薫崎香織 プロローグ

…どうして、こうなった。
魔人ヤクザ、真壁剛三は自問する。

彼の周りには男の死体が幾つも転がっていた。
死んだ男たちの服装は黒いスーツとサングラスで統一されており、真壁の部下であった者達だ。
首をねじ切られたもの、目から血が出ているもの、薬品で溶かされているもの。
その死因は様々で、この惨劇が複数人によって生み出されたものだとわかる。

      • 簡単な仕事のはずだった。なのに、どうして?



数か月前から、組の縄張りで勝手に薬物をさばいている女が出現した。
女が捌いているものは、組の能力者が精製しているヤク以上の効き目をもちながら、値段はその半分以下。
変わったことに、その薬物は、液体状で、嗅ぐことで効果を発揮するらしい。
入手元は不明だが、その作成に魔人が絡んでいることは間違いない。
組の面子がある以上、落とし前は付けなければならないが、その薬物自体はかなり有用である。
上手く扱えば、莫大な利益に繋がる。
組の一部からは、女を取り込めないかという話が上がっているらしいが、真壁の上役はそう考えない。
真壁の上役は、化学合成系の能力者を何人も囲っていて、主な収入源も薬物である。
その売り上げがここ一か月で激減した。
原因は女の捌く薬物である。
女の存在は彼の上役にとって脅威でしかない。
他の幹部に取り込まれでもすれば、組内での立場が失われる。
自らの勢力の所に組み込もうにも、女の薬物はあまりにも強力すぎる。
女の立ち回りによっては自分の地位を乗っ取られかねない。

「売人の女と流通元の殲滅」これが上役から真壁に与えられた命令である。

「ここが、女の拠点ですね」
廃ビルを見上げ、真壁の部下の一人が言った。
「ああ。」
そう言いながら、真壁は何か引っかかりを感じていた。
廃ビルは郊外に立地していたが、周りの人通りは決して少なくない。
それなのに、このビルの周りだけ人が不自然に人が少ない。
避けているのは人だけではない。鳥や猫までも、この近くに来ると、進路を不自然に変えている。
真壁自身もそうだ。彼の中の何かが、このビルに近寄りたくないと告げている。
この仕事に緊張している訳でも、女に恐怖を抱いている訳でもない。
このビルを避ける理由などない。理由などないはずなのに、このビル近づくのが嫌だ。
部下も同様の感覚を抱いているのか、皆緊張した面持ちである。
問題ない。いつも通りの簡単な仕事だ。俺達には経験もあるし、人数もいる。
しっかりしろ。俺がしっかりしなければ、上手くいくものも上手くいかない。
深呼吸して、不安を引き払う。
「…いくぞ」
部下に指示を出し、ビルの中に突入する。

入ってみると、ビルの内部に変わったところはなかった。
さっきまで感じていたこのビルへの嫌悪感も失われている。
部下たちも、安心したのか、ほっとしたような表情を浮かべている。
「ふう」
溜息をもらす声が聞こえる。
「おいおいなんだよ。緊張してんのか?」
それに対して、からかう声がでる。
チームにいつもの雰囲気が戻りつつある。
真壁も、自身の不安が払拭されたのを感じる。
彼もいつもの通りに軽口を諫めようと、後ろを振り向いた。
「…おい、軽口もその辺に…」
ドゴッ
「馬鹿にすんな!!」
何かが吹っ飛ぶのが見える。
思わずそちらの方に振り向く。
吹っ飛んできたのは、先ほど軽口をたたいた部下だった。
手足が色んな方向に回り、肋骨が飛び出ている。
生きてこそいるが、今後、普通に生活が送れるかもわからない。

たとえ魔人でも、能力抜きで、ここまでの惨状を生むのは難しい。
飛んできた方を向くと、彼を吹き飛ばした原因と思わしき男がいた。
彼の別の部下だ。

「チクショウ。いつも馬鹿にしやがって。俺はお前なんかよりも強いんだ。なのに…」
そいつは下を向きながら、何かをブツクサ喋っている。
息が荒く、目が血走っている。
明らかに普通の精神状態ではない。
他の部下たちも、何が起こったのか理解できていない様子で、彼をただ見つめている。
しばらくすると、そいつは顔をあげ、更に別の仲間の方を向いた。

「お前も、俺の事馬鹿にしてたよなあ…」
そういうと、見上げた相手に向い、手の平を向ける。
能力を使うつもりだ。
「おい、やめろっ」
真壁は叫び、彼を止めるために飛び出す。
…これ以上、仲間割れで頭数を減らすわけにはいかない。
パンッ。
音がした
殴った方の部下の頭が弾け、脳と血がまき散らされる。
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
音のした方を向くと、別の部下が息を荒くして拳銃を持っている。

「うおおおおおお!!!!!」

誰かの叫ぶ声が聞こえた。



争いが収まった時には、生き残りは彼しか居なかった。
彼とて無傷ではない。
体のあちこちに部下の攻撃で受けた傷ができている。
何が起こったかは分からないが、これは魔人能力者の仕業に間違いがない。

…ぶっ殺す。

まだ見ぬ敵に対して、真壁は静かに殺意を固める。
標的に向かうため、階段へ歩き出した。
真壁は怒りに支配され、当初の目的すら忘れてしまっている。
冷静さを失った真壁は気づいていない。

天井に設置されている機関銃の存在に。

Drrrrr!!!!

弾丸が発射される。
音に気づいて退避しようとするが、傷のせいで、間に合わない。
「ぐはッ」
内臓が潰れ、血を吐くが、まだ生きている。
死んではない。死んでこそいないが、動けない。
銃弾はまだ止まない。
痛みは既に感じられない。
体が動かず、考えることしかできないという状況が彼の思考を加速させる。

この状況はおかしい。
絶対におかしい。
仲間割れに、殺し合い。
それに今の罠。
このチームで二年程仕事をしたが、諍いが起こったことは一度もなかった。
普段の俺なら罠が仕掛けられている可能性は予測している。
いや、それ以前に部下が全滅した時点で組に連絡を入れるはず。
なぜ、俺はこんなにも無警戒でいたんだ?
幾ら悩んでも、答えはでず、彼の意識も、次第に薄くなっていく。



最後の一人がハチの巣になったのを監視カメラで確認する。
友人の情報屋から襲撃を知らされたときは、少し焦ったが、どうにかなったようで一安心だ。
私の最高傑作の一つである「敬遠」も、目的地へ向かう明確な意思がある場合は作用しない。
一応、アシがつかないようにしていたつもりだけど、甘かったみたいだ。
もしかすると、魔人能力で追ってきたのかもしれない。
念のために「憤怒」と罠を仕掛けておいてよかった。
一人だけ「憤怒」の効きが薄いのがいたが、まあ罠の方で殺せたからよしとしよう。
調合師としては情けない限りだが。まあまだ実験作だし。
あれでも、警戒心を薄れさせるくらいの効果は発揮していただろう。
自分の身が守れた以上、文句は言えない。
「快楽」の実験も大方終わったし、ここらが潮時か。
机から携帯電話を取り、件の情報屋に電話を掛ける。
「もしもし。ゴドー?私。薫崎。」
「おお、薫崎か。電話してくるってこたあ、生きてんのか。捕まってねえよな。捕まってんなら切るぞ。」
赤時雨ゴドーは電話をとるなり、そんな薄情なことを言ってきた。
「無事だよ。ヤクザは撃退した。」
「ああ、そりゃよかった。まだ襲撃情報の代金貰ってねえからな。早くよこせ。」
「むう。それくらいいいじゃん。友人割引だよ。」
「わかった。割り引いてやるから金よこせ。」
「そんなー。はくじょーなー。とーもーだーちでーでょー。」
「うるせえな。気持ち悪い声出すな。」
金あんだからケチんなよ、とゴドーは呟く。
コイツは乙女心というものを理解していないみたいだ。
ヤクザに襲われて怖い思いをしているだろう女子に、優しい言葉を掛ければ、好感度は鰻登りである。
そりゃあお金はある。お金はあるし、払うのもやぶさかではないが、お金で買えないものだってあるはずだ。
女性からの好感度とか。ラヴロマンスとか。
そっちの態度如何では提供してやってもいいというのに。
「で、なんだ。」
ゴドーの不機嫌そうな言葉で、思考の脱線が引き戻される。
いけないいけない。本来の目的を忘れていた。
「ゴドー、逃げるから手伝って。」
「了解。金は払えよ。今回の分と一緒に。」
電話から、キーボードが鳴る音が聞こえる。
ゴドーは情報系の能力者である。
詳しい能力は教えてもらってないが、能力を使って高度なハッキングができるらしい。
高校の時からの付き合いで、その時から便利に使わせてもらっている。
逃走ルートの割り出しから交通機関の予約、物品の手配まで、本当に便利な奴である。
「…お前さ、いいかげんこういうのやめろよ。」
ふと、ゴドーは呟く。
おお、珍しく。心配してくれている。
素直じゃない奴め。これが俗にいうツンデレというやつか。
心配してもらえるのは嬉しい。だけど。

「やめないよ。いろいろ試してみたけど、この方法が一番効率がいい。」

自分の好きな実験をするには、フリーが一番だ。
組織の庇護が無い以上、リスクはあるけど、魅力はそれ以上。リスクとリターンは十分に釣り合っている。
電話越しにため息が聞こえる。
何か変だったろうか。今の発言。
「…金貰えんならなんでもいいか。」
諦めたような口調で言うと、再び作業へ没頭しはじめた。
色々と引っかかる点もあるが、この間に荷造りをやってしまわねば。
とは言っても、持っていくものはそう多くは無い。
実験器具や薬品とかはどこでも入手可能なので、全部廃棄。
在庫品はちょっと惜しい気もするけど、全部は持ち運べないので、何個か選んでもっていく。
後はパソコンと携帯、着替えくらいか。
香水をアタッシュケースに詰め込み、残りの荷物もリュックに詰め込んで、荷造り終了。
ゴドーの作業が終わるのをしばし、待つ。
「…よし。完了。準備できたか。」
「うん。何時でもでれる。」
「じゃあまずは…。」

ゴドーの指示を聞きながら、次は何をしようか、と考える。
「快楽」はほぼ完成したし、後は、資金調達がてら、細かい調整をしていけばいい。
うん。次は、「憤怒」の改良をしよう。
今回は上手くいったけれど、今度もそうだとは限らない。
研究を続けるには、自分の身の安全が一番だ。
実験材料だって、設備だって、どうにでもなる。
私さえ生きていれば何度だってやり直しがきく。

「…席は空いてるから、それに乗って目的地までむかえ。なんか質問あるか。」
「うん、大丈夫。ありがとう。」
「…問題あったら連絡しろよ。」
ゴドーはそう言うと、電話を切った。
携帯をポケットにしまい、歩き出す。

次の実験も上手くいきますように。
最終更新:2016年03月29日 21:54