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【種別】 エネルギー(?) 【初出】 I巻 【解説】 この世に存在するために必要な根源的エネルギー。人間や動植物・物質など、この世にあるあらゆる存在が持っている。 その個体の肉体や精神のみならず、他に対する影響力をも支えている力であるため、“存在の力”が奪われるとその個体が消滅するだけでなく、その物に関する記憶や痕跡、持ち物なども消えてしまい、あたかも歴史に干渉したかのごとく最初から「なかったこと」になってしまっていた。 ただし、まるっきり矛盾なく消えるというわけではなく、周りの人に与えていた影響や子孫などは残るため(独立した“存在の力”を持つからかは不明)、この世に「[[世界の歪み]]」が生じてしまっていた。 “存在の力”が奪われたことで起こる変化は、ポジティブな『改変』ではなくネガティブな『消失』であり、埋め合わせはされず、ただ不自然にあるべき物が元からなかった状態になり、そのことに疑問を持っても記憶にも記録にも残っていないので、誰にもどうにもできなかった。 この世の存在の“存在の力”は普段は目に見えず干渉できないが、“[[紅世の徒]]”を始めとする“存在の力”を感じ操る力を持った者は、この世の人間を“存在の力”に変換し、自分の力として吸収したり自在に使うことができた。 この“存在の力”への変換・吸収の過程は『喰らう』と比喩されていた。 “[[紅世>紅世(ぐぜ)]]”からこの世に渡り来た“紅世の徒”は、人間から“存在の力”を奪い、自分の存在や意思を自在に[[顕現]]させていた。 人間は基本的に“存在の力”を操ることも消失を感じることもできないが、稀に“存在の力”の流れを感じたり、“紅世の徒”と協力することで“存在の力”を繰ることのできる人間もいる。 前者の『存在の流れ』を感じとることが出来る人間が[[フレイムヘイズ]]の適正者であり、いつの時代にも一定の割合で存在する彼らを、[[フリアグネ]]は異世界の侵略者たる“徒”に対抗する人間という種の抗体、ではないかという推測をしていた(例:[[カムシン]])。 RPG的に言うと、ヒットポイント兼マジックポイント。なお、フレイムヘイズにとって“存在の力”の消耗は、「疲労というよりも怪我」([[マージョリー>マージョリー・ドー]]談)と表現していた。 なお、“存在の力”には「エネルギー保存則」のような法則性があり、使われて消えることも無く、外に持ち出されることもなく、この世の“存在の力”の総量は一定に保たれる。“徒”が存在を喰らった場合も同様であり、“徒”が滅びたときには保有していた“存在の力”は消滅したり、“紅世”に持ち出されたりするわけではなく、[[炎]]に変換されて、この世に還元されていた。 最終巻で、無限の“存在の力”に満ち溢れた新世界『[[無何有鏡>無何有鏡(ザナドゥ)]]』が、[[シャナ]]たちが撃ち込んだ改変の[[自在式]]による「人を喰らえない理」を含んだまま、[[創造神>神]]“[[祭礼の蛇]]”によって創造された。 【コメント】 ☆[[アニメ版]]から登場・使用されていた。 ☆一部を“[[紅世の徒]]”に移動した。 ☆他のRPGには適応できにくい力だったな。 ☆↑RPGで言うとセブン=フォートレスシリーズ(及びその姉妹作であるナイトウィザードシリーズ)の「プラーナ」に極めて近いな。 ☆高橋弥七郎の新作『カナエの星』では、『半開きの目』や『半閉じの目』という力が登場している。
【種別】 エネルギー(?) 【初出】 I巻 【解説】 この世に存在するために必要な根源的エネルギー。人間や動植物・物質など、この世にあるあらゆる存在が持っている。 その個体の肉体や精神のみならず、他に対する影響力をも支えている力であるため、“存在の力”が奪われるとその個体が消滅するだけでなく、その物に関する記憶や痕跡、持ち物なども消えてしまい、あたかも歴史に干渉したかのごとく最初から「なかったこと」になってしまっていた。 ただし、まるっきり矛盾なく消えるというわけではなく、周りの人に与えていた影響や子孫などは残るため(独立した“存在の力”を持つからかは不明)、この世に「[[世界の歪み]]」が生じてしまっていた。 “存在の力”が奪われたことで起こる変化は、ポジティブな『改変』ではなくネガティブな『消失』であり、埋め合わせはされず、ただ不自然にあるべき物が元からなかった状態になり、そのことに疑問を持っても記憶にも記録にも残っていないので、誰にもどうにもできなかった。 この世の存在の“存在の力”は普段は目に見えず干渉できないが、“[[紅世の徒]]”を始めとする“存在の力”を感じ操る力を持った者は、この世の人間を“存在の力”に変換し、自分の力として吸収したり自在に使うことができた。 この“存在の力”への変換・吸収の過程は『喰らう』と比喩されていた。 “[[紅世>紅世(ぐぜ)]]”からこの世に渡り来た“紅世の徒”は、人間から“存在の力”を奪い、自分の存在や意思を自在に[[顕現]]させていた。 人間は基本的に“存在の力”を操ることも消失を感じることもできないが、稀に“存在の力”の流れを感じたり、“紅世の徒”と協力することで“存在の力”を繰ることのできる人間もいる。 前者の『存在の流れ』を感じとることが出来る人間が[[フレイムヘイズ]]の適正者であり、いつの時代にも一定の割合で存在する彼らを、[[フリアグネ]]は異世界の侵略者たる“徒”に対抗する人間という種の抗体、ではないかという推測をしていた(例:[[カムシン]])。 RPG的に言うと、ヒットポイント兼マジックポイント。なお、フレイムヘイズにとって“存在の力”の消耗は、「疲労というよりも怪我」([[マージョリー>マージョリー・ドー]]談)と表現していた。 なお、“存在の力”には「エネルギー保存則」のような法則性があり、使われて消えることも無く、外に持ち出されることもなく、この世の“存在の力”の総量は一定に保たれる。“徒”が存在を喰らった場合も同様であり、“徒”が滅びたときには保有していた“存在の力”は消滅したり、“紅世”に持ち出されたりするわけではなく、[[炎]]に変換されて、この世に還元されていた。 最終巻で、無限の“存在の力”に満ち溢れた新世界『[[無何有鏡>無何有鏡(ザナドゥ)]]』が、[[シャナ]]たちが撃ち込んだ改変の[[自在式]]による「人を喰らえない理」を含んだまま、[[創造神>神]]“[[祭礼の蛇]]”によって創造された。 【コメント】 ☆[[アニメ版]]から登場・使用されていた。 ☆一部を“[[紅世の徒]]”に移動した。 ☆他のRPGには適応できにくい力だったな。 ☆↑RPGで言うとセブン=フォートレスシリーズ(及びその姉妹作であるナイトウィザードシリーズ)の「プラーナ」に極めて近いな。 ☆[[高橋弥七郎>高橋弥七郎(たかはしやしちろう)]]の新作『カナエの星』では、『半開きの目』や『半閉じの目』という力が登場している。

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