豪華なベッドの上で眠りにつき、目を開けるとそこは鉄骨の上だった。
無色の夢を見た時、こうなることは想像できていた。
むしろ、外の世界をほとんど知らない彼女は少しわくわくしていた程であった。
幸いにもその風景は夜であり、彼女の苦手とする日光は出ていなかった。
「……でも、ずいぶん殺風景なところに来ちゃいましたわ、眺めはいいけど」
エルレカーンはこの事を誰にも相談しなかった。
またお父様に余計な事をされかねないと思ったからでもあったし、勝つ自信もあったからだ。
エルレカーンは鉄骨の上から身を投げ出す。
鉄骨に絡みついた大量の触手めいた足は彼女を地へと落とすことなく、こうもりのように逆さにぶら下がらせた。
「それで、あなたが私の対戦相手かしら」
エルレカーンは逆さのまま、真下の鉄骨の上に立った少女に話しかける。
杖を手に持ったその少女……織音アイリは一瞬ひるむが、すぐに彼女を真っ直ぐと見据え頷いた。
「どこにでもいる普通の人間……いや、違うわね。その杖。特異だわ」
エルレカーンは油断のない目でそう言った。
普段の彼女はここまで戦意を剥き出しにはしない。性根は普通の箱入り娘なのだから。
だが、今は話が違う。
この戦いの報酬は好きな夢を見る事。
ならば自分が人間に戻る夢を見る事も出来るだろう。
もしかしたらそこから現実の世界でも人間に戻ることが出来る方法のヒントを得られるかもしれない。
負けるわけにはいかない。自分が普通の人間に戻る為にも。
《相手に舐められてはいけないわエルレカーン。まずは強気に出るのよ》
そして、彼女の中にはエウレカと呼ばれる異形が住まわっている。
誰にも相談しなかった、と前述したが彼女にだけは別である。
エルレカーンとエウレカは、普段は片方の意識しか現れない。
しかし、夢の中ならば両方の意識が共存することが出来る。
事実上の"2対1"。これがエルレカーンの自信の源であった。
《慢心してはだめよ、相手が何をしてくるか見極めなさい》
しかし、褒賞を得られるのは勝者のみ。
そのルールがどこまで厳格なものかわからない以上、エルレカーンは自分の手で戦う必要があった。
もし勝者がエウレカと定義されてしまった場合、自分の望む夢が見られなくなる可能性があるからだ。
故にエウレカはあくまで補助に徹する事となっていた。
「……降参するなら今のうちですわよ」
エルレカーンはそう言うと、いつでも攻撃に入れるように手や足を鉤爪状の触手に変えた。
彼女に真っ当な倫理観はない。所詮夢の中ならばなおさらだ。
それでもこうして語りかけるのは、相手が勝手に降参してくれる可能性を加味しているからである。
「……ごめんなさい。降参は、できません」
織音アイリは杖を握りしめながらそう言う。
その少女はひどく弱々しく見えたが、しかし確かな意思を感じさせた。
やはりそう簡単には行かないか。
エルレカーンはそう考えるが早いか、一気に数十本の触手をアイリに向かって走らせる。
「……っ」
しかし、その触手の動きは全て止められた。
アイリの杖から伸びるその茨によって、全て。
「……それがあなたの能力」
「はぁ……はあっ……!!」
触手と茨はお互いに絡み合い、お互いに相手を傷つけようと必死であった。
しかし、異形化しているとはいえ、自身の体を使っているエルレカーン。
それとアイリが杖から出した茨とでは傷の付け具合に差があるように見えた。
エルレカーンは忌々しげにアイリを見る。
《……これは》
「どうしたのエウレカ?」
《……いえ、なんでもないわ。戦いを続けなさい、エルレカーン》
エルレカーンがアイリをよく見ると、彼女の体は黒い茨のような紋様に蝕まれ、目は赤く変色し、息も絶え絶えだ。
この茨を出す事が彼女の体の負担になっている事はすぐに察しがついた。
エウレカもこの事に気付いていたのだろう。エルレカーンの口に笑みが浮かぶ。
「そんな状態でいつまで持つかしらね……追加ですわッ!!」
エルレカーンがさらなる触手をアイリに向かって襲わせる。
アイリは杖を強く握りしめ、さらなる茨を持ってこれに対抗した。
「あ、うう……ッ!!」
「この程度で終わりだと思うんじゃありませんわよ!!」
鉤爪触手の一本の先端がまるでチェーンソーのように鋭利な回転を始める。
その触手は茨を軽々と切り裂き、アイリの体まで一直線に向かった。
「あああ……ッ!!」
「あっけないですわね……っ!!」
鉤爪触手はアイリの肩部分に深々と突き刺さっていた。
エルレカーンとしては体の両断を狙っていたのだが、上手く杖で弾かれたらしい。
それでも十分無視できないダメージとなったはずだ。
「どうかしら、まだ戦意はある?それともこのまま全身切り刻まれるのがお好みかしら?」
エルレカーンはサディスティックな笑顔を浮かべ、アイリの肩にさらに触手を食い込ませる。
例え降参しなくても、このまま一気に中から引き裂いて終わり。
そして晴れて人間に戻る日がやってくる、エルレカーンはそう確信した。
「あっ……う、い、痛い……っ……痛い……」
「そうでしょうね!もっと痛くなる前に降参したほうが身のため―――」
「痛くて……気持ちいい……ッ!!」
「えっ」
エルレカーンは自分の耳を疑った。
気持ちいい?気持ちいいと言ったの、今?
「い、いつものいばらのいたさとちがうっ!
しょくしゅ、かたにくいこんでっ、いたいっ!でもっ、きもちいいのぉおおっ!
もっと、もっと痛く、痛くなりたいのぉおおお!!」
「……」
アイリの表情は恍惚としていた。
伊達や酔狂ではなく、本気でこの状況に快楽を感じているのである。
エルレカーンは真っ白になった頭をフル回転させて整理し、そして一つの結論を出した。
「へ」
そしてその結論は、衝動的に口から飛び出していた。
「変態ですわーーーッ!!!!」
エルレカーンは思わずアイリの肩から触手を乱暴に引き抜いた。
その瞬間、アイリは再び熱っぽい吐息を吐きだす。
「あぁぁあっ!!そ、そんな、乱暴にしちゃらめれすっ……でも気持ちいいのぉお……っ!!」
体を震わせながらアイリの呼吸はさらに荒くなっていた。
エルレカーンはある種の恐怖を感じた。
今までに見た事のない存在だった。
《落ち付きなさいエルレカーン!》
「だ、だ、だって、へ、変態……!」
《心で負けてはだめよ、あなたは勝って人間に戻るのでしょう?》
そうだ。自分は勝たなくてはいけないのだ。
そもそも変態だからといって恐れることはない。
次こそ体を引き裂いてこの夢を終わらせよう。そう考えていた。
「え、え、と……エル、レカーンさん、です、よね?」
「ひっ」
「も、もう一度、もう一度言ってください……」
「えっ」
「へ、変態ってぇ……もういちど……もういちどお願いします……!!」
エルレカーンの頭は再び真っ白になった。
フル回転させようにも今度は頭がパンクしそうになってなかなか上手くいかない。
ここは一旦態勢を立て直そう、それがいい。エルレカーンはその場から離れようとした。
「ま、待ってくださいぃ……もう一度……!」
「う、うるさい変態!!」
しかし、アイリの茨とエルレカーンの触手はがっちりと絡みあい全く抜け出せない状態となっていた。
エルレカーンは茨を切り落とそうとするもののその度に新しい茨が再び自分に絡みついてくる。
「ねえどうしましょうエウレカ!!私一体どうしたら!?」
《……》
エウレカは何かを考えているようであった。
まさか、エウレカにも対処法が思い浮かばないのだろうか。
いや、まさかそんなはずはない。エウレカは自分よりもよっぽど強く聡明だ。
この戦いも最初からエウレカが出ていればあっという間に終わっていたに違いない。
エウレカなら、彼女なら必ず何かいい知恵を授けてくれるはずだ。
《……エルレカーンの触手とアイリちゃんの茨が執拗かつ濃厚に絡み合う……
……これは事実上のレズセックスなのでは?》
「……はい?」
《あらやだ私はしたなく興奮してキマシタワー》
なにを いっているのだろう
りかい できない
「え、エルレカーンさん、お願いします……
もっと痛くしてぇ……もっと罵ってくださいぃ……」
《エルレカーン、ここは彼女の要望に応えてみるのも一興ではないかしら?ハアハア》
エルレカーンは三度真っ白になった頭をなんとか半回転くらいさせた。
なんだこの状況は。緊迫した戦いはどこへ行ったのか。
そして、ふと気付いてしまった。
この状況、"2対1"から"1対2"になっている―――!?
めまいがしたように視界がぐらりと揺れた。
実際は自分の体が茨にひっぱられ、体が揺れたのだ。
いや、もしかしたら実際にめまいがしたのかもしれないが。
そして、その瞬間にエルレカーンは自分がどこにいるのかを思い出した。
「そ、そうでしたわ……ここは建築中のビルの上……
なにもこのまま正攻法で戦う事はありませんでしたわね……っ!!」
エルレカーンは思いきり触手を振り乱し、その触手と茨で繋がっているアイリを大きく揺する。
アイリから小さな声が漏れて、その足は鉄骨の上から滑り落ちた。
「このまま落ちなさいっ!変態っ!!」
「あひぃんっ……も、もっとぉお……っ」
エルレカーンは忌々しげに触手を振りまわす。
しかし茨としっかり絡まった触手は全く抜ける気配がない。
ならばと杖を持ったアイリの右腕を叩きつけ、手を放させようとするがこれも全く離れる様子がない。
ただアイリが悦ぶばかりであった。
「あなたどうなってるの!?おかしいわ、おかしいですわよ!!」
「そ、そうですね……私、おかしいんです。痛い事が、怒られる事が、気持ちよくて、仕方ないんです」
「うう、変態……変態!変態!落ちなさい、変態!!」
エルレカーンはその触手を刃と変え、確実に杖を持ったアイリの右腕を斬り抜く。
斬り抜いた。斬り抜いたはずだ。
しかし。アイリの右腕は全く斬れていなかった。
「ど、どういうこと……!?」
「あ、あぁあ……う、腕、腕、痛い……っ……斬られ……こんなの……ここでしか味わえない……
やっぱり……降参しなくてよかった……っ」
アイリは恍惚とした表情でそう言ってのける。
やはり、右腕は斬れているらしい。血が少しずつ滴り落ちている。
しかし、斬れた腕が離れない、落ちないのである。
―――茨姫の杖は、何があってもアイリの体から離れる事はない。
「……」
《エルレカーン。今、あなた。思ったわね?》
「え……?」
エウレカの声は、先程の浮かれたような声とは違って静かなものであった。
エルレカーンの口の中はからからに乾いていた。
原初の恐怖を味わっているかのようであった。
《彼女の事を、"バケモノ"みたい、って》
「……あ……」
バケモノ。
自分が言われてあれほど傷ついた言葉を、織音アイリに向けて口に出さないまでも考えてしまった。
エルレカーンは強いショックを受けた。
そんな事を考えてしまった自分に対してか。
箱入りで世間知らずであった自分に対してか。
初めてエウレカに突き放されたように感じた自分に対してか。
エルレカーンの体から力が抜けた。
その体が、茨と、杖と、織音アイリごと、落下していく―――
「エルレカーンさん。大丈夫ですか?」
「……え」
目を開けると、そこにはアイリの顔があった。
エルレカーンは思わず飛び退きそうになる、が、出来なかった。
よく見ると、アイリは自分の体の上に跨っている。
一体何が起こった?ここはまだ夢の中なのか?
「私の茨をクッションにして、衝撃を吸収したんです」
そう答えるアイリの右腕はなくなっていた。彼女は代わりに左腕で杖を持っている。
自分自身はともかく、私まで助けた?何故?
「私、一目見た時から思ったんです。エルレカーンさん。私の事をすっごい気持ちよくしてくれそうだって……
だから、勝手に助けちゃいました」
「な、なんですの、それ……」
「だって、エルレカーンさんみたいな人、私初めて見て……」
"バケモノ"
やはり、彼女にもそう思われているのだ。
ならばお互い様だ、何も遠慮する必要はない。
今のうちに、攻撃を―――
「とっても素敵だなって……そのたくさんある腕や触手で叩かれたら、どれだけ痛いんだろうって……」
「……は?」
「だから、もっと、もっと叩いてほしくて……助けちゃいました。えへへ」
織音アイリは変態だった。
しかし、それと同時に心優しい少女であった。
エルレカーンの姿を見てもバケモノ等とは思わなかった。
ただ、素敵だと、そう感じていた。
……やや不純ではあるが。
「私が……素敵?この、体の、私が?」
「はい、とっても」
エルレカーンは、何故だかとても救われたような気持ちになった。
この姿のままでいても、素敵と思ってくれる人がいるのだということを。
《今、一瞬思ったでしょ?この体のままでもいいのかもって》
「……う」
「あ、そうだ、エウレカさんともお話したんです」
「え……エウレカと……?」
「はい、それで」
そういうと、アイリは自らの股間に杖を近づけ、くっと差し込んだ。
……?
よく見たら、アイリは下に何もはいていない。
というか、自分も何もはいてない。
エルレカーンの頭は再び真っ白になった。
「こうしたら、もっと、気持ちよくなるって……エルレカーンさんと一緒に気持ち良くなれるって、エウレカさんが」
「え、エウレカ?冗談よね?」
《●REC》
「エウレカ!?」
アイリの杖は、股間に見事におさまり、そしてそそり立っていた。
嫌な予感しかしない。エウレカーンは逃げようとする。しかし何故か体が動かない。
《呪いの杖とコズミックホラー、どっちが強いか実験よ実験!フゥワッフゥワッ!》
ああ、エウレカ。まだ1対2の状況は続いていたのねエウレカ。
エルレカーンは彼女に相談したことを激しく後悔した。
「……このまま、飲み込んでください。アイリの茨姫の杖……」
「ちょ、ま、やめ」
「夢の中だから、大丈夫です」
恍惚とした表情のアイリはそのまま、エウレカーンと繋がった。
―――茨ディルドーである。彼女達は一本芯の通った女達になったのだ。
「あぎゃああああっ!!痛、痛、痛い、痛い!!助けてエウレカーッ!お父様ーッ!!!」
「ああぁぁあっ!!ほ、本当に気持ちいいぃい!!最高れしゅうううっ!!」
《エルレカーン、よかったわね、あなたをバケモノ扱いしない子が現れて!ヒューヒューッ》
「なにが良いものかーっ!!ぎゃあぁあああっ!!!」
この瞬間。勝敗は決した。
勝者は好きな夢を。
敗者は悪夢を。
好きな夢を見たものは勝者であり、悪夢を見たものは敗者である。
この瞬間、アイリは間違いなく自分の望む夢を見ていた。
そして、エルレカーンにとってそれは悪夢であった。
有体に言えば、この後のアイリの暴走にエルレカーンの心が折れた。
故に―――勝者、織音アイリ。
余談:この建造中ビルが立っている場所は、現実世界ではえっちなホテルであるらしい。
「……はっ!」
豪華なベッドの上で眠りにつき、目を開けるとそこは、やはり豪華なベッドであった。
暗かった外はすっかり明るくなっている。
夢の内容は覚えていなかった。ただただ、悪夢だったような、そんな感覚だけがおぼろげにあった。
「旦那様!お嬢様が目を覚まされました!」
「おお、そうか!」
「お嬢様、大丈夫でしたか?丸三日も眠っていたんですよ」
「そ、そんなに……?」
魚のような下半身をしたメイドと父、ヴァッヘル・ヴル・ヴァッハがエルレカーンの顔を覗き込む。
エルレカーンは何故か、なんとなく申し訳ない気分になった。理由はわからない。
夢の中で何か大切な物を失ったような、そんな気がしたからだろうか。
「お嬢様が目を覚ましたって本当ですか?」
「おお、君か!」
聞き覚えのない声にエルレカーンが顔を上げる。
父の後ろから一人の少女が歩いてきた。
「お前が眠っている間にいろいろとあってな。この屋敷で新しく働いてもらうことになったんだ。
人間の子なんだが良く働いてくれてね」
「はい、お嬢様がお飲みになられる血もいつでも提供できます。えへへ」
エルレカーンはその見覚えのない少女をじっと見据える。
髪と目は緑色の、小柄で儚げな人間の少女。しかしその姿に不釣り合いな禍々しい杖を持った―――
《めでたしめでたし☆》