだが、壁に激突することはなかった。左クローのワイヤーが張り、激突前に蟹ちゃんのことを止めたのだ。そして、ワイヤーの張力反動で蟹ちゃんは元の位置へと引き戻される。そこには、草菊が左の拳を構えて待ち受けていた。

左の正拳突き!「グワーッ!?」ぶっ飛ばされ、ワイヤーで戻る。右の正拳突き!「グワーッ!?」ぶっ飛ばされ、ワイヤーで戻る。左正拳!「グワーッ!?」ワイヤーで戻る。右正拳!「グワーッ!?」ワイヤーで戻る。左! ワイヤー。右! ワイヤー。左! ワイヤー。右!

――楚の国に、矛と盾を売ってる商人がいた。「どんな矛でも貫けない盾と、どんな盾をも貫けない矛だよー」それを聞いた客は質問した。「その矛なんのために存在してるの?」商人、ニヤリと笑って曰く、「人体を貫けぬと言った覚えはないがね」商人が手にした矛は、客の胴体を深々と貫いていた。

何者も死なせぬ最弱の矛『生命賛歌(ライフ・イズ・ビューティフル)』。何者にも殺されぬ最強の盾『HL4(ホーリーライト☆フォース)』。この二つが激突した場合何が起きるのか……って蟹ちゃんが死なないだけなのですが、果たしてその不死はどちらの認識によってもたらされた効果なのか。これはこれで『認識の衝突』になりませんか?

藁家 @long_P_coat
これは処理順序の関係で攻撃側が先に処理されるから『認識の衝突』は起きないのでは。

連続ワイヤーダメージによる永久コンボで蟹ちゃんの耐久を越えたダメージは既に入っている。だが、死を遠ざける教育的配慮の光は放たれず、蟹ちゃんのステータス欄に『せんとうふのう』と書かれた様子もない。つまり、蟹ちゃんがまだ死んでないのは『生命讃歌』の効果によるものだ。

蟹ちゃんが致死ダメージコンボを受けても死んでないのは『生命賛歌』の効果によるもの。つまり、草菊は認識の衝突に勝利して転校生の世界行き切符を手にしたのか? そうではない。藁家さんの言うとおり、草菊側で既に死亡ダメージが出ないよう調整されてるため、蟹ちゃん側の死亡時判定は存在しない。

ゆえに、ワイヤー往復打撃を受け続ける蟹ちゃんは既に瀕死だが、未だ『せんとうふのう』ではない。そして、流石にこれだけ攻撃を浴び続ければ、この攻撃にも慣れた。ワイヤーの反動で蟹ちゃんが引き寄せられる。草菊は右拳を構えて待ち受け、左の正拳突きを放つ。

蟹ちゃんは巨大クローを盾のように構えて草菊の突きをブロックした。草菊の拳が鋼鉄のハサミにめり込み……機械のハサミは砕け散った!「グワーッ!?」再びぶっ飛ぶ蟹ちゃん。だが、蟹ちゃんは冷静だった。壁に刺さったワイヤークローのウインチ機構を高速で逆回転。ワイヤーを極限大放出する。

ギュルギュルジュルギュル! 波打って放出されるワイヤー。そして蟹ちゃんはワイヤー減速することなく、そのまま壁に激突した。「グワーッ!?」壁を突き破り隣の部屋へ。部屋の中に並んだ大量のドラム缶を薙ぎ倒しながらようやく停止した。草菊も痛む足を引きずりながら後を追う。

既に瀕死の蟹ちゃんは、もう動けない。しかし、それにもかかわらず不敵に笑った。「ククク、掛かったな草菊ゥ……ここがてめェの死地だぜ……」既に蟹ちゃんはガトリング砲を構える力も残されていない。最早蟹ちゃんは何もする事ができないのだ。そして、何かをする必要すらない。

「じゃあな、清楚ビッチちゃん。あの世で……逢おうぜ!」蟹ちゃんにできることは、力尽きて意識を失うことだけだった。そして、それさえできれば十分だった。蟹ちゃんが目を閉じる。蟹ちゃんの全身を白い光が覆う。魔法技術による変身が解け、本来の姿に戻るのだ。マジカニア王女であるパルプの姿に。【蟹ちゃん(パルプ):脱落】

草菊の瞳は、パルプの姿を一瞬しか捉えなかった。パルプの上方に発生した光り輝く巨大な白球に目を眩まされたからだ。この白球こそが、パルプが未来に繋ぐべく仕掛けていた秘策。変身解除をトリガーにして発動する超必殺技。未来予約スターリット☆テンペスト!

白球が弾けて無数の流星に変化し散乱する。(……誘導弾!)草菊は弾幕の性質を一瞬で見切り、回避を諦めて防御を固めた。全身に四方八方から光と熱の雨が降り注ぐ。衝撃を受けるたびに、手足と腹部に穿たれた孔が悲鳴を上げる。ドン! 部屋に積まれたドラム缶の一つが爆発した。

ドン! ドドドドン! 廃油を詰めたまま放置されていたドラム缶がグロブダーめいて連鎖爆発する。そして、爆風に巻き込まれた草菊もまた、意識を手放したのであった。


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小学生の頃、猫を飼っていた。名前はキュウスケ。白地に黒ブチの、どこにでも居るような普通の猫で、特別に可愛がっていたという訳でもない。だけど、いつまでも一緒に暮らし続ける家族の一員だと思っていた。猫の寿命が人間よりも短いことは知っていたが、小学生にとって死を身近なものとして理解するのは難しいものだ。

その日は、唐突に訪れた。いつもならば御飯を食べに帰ってくるはずの時間にキュウスケが帰ってこないことに胸騒ぎを覚え、姿を求めて町内をさまようこと数時間。見つけたときには、もう手遅れだった。

車に轢き逃げされたのだろう。キュウスケの下半身はアスファルトの上に平たく潰されていた。私の姿を認めたキュウスケの口が、にゃあとも言えず弱々しくぱくぱくと動いた。まだ生きている。でも、もう助からない。小学生の私にも解るほどに、完全に手遅れだった。

私にできることは何だろうか。一生懸命に考えた。でも、わからなかった。わからないまま、死んでゆくキュウスケを、少し離れた場所から何もできずにじっと見つめつづけた。太陽が山の向こうに沈み、やがてキュウスケは完全に動かなくなった。

――数週間考えて、草菊がたどり着いた結論は「苦しまぬよう、私の手でとどめを刺すべきだった」というものだ。そして草菊の拳は、振るうべき先を永遠に失い、虚しい暴力衝動だけが後に残った。だが、もし誰かを殺してしまったら……それは最も殺すべきだったキュウスケに対する裏切りになると草菊は考え、怖れた。

「殺さない」のは優しさであろう。だが、「殺せない」のは優しさではない。それは弱さである。自ら決断することなく、可能性を保留して先送りする弱さだ。『生命賛歌(ライフ・イズ・ビューティフル)』は、大鋸草菊の心の弱さから生まれた“最弱”の魔人能力なのだ。


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全身を包む熱に、草菊は目を覚ました。視界のすべてを焔が覆っていた。目の前に倒れているのはピンク色の髪の少女。炎の壁の向こう側に、チコとカズマが横たわる姿。マイカとカンタロウとタカオはこの位置からは見えない。他にも2つ、暴漢だった者の成れの果てがどこかに転がっている。

廃工場の内部を赤い炎がなめつくす。ドドドドーン。遠くで大きな爆発音。別の油庫に引火したか。草菊は炎の中で凍りついた。みんな死んでしまう! 両手両足と腹部に深手を負った草菊が担いで運べるのは精々二~三人。それ以前に出口がどちらかすら判らない。

燃える木材がパチパチと音を立てる。炎の中に草菊は、弱々しい猫の吐息が聞こえた気がした。揺らめく炎の形が、下半身の潰れた猫のように見えた。猫。猫。猫。どれも下半身の潰れた瀕死の猫。瀕死の猫に囲まれている。真っ赤に燃え盛る猫たちがゆらゆらと揺れている。草菊は……草菊は……

「ああああああーっ!」草菊は叫び声を上げて燃え盛る壁を殴りつけ、破壊した。「うあああああーっ!」工作機械を抱え上げ、投げ飛ばした。誰も死なせたくない。だから、暴力だ。草菊は傷ついた身体を無理矢理に動かし、有らん限りの力で破壊を巻き起こした。だが、闇雲な暴力では何も解決しなかった。炎はますます強く。出口はいずこか知れず。

誰かが後ろから草菊の肩を掴み、制止した。草菊が振り向くと、意識を取り戻したカンタロウが立っていた。彼は右手に白い物体を持っており、その物体はシューと音を立てながら体積を増していった。顎を壊されて喋れないカンタロウは、無言でチコとマイカを順に指差した。

そのブロックサインが「二人だけでも助け出してくれ」という意味だと理解した草菊は、首を縦にも横にも振らなかった。「二人だけ」という部分に納得できなかったからだ。カンタロウの持つ白い物体は、直径三メートルほどの巨大な網目状の球体となった。フルーツを保護するネットに似ていた。

この網目状の白い球体が、カンタロウの最終兵器である。折り畳まれた状態から、救命胴衣に使われる炭酸ガス発生装置によって十秒程度で展開される巨大なボールは、一投虐殺を可能とする死神の凶器だ。カンタロウは草菊の反応を待たず、方向を見定めて巨大白球を全力で投擲した。【残り73球。ただしカンタロウに余力なし】

最後の力を振り絞って投げたカンタロウは、力尽き再び倒れた。巨大白球が、炎も壁も工作機械も、全てを貫通して飛んでゆく。そして白球は工場から飛び出し、工場の裏手を流れる運河の土手に当たって弾み、止まる。その軌道上に、真っ直ぐな脱出口が残った。【烏河貫太郎:脱落】

草菊は、炎に覆われた廃工場内を見回し、考えた。クラスメイトのチコ。同じ希望崎学園に通うカンタロウ。今日初めて会っただけのマイカ、タカオ、カズマ。二人の暴漢。機械のワイヤークローで襲ってきた意味不明な魔法少女。全員を担いで運ぶのは不可能。自分が、決断しなければならない。

何往復もする余裕は、おそらくない。草菊は考え、決断した。そして、右肩にチコを、左肩にマイカを担ぎ上げ、炎の中にくり貫かれた直径三メートルの脱出口を歩き出した。

一歩一歩進む度に、足の甲に穿たれた孔から血がにじむ。肩に担いだ級友たちの重みで二の腕に穿たれた孔が悲鳴を上げ、腹部の大きな孔に激痛が走る。しかし、草菊は着実に炎の中のトンネルを進んでいった。この痛みは、自分の咎だ。このトンネルは、過去の弱い自分を乗り越えて未来に向かうための道だ。

未来に繋がる贖罪のトンネルは熱く辛く、永遠と思えるほどに長かった。だが、草菊は傷だらけの体で歩き抜き、燃え上がる廃工場から抜け出し、水路の土手にばったりと倒れた。助け出されたチコとマイカも、炎に照らされた土手の斜面に投げ出された。

草菊のすぐ横には、道を切り開いてくれたカンタロウの白球が、中のガスが抜けてしなびて落ちていた。そして、草菊は上体を起こし、歩いてきた道を振り返り、燃える廃工場の中に残してきた者たちのことを思った。「誰も……死なせはしません」草菊は、強い意志を込めて、そう呟いた。

その手の中には、一本の頑丈なワイヤーロープが握り締められていた。蟹ちゃんのクロー残骸からもぎ取ったウインチワイヤーだ。草菊の両腕に力が込められる。穿たれた孔から鮮血が噴き出すのもお構いなしに、残された力すべてを振り絞り、草菊はワイヤーロープを引いた。長い長いワイヤーが一気に引き寄せられる!

カンタロウ、カズマ、タカオ。辛うじて人間らしき原型を保ってる塊が2つ。ピンクの髪の魔法少女。6人がワイヤーに数珠繋ぎになって炎の廃工場から一気に引き出され、勢い余って背後の水路にどぼんと飛び込んだ。これは草菊がやったことなので、『生命賛歌』の効果で溺死の心配はないから安心だ。

ウーウーウー。廃工場の向こうから消防車とパトカーのサイレン音が聞こえる。(口止めを……する余力はもうありませんね……)草菊は、もはや指一本たりとも動かすことができなかった。廃工場炎上。重傷者は自分を含めて十名近く。果たしてこの状況は、警察にどのように判断されるのだろうか。

おそらく、魔人であることは周囲にばれてしまうだろう。最悪、魔人更正施設送りもあるかもしれない。しかし、草菊は清々しい気分だった。草菊は、自分の強い意志と力で「誰も殺さない」ことを選んだのだから。遠く響くサイレンの音を子守唄に、心優しき少女はそっと瞳を閉じ、穏やかな夢の中へと旅立った。


(ダンゲロスSSDMSet2補遺SS『白球、未来に繋ぐべく』おわり)