「秘密院恭四郎?秘密院の当主の?お前あんなやばい奴とトラブったのか?」
「そんなに有名なの?その人。」
薫崎が知らないのは少し意外である。短くない期間社会の裏側と関わっているので、名前くらいは聞いたことあると思ったが。
コイツらしいといっちゃあらしいが、自分の関心のないことの知識が欠けすぎだ。
この依頼も、秘密院の情報を抜けるのが俺ぐらいだから頼んだ訳ではなく、いつもの情報収集の延長線上の感覚でやっているらしい。
単純なトラブルを抱えている訳ではなく、もっと複雑な事情があるのか。
俺は、独自に作成していた「将来薫崎が喧嘩を売りそうな相手リスト」の中から、秘密院恭四郎の情報を選び、メールで送信する。
「ほい、送った。コイツでいいのか?」
薫崎に確認を取る。
情報を集めたと言っても、分かっていることはそう多くは無い。
秘密院恭四郎。十八歳。希望ヶ崎高校所属。
世界中のメディアを支配する秘密院財閥の現当主。
両親は彼が幼い時に死亡。他の兄弟も相次いで死亡したため、当主の座を得る。
秘密院家の歴代当主と同じように魔人であるが、詳しい能力は不明。使用されたという目撃証言もない。
ダンゲロスハルマゲドンで幾人もの戦闘魔人を倒したことや、相次ぐ一族の不審死と関連付け、強力な能力を持っているという噂がある。
魔人剣術の使用者。こちらは使用が確認されており、大半の魔人なら殲滅可能な腕前である。
大まかにはこんなところか。
広大なネットの海から情報をかき集めても、わずかこれだけ。
俺の能力は、情報系能力者でもトップランクであると自負しているが、そもそもオンラインに無い情報は抜けない。
あまり自分の情報が流れないように普段から心がけているということだろう。
「へえ、こんな顔なんだ。…うん、好みじゃないなー。男前だとは思うんだけど。もっとチョロそうな人がいいや。」
薫崎の声が聞こえる。最後の言葉は聞き捨てならないが、問題はそこではない。
…こいつ、顔も知らないのか?
顔も名前も、立場も知らない、特定個人の情報を求めてきた。
普段コイツが買うのは「なんか良さげな場所教えて」、とか「襲ってきそうな人いない?」みたいな雑な情報だ。
それを考えても、今回は不自然極まりない。
「おい、いい加減説明しろ。何があった。」
俺の言葉に、薫崎は口を開け、驚きの表情を見せた。
「…言って無かったっけ?」
「聞いてない。」
「ああ、ゴメンね。ほんとゴメン。時間無いからさ。焦ってた。」
薫崎は申し分けなさそうな表情をすると、言った。
「ゴドー。ドリームマッチって知ってる?」
ドリームマッチ。
長い間、世界で起きている集団昏睡事件の原因。
「無色の夢」を見た二人の人物が、夢の中で戦う。
敗者に凶夢を、勝者に瑞夢を、それぞれ与えるという。
「…お前、選ばれたのか。」
知っている奴は少なくない情報であるが、秘密院の名前を知らない薫崎が知っている道理もない。
知っているとすれば、それは自分が参加者になっている場合くらいだろう。
「うん。だから、少しでも情報が欲しいの。」
…驚いた。勝つ気があるらしい。そんなに見たい夢があるのだろうか。
「…つっても、これ以上は多分調べらんねえぞ。」
時間を掛けて、別の手段を用いれば話は別だろうが、今回は時間がない。
「うーん。情報はこれでいいや。それとは別に、頼みたいことがあるんだけど、良い?」
「いいぞ。」
即答する。
断る理由はない。勝つなら勝つで、コイツの依頼を受けられる。
お得意様だし、こいつと話すのは、それなりに楽しい。
負けたら負けたで、こいつがいつ死ぬかの心配をしばらく(もしくは永遠に)しなくてよくなる。
まあ、勝ってくれるに越したことはないから、仕事は真面目にやるが。
ああ、詳しい話を聞く前に、これだけは言っておかねば。
「報酬は前払いで頼む。」
取れるものは取れる時に取る。
昏睡されて、踏み倒されるのだけは御免だ。
☆
薫崎香織。二十歳。私立 高卒。一人っ子。調香師の両親をもち、ともに健在。
十歳の時に「手のひらから香水を分泌する」能力に覚醒。異臭騒ぎを引き起こす。逮捕歴なし。
一見すると、普通の女性であるが、彼女の周りでは事件が多発している。
集団昏睡。集団暴動。乱闘。etc
それらの事件に彼女が関与したというはっきりとした証拠はない。
証拠はないが、上記全ての事件が発生する数時間前に、彼女の姿が確認されている。
また、匂いを嗅ぐことで効力を発揮するドラッグを販売しており、その関係で暴力団とトラブルを起こしている。
トラブルを起こした暴力団では、彼女が現れた前後に、必ず内部抗争を引き起こしている。
これらを総合的に判断した結果、彼女は「匂いで敵を操る能力」を隠している可能性が高い。
現在の所在地は調査中。
これが、秘密院財閥のデータベースにおける、俺の対戦相手の大まかなプロフィール。
それを基にして、対策を立てる。
相手の能力は強力ではあるが、対処は容易。
匂いで人を操るのならば、匂いを嗅がなければいい。
問題なのは、相手が能力以外で何をしてくるか、だ。
普段ならば、対策をしっかり練れるが、今回は時間がない。
現実側を急襲しようにも、居場所が分からないので不可能だ。
決着をつけるなら、夢の世界しかない。
情報の収集は時間いっぱいまで継続するとして、他に今できることといえば、後は装備品の準備か。
持っていく品を吟味するため、倉庫へと移動する。
俺は必ず勝つ。
能力の有無など関係ない。
秘密院家の当主である以上、勝ち続けるのが俺の義務だ。
☆
気が付くと、グラウンドらしき場所にたっていた。
…これがドリームマッチか。
装備品を確認する。
薫崎対策のガスマスク。愛用の刀。拳銃と銃弾六発。装備には問題が無い。
次は周囲の確認。
自分が立っているのはおそらく校庭である。
周りを見渡すと、校舎が見える。
校舎には見覚えがない。
歩き回り、慎重に周りを調べる。
…誰もいない。薫崎の出現地点はここではないようだ。
学校の外に出たら即敗北となるのだから、薫崎がいるのは、校舎だろう
そちらの方を向くと、学生服をきた少年がこちらへと歩いてくるのが見えた。
目には生気がなく、動きもどことなくおかしい。
顔をふらふらと回し、何かを探しているようだ。
男は、俺を見つけると、こちらへと走ってきた。
俺は構えを取り、相手を迎え撃つ。
戦略も技術もない。単なる突進。何も問題が無い。
相手のタックルを躱し、首を撥ねる。
少年の首は宙を舞い、地面に落ちた。
呼吸を整え、刀を鞘へと戻す。
…こいつは何者だ。
普通に考えるなら、薫崎の手によるものだろう。
何らかの方法で操って、俺にけしかけてきたのか。
とわいえ、さほど脅威ではない。
この程度なら、たとえ数十人いようと切り殺せる。
問題なのは、薫崎が何をやろうとしているか、だ。
自分の能力を直接俺に用いるのではなく、他の人間に使って俺を襲わせてきた。
俺があらかじめ匂いに対する対策を練ることを予測していたということ。
ここまでの判断ができる奴が、この程度でやれる、と思うはずがない。
目的があるとすれば、時間稼ぎか。
何か手がかりが残っていないか、と男の体を調べる。
小型のカメラが胸ポケットに仕込んである。
情報収集もしている。
見たいのならば見ればいい。見られて困るようなことは何もない。
薫崎の能力が直接戦闘に向いていない以上、校舎で隙を伺っている可能性が高い。
この短時間で少年を送りこめたということは、まだそこまで遠くにはいないはずだ。
居場所の特定もそう難しくない。
問題は、この場所が相手にとって有利すぎるということ。
人間がいて、罠を仕込む場所が多い校舎。
準備をさせればさせるほど、俺は不利になっていく。
早く見つけて殺さなければ。
校舎の入り口をみると、先ほどの男と似たような状態の学生たちが待ち構えている。
…校舎に入るには、全員殺せってことか。
刀を構えなおし、校舎へと突入する。
☆
「…また死んだ。これで十人目だぞ。」
ゴドーはタブレットを見ながら言った。
「能力は使ってる?」
「使ってねーな。これ。いい腕してやがる。」
ほれ、とゴドーは、タブレットの画面をこっちに向け、映像を再生させる。
…うわ、すごい。ほれぼれするくらいいい腕だ。
これなら確かに、能力を使う必要なんてない。
「能力が分かんないのはキツイな」
情報アドバンテージはあちらの方が大きい。
こっちにはゴドーがいるとはいえ、あちらのバックには組織がある。
情報収集能力ではかなわない。
特に私の能力は公的機関の記録に残ってしまっているから、秘密院君には筒抜けだろう。
自分の腕には自信があるが、秘密院君には通じないと思ったほうが良い。
とはいえ、分からないものはしょうがない。
「考えたってしょうが無いじゃない。どうせ考えたって分かんないんだしさ。」
「確かにそうだが。」
ゴドー眉にしわを寄せて、答える。
「弱すぎて使ってないって可能性もあるんだし。考えすぎても勝てるものもかてないよ。」
「つっても、ただ温存してるだけだったらどうするんだ?」
「その場合は諦めよう。」
私たちは二人とも直接戦闘に向いていないし、対策を取られていて、私の能力は彼に通じない。
相手が戦闘に特化した能力者だったら遅かれ早かれ死ぬ。
だったら、余裕のある内に全戦力をブッコンだ方が勝率が高い。
それでも届かないならしょうがない。
まあ何が悪いのかと言えば、至らない自分が悪いのだ。
結果は甘んじて受け入れよう。死にはしないし。
私の返答を聞くと、ゴドーは凄く微妙な表情をした。
「…お前、結構度胸あるよな。」
そう答えると、ゴドーは目の前にいる人たちに目を向けた。
そこには、三十数人の学生が立っている。
さっきの子たちの死は無駄じゃない。
より多くの子達を集める時間を稼いでくれた。
「放心」で意識が朦朧としている状態で、「暗示」を使った刷り込みを行えば、ある程度は言うことを聞いてくれる。
仕込みにさっきより時間を掛けたから、もっといい動きをしてくれるだろう。
「うん。そろそろいいかな。」
「暗示」の方が、そろそろ聞き始める時間だ。ここで、刷り込みをすれば、私の言うことを聞いてくれるようになる。
私は能力を発動させ、若い肉体向けに調整した「暗示」を分泌させる。手のひらから分泌された香水は、彼らの鼻に届き、嗅覚を、そして脳を刺激する。
朦朧とした頭の状態で、特定の刺激を与えることで、彼らの脳は、鳥の刷り込みのように、最初に見た人間(つまり私)を従うべき人間と誤認する。
「よーし、上向いて。」
私の声に反応し、全員が上を向いた。
「右手挙げて。」
全員が右手をあげる。
…よし、成功だ。
これで最低限の判断力を持ち、私の言うことを聞いてくれる駒の完成。
「で、これからどうすんだ?」
その様子を見ていたゴドーが言った。
「私は皆を連れて、秘密院君が来るのを待ってるから。ゴドーはさっき言ったの、やっといて。」
彼は下の階から順々に見て回っているようだったから、ここまで来るのには少し、時間がかかるだろう。
なら、アレの準備をする時間だってある。
できれば使いたくはないが、保険はあるに越したことがない。
どうせゴドーは戦力にならないのだし、こっちにいるよりは意味がある。
「…マジでやんの?アレ。」
嫌そうな顔をする。そんな表情をされると、私が悪いことをしているみたいな感じになってしまう。
いや、確かに褒められたことじゃないけど。やって損はないはずだ。
「まあアレはあくまで最終手段だよ。大丈夫だって。たぶんこの人数なら押し切れる。奥の手もあるし。」
「お前の大丈夫はイマイチ信用できねえんだよなあ。」
ゴドーは溜息を吐き、失礼なことを言うと、荷物を持って外へでる。
「じゃあ私達は待ってよっか。秘密院君が来るのを。」
エントランスにいた生徒たちは、私の言葉に反応し、扉の方へ向く。
無駄に急いだり、他人を押しのけたりすることもない、自然な動きだ。
うん。いい動きだ。これならどうにかなりそう。
皆の力があれば、魔人の一人くらい余裕で殺せる。…多分。
私は後ろで応援するから。死ぬ気で頑張って欲しい。
☆
薫崎の位置は特定した。
生徒を操って、教室で籠城している。
生徒の数は三十人程、配置も確認。
扉側に多く配置されており、窓側には数人立っているだけだ。
…これならば問題ない。勝てる。
壁をよじ登り、窓の前に行くとガラスを破って、中へと侵入する。
窓側の何人かが反応し、俺を倒そうと襲い掛かってくる。
先ほどの奴ら達と比べて動きが早い。が、遅い。
彼らの間をすり抜け、薫崎の方へと向かう。
薫崎も銃を構えているが、それが発射されるよりも俺が切り殺す方が早い。
薫崎の体から血が飛び出て、手から拳銃が落ちる。
…手ごたえが浅い。殺し損ねたか。
後ろから飛びかかってくる生徒を避け、後退する。
派手に血が飛び出たものの、致命傷ではない。
先ほどの奴らよりも的確な、生徒の攻撃を避け、次の機会をうかがう。
次はしくじらない。
俺は再び生徒をかいくぐると、薫崎の下へと向かう。
完璧なタイミング。今度は確実に首を刎ねられる。
ぶううん
今まさに切りかかろうとした瞬間、何処からか羽音が聞こえ、俺は首筋に熱い痛みを感じた。
…失念していた。匂いに反応するのは、人間だけではない。
特定のにおいは、虫の行動を制御する。薫崎が操れるのは人だけではない。先ほど近づいたときに、匂いを付けたのか。
意識が一瞬朦朧とし、踏み込みが甘くなる。
首を狙っていた太刀筋は、手元が狂い、胸元を切りつけた。
即死でこそないが、致命傷に近い。
自分の意識と動きが、少し、ずれる。
生徒たちが襲い掛かってくるのを避けつつ、考える。
毒はそう簡単には回らない。俺が毒で死ぬより早く、薫崎の命は尽きるはずだ。
しかし、コイツは油断がならない。
これ以上何かをする前に殺さなければ…
もう一撃加えようと、足を進める。
毒のせいで足が上手く動かせない。
生徒の一人が、俺に飛び交かかり、動きが止まる。
振り払おうとするが、上手く力が入らない。
薫崎の方を向くと、何かのスイッチを手にしている。
ズドン!
爆発音と共に、天井が崩落した。
☆
爆音を聞こえる。薫崎がスイッチを押したのだろう。
天井に爆弾を設置して、自分ごと生き埋めにするなんて、思いついても、普通、やらない。
薫崎曰く、「運が良ければ、自分が死ぬ前に相手が死んでくれるよね」。
…やっぱりあいつはどこかおかしい。思いついても普通やらないだろうに。
「どうせ死にはしないから」と、最後の最後に運任せの策を持ってくるなんて、馬鹿としか言いようがない。
アイツの馬鹿に巻き込まれて秘密院もかわいそうに。
俺の体も徐々に消えていく。
外を見ると、グラウンドが徐々に消えていっているのが見えた。
夢の戦いが終わったということか。
自分の体を見ると、徐々に透明になっていっている。
さて、勝利したのはどちらなのだろうか。
☆
目が覚めると、いつもと違う天井が目に入ってきた。
ベッドから体を起こし、向きを変えると、コーヒーを飲んでいるゴドーが目に入った。
「…うーん。おはよう。ゴドー。」
…思い出した。
ゴドーを夢の中に連れていくために、彼の家へ泊めてもらったんだった。
ドリームマッチの記憶は覚えているということは、私はどうにか勝利したらしい。
最後はグダグダになってしまったとはいえ、勝ちは勝ちだ。
「飲むか?」
ゴドーはコーヒーを差し出す。
ありがとう、と言って、私はそれを受け取った。
「結局、お前はどんな夢を見たんだ?」
「うん?夢なんか見てないよ。」
「あ?」
「だって、夢でなんでもできたって面白くないでしょう。」
現実は不自由で、不完全で、自分の思い通りになんか全然なってくれない。
それが嫌になる人の気持ちは分かる。わかるけど、だからこそ上手くいった時は凄く嬉しい。
叶えたいものがあっても、簡単にそれを成し遂げてしまっては、充足感も何もあったものじゃない。
自分の手で、苦労して、成し遂げるからこそ嬉しい。
私はそれが何よりも好きなのだ。
「じゃあ、なんでリタイアしなかったんだよ?そっちの方が楽だろ。」
「ペナルティが嫌だったからだけど、それ以外に理由がある?」
何時目覚めるか分からない悪夢なんて誰だって嫌だろう。
そりゃあ全力だって出す。
秘密院君も本気だったし、あれぐらいはやらないと。
ゴドーは何も言わず、呆れたような表情をしている。
…まあ人の意見はそれぞれだし。分かってもらえない時だってある。
少し、寂しいけれど、仕方がない。
何も得られない戦いだったけど、たいていものはそうだろう。
「ああ、でも。何も得られなかったわけじゃないか。」
「何のことだ?」
ゴドーは聞き返す。
う。つい口からこぼれてしまった。
ゴドーは怪訝そうな表情でこっちを見ている。
「いや、何でもない。何でもない。…ねえ、それよりなんか食べ物ないの?お腹空いちゃった。」
ゴドーはこっちをしばらく向いていたが、立ち上がって台所へと向かった。
ふう。注意をそらせてよかった。
ゴドーの部屋に泊まれてよかった、なんて恥ずかしくて口には出せない。