宇多津 転寝 プロローグSet2

「……ふわ、あ」

俺の一日は寝室の掃除から始まる。
目が覚めてから次に寝るまでを一日とするなら、だが。

なにしろ、一度目が覚めると特別な事情がない限りは二日三日は眠くないし眠れない。
それが俺、宇多津転寝の体質である。
横になろうが瞼を閉じようが、だ。しかもその希少な睡眠時間も三時間あるかないか、である。
一応、健康に支障はないようだが……それでも、たまには人並みにぐっすりと眠りたいものだ、とも思う。

それが、叶わぬ夢であっても、だ。

寝室の掃除を終えて、扉を開けて朝メシを喰おうと出たところで――柔らかいモノを踏んだ。

「……げ」

姉貴が、足元で寝ていた。
踏んだのが敷き布団の端だった、と認識した次の瞬間にはもう遅い。

「……Zzzzzz」
「……っ!」

ばさりと翻された羽毛布団が俺の視界を塞ぎ、手足の自由を奪い去る。
そして、羽毛布団もろともにクルリと投げ飛ばされ、壁に激突する。
幸か不幸か、姉貴愛用の羽毛布団が衝撃を吸収するが――それでもダメージは免れない。

「が……いってえ……」

宇多津流夢遊睡拳の技の一つ『叢雲包み』がモロに決まる。
寝込みを襲われた際を想定した『寝ているとき専門の拳法』である。

「……なんで今日に限ってこんなトコで寝てんだよ……もう」

姉貴こと、宇多津泡沫は俺とは真逆の超ロングスリーパーであり――俺よりも強い格闘家である。
その体質上、いつでもどこでも寝ているが……その安眠を妨げるものには、この通り
夢遊睡拳の洗礼が待っている。かくいう俺も、寝ている姉貴に勝てたためしがない。

だがまあ、布団の端で済んだのは幸いだろう。
もし姉貴本体を踏んづけようものなら、その直前に足をヘシ折られていたかもしれないのだから。

巻き付いた羽毛布団を姉貴に被せ直して、俺はそのまま台所へ向かう。
朝飯を作って食べたら、制服に着替えて登校。
いつもの一日が始まる。

~~~~~~

今日も予鈴ギリギリに教室に滑り込むハメになった。

一応弁解させて貰うならば、俺は予鈴の三十分前に着くように家を出ている。
俺に『寝過ごして遅刻』というミスはなにしろ有り得ないのだから。

では、なぜ三十分ものロスが生まれるのか?
理由は簡単、なにかと不良に絡まれるからだ。

俺が格闘家の端くれだということは結構知れ渡っているらしく、
そのせいか入学当初から、その手の血気盛んなセンパイ方だったり
その腰巾着だったり、あるいは新進気鋭の同級生やらが
『アレを倒せば名が上がるぞ』と思い込んで襲いかかりに来るのが日常茶飯事になってしまった。

で、身に降る火の粉を払っているうちに、俺の名がさらに売れてしまったというワケだ。
今日も下駄箱に果たし状が挟まっている……憂鬱極まりない。

だが無視もなかなかできないのが辛いトコロだ。
一度シカトしたら、自宅の道場にまで押しかけてきたバカがいたからだ。

そのバカはどうなったかというと、玄関前で寝ていた姉貴を手込めにしようとして
煎餅布団のようにノされていた。俺とやってりゃ、眠りこけるだけで済んだだろうに。
姉貴の貞操や生命を心配はしてはいないが、しかしこの手のバカは何度やられても懲りない。
どころかやられればやられるほど、報復感情だけを燃やしてくるので手に負えない。
というわけで、俺は家での安寧まで邪魔されないように、なるべく応じているというわけだ。
自分で言うのもなんだが涙ぐましいと思うぜ、本当。

授業中、クラスメイトの何人かが舟を漕ぐのを羨ましいと想いながら、
今日も俺は真面目に授業を受けるのだった。

~~~~~~

放課後の呼び出しを穏健に終えて(拳で相手を眠らせ黙らせることを穏健と呼ぶなら、だが)帰宅。
トイレの前で寝ている姉貴を避けて、自分の部屋へ。
夕飯の時間まで宿題をこなす。
別にこの後もまだまだ起きている時間はタップリあるので、今やらなくてもいいのだが
気分的に夜や夜中に勉強をしたくない、というだけのことだ。

宿題を終え、夕飯を終えたら道場に行って軽く修行して風呂を浴びる。
睡拳をどうやって修行するんだ、と思うかも知れないが……
俺の場合は体質的にも修行のしようがないので、もっぱら他の拳法やら格闘術を独学で学んで
身体強化に努めている。尤も、その破壊力は木人相手くらいにしか発揮できないのだが……

余談だが、俺は飯と風呂の時間は原則ずらしたくないタイプだ。
なにしろ一度起きると数十時間起きっぱなしなので、時間感覚が希薄になりがちなのだ。
だから朝飯や夕飯、特訓に風呂といった家庭内のイベントに関しては時間をきっちり決めて行うことにしている。

もっとも、その後はかなり時間にルーズな過ごし方をする。
自分の部屋に戻ったら、他の面子が寝落ちるまで延々オンラインゲー。でかいドラゴンを皆で狩り倒す。
寝落ち解散の後は、深夜アニメをだらーっと見る。
こんな具合に、夜が明けるまでは自由に、自堕落に過ごす。
そういう意味では、やはり俺も宇多津の血が流れてるんだろうな、と思う。
怠惰の具現である姉貴ほどではないが。

夜が明けたら、また朝飯を作って……の繰り返し。
で、眠くなった日は寝室で寝る。


以上が、俺の“一日”だ。
最終更新:2016年04月03日 21:03