…どうして、こうなった。
魔人ヤクザ、真壁剛三は自問する。
彼の周りには男の死体が幾つも転がっていた。
死んだ男たちの服装は黒いスーツとサングラスで統一されており、真壁の部下であった者達だ。
首をねじ切られたもの、目から血が出ているもの、薬品で溶かされているもの。
その死因は様々で、この惨劇が複数人によって生み出されたものだとわかる。
☆
数か月前から、組の縄張りで勝手に薬物をさばいている女が出現した。
女が捌いているものは、組の能力者が精製しているヤク以上の効き目をもちながら、値段はその半分以下。
変わったことに、その薬物は、液体状で、嗅ぐことで効果を発揮するらしい。
入手元は不明だが、その作成に魔人が絡んでいることは間違いない。
組の面子がある以上、落とし前は付けなければならないが、その薬物自体はかなり有用である。
上手く扱えば、莫大な利益に繋がる。
組の一部からは、女を取り込めないかという話が上がっているらしいが、真壁の上役はそう考えない。
真壁の上役は、化学合成系の能力者を何人も囲っていて、主な収入源も薬物である。
その売り上げがここ一か月で激減した。
原因は女の捌く薬物である。
女の存在は彼の上役にとって脅威でしかない。
他の幹部に取り込まれでもすれば、組内での立場が失われる。
自らの勢力の所に組み込もうにも、女の薬物はあまりにも強力すぎる。
女の立ち回りによっては自分の地位を乗っ取られかねない。
「売人の女と流通元の殲滅」これが上役から真壁に与えられた命令である。
「ここが、女の拠点ですね」
廃ビルを見上げ、真壁の部下の一人が言った。
「ああ。」
そう言いながら、真壁は何か引っかかりを感じていた。
廃ビルは郊外に立地していたが、周りの人通りは決して少なくない。
それなのに、このビルの周りだけ人が不自然に人が少ない。
避けているのは人だけではない。鳥や猫までも、この近くに来ると、進路を不自然に変えている。
真壁自身もそうだ。彼の中の何かが、このビルに近寄りたくないと告げている。
この仕事に緊張している訳でも、女に恐怖を抱いている訳でもない。
このビルを避ける理由などない。理由などないはずなのに、このビル近づくのが嫌だ。
部下も同様の感覚を抱いているのか、皆緊張した面持ちである。
問題ない。いつも通りの簡単な仕事だ。俺達には経験もあるし、人数もいる。
しっかりしろ。俺がしっかりしなければ、上手くいくものも上手くいかない。
深呼吸して、不安を引き払う。
「…いくぞ」
部下に指示を出し、ビルの中に突入する。
入ってみると、ビルの内部に変わったところはなかった。
さっきまで感じていたこのビルへの嫌悪感も失われている。
部下たちも、安心したのか、ほっとしたような表情を浮かべている。
「ふう」
溜息をもらす声が聞こえる。
「おいおいなんだよ。緊張してんのか?」
それに対して、からかう声がでる。
チームにいつもの雰囲気が戻りつつある。
真壁も、自身の不安が払拭されたのを感じる。
彼もいつもの通りに軽口を諫めようと、後ろを振り向いた。
「…おい、軽口もその辺に…」
ドゴッ
「馬鹿にすんな!!」
何かが吹っ飛ぶのが見える。
思わずそちらの方に振り向く。
吹っ飛んできたのは、先ほど軽口をたたいた部下だった。
手足が色んな方向に回り、肋骨が飛び出ている。
生きてこそいるが、今後、普通に生活が送れるかもわからない。
たとえ魔人でも、能力抜きで、ここまでの惨状を生むのは難しい。
飛んできた方を向くと、彼を吹き飛ばした原因と思わしき男がいた。
彼の別の部下だ。
「チクショウ。いつも馬鹿にしやがって。俺はお前なんかよりも強いんだ。なのに…」
そいつは下を向きながら、何かをブツクサ喋っている。
息が荒く、目が血走っている。
明らかに普通の精神状態ではない。
他の部下たちも、何が起こったのか理解できていない様子で、彼をただ見つめている。
しばらくすると、そいつは顔をあげ、更に別の仲間の方を向いた。
「お前も、俺の事馬鹿にしてたよなあ…」
そういうと、見上げた相手に向い、手の平を向ける。
能力を使うつもりだ。
「おい、やめろっ」
真壁は叫び、彼を止めるために飛び出す。
…これ以上、仲間割れで頭数を減らすわけにはいかない。
パンッ。
音がした
殴った方の部下の頭が弾け、脳と血がまき散らされる。
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
音のした方を向くと、別の部下が息を荒くして拳銃を持っている。
「うおおおおおお!!!!!」
誰かの叫ぶ声が聞こえた。
☆
争いが収まった時には、生き残りは彼しか居なかった。
彼とて無傷ではない。
体のあちこちに部下の攻撃で受けた傷ができている。
何が起こったかは分からないが、これは魔人能力者の仕業に間違いがない。
…ぶっ殺す。
まだ見ぬ敵に対して、真壁は静かに殺意を固める。
標的に向かうため、階段へ歩き出した。
真壁は怒りに支配され、当初の目的すら忘れてしまっている。
冷静さを失った真壁は気づいていない。
天井に設置されている機関銃の存在に。
Drrrrr!!!!
弾丸が発射される。
音に気づいて退避しようとするが、傷のせいで、間に合わない。
「ぐはッ」
内臓が潰れ、血を吐くが、まだ生きている。
死んではない。死んでこそいないが、動けない。
銃弾はまだ止まない。
痛みは既に感じられない。
体が動かず、考えることしかできないという状況が彼の思考を加速させる。
この状況はおかしい。
絶対におかしい。
仲間割れに、殺し合い。
それに今の罠。
このチームで二年程仕事をしたが、諍いが起こったことは一度もなかった。
普段の俺なら罠が仕掛けられている可能性は予測している。
いや、それ以前に部下が全滅した時点で組に連絡を入れるはず。
なぜ、俺はこんなにも無警戒でいたんだ?
幾ら悩んでも、答えはでず、彼の意識も、次第に薄くなっていく。
☆
最後の一人がハチの巣になったのを監視カメラで確認する。
友人の情報屋から襲撃を知らされたときは、少し焦ったが、どうにかなったようで一安心だ。
私の最高傑作の一つである「敬遠」も、目的地へ向かう明確な意思がある場合は作用しない。
一応、アシがつかないようにしていたつもりだけど、甘かったみたいだ。
もしかすると、魔人能力で追ってきたのかもしれない。
念のために「憤怒」と罠を仕掛けておいてよかった。
一人だけ「憤怒」の効きが薄いのがいたが、まあ罠の方で殺せたからよしとしよう。
調合師としては情けない限りだが。まあまだ実験作だし。
あれでも、警戒心を薄れさせるくらいの効果は発揮していただろう。
自分の身が守れた以上、文句は言えない。
「快楽」の実験も大方終わったし、ここらが潮時か。
机から携帯電話を取り、件の情報屋に電話を掛ける。
「もしもし。ゴドー?私。薫崎。」
「おお、薫崎か。電話してくるってこたあ、生きてんのか。捕まってねえよな。捕まってんなら切るぞ。」
赤時雨ゴドーは電話をとるなり、そんな薄情なことを言ってきた。
「無事だよ。ヤクザは撃退した。」
「ああ、そりゃよかった。まだ襲撃情報の代金貰ってねえからな。早くよこせ。」
「むう。それくらいいいじゃん。友人割引だよ。」
「わかった。割り引いてやるから金よこせ。」
「そんなー。はくじょーなー。とーもーだーちでーでょー。」
「うるせえな。気持ち悪い声出すな。」
金あんだからケチんなよ、とゴドーは呟く。
コイツは乙女心というものを理解していないみたいだ。
ヤクザに襲われて怖い思いをしているだろう女子に、優しい言葉を掛ければ、好感度は鰻登りである。
そりゃあお金はある。お金はあるし、払うのもやぶさかではないが、お金で買えないものだってあるはずだ。
女性からの好感度とか。ラヴロマンスとか。
そっちの態度如何では提供してやってもいいというのに。
「で、なんだ。」
ゴドーの不機嫌そうな言葉で、思考の脱線が引き戻される。
いけないいけない。本来の目的を忘れていた。
「ゴドー、逃げるから手伝って。」
「了解。金は払えよ。今回の分と一緒に。」
電話から、キーボードが鳴る音が聞こえる。
ゴドーは情報系の能力者である。
詳しい能力は教えてもらってないが、能力を使って高度なハッキングができるらしい。
高校の時からの付き合いで、その時から便利に使わせてもらっている。
逃走ルートの割り出しから交通機関の予約、物品の手配まで、本当に便利な奴である。
「…お前さ、いいかげんこういうのやめろよ。」
ふと、ゴドーは呟く。
おお、珍しく。心配してくれている。
素直じゃない奴め。これが俗にいうツンデレというやつか。
心配してもらえるのは嬉しい。だけど。
「やめないよ。いろいろ試してみたけど、この方法が一番効率がいい。」
自分の好きな実験をするには、フリーが一番だ。
組織の庇護が無い以上、リスクはあるけど、魅力はそれ以上。リスクとリターンは十分に釣り合っている。
電話越しにため息が聞こえる。
何か変だったろうか。今の発言。
「…金貰えんならなんでもいいか。」
諦めたような口調で言うと、再び作業へ没頭しはじめた。
色々と引っかかる点もあるが、この間に荷造りをやってしまわねば。
とは言っても、持っていくものはそう多くは無い。
実験器具や薬品とかはどこでも入手可能なので、全部廃棄。
在庫品はちょっと惜しい気もするけど、全部は持ち運べないので、何個か選んでもっていく。
後はパソコンと携帯、着替えくらいか。
香水をアタッシュケースに詰め込み、残りの荷物もリュックに詰め込んで、荷造り終了。
ゴドーの作業が終わるのをしばし、待つ。
「…よし。完了。準備できたか。」
「うん。何時でもでれる。」
「じゃあまずは…。」
ゴドーの指示を聞きながら、次は何をしようか、と考える。
「快楽」はほぼ完成したし、後は、資金調達がてら、細かい調整をしていけばいい。
うん。次は、「憤怒」の改良をしよう。
今回は上手くいったけれど、今度もそうだとは限らない。
研究を続けるには、自分の身の安全が一番だ。
実験材料だって、設備だって、どうにでもなる。
私さえ生きていれば何度だってやり直しがきく。
「…席は空いてるから、それに乗って目的地までむかえ。なんか質問あるか。」
「うん、大丈夫。ありがとう。」
「…問題あったら連絡しろよ。」
ゴドーはそう言うと、電話を切った。
携帯をポケットにしまい、歩き出す。
次の実験も上手くいきますように。