北アメリカ大陸の原住民、ネイティブアメリカンのとある部族に残る古き伝承に聞く――
その日、地上から宙へと向かう目映い流れ星が青空を紅々と染めた。
その光を見た狼は声を潜め、熊は身を隠し、鷲は大地を這ったと云う。



■□□□□□□□



「YHAAAA! いいか、お前ら!
 ルール、単純! この枕、頭、当たる、アウト! 身体、セーフ! 存分に、戦う!」

埃臭い山小屋の空気を震わせ、全身が筋肉で膨張しきった禿頭の男、『マッスル』が叫んだ。
両手には頑丈な麻袋に目いっぱいの土を詰め込んだ総重量50kgの枕を一つずつ掴んでいる。

家具など壁際の本棚と椅子しか無く、後は採掘用ツルハシやシャベルが幾つか転がるだけの広間。
その中央には枕がうずたかく積まれ、今や遅しと持ち主の腕に掴まれるのを待ちわびていた。

「アア! オレハ イツデモ準備デキテルゼ!」

赤銅色に日焼けした腕をむき出しにし、胸毛が豪快に飛び出したボロ姿の『キャッスル』が応える。

「そろそろ俺も連敗を阻止せにゃならんからな」
「ギターばかり、鳴らす、青ビョウタン! おれの、パンチ、躱せる? 楽しみだ!」

豊かなドレッドヘアーを2m超の身体に乗せた『アイアン』が枕をひとつ掴み取り、
マッスルは歯を剥き出しにしてアイアンへ威嚇の笑みを向ける。

「WOOOO! お前、早く、枕、取れ!」
「僕は朝から穴掘りで疲れてるんだよ。読書の邪魔だからそっちでやっててくれ」

他の男達より二回りも小さな身体の『ハッスル』は一人、広間の端で椅子に腰かけ、
サラリとした金髪をかきあげて言う。仕方ないとマッスルは肩をすくめて広間中央に向き直った。

「じゃあ、いくぞ! この枕、落ちたら、スタートだ!」

言うが早いか、マッスルは片手の枕を豪快に放り投げた。三人の視線が宙に放られた枕へ集中する。

マッスルの一千年を生きた巨木を思わす太腿が脈動し、隆起した筋肉の溝が影を濃くする。
キャッスルの全身からは湯気が立ち昇り、肌は燃え盛る業火の如く赤々と灼ける。
アイアンは両手に収まる枕を握り締め、きつく結んだ口の端から緊張の吐息を溢した。

数瞬後、枕が地響きを立てて床に落ちる。

「Ouch!」

直後、アイアンの顔面に二つの枕がめり込み、敢えなく黒光りする巨躯が床に沈んだ。

「YHAAAA! 連敗、記録、更新だ!」
「スマネェナ、アイアン! オ前ハ組マセルト面倒ダカラ、サッサト倒スニ限ルンデナ!」

筋肉達磨と赤銅色の熱塊が開始の合図と同時にアイアンの顔面へ正確無比の投球を終えていたのだ。

「WOOOO! まだまだ、いくぞ!」

残る二人の男達は息つく暇も惜しむよう、次の行動に移っていた。

マッスルの腕には既に第二投目の弾が握られ、
自慢の筋肉を十全に活かした瞬発力による加速で次なる獲物、キャッスルへと放たれる。

「喰ラウカ!」

しかしキャッスルもまた肉体を鍛えぬいた古強者。
マッスルの動きを見切り、最小限のヘッドスリップで凶器の土饅頭をかわす。

「だが、まだ、だ!」

しかしその枕に続き、筋肉が躍動し襲い掛かっていた。
今回の枕投げは枕を相手の頭に当てさえすれば良いルールだ。
つまり予め相手を殴り倒してから顔面に枕を押し付ければ話は早い。

「おれの、パンチ、躱せるか? お前の、自慢の、レンガ、でも、粉々に、できる、
 おれの、この、筋肉! この、最強の、肉体! 破壊力、喰らえ!」

回避動作で迎撃体勢の不十分なキャッスルへ跳び掛かるマッスルが拳を突き出しながら叫んだ。
マッスルの『仲間との会話を瞬時に成立させる』能力が無ければ一語を発する猶予すらも無い、
その電撃的な速度の拳は赤銅色の漢の頬を確かに、したたかに打ちすえた。

だが、直後に広間に響いたのはツルハシで分厚い鉄板を叩いたかのような重厚な金属音であった。

「馬鹿メ! 煉瓦職人ノ身体ガ自分ノ焼ク煉瓦ヨリ脆イトデモ思ッタカ!」

キャッスルの、『自分の身体を硬くする』能力である。

「YHAAAA! やる! 危ない、危ない」

拳を弾かれたマッスルがゴム鞠のように飛び跳ね、キャッスルの硬化した髪による強烈な頭突きを
回避した。マッスルの脳内を麻薬物質であるプロテインが迸る。彼は愉悦の笑みを浮かべていた。

震える空気。揺れる床。
カリフォルニアの山間に建つ丸太小屋は嵐を進むガレオン船よりも危険な戦場となっていた。
この天地を揺らす雷雲はいつ過ぎ去るか、果たして過ぎる時は訪れるのか――その時である。

「もう少し静かにやってくれ。さっきから汗やら埃やらが飛んできて読書の邪魔だ」

肌色と赤色の肉塊がぶつかり続ける、硬直状態となっていた戦場の空気をハッスルの声が裂いた。

「ARRRR! お前、ばかり、澄まして! これでも、喰らえ!」

しかしマッスルは昂ぶりを衰えさせるどころか一層燃え上がらせ、お前も加われと言わんばかりの
一投を壁際のすまし顔へ放った。だが、まるで予めそこへ枕が飛来すると知っていたかのように、
本を読む男は椅子の位置をわずかにずらしただけで凶弾を回避していた。

「相、変わらず、だな! だが、未来を、知って、いても!
 対処、できない、速さと、量の、攻撃、なら、どうだ!」

それでもマッスルは怯まず、広間中央の枕の山をむんずと掴むと一気に大量の枕を弾き飛ばし、
続けて枕の弾幕との波状攻撃を仕掛けるべく、土が剥き出しの床を強く踏みしめた。
枕の散弾も、マッスルの身構えた先も、狙うはハッスルである。

「はぁ……前にも話しただろう? 中国明代の思想家、王陽明はこう言った。
 『知りて行わざるは、ただこれ未だ知らざるなり』。知っているということは、だ。
 対処も可能だということなんだよ。マッスル」

冷静な言葉と共に弾幕のわずかな隙間を針穴に糸を通す精緻さで潜り、枕を躱したハッスルは、
その時、既に持っていた分厚い本をマッスルの顔面へと投じていた。

「WOW!」

鍛え抜かれたマッスルの肉体であれば本の一冊や二冊、顔面に受けたところで問題はない。
だが、本を投げたのは『未来を視る』能力を持つハッスルである。マッスルは彼を良く知っていた。
ハッスルが投げた以上、その本にはマッスルを打倒する何かがあると考えるべきである――と。

「オ前ノ相手ハ オレダロウガ!」

然してその一瞬の硬直、踏み込みの甘さを突いたキャッスルの両腕がマッスルの胴体を掴んでいた。
クラッチを組み、瞬時に硬化された紅蓮の鉄環はマッスルの剛力を持ってしてもびくともせず――

「今夜ハ オレノ夜ダッタナ!」

背後からマッスルを抱え上げたキャッスルの、美しいアーチを描くブリッジが――
華麗なるバックドロップが、マッスルの汗で光る頭を床に転がる枕へ深々と突き立てた。



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夜明けにほど近い時刻。
ツルハシやシャベルが転がるばかりの山小屋の広間で、その男は目覚めた。

男は無言で床に落ちている手ぬぐいを掴みあげると、顔をぬぐった。
懐かしいはずの、しかし未だ昨晩の出来事のように思い出す、四人が揃っていた最後の夜。
あれから15年の歳月が経った。
だが、あの日、身を裂かれる程に痛感した己の無力さを思う度に厳つい両肩を震わせている。

ドレッドヘアーを揺らす黒い巨漢、ヘヴィ・アイアンは手拭いを放り投げ、立ち上がった。
指先、腕、足、胸、腹、首と、全身の筋肉を蠢かせ、身体の調子を確認する。
15年――鍛え抜き、虐め抜いたヘヴィ・アイアンの肉体は主の意志に応え、沸き立っていた。

「フゥッ!」

人の領域を外れた強度、機動性をミッシリと筋肉に詰め込み、ヘヴィ・アイアンは身支度を始めた。

ジャマイカンの朝は早い。

顔を洗い、服を着替え、素早く準備を終えて玄関へ向かう。
玄関先で靴紐を確りと結わえると、靴箱の上に置かれた写真立てを数秒間凝視した。
金が掘れたら記念の写真を飾るぞ(注1)とキャッスルが作り、以来、空のままの写真立てである。

「行ってくるぜ。待っていろよ?」

山小屋の扉を開け、清冽な暁の空の下へ、ヘヴィ・アイアンは走り出した。
今日こそがヘヴィ・アイアンの15年の練磨を解き放つ一日目となるのだ。



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「マッソォォォーッ!(筋肉)」「ハッソォォォーッ!(ゴリ押し)」



上腕二頭筋を振るい、下腿三頭筋を弾ませ、男は獣道を走る。
伸びのあるバリトンボイスの掛け声が森の枝々を震わし、零れた朝露がキラリと朝日を弾く。

男はあの日から15年、早朝のランニングを欠かさずに行っていた。

「ランニング、いいぞ! ランニング、全ての、筋肉、通じる!」

共に金鉱脈を追った戦友、“真なる脳筋の賢帝”マッスルはかつてそう言った。
荒野で気ままにギターをかき鳴らしていた昔日。
毎朝、ランニング中のマッスルを見かけている内に、いつしか二人は声を掛け、意気投合していた。

やがて赤銅色の巨漢が加わり、威容が目立つ三人組に興味を惹かれた金髪の物書きが加わり、
ゴールドラッシュにざわめく田舎町に最高で最強のチームが出来上がっていた。

成程、確かにランニングは人との出会いにすら通じる、偉大なものなのかもしれない。



「ハッソォォォーッ!(ゴリ押し)」「キャッソォォォーッ!(砦)」



森を抜け、岩場へと差し掛かる。
もしこのまま走り続けていたならば、とヘヴィ・アイアンの脳裏に淡い色彩のイメージが浮かぶ。
空から筋肉の権化が降って湧かないだろうか。
大地を割って灼熱の似姿が登場しないだろうか。
振り返れば音もなく金髪の陽光が軽やかに駆けていないだろうか。

パァン――と、乾いた音が薄白い空に響いた。

両の頬を張り、表情を引き締めたヘヴィ・アイアンはランニングの速度を上げた。
あの日の夢を見て、心が弱くなったなどあってはならない。
足を捕られてなるものか。男には進むべき道があった。



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「キャッソォォォーッ!(砦)」「タッソォォォーッ!(悲劇と勝利)」



大胸筋を揺らし、大腿四頭筋を肥大させ、男は砂地を走る。
森を抜け、岩場を抜け、砂地になったこの辺りはもう湖畔である。

ヘヴィ・アイアンの前方には青く艶やかに凪いだ湖面が広がっている。
五年前のランニングコースでは、ここは迂回地点であった。
しかし今のヘヴィ・アイアンは足を止める事無く、むしろ加速させ、湖へと突き進む。

左足が湖面に触れる。その左足が沈むより早く右足が湖面を捉える。
右足が沈むよりも早く次の一歩を踏み出す。その次も、その次も、足を踏み出す。

スピードを極めたヘヴィ・アイアンの足は、今や水の上すらランニングコースと成していた。



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「タッソォォォーッ!(悲劇と勝利)」



僧帽筋が膨らみ、広背筋が引き絞られ、男は断崖を登る。



「マッソォォォーッ!(筋肉)」



高所を吹き荒ぶ突風が男の身体を攫おうと爪を突き立て、しかし強靭な筋肉に弾かれ霧散する。

一手、一足、一手、一足。
薄紙一枚程の突起を指先で掴み、重心を操り、姿勢を制御し、男の身体は垂壁を滑るように進む。

ロッククライミングは腕力がモノを言うと思われがちだが、その実、技に依るところが大きい。
この絶壁を登り切るには、全身の隅々まで神経を張り巡らし、繊細な身体操作をこなす必要がある。
10年前のヘヴィ・アイアンはこの長大なルートを踏破するに至らなかった。
ここがランニングコースの終着点であった。



「ハッソォォォーッ!(ゴリ押し)」



今のヘヴィ・アイアンは違う。
技を極めた一手、術を極めた一足。
掛け声と共に伸ばされる所作は淀みなく、着実に己の身体を高みへと運んでいった。



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「ハッソォォォーッ!(ゴリ押し)」「キャッソォォォーッ!(砦)」



大臀筋を締め、腹直筋を堅め、男は万年雪の積もる雪原を駆け上がる。
崖を越えた後はこの斜面を抜ければ山頂である。

ここまで来れば高度はかなりのものになり、目線の高さに巨大な雲が浮いている。
風が吹き付け、雪の表面を巻き上げると共に、頭上から分厚い雲が伸し掛かってくる。

ヘヴィ・アイアンは躊躇い無く、雲の中へ跳び込んだ。
視界がホワイトアウトし、天も地も見えない、現実とも夢ともつかない世界を男は駆けた。

――あの日の夜、差し出せなかった己の足を、もう一歩を踏み出すために。



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――枕投げの激闘が幕を閉じた後。
皆でキャッスル謹製の暖炉を囲み夕食を取った。
アイアンがギターを鳴らしマッスルが朗らかに祖国の歌を唄った。
賑やかな食事を済ませると、いつも通りハッスルが教鞭を執る語学の授業が始まった。
金を追ってこの地に集ったマッスルとキャッスル、彼らと流暢に、存分に語り合えるのも、
ゆくゆくは世界に名を轟かす大文筆家になると豪語するハッスルの教養の賜物であった。

やがて、暖炉の薪も燃えさしばかりとなった。
薄暗い山小屋で、四人は思い思いにボロ布をかぶり、一日の終りを迎えた。

その後――どれだけの時間が経ったか。
アイアンはふと目を覚ました。
深夜の山小屋に灯りは無く、視界は右から左まで墨を塗ったように黒一色に染まっている。
妙な時間に起きたものだと、アイアンは寝返りを打って再び目を閉じた。

「アイアン?」

不意に、アイアンの横合いから静かな声が聞こえた。

「もしかして、起きているかい?」
「ハッスルか。どうした?」

夜の帳に包まれた闇の中、しばし二人の男の声だけが行き交った。

「少し、いいかな? 重要な話をしたいんだ。君にとっても、僕にとっても」
「なんだ? 勿体ぶって」
「ああ……実は、さ。視えたんだ。君を一人残して、僕達が死ぬ未来が」
「……冗談だろう? どうやったらお前や、キャッスルやマッスルが死ぬってんだ?」
「くだらない話さ。大きな金の鉱脈が見つかる。所有権を巡って争いが起こる」
「そんなもの関わらなきゃいいだろう」
「まあ、そうだね」
「いつもお前のお陰でそんな馬鹿話は避けられたじゃないか」
「だが、今回はそうもいかないんだ」
「何が違うって言うんだ?」
「キャッスルの奥さんはこの辺の土地に『元々住んでいた人々』だ。『僕ら』が来る前からの」
「……まさか」
「僕達が命懸けで止めなければ、金鉱脈目当ての奴らが彼らを皆殺しにする。奥さんも含めて」
「馬鹿な!」
「ああ、馬鹿な話だ」
「逃げられ……ないんだろうな。お前がそう言うって事は」
「ああ」

沈黙が続いた。アイアンは無言で身を起こした。
気配を頼りにハッスルへにじり寄ると、自分の手と比べてあまりに小さなその肩を掴んだ。

「俺はお前や、マッスルや、キャッスルより余程弱いかもしれん。だが――」
「皆まで言わなくていいさ。君はそういう男だ」
「……そうか」
「それに、君ならいずれ僕達よりも強くなれる。誰にも負けない、最強の男になれる」
「そんな未来が視えたのか?」
「いや、全く」
「HA! こんな時にジョークを言うなんて流石はハッスル様だな!」
「おいおい、君は僕を誰だと思っているんだ? 僕は未来の……未来の大文豪になる男だよ?」
「ああ。ああ、そうだな」
「たとえアーカーシャ(注2)の何処に記されていなくても、僕がそう一筆したためてやるさ」

男達は背中を合わせ、闇に向かい語り合った。

「――お前はそれで良いのか?」
「どうしてそんな事を聞くんだい?」
「お前は……大文豪になるんだろう?」
「そうさ。皆が仰け反る冒険譚を綴る男さ。だからだよ」
「だから?」
「キャッスルの口癖と同じさ。彼は言ってるだろう、『レンガ職人の身体はレンガより硬い』って」
「ああ」
「僕も人々を救う英雄を、救国の英雄をこの手で書くんだ。自分の手で創る子供達に負けられない」
「HAHA! それだけか! お前もやっぱり馬鹿な男だな!」
「キャッスルに出来て僕に出来ないなんて癪じゃないか。男の意地を見せてやるさ」
「俺も付き合うぞ」
「そうだね……そうだ。金鉱脈が見つかるのは三日後だ。覚えておいてくれ。今夜はもう寝よう」
「三日後……か」
「黙っていようかとも思っていたけれど……最期に話せて良かったよ」



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「タッソォォォーッ!(悲劇と勝利)」「ヨイショォォォーーーッ!」



ヘヴィ・アイアンは山頂に到達した。
槍の穂先のように切り立った一本の巨石が道標の、空に最も近い場所。
風に舞う粉雪が朝日に煌めき、白く棚引く雲海は地平の彼方まで伸びている。只々、壮大で美しい。

15年前のあの日、ヘヴィ・アイアンが目覚めた時には全てが終わっていた。
マッスル、キャッスル、ハッスルの三人はヘヴィ・アイアンを一人置いて死地へと向かったのだ。

ヘヴィ・アイアンは歯噛みした。
地団駄を踏んで悔やんだ。
何故、彼らは一人の男を置いていったのか。
その理由が痛い程に分かっていた。拳を岩に何度打ちつけても誤魔化せないくらい痛い程に。

ハッスルと知り合ったばかりの頃に、彼はヘヴィ・アイアンに言った。

「ジャマイカ生まれかい? たしか彼処は10年位前に黒人奴隷解放があったと思うけれど……
 現実はそう甘くないだろう? 音楽が趣味で、こうして国外旅行まで出来ているだなんて、
 君、実はかなり良い生まれじゃないか? 国に帰ったら、人を導く立場なんじゃないか?」

それは事実であった。ヘヴィ・アイアンは彼らとは生まれが違った。
黒人でありながら、白人社会で気ままに振る舞える地位を持って生まれていた。

自分の命を守る際には効果が発揮されない『何かを守る時に強くなる』能力を持つという事、
それはヘヴィ・アイアンが己の身を守る必要性を感じぬ環境で生まれ育ってきた証左であった。

マッスルも、キャッスルも、ハッスルも、根っからの風来坊であった。
己の命に掛かる責任の量がヘヴィ・アイアンとは決定的に違った。

たったそれだけの事で、男の覚悟は踏み躙られた。

実際、三人は正しい選択をしたとヘヴィ・アイアンも理解している。
この胸を焦がす辛さも、馬鹿な男の我儘に過ぎないと理解している。

それでも、人は損得勘定でのみ動く訳ではないのだ。

以来、ヘヴィ・アイアンは必死で肉体を鍛えた。
あの日、もしも自分にもっと力があったならば。
あの三人を超える程に力があったならば、違った未来を歩めたかもしれない。
悔しくて、悔しくて、男は走り続けた。

そして、走り続けた先にこの未来があった。

『よく来たな。ヘヴィ・アイアン』

山頂にはヘヴィ・アイアンの他に、もう一人の存在があった。
全身を見たこともない金属の鎧で覆い、奇妙な駆動音を鳴らす機械仕掛けの人間。
否、人間かどうかすら怪しいその存在は、『時の総督』と呼ばれていた。

『私を召喚した男よ。今一度、問う。覚悟は良いのだな』
「当然だ」
『私の力で時を駆けるという事は、平凡に生きる者では到底味わう事の無い、
 他の人間の千倍、万倍の労苦を身に刻み、煉獄の苦しみを覚える事となる。
 それでも、走り続けるというのか』
「何度でも応えよう。当然だ」

ヘヴィ・アイアンは天を突かんと伸びた巨石へ向き直った。
太古の巨木が化石となり、山の頂に残されたというものである。

男は腕に満身の力を込めた。
素手でありながら、巨大な斧を構えたが如き威圧感がその腕に充ちた。

「ARRRR!」

咆哮と共に、腕が振り抜かれる。
猛烈な速度で放たれた『手斧』は真空波を生み出し、巨石の胴を輪切りにした。

「今の俺ならば! 触れずともこの手を届かせる事が出来る!」

山の頂から切り離された巨石を軽々と片手に担ぎ、ヘヴィ・アイアンは叫んだ。
15年前のあの日の夜も、今の自分の力ならば――



■■■■■■■■■



「やっぱり騙されてはくれないか」
「当たり前だ。何が三日後だ。お前の考えなんて分かっているぞ」

月明かりに照らされた森の中で、三人の男達と一人の男が対峙していた。

「お前、連れて、行けない! お前、分かって、いるだろう?」
「アア、ソレニオ前ノ実力ジャ オレ達ニツイテ来レナイ」

山小屋を抜け出そうとした三人を追い、アイアンは彼らの前に立ち塞がっていた。

「そう思うなら――」

どうあっても、自分を置いて行くと言うならば、

「俺がその勘違いを正してやろう!」

力づくでも我を通す。それが四人の流儀であるのだから。

アイアンは彼我の戦力差を理解していた。
真っ当に戦ったならば、自分が打ち負かされるという事は骨身に沁みて理解していた。

マッスルの会話能力はチームプレイにおける最強の能力だ。
キャッスルと連携して襲われれば対処など出来はしないだろう。
敵に銃口を向けられた状態で冷静な作戦会議を行える情報伝達の力は数々の窮地から四人を助けた。
そこに当人の尋常では無い身体能力が加われば手がつけられない。

キャッスルの硬化能力はシンプルでいてどうしようもない程に強力だ。
防御能力だなどと勘違いしてはならない。彼に掴まれたら最後、その指は逃走不可の枷になる。
凶器となる髪や体毛は勿論、肌が触れたら汗を硬化させるだけで接着剤のように何でも貼り付ける。
マッスル程の反射神経が無いならば、ほぼ、接触即決着に繋がる凶悪極まりない力だ。

ハッスルの未来視など、わざわざ言うに及ばない。問答無用の強者の能力である。

だが、アイアンは無策でこの場に臨んだ訳では無かった。

「WOOOO! そこまで、言うなら、見せて、もらおうか!」
「掛カッテキナ!」

奥に一人、離れて立つハッスル。

巨体を揺すり、マッスルとキャッスルがアイアンへ向かって一歩を踏み出した。
その瞬間、アイアンはキャッスルの懐へ跳び込んでいた。
そしてキャッスルに迎撃の姿勢を取らせるよりも早く、手に持った布袋を頭に叩き込んだ。

「ッ!?」

キャッスルが押し殺した驚嘆の声を溢した。
驚くのも無理は無い。
まさかアイアンが既にその能力を発動して身体能力を強化しているとは思っていなかったのだ。
彼らが死ぬ未来を知った今ならば、彼らの為に、アイアンは超人的な力を発揮出来た。

キャッスルもマッスルも、アイアンより格上である自覚を持っていた。
だからこそ、アイアン以外の不測の事態にも対処出来るよう、余裕を持って構えていた。
それこそがアイアンの付け入る隙になった。

流石にキャッスルも無防備に攻撃を喰らってはいない。
既に硬化能力によって全身を硬め、頭部もきっちりとガードしていた。
だが、硬化した髪に布が絡まり、視界は塞がれている。
もし視界を取り戻したければ能力を解除しなければならず、それは頭部を危険に晒す事になる。

「お前、能力か! 不意打ち、見事! キャッスル、硬化を、キープだ!
 おれが、アイアンを、引き離す! タイミング、良い時を、知らせ――」

そして何より、こういった事態にはマッスルという頼れる耳目がある。
キャッスルは迂闊に動くよりも、能力で絶対防御を維持し、マッスルの指示を受けたほうが良いと、
経験から知っている。
マッスルもまた己の役割を知っている。だから四人は完璧なコンビネーションを発揮してきたのだ。

だからこそ、アイアンの策は功を奏した。

アイアンがキャッスルに叩きつけた布袋には、有事の際にと予めキャッスルが皆に配っていた、
キャッスル自身の頭髪を結って作った紐が混ぜられていた。
今、キャッスルの身体に触れたその紐はこの世のどんな糸よりも強靭な鋼線となっていた。
そして袋の端から、その鋼線がほつれた糸のように長く伸びていた。
鋼線の先は、牛を捕らえる投げ縄さながらに、マッスルの身体へと投げられていた。
マッスルは情報伝達役たる自分の、戦闘中の優先順位を知っていた。
キャッスルが窮地に陥ったならば、まず自分の脳力を発動して状況を伝える事を優先させる、
それが彼の当然の選択であった。
その判断が、回避行動を優先したならば充分に躱せたであろう速度の縄を、身体に食い込ませた。

「ハッソォォォーーーッ!」

戦闘開始から数瞬。アイアンは二人の男の動きを封じていた。
だが、それも僅かな時間稼ぎにしかならないと理解していた。
ただ、ハッスルの下へ到達する為だけの、僅かな時間さえ手に入れば良かったのだ。
アイアンは咆哮した。
腕を掲げ、全力の『手斧』をハッスルに叩き込んでやろうと疾駆した。

ここまでは全て、アイアンの作戦通りであった。
だが、アイアンにはハッスルの未来視を破る術は思いつかなかった。
アイアンは愚直に駆けるしかなかった。

ハッスルならば、既に負けると分かって駆ける一人の男の思いを理解しているだろう。
何故ならば、それはハッスル自身でもあるからだ。

――ならば、ならば!

死ぬと分かって前へ進むと決めた男ならば、同じ志を持つ男の思いを遂げさせてくれないか。
ただ、その思いでアイアンは駆けた。
ハッスルの下へ、あと一歩。

その腕が振り下ろされる事は無かった。
アイアンが踏み出した一歩が、突如として地面を崩落させたのだ。
ハッスルを目前にして、アイアンは深い奈落の底へと身を落としていった。

最後にアイアンが見聞きした光景は、沈痛な表情で、無言で目を伏せたハッスルの顔と――
脳内で再生された、枕投げの際、「朝から穴掘りで疲れてる」と言ったハッスルの言葉であった。



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「マッスル!
 キャッスル!
 ハッスル!
 今の俺ならばお前達に拳を叩き込む事も出来る!
 待っていろよ! 俺は今度こそ間違えないぞ!
 負けるつもりでなぞ、そんな馬鹿な思いで突っ込みはしない!
 必ず勝つ!
 こんな糞喰らえな悲劇を創った奴を!
 誰だろうがブン殴ってやるぜ!
 だから――見ていろよ大馬鹿野郎共ォーーーッ!!!」

空へ、青々と広く、何処までも深い蒼穹の宇宙へ、ヘヴィ・アイアンは叫んだ。
その豪腕から撃ちだされた巨石は天を貫く槍となり、雲を裂いて翔び立った。
それはヘヴィ・アイアン自身にも預かり知らぬ事。
その巨石は第二宇宙速度を超え、地球の楔を離れ、成層圏で赤熱する一つの流星となった。





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――これ以降にヘヴィ・アイアンの足取りはさっぱり分からなくなる。
つまり、この時に彼の身辺に大きな変化があった事だけは確かだろう。

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――手元の資料だけでは100年も昔の事など詳しく分かりはしない。
ただ、少なくともゴールドラッシュ当時、金を求めてこの地を訪れた白人達が原住民を迫害し、
時には一つの部族を根絶やしにした記録もある。
きっと、ヘヴィ・アイアンと彼の仲間達はそんな争いの中で生きようとしていたのだろう。

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――さて、こうしてヘヴィ・アイアンについて思いを馳せて筆を走らせるとどうにも止まらない。
最後に、私が思い至った一つの仮説、或いは世紀の発見について記しておこうか。

彼の半生を語る上で絶対に外せないのが、ジャマイカに革命の嵐を起こした『時の総督』だ。
君も歴史の授業で習っただろう。
人の世の折々に姿を表し、社会に変革をもたらしては唐突に姿を消す、かの怪人物を。
彼――性別があるのかは分からないが便宜上そう呼ばせてもらうよ。
彼は前触れ無く表れ、突如として消える。
時には人智を超えた存在としても扱われるね。
時空を操るという噂以外、その全てが謎に包まれた人物にだよ。

ヘヴィ・アイアンはどう接触したのか。

この点を私はずっと探っていたんだが――先日、とうとう思わぬところから天啓を得られたんだ。
この考えが確かならば、歴史に潜む巨大な謎、『時の総督』について、
そしてヘヴィ・アイアンのその後について、
この二つが一気に解決するんだ。

封筒に写真を入れておくから、それを見てくれ。まずは一枚目。
それはエジプトのピラミッド内部に彫られた壁画を撮った一枚だ。
そこに写っているだろう――恐らく資料として残る世界最古のドレッドヘアーの男が。
よく見て欲しい。その巨体。黒い顔料で染められた肌。
そうだ。君の想像する通りの事を私は考えている。
もしかすると、これこそはヘヴィ・アイアンその人ではないだろうかと。

お次はマヤ文明の先古典期前期の遺跡の出土品だ。
この石細工は当時の指導者的立場の人物を模したものと思われている。
このドレッドヘアーを靡かせる姿は、ヘヴィ・アイアンを髣髴とさせないか。

続く一枚はアケメネス朝ペルシアの勇壮な将軍の姿絵だ。
どうだろう。そこに写っているドレッドヘアーの巨漢は。
ヘヴィ・アイアンはもしやここでも戦士として戦っていたのではないだろうか。

今度の写真は中国の兵馬俑だ。
見よ! この一際大きな身体を誇る猛々しい髪型の土人形を!
彼は――ここにも居た!

そうだ。彼は時を駆ける力を得て、彼の残した言葉、「過去現在未来全ての救うべき人を救う」を
実践しているのではないだろうか。真に世界を救うべく、過去を戦い抜いたのではないだろうか。
彼は神代の時代から現代、そして恐らくは遠い未来に至るまで、今も戦い続けているのではないか。

そうだ。彼こそがその手に人々を導く旗を持ち、世界を変えようと戦う闘士になったのではないか。
彼こそが、そう、彼こそがその永劫の戦いの末に人を超え、『時の総督』となったのではないか!

私は確信する!
久遠の過去から人々を助け、永劫の未来まで人々を助ける。
ヘヴィ・アイアンは成ったのだ! その言葉の体現者に!

――そう考えれば自然と気付くだろう。

この世界には、そんな風に人々を救う存在を説く教えがある事に。
この世界には、世界平和を説く教えがある事に。
この世界には、彼の生き様そのものを伝えんばかりの教えがある事に!

もしや、その教えとはヘヴィ・アイアンの生き姿をなぞったものではなかったか。

衆生が迷い世が乱れる時代に姿を表し、人々を救う存在――そうだ!
彼こそはブッディズムに謳われる『地涌の菩薩』(注3)そのものではないか!
久遠の過去に仏性を開き、56億7000万年後に全ての衆生を救済する『弥勒菩薩』(注3)ではないか!

――のみならず!

そうだ! 彼こそが西方浄土の菩提樹の下で悟りを得た、ブッダその人だったのではないかと!

思い出してくれ! 東方の島国に飾られたビッグ・ブッダ像を!
あの金色に輝く頭に乗った、縮れた髪型を!
あれこそは彼のドレッドヘアーを現代に伝える確かな証拠ではないか!

私は昔から思っていたんだ。
もしもこの宇宙の何処かに、世界を創りたもうた神が存在するとして。
もしも神が描いた台本に文句をつけて、あまつさえ神を殴り飛ばす存在があるとするならば。

――その役目を実践する者は、『仏』以上に相応しい存在は無いとね。

ああ、駄目だ。
ヘヴィ・アイアンの事を考えていると楽しくて筆が止まらない。
流石にインクも尽きそうだ。
そろそろお別れの挨拶としておこう。

今、私は文机の上に手紙を広げ、横に置いておいたマグカップでコーヒーを楽しんでいる。
窓から見える空は快晴。雲ひとつ無い青空だ。今日も一日、きっと良い天気だろう。
君の住む街もこの空のように晴天である事を祈っているよ。それじゃあ、また。

Cheers.










アイアン:本名不明
能力:誰かを守れるよ
性格:単純一途
武器:筋肉

マッスル:本名不明
能力:いつでもお喋りできるよ
性格:豪快、自信家
武器:筋肉

キャッスル:本名不明
能力:身体が硬くなるよ
性格:明るい、お調子者
武器:筋肉

ハッスル:本名不明
能力:未来が視えるよ
性格:夢想家、情熱家
武器:知恵

(注1)
1800年代中盤は写真撮影に専門の技術者を雇う必要があり、貴族の遊びであった。

(注2)
現代で言うアカシックレコードの語源。アカシックレコードという呼び名が広まるのは後の話。

(注3)
仏教用語。人々を救う為にこの世に現れる存在。
最終更新:2016年02月24日 22:39