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ムヒョウ

理不尽さにくらい慣れている気でいた。
 自分の生い立ちは笑っちまうくらいによいものではなかったから腹立たしい気持ちもなかった。偏見も差別も生まれた時からのおまけだった。倫理や道徳なんて植えつけられる前に、それが当然だった。
 今思えば、あの頃の世界は灰色をしている。この世の極彩を未だ知らなかったころ。まだ『奴』が生きていた過去―――。


 浮浪児仲間の、悪友の、戦友の、親友の、相棒だった奴が死んだのは、ギルドに登録して名が通りだした頃だった。

 『おい、―――。今日の仕事が決まったぞ』
 『どんな仕事だ?』

 奴は無言で、依頼書を差し出す。目を通すと内容は、マクドールという山間いの村で近頃、山賊の強盗が横行しているとのこと。そのため自警団の援助、または山賊の捕縛の手伝いというありふれたものだ。

 『またこの手の依頼か』
 『いいじゃないか。単純明快で金の入りもいい。』
 『金、金の毎日…夢の欠片もねえな』
 『お前が俺に生計全部任してのが悪ぃんだ。文句言うな』
 『ヘイヘイ…そんじゃ行くか』



 マクドールの村は、鬱蒼とした山々に囲まれた真ん中に位置していた。街からは離れており、人の往来も少ない。村に入った時に感じた閉鎖感が全てを表していた。木々に阻まれて、夜の闇が一層深く沈んでいる。真っ暗で押しつぶされそうな黒。

 俺たちは予定通り自警団と合流し、別々に配置された。順路を松明を持って警備し、問題がないか見張る。…それの繰り返し。
 つんざくような警笛が聞こえたのは、もうどれくらい経ったのかも忘れ、飽きが回ってきだした頃だった。
 『ようやくお出ましか』
 俺は音のするほうへ体を委ねた。




 山賊が現れたのは村の中央の広場だった。自警団が山賊たちを取り囲んで、その中で善戦を繰り広げているようだ。
 『ようやく来てくれたか…!頼む!俺たちじゃ太刀打ちできん!』
 そう言われ、俺は円の中央へと導かれた。
 そこには瞳孔を開きまくった如何にも悪人面の三人がいた。研ぎ澄ませたナイフが松明に妖しく揺らめく。滴る血がぽたぽたと広場の砂利を染めている。

 『テメエが一番強えやつか?』
 『どうだっていいだろ』
 『まぁなあっ、俺らは山賊…常識にゃ捉われねえよ!』


 筋の見えた凶器をかわすのは意図も簡単なことだ。所詮こんなものか――大層つまらない。
 ―――それに、苛立ちさえ覚えるほど。

 倭寇が常識外れの山賊たちを捉える。鋭い背刃が奴らのがら空きの体を打った。くぐもった声が耳に届いたあと、地面を舐める音がする。
 『…お前ら如きじゃ追い剥ぎにもなれねえな』
 『うぅ…ッ』

 自警団の一人が縄を持って、山賊たちの両手両足を縛っていった。俺は倭寇を納め、一息つく。
 『これで全員か?』
 『いえ、…少年がもう一人――』
 『少年?』


 その時、遠くで痛切な雄叫びが木霊した―――。
 嫌な予感が体を奔った…。

 そこには世にもおぞましい物体が居座っていた。血管を奔る極彩の血液。酷く窪んだ瞳。異様に長い手足。人には存在しえない角と、翼と、尾。生まれたての子のように、体に纏われる粘着質―――。
 その物体の前に、平伏しているのは血塗れの相棒だった。虫の息遣いに混じって小さな悲鳴があげていた。


 『ハ…ハハ、なんだ…?、これ…?』

 化け物は俺を見ると雄叫びとも悲鳴ともつかない声をあげ、気づいたら俺の頬を切り裂いていた。
 ―――痛みがする。慣れ切った痛みがする。

 化け物が荒い息をあげ、もう一度俺に襲い掛かる。今度はかわそうと思ったのに、それを上回るスピードで俺を頭上から捉えた。血の味が口に広がる。砂埃を身にまとったのはいつ振りだろう。


 『な、なんだ…!?』
 自警団員たちがようやく駆けつけてきた。
 『――ッ!来るなッ!!!』

 静止は世界を止めなかった。
 辺りに血の海が広がる。もがく間もなく人が停止した。
 『……………』


 それを楽しむなら怒りが沸いたのかもしれない。それを憎んでいたのなら応えようとしたのかもしれない。それを恐れていたのなら叱責を与えたのかもしれない。―――しかし、此れは何も理解していない。理解出来ようもないだろう…。
 そうさ、多分、俺もあまり変わりはしない。別に数多の命がなくなろうがどうだっていい、別に数多の命に俺が救われたことはないからだ。
 ただ、一つを除いて――。

 ああそうだ…もう、きっと―――『奴』は助からない。



 『――来いよ、何も感じやしないんだろ』

 化け物は叫ぶ。聞き取れもしない、届きもしない悲鳴で。
 …バカヤロー、泣きたいのは一緒なんだよ。


 『…』

 ふと、化け物の動きが遅まった。
 それは倭寇の切先がそれの心臓を穿つのとほぼ同時だった。

 ――化け物は悲鳴もあげずに刀を受け入れた。
 血管を奔る極彩の血液が少しずつ色を失って、ゆっくりと姿を変えていく。そして残ったのは、また年端のいかない幼い少年だった。

 『…そうか、…お前が―――』

 【忌み子】から倭寇を抜くと命を失った肉体は空に崩れた。体を支え、地に横にする。そこに自警団やってきて、全てを預かった。


 呆然と立ち尽くしていた時『―――』と、俺の名を呼ぶ声がする。
 『………ッ!』
 血に塗れた奴の側に駆け寄ると、小さな声で呟いた。

 『ざまぁ、ねえなあ…まったくよ…』
 『…ッ!!』
 『オイ、…さっ、さと…いい女、…掴まえろ、よ』
 『バ…ッ…こんな時に…!』
 『ぅ…っせーなァ…』

 ヒヒッと蔑むように笑う――。奴のいつもの癖。

 『世界を…恨む、な…よ。』





 『―――じゃあな、ムヒョウ。』




 木々に阻まれて、夜の闇が一層深く沈んでいる。真っ暗で押しつぶされそうな黒。その中に同化するように、奴の命は溶けた。
 地獄があるとしたなら、まさにこの世そのものだ。

 全てが緩んだ肉体の重みは言い知れぬほど腕に響いた。
 亡骸は、随分と暖かかった。

 依頼は失敗し、俺は名声と相棒を失った。
 追い打ちを掛けるようにギルドからの信頼も無論下がり、当分の間生活苦を強いられるようになった。

 奴は恨むなと言ったが、これらを許せる訳もなく生きることに辟易していた。ただ自ら死ぬことは出来なかった、それは奴の理念に反するからだ。俺は死に場を求め、彷徨い歩いた。
 『黒閃のムヒョウ』と言われていた名も捨て、名無しを名乗った。


 それから幾年が過ぎ、数十年が過ぎた―――
 ギルド所属の何でも屋として生きるのが板についてきた頃、俺の元に裏ギルドから一報が入る。…それは『半竜殺し』の依頼だった。
 枯れてきそうだった頬に痛みが迸った。



 (―――…シエン)

 俺はまだ逃げれないらしい。それはもう、この世に留める呪いにも似ていた。
 俺は倭寇を持ち、【忌み子】の足取りを追った。

 そして…あの日に繋がる。

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最終更新:2011年07月24日 19:33